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仮面卿外伝【第二章 太陽が沈んだその後に】
第十六話 愛しき白薔薇よ(外伝最終話)
「王妃殿下の行動記録と予定表です」
ザインが書類を差し出し、そう告げた。
「ジャック様、王冠を取り戻しましょう」
ザインを含めた王家の影達が口々に言う。ハインリヒの圧政と重税に次ぐ重税で、たった三年半で民は疲弊しているらしい。気に入らない者は断頭台送りか……ここまで横暴だったか? 王という地位がハインリヒを付け上がらせたか。
オーギュストは口元を布で覆い、マントを目深にかぶって出かける準備を調える。
さてとエヴリン、何を知っているのか教えてもらおうか……
王妃が一人になる時間が存在する。月に一度、一人王家の霊廟に籠もり、何時間も出てこないらしい。完全に人払いをかけているから、会うにはうってつけだ。中で何をやっているのかは知らないが、霊廟は地下だ。少しくらい騒いでも、見張りの者達は気が付くまい。
王家の霊廟へは秘密の通路を使って移動すればいい。そも、この霊廟は王族の逃亡用として建てられたものだ。つまり秘密の通路がここに直結している。
霊廟内部は白百合で飾り立てられていた。足を踏み入れれば、むせかえるような百合の香りだ。これもエヴリンがやっているらしい。温室で白百合を育てて、月に一度霊廟へと運び入れている。熱心に祈っているらしいエヴリンの後ろ姿が目に入る。
祈りか……祈りを忘れて久しい。いつの間に祈らなくなったのか……文言だけはご丁寧に覚えている。いっそ忘れたい。
コツンと靴音をわざと響かせれば、エヴリンがはっとしたように立ち上がり、振り返る。
「誰! 誰も入るなと命じたはずよ!」
「……知っている」
そう、知っている。影を通じて得た情報だ。
エヴリンが目を見張った。
「まさ、か……オーギュ?」
オーギュストの口元に苦笑が浮かぶ。
ああ、やはり気付かれるか……。顔を隠しても、幼い頃から知っていれば、否が応でも分かる。
「そうだ、私だ。久しぶりだな?」
オーギュストは口元を覆っていた布を取り、一応笑顔を作ってみるが、やはり作り物の域を出ないと感じてしまう。もうこれは、慣れるしかないのだろう。心から笑える日がいつかくるのだろうか……
エヴリンが泣き笑いの顔になった。
「ああ、オーギュ、オーギュ、奇跡だわ。死んだものとばかり」
「そうだな。私の生存を誰にも話さないでいてくれると助かるが……」
でないと最悪、口を封じる必要が出てしまう。頼む、敵に回らないでくれ……
そんな思いが通じたか、エヴリンは頷いた。オーギュストは内心ほっと胸をなで下ろす。
「ええ、もちろんよ。誰にも誰にも話さないと誓うわ。神かけて」
神かけて……ざわりとした嫌な感触を覚える。拒否反応だろう。
「出来るなら私に誓ってくれ」
神などくそくらえ……
オーギュストはそう言いそうになって止めた。不信を煽るだけだろう。エヴリンも信心深かった。そう、かつての自分のように……やはり浮かぶのは自嘲の笑みだ。
エヴリンが言う。
「ええ、あなたがそうして欲しいというのなら、そうするわ」
「弑逆の件は冤罪だと言えば信じるか?」
「ええ、信じるわ。いえ、冤罪だと知っていたの。でも、何も出来なくて……」
「エヴリン、頼む、知っていることを話して欲しい。アンバーは血の入った飲食物を口にするなと、君が指示したと言っていた。君はハインリヒが滅びの魔女の秘薬を手に入れ、使用したと知っていたんだな? いや、途中で知ったのか? どうやって知った?」
エヴリンがそっと目を伏せる。
「わたくしが作ったの」
「……何?」
「ご、ごめんなさい。滅びの魔女の秘薬はわたくしが……」
流石にこれは想定外だった。あれがどんなものか知っていて作り出したのなら……
オーギュストは声を荒げた。
「何故だ! 君が、君が首謀者だったのか!? 私から全てを奪った張本人? 築き上げた信頼を失墜させ、王太子としての地位を奪い、愛する妻と共に歩む未来を奪ったというのか?」
エヴリンはエクトルの妹で幼なじみだ! 相応に信頼していた! なのに何故!
「ち、違うわ! あれがあんな効果を生むなんて知らなかった! 知らなかったのよ!」
エヴリンが即座に否定し、すすり泣いた。
「ハインツが滅びの魔女の秘薬を使って、あなたを蹴落とそうと画策しているだなんて、思わなかったの! 単なる知的好奇心だとばかり……。滅びの魔女の秘薬は、こ、恋の秘薬だとハインツはそう言ったの。好きな相手をものにできると……だから、だからわたくは……」
「……ああ、出来るとも」
驚きから立ち直れば、怒りがふつふつとわき上がる。どんな笑みが浮かんだか……殺意をのせれば恐らくこんな笑い方になるはずだ。
「滅びの魔女の秘薬で魔女の力を得れば! 自分を愛せと脅せるぞ! 周り中敵だらけになるからな! 孤立無援の四面楚歌となる! 生き延びるために誰もが言うことを聞くだろう……。ふ、ははは、私の場合は、大切な者の命を盾に取られた。我が子を生かすために、あの魔女を満足させ続けるしかなかった。殺したい程憎い女と情愛を交わす……それがどんなものか分かるか!」
どれほど言葉を重ねても理解出来るものか!
怒りにまかせて胸ぐらを掴めば、エヴリンが泣きながら首を横に振った。
「し、知らなかったのよ! 効果は……単純に自分に好意を抱くものだと思っていたから……」
オーギュストの口角が上がった。嘲笑と侮蔑そのものだろう。
「好意を抱く……秘薬の力でか? は、はは……出来るどうかは分からんが、出来たと仮定するなら、それは人としての尊厳を傷つけ踏みにじる行為だと、気が付かないのか?」
エヴリンが目を見張った。こんな台詞を言われるとは思わなかったのだろう。
オーギュストが言う。
「たとえどんな選択をし、後悔にあえぐ結果を手にしたとしても、それが自分の意志で選択したものならば、まだ納得も出来よう。なのに……偽りの好意を植え付け、偽りの人生を歩ませる? それは選択の権利の剥奪だ! 自由意志を奪われるに等しい。自由意志は神が人間に与えたものだぞ! 人としての尊厳そのものだ! 生きる意味にも匹敵する! それを、それを! は……死んだ方がましだ。そんな生のどこに価値がある!」
オーギュストが踏みつけた床がビシリとひび割れる。
選択の権利の剥奪。それは生き人形になることを意味する。自分の人生でありながら、他人に操られ、自分の人生を生きられない。生きながら死んでいるも同じこと……
「あ……」
「滅びの魔女の秘薬はどこにある?」
じりっとオーギュストが押し迫れば、エヴリンが身を引こうとする。が、胸ぐらを掴まれているのだ、出来ようはずもない。泣きながら首を横に振った。
「もう、ないわ」
「嘘をつくと……」
エヴリンが泣きながら叫んだ。
「嘘じゃないわ! 後悔したもの! 二度と、二度とあれは再現出来ないの! 滅びの魔女が作り出したマナを廃棄したから! 誰にも再現は不可能よ! マナを作り出せる魔女でもない限り!」
オーギュストははっとなる。
マナの廃棄……そうだ。王家の秘宝庫に隠された遺物をあさっても、魔女の作り出したマナがどうしても見付からなかった。エヴリンが持ち出し、廃棄していたのか。
オーギュストが手を離せば、エヴリンはその場に泣き崩れた。オーギュストはそれをじっと見下ろし、大きく息を吐き出した。怒りに震える手を宥めるように。
「……鍵をよこせ」
「鍵?」
「研究室の鍵だ。危険な物を隠し持っていないか確かめさせてもらう」
エヴリンが首から下げていたネックレスを渡す。その先に研究室の鍵がついていた。エヴリンが許しを請うようにオーギュストを見上げた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。何でもするわ。わたくしに出来る事なら、何でも。どうか償わせてちょうだい」
何でも、か……
「ハインリヒを蹴落とし、私が王座に返り咲く手伝いでも?」
「ええ、やるわ。あなたが正当な後継者だもの」
「王妃ではいられなくなるぞ?」
「未練はありません。本当ならブリュンヒルデ様が王妃になるはずだった」
ああ、そうだな……見果てぬ夢か……国民の一人一人が幸せになる国作りを、そう語り合った日はもう戻らない。
――わたくしにもお手伝いさせてください。あなたの夢がわたくしの夢です。
そう告げ、顔を輝かせたブリュンヒルデの笑顔が胸を突く。
手を取り合って生きていくはずだった。ブリュンヒルデ!
オーギュストが背を向ければ、エヴリンの声が追いかけた。
「オーギュ? どこへ?」
「また、連絡する。私の事は口外するな? その時は命をもらう」
「……あなたになら命を捧げます」
きっと本心なのだろう。
だが、今のオーギュストには、全くと言っていいほど響かなかった。
お前の命をもらっても、ブリュンヒルデは帰らない。むなしいだけだ……それより、役に立ってもらう。ハインリヒを追い詰める手伝いをしてもらおうか。
ハインリヒ……偽りの王座で、破滅の日を待つがいい! 追い詰めて追い詰めて追い詰めて追い詰めて追い詰めて断頭台へ送ってやる!
ある時、食堂の風景が大きく変わった。ローザがいる。
真向かいの、随分と離れた席ではあるが……
オーギュストは口元に微かな笑みを浮かべた。
――オーギュ、食事は近くで取りたいわ。会話が出来ないもの。
ブリュンヒルデはいつだってそう言って隣に座りたがった。彼女の理想とは真逆だが……今はこれでいい。ローザの姿を見ていられるだけでも……
オーギュストは手にしたナイフで肉を切り分け、口入れるも、その感触に顔をしかめそうになる。相変わらず砂でも噛んでいるようで不快だった。食事をすることそのものが、もはや苦痛である。だが、食事をしないわけにはいかない。物を食べなければ人は生きていけないのだから。
「お嬢様、たくさん食べて大きくなりましょうね?」
「はあい! アンバー、大好き」
ローザがにこにこと笑う。オーギュストは目を細め、その光景を眺めた。この時だけは、冷え切った心に温もりを与えてくれる。
大好きか……彼女がいるから、ローザは笑ってくれるのだろう。
だが、そろそろ潮時か……
「国へ帰るといい。帰るための支度金を用意しよう」
執務室へ呼び出したアンバーに、オーギュストが告げる。
「お邪魔ですか?」
心なしかアンバーの表情が硬い。
「いや、むしろいて欲しいくらいだが……」
「だったら、このままここに置いてください。ローザ様にお仕えしたいです」
「家族がいるだろう?」
「ええ、はい。子爵家を継いだ兄がいます。けど、私が帰ったら適当な相手のところに嫁がされて、厄介払いをされるだけですよ」
「今国へ帰らないと帰してやれなくなる。これ以降の私の行動を、情報として持ち帰ってもらっては困るからな」
「……ヴィスタニア帝国へは帰りません」
アンバーがきっぱりと言った。
「一生楽して暮らせるだけの金をやるぞ?」
「ブリュンヒルデ様にお仕えするようにローザ様にお仕えすると誓いました。今ではジャック様、あなた様が私の主人です。いえ、この国へ嫁いで来たブリュンヒルデ様についてきた時点で、私はリンドルン王国の人間となりました。ここが私の国です」
「頑固だな?」
「きっと前の主人に似たんですよ」
ブリュンヒルデに似たのだとアンバーが暗に言い、オーギュストの笑いを誘った。そう、彼女もこうと決めたらてこでも動かなかった。
アンバーが申し出た。
「ジャック様、お茶をお入れしましょう。いつのもやつを」
「ああ、そうだな。頼む」
アンバーはブリュンヒルデが好んで飲んだ茶を、時折こうして入れてくれる。味は分からないが、香りなら分かる。幸福だった頃の香りだ……
オーギュストがドルシア子爵の爵位を譲り受けたのは、オーギュストが二十八才の時、ローザが五つの時の事だ。ドルシア子爵の助けを借りて、亡きドルシア子爵令嬢と偽の婚姻を結び、オーギュストがドルシア子爵と呼ばれるようになったのである。
ジャック・ドルシア子爵、それが彼の正式な名となった。
貴族街にあるドルシア子爵邸へと移る直前、オーギュストは仮面をつけた。商取引へ行く時にはこうして仮面をつけていたが、ローザがいる邸では外していた。それが、ドルシア子爵邸ではつけっぱなしにすると言う。
アンバーは仮面をつけたオーギュストの顔をしげしげと眺めた。
「これからはずっと仮面を?」
「……そうだ。事情を知らない使用人達には正体を知られたくない。仮面をつける理由は火傷の痕があるから、ということにしておく」
「そう、ですか……なら、ジャック様の素顔はもう見られないんですね。少し寂しいです」
オーギュストが苦笑する。
「怖いと言っていたようだが?」
揶揄うようなその台詞に、アンバーは身を縮めた。
確かにそう口にした。
魔女を殺したあの日以降、オーギュストはがらりと様変わりしたと言っていい。太陽のようだった笑顔が消え、取って代わったのが貼り付けたような作り物の笑みだ。表情の全てが死んでいるようで、笑っても笑っていなくてもぞくりとした怖気が走る。
顔の作りが美しいだけにさらにそれは壮絶だった。それが日に日に鋭さを増し、アンバーは思わず「最近のジャック様は怖いです」と口走ってしまったのだ。本当に思わず、といった感じで……
「も、申し訳ございません。悪気はありませんでした!」
「いや、いい。自覚している」
オーギュストがそう口にする。アンバーは目を丸くした。
自覚なさっている?
オーギュストの口元に浮かぶのは自嘲めいた笑みだ。
「裏組織がからむとどうしてもな……アンバー、昔の私の顔を覚えているか?」
「ええ、はい。太陽のような笑顔がとても素敵でした」
アンバーが笑う。
そう、とてもとても素敵だった。ブリュンヒルデ様と並ぶ姿は、今でも素晴らしい思い出として記憶に残っている。幸福を形にしたら、きっとあんな感じだろうと、自分はあれを目にするたびに嬉しくてしかたがなかったけれど……失われて久しい。
気落ちするアンバーの耳に、オーギュストの声が滑り込む。
「なら、それを、私の仮面の下にある顔として想像してくれないか?」
「え? でも……」
「私自身、思い出せないんだ。どうやって笑っていたのか……せめて君が覚えていてくれ」
思い出せない……
アンバーの胸がずきりと痛む。
今のオーギュストの有り様をみて、思い出せない、というより、理解出来なくなったのではと、そんな風に思ってしまう。自分の心を殺しすぎて、喜びという感情を理解出来なくなった……だから、笑えない……
「わかりました。はい、忘れません」
アンバーが請け負い、オーギュストがうっすらと笑う。酷薄な、そう見える笑みだったが、アンバーは彼が泣いているようにも見えてしまって、何だか自分まで泣きたくなってしまった。
せめて、ローザ様と触れ合えれば……
アンバーはそう思わずにはいられない。残念ながらローザは、相変わらず遠くからオーギュストを怖々眺めるだけである。
ドルシア子爵となったオーギュストは、手がけていた事業を次々拡大していった。その手腕にアンバーは舌を巻く思いである。貴族は大抵、商人から利益を吸い上げることには熱心でも、こんな風に自分で商売を切り回したりはしない。なのでよけいに彼の才が際立って見えた。
ある時、ローザの付き添いとして、裕福な商人達を集めたガーデンパーティーへやってきたアンバーは、ローザがオーギュストに抱っこをせがむ様子を目撃し、目を丸くした。
他の招待客と商談をしているオーギュストの脇にいたローザが、小さな手を伸ばし、オーギュストの漆黒のマントをくいくい引っ張ったのだ。
「お父様、だっこ……」
アンバーはこの時の感動を忘れない。
お嬢様が! だっこをせがんだ!
そろりとオーギュストを見れば、彼は笑っていた。口元しか見えないので、表情が分かりにくいけれど……。アンバーはオーギュストがローザを抱き上げる姿をまじまじと見てしまった。
「いやはや、可愛らしいお嬢さんですな」
商談相手が目を細めて笑った。
「自慢の娘だ」
「ははは、そうでしょうとも」
恰幅の良い紳士が笑う。
――私の仮面の下にある顔として想像してくれないか?
アンバーはその約束を守った。かつての笑顔を、今の彼に当てはめてみる。すると、心がふわりと温かくなった。笑うローザの顔がブリュンヒルデのそれと重なり、さらに眩しい。
きっと今、オーギュスト殿下はいい顔をしているに違いないと、アンバーは思う。ほんの少し前までは、こんなことでさえ、夢のまた夢だったから。
よかったですねぇ、ローザ様、オーギュスト殿下。
希望はありますわ、オーギュスト殿下。だって、ほら、あなたは不可能を可能にする方ですもの。親子手を取り合って生きていく日がきっときますとも。
二人の微笑ましい姿を眺め、アンバーはそっと微笑んだ。
End
ザインが書類を差し出し、そう告げた。
「ジャック様、王冠を取り戻しましょう」
ザインを含めた王家の影達が口々に言う。ハインリヒの圧政と重税に次ぐ重税で、たった三年半で民は疲弊しているらしい。気に入らない者は断頭台送りか……ここまで横暴だったか? 王という地位がハインリヒを付け上がらせたか。
オーギュストは口元を布で覆い、マントを目深にかぶって出かける準備を調える。
さてとエヴリン、何を知っているのか教えてもらおうか……
王妃が一人になる時間が存在する。月に一度、一人王家の霊廟に籠もり、何時間も出てこないらしい。完全に人払いをかけているから、会うにはうってつけだ。中で何をやっているのかは知らないが、霊廟は地下だ。少しくらい騒いでも、見張りの者達は気が付くまい。
王家の霊廟へは秘密の通路を使って移動すればいい。そも、この霊廟は王族の逃亡用として建てられたものだ。つまり秘密の通路がここに直結している。
霊廟内部は白百合で飾り立てられていた。足を踏み入れれば、むせかえるような百合の香りだ。これもエヴリンがやっているらしい。温室で白百合を育てて、月に一度霊廟へと運び入れている。熱心に祈っているらしいエヴリンの後ろ姿が目に入る。
祈りか……祈りを忘れて久しい。いつの間に祈らなくなったのか……文言だけはご丁寧に覚えている。いっそ忘れたい。
コツンと靴音をわざと響かせれば、エヴリンがはっとしたように立ち上がり、振り返る。
「誰! 誰も入るなと命じたはずよ!」
「……知っている」
そう、知っている。影を通じて得た情報だ。
エヴリンが目を見張った。
「まさ、か……オーギュ?」
オーギュストの口元に苦笑が浮かぶ。
ああ、やはり気付かれるか……。顔を隠しても、幼い頃から知っていれば、否が応でも分かる。
「そうだ、私だ。久しぶりだな?」
オーギュストは口元を覆っていた布を取り、一応笑顔を作ってみるが、やはり作り物の域を出ないと感じてしまう。もうこれは、慣れるしかないのだろう。心から笑える日がいつかくるのだろうか……
エヴリンが泣き笑いの顔になった。
「ああ、オーギュ、オーギュ、奇跡だわ。死んだものとばかり」
「そうだな。私の生存を誰にも話さないでいてくれると助かるが……」
でないと最悪、口を封じる必要が出てしまう。頼む、敵に回らないでくれ……
そんな思いが通じたか、エヴリンは頷いた。オーギュストは内心ほっと胸をなで下ろす。
「ええ、もちろんよ。誰にも誰にも話さないと誓うわ。神かけて」
神かけて……ざわりとした嫌な感触を覚える。拒否反応だろう。
「出来るなら私に誓ってくれ」
神などくそくらえ……
オーギュストはそう言いそうになって止めた。不信を煽るだけだろう。エヴリンも信心深かった。そう、かつての自分のように……やはり浮かぶのは自嘲の笑みだ。
エヴリンが言う。
「ええ、あなたがそうして欲しいというのなら、そうするわ」
「弑逆の件は冤罪だと言えば信じるか?」
「ええ、信じるわ。いえ、冤罪だと知っていたの。でも、何も出来なくて……」
「エヴリン、頼む、知っていることを話して欲しい。アンバーは血の入った飲食物を口にするなと、君が指示したと言っていた。君はハインリヒが滅びの魔女の秘薬を手に入れ、使用したと知っていたんだな? いや、途中で知ったのか? どうやって知った?」
エヴリンがそっと目を伏せる。
「わたくしが作ったの」
「……何?」
「ご、ごめんなさい。滅びの魔女の秘薬はわたくしが……」
流石にこれは想定外だった。あれがどんなものか知っていて作り出したのなら……
オーギュストは声を荒げた。
「何故だ! 君が、君が首謀者だったのか!? 私から全てを奪った張本人? 築き上げた信頼を失墜させ、王太子としての地位を奪い、愛する妻と共に歩む未来を奪ったというのか?」
エヴリンはエクトルの妹で幼なじみだ! 相応に信頼していた! なのに何故!
「ち、違うわ! あれがあんな効果を生むなんて知らなかった! 知らなかったのよ!」
エヴリンが即座に否定し、すすり泣いた。
「ハインツが滅びの魔女の秘薬を使って、あなたを蹴落とそうと画策しているだなんて、思わなかったの! 単なる知的好奇心だとばかり……。滅びの魔女の秘薬は、こ、恋の秘薬だとハインツはそう言ったの。好きな相手をものにできると……だから、だからわたくは……」
「……ああ、出来るとも」
驚きから立ち直れば、怒りがふつふつとわき上がる。どんな笑みが浮かんだか……殺意をのせれば恐らくこんな笑い方になるはずだ。
「滅びの魔女の秘薬で魔女の力を得れば! 自分を愛せと脅せるぞ! 周り中敵だらけになるからな! 孤立無援の四面楚歌となる! 生き延びるために誰もが言うことを聞くだろう……。ふ、ははは、私の場合は、大切な者の命を盾に取られた。我が子を生かすために、あの魔女を満足させ続けるしかなかった。殺したい程憎い女と情愛を交わす……それがどんなものか分かるか!」
どれほど言葉を重ねても理解出来るものか!
怒りにまかせて胸ぐらを掴めば、エヴリンが泣きながら首を横に振った。
「し、知らなかったのよ! 効果は……単純に自分に好意を抱くものだと思っていたから……」
オーギュストの口角が上がった。嘲笑と侮蔑そのものだろう。
「好意を抱く……秘薬の力でか? は、はは……出来るどうかは分からんが、出来たと仮定するなら、それは人としての尊厳を傷つけ踏みにじる行為だと、気が付かないのか?」
エヴリンが目を見張った。こんな台詞を言われるとは思わなかったのだろう。
オーギュストが言う。
「たとえどんな選択をし、後悔にあえぐ結果を手にしたとしても、それが自分の意志で選択したものならば、まだ納得も出来よう。なのに……偽りの好意を植え付け、偽りの人生を歩ませる? それは選択の権利の剥奪だ! 自由意志を奪われるに等しい。自由意志は神が人間に与えたものだぞ! 人としての尊厳そのものだ! 生きる意味にも匹敵する! それを、それを! は……死んだ方がましだ。そんな生のどこに価値がある!」
オーギュストが踏みつけた床がビシリとひび割れる。
選択の権利の剥奪。それは生き人形になることを意味する。自分の人生でありながら、他人に操られ、自分の人生を生きられない。生きながら死んでいるも同じこと……
「あ……」
「滅びの魔女の秘薬はどこにある?」
じりっとオーギュストが押し迫れば、エヴリンが身を引こうとする。が、胸ぐらを掴まれているのだ、出来ようはずもない。泣きながら首を横に振った。
「もう、ないわ」
「嘘をつくと……」
エヴリンが泣きながら叫んだ。
「嘘じゃないわ! 後悔したもの! 二度と、二度とあれは再現出来ないの! 滅びの魔女が作り出したマナを廃棄したから! 誰にも再現は不可能よ! マナを作り出せる魔女でもない限り!」
オーギュストははっとなる。
マナの廃棄……そうだ。王家の秘宝庫に隠された遺物をあさっても、魔女の作り出したマナがどうしても見付からなかった。エヴリンが持ち出し、廃棄していたのか。
オーギュストが手を離せば、エヴリンはその場に泣き崩れた。オーギュストはそれをじっと見下ろし、大きく息を吐き出した。怒りに震える手を宥めるように。
「……鍵をよこせ」
「鍵?」
「研究室の鍵だ。危険な物を隠し持っていないか確かめさせてもらう」
エヴリンが首から下げていたネックレスを渡す。その先に研究室の鍵がついていた。エヴリンが許しを請うようにオーギュストを見上げた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。何でもするわ。わたくしに出来る事なら、何でも。どうか償わせてちょうだい」
何でも、か……
「ハインリヒを蹴落とし、私が王座に返り咲く手伝いでも?」
「ええ、やるわ。あなたが正当な後継者だもの」
「王妃ではいられなくなるぞ?」
「未練はありません。本当ならブリュンヒルデ様が王妃になるはずだった」
ああ、そうだな……見果てぬ夢か……国民の一人一人が幸せになる国作りを、そう語り合った日はもう戻らない。
――わたくしにもお手伝いさせてください。あなたの夢がわたくしの夢です。
そう告げ、顔を輝かせたブリュンヒルデの笑顔が胸を突く。
手を取り合って生きていくはずだった。ブリュンヒルデ!
オーギュストが背を向ければ、エヴリンの声が追いかけた。
「オーギュ? どこへ?」
「また、連絡する。私の事は口外するな? その時は命をもらう」
「……あなたになら命を捧げます」
きっと本心なのだろう。
だが、今のオーギュストには、全くと言っていいほど響かなかった。
お前の命をもらっても、ブリュンヒルデは帰らない。むなしいだけだ……それより、役に立ってもらう。ハインリヒを追い詰める手伝いをしてもらおうか。
ハインリヒ……偽りの王座で、破滅の日を待つがいい! 追い詰めて追い詰めて追い詰めて追い詰めて追い詰めて断頭台へ送ってやる!
ある時、食堂の風景が大きく変わった。ローザがいる。
真向かいの、随分と離れた席ではあるが……
オーギュストは口元に微かな笑みを浮かべた。
――オーギュ、食事は近くで取りたいわ。会話が出来ないもの。
ブリュンヒルデはいつだってそう言って隣に座りたがった。彼女の理想とは真逆だが……今はこれでいい。ローザの姿を見ていられるだけでも……
オーギュストは手にしたナイフで肉を切り分け、口入れるも、その感触に顔をしかめそうになる。相変わらず砂でも噛んでいるようで不快だった。食事をすることそのものが、もはや苦痛である。だが、食事をしないわけにはいかない。物を食べなければ人は生きていけないのだから。
「お嬢様、たくさん食べて大きくなりましょうね?」
「はあい! アンバー、大好き」
ローザがにこにこと笑う。オーギュストは目を細め、その光景を眺めた。この時だけは、冷え切った心に温もりを与えてくれる。
大好きか……彼女がいるから、ローザは笑ってくれるのだろう。
だが、そろそろ潮時か……
「国へ帰るといい。帰るための支度金を用意しよう」
執務室へ呼び出したアンバーに、オーギュストが告げる。
「お邪魔ですか?」
心なしかアンバーの表情が硬い。
「いや、むしろいて欲しいくらいだが……」
「だったら、このままここに置いてください。ローザ様にお仕えしたいです」
「家族がいるだろう?」
「ええ、はい。子爵家を継いだ兄がいます。けど、私が帰ったら適当な相手のところに嫁がされて、厄介払いをされるだけですよ」
「今国へ帰らないと帰してやれなくなる。これ以降の私の行動を、情報として持ち帰ってもらっては困るからな」
「……ヴィスタニア帝国へは帰りません」
アンバーがきっぱりと言った。
「一生楽して暮らせるだけの金をやるぞ?」
「ブリュンヒルデ様にお仕えするようにローザ様にお仕えすると誓いました。今ではジャック様、あなた様が私の主人です。いえ、この国へ嫁いで来たブリュンヒルデ様についてきた時点で、私はリンドルン王国の人間となりました。ここが私の国です」
「頑固だな?」
「きっと前の主人に似たんですよ」
ブリュンヒルデに似たのだとアンバーが暗に言い、オーギュストの笑いを誘った。そう、彼女もこうと決めたらてこでも動かなかった。
アンバーが申し出た。
「ジャック様、お茶をお入れしましょう。いつのもやつを」
「ああ、そうだな。頼む」
アンバーはブリュンヒルデが好んで飲んだ茶を、時折こうして入れてくれる。味は分からないが、香りなら分かる。幸福だった頃の香りだ……
オーギュストがドルシア子爵の爵位を譲り受けたのは、オーギュストが二十八才の時、ローザが五つの時の事だ。ドルシア子爵の助けを借りて、亡きドルシア子爵令嬢と偽の婚姻を結び、オーギュストがドルシア子爵と呼ばれるようになったのである。
ジャック・ドルシア子爵、それが彼の正式な名となった。
貴族街にあるドルシア子爵邸へと移る直前、オーギュストは仮面をつけた。商取引へ行く時にはこうして仮面をつけていたが、ローザがいる邸では外していた。それが、ドルシア子爵邸ではつけっぱなしにすると言う。
アンバーは仮面をつけたオーギュストの顔をしげしげと眺めた。
「これからはずっと仮面を?」
「……そうだ。事情を知らない使用人達には正体を知られたくない。仮面をつける理由は火傷の痕があるから、ということにしておく」
「そう、ですか……なら、ジャック様の素顔はもう見られないんですね。少し寂しいです」
オーギュストが苦笑する。
「怖いと言っていたようだが?」
揶揄うようなその台詞に、アンバーは身を縮めた。
確かにそう口にした。
魔女を殺したあの日以降、オーギュストはがらりと様変わりしたと言っていい。太陽のようだった笑顔が消え、取って代わったのが貼り付けたような作り物の笑みだ。表情の全てが死んでいるようで、笑っても笑っていなくてもぞくりとした怖気が走る。
顔の作りが美しいだけにさらにそれは壮絶だった。それが日に日に鋭さを増し、アンバーは思わず「最近のジャック様は怖いです」と口走ってしまったのだ。本当に思わず、といった感じで……
「も、申し訳ございません。悪気はありませんでした!」
「いや、いい。自覚している」
オーギュストがそう口にする。アンバーは目を丸くした。
自覚なさっている?
オーギュストの口元に浮かぶのは自嘲めいた笑みだ。
「裏組織がからむとどうしてもな……アンバー、昔の私の顔を覚えているか?」
「ええ、はい。太陽のような笑顔がとても素敵でした」
アンバーが笑う。
そう、とてもとても素敵だった。ブリュンヒルデ様と並ぶ姿は、今でも素晴らしい思い出として記憶に残っている。幸福を形にしたら、きっとあんな感じだろうと、自分はあれを目にするたびに嬉しくてしかたがなかったけれど……失われて久しい。
気落ちするアンバーの耳に、オーギュストの声が滑り込む。
「なら、それを、私の仮面の下にある顔として想像してくれないか?」
「え? でも……」
「私自身、思い出せないんだ。どうやって笑っていたのか……せめて君が覚えていてくれ」
思い出せない……
アンバーの胸がずきりと痛む。
今のオーギュストの有り様をみて、思い出せない、というより、理解出来なくなったのではと、そんな風に思ってしまう。自分の心を殺しすぎて、喜びという感情を理解出来なくなった……だから、笑えない……
「わかりました。はい、忘れません」
アンバーが請け負い、オーギュストがうっすらと笑う。酷薄な、そう見える笑みだったが、アンバーは彼が泣いているようにも見えてしまって、何だか自分まで泣きたくなってしまった。
せめて、ローザ様と触れ合えれば……
アンバーはそう思わずにはいられない。残念ながらローザは、相変わらず遠くからオーギュストを怖々眺めるだけである。
ドルシア子爵となったオーギュストは、手がけていた事業を次々拡大していった。その手腕にアンバーは舌を巻く思いである。貴族は大抵、商人から利益を吸い上げることには熱心でも、こんな風に自分で商売を切り回したりはしない。なのでよけいに彼の才が際立って見えた。
ある時、ローザの付き添いとして、裕福な商人達を集めたガーデンパーティーへやってきたアンバーは、ローザがオーギュストに抱っこをせがむ様子を目撃し、目を丸くした。
他の招待客と商談をしているオーギュストの脇にいたローザが、小さな手を伸ばし、オーギュストの漆黒のマントをくいくい引っ張ったのだ。
「お父様、だっこ……」
アンバーはこの時の感動を忘れない。
お嬢様が! だっこをせがんだ!
そろりとオーギュストを見れば、彼は笑っていた。口元しか見えないので、表情が分かりにくいけれど……。アンバーはオーギュストがローザを抱き上げる姿をまじまじと見てしまった。
「いやはや、可愛らしいお嬢さんですな」
商談相手が目を細めて笑った。
「自慢の娘だ」
「ははは、そうでしょうとも」
恰幅の良い紳士が笑う。
――私の仮面の下にある顔として想像してくれないか?
アンバーはその約束を守った。かつての笑顔を、今の彼に当てはめてみる。すると、心がふわりと温かくなった。笑うローザの顔がブリュンヒルデのそれと重なり、さらに眩しい。
きっと今、オーギュスト殿下はいい顔をしているに違いないと、アンバーは思う。ほんの少し前までは、こんなことでさえ、夢のまた夢だったから。
よかったですねぇ、ローザ様、オーギュスト殿下。
希望はありますわ、オーギュスト殿下。だって、ほら、あなたは不可能を可能にする方ですもの。親子手を取り合って生きていく日がきっときますとも。
二人の微笑ましい姿を眺め、アンバーはそっと微笑んだ。
End
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