最狂公爵閣下のお気に入り

白乃いちじく

文字の大きさ
42 / 137
第三章 愛と欲望の狭間

第百十四話 シリウスの独白

しおりを挟む
 出会った当初、ティナは他と何ら変わらない少女だった……
 贈り物として受け取ったはずの菓子を、妹に取られそうになって、泣きそうになっているごく普通の子供だ。

 ほんの少し気になったのは、煌びやかな妹の装いに対して、主賓であるはずの姉の装いが、酷くシンプルだったこと。宝石の一つも身につけていない。それならばと予定を変更し、宝石商を呼びつけ、ブルーダイヤのブレスレットを贈ることにした。入荷したばかりだという。
 本当に単なる気まぐれに近い。シンプルな彼女の装いが気になっただけ。本当にただそれだけだ。

 ――後で同じものを買ってあげます。だから、それはジーナにあげなさい。それくらい何ですか。そんな我が儘な子に育てた覚えはありませんよ。

 母親がそう言って幼いティナを叱り付けた。
 眉をひそめた覚えがある。可笑しな言い分だと思った。後で同じものをと言うのなら、取り上げる必要などない。

 ――なら、妹の方に、後で同じものを買ってやればいい。

 放っておいても良かったはずなのに、つい口が出てしまった。泣きそうで泣かない……必死で耐えている、そんな彼女の様子が気になって……

 ――え、ですが……妹はまだ幼いので……

 母親の言い分にこれまた眉をひそめてしまう。
 幼い? 大した違いなどない。一体どこに目が付いているのか。こうして改めて姉妹を見比べてみて、姉は痩せすぎだと思った。姉だというのに妹と体格が変わらない。背格好だけを見るなら、姉妹の立場が逆転しそうだ。

 ――幼い? 私の目にはどちらも幼く見える。大した違いなど無いだろう。そのプレゼントは、ブランジット卿が彼女に与えたものだ。姉だから妹だから、という言い分はおかしいのでは?

 そう言って叱り付け、母親の行為を止めた。
 日常の中のほんの些細な出来事だ。

 ――は、初めまして、公爵様! 私はスワンド伯爵が娘、セレスティナ・スワンドと申します。

 頬を上気させ、一生懸命、大人の真似事をする彼女が可愛らしかった。ただ、それだけのはずだったのに……

 ――……これの内容を理解出来る?

 再び出会った王立図書館での出来事は衝撃だった。
 心底驚いた。ティナが手にしていたのは、魔工学の上級専門書だったのだ。この理論を理解出来るものは、魔工技師の中でも一割にも満たない……それをこの少女が?
 女の天才などいない……
 そんな知人の言葉がふっと浮かんだ。

 いや、彼だけではない、誰もが口をそろえて言う。女は男より劣った生き物だと。馬鹿馬鹿しい考えだと思う。そも、男はその女の腹から生まれているではないか。そんなくだらない考察をするより、研究にいそしめばいいものをと、興味もなかったので、話半分で聞き流していたが……
 もし、いたとしたら?

 ぞくりとした興奮を覚えた。もしも、彼女が自分と同じ高みにまで登れる頭脳の持ち主なら、育ててみたい。未知の可能性が花開く瞬間をこの目で見てみたい。
 それは渇望だったのかもしれない。
 そうだ、自分を理解してくれる者が欲しかった。諦めていたはずなのに、諦めきれなかったのだと後になって知る。

 ――シリウス様の見合い相手として……

 ティナにそう言われた時は仰天した。
 養女として迎えたい、そう希望したが、流石にそれは考えていなかった。たった十五才の少女では、自分の年を考えると無理がありすぎる。

 そう考え、その時は冗談事として片付けたが、その提案がその後、酷く魅力的であることに気付かされる。
 言葉は有限で、いつだって伝えられる真実は限定されてしまう。相手の中にない感覚を伝えることは出来ない。相手が自分と同じ感性を持っていなければ駄目なのだ。

 ――世界を作った神の設計図は素晴らしいが……

 あれの性根が気に食わない。そう続けようとした。
 これもまた日常の中のほんの些細な出来事だった。些細な出来事のはずだった。愚痴などしょっちゅう口にしていたから。

 ――は、はい、とても素晴らしいと思います。でも、見えたと思ったら、消えてしまいます。つかまえるのがとても大変で……

 ティナのその返答を聞いて、怪訝に思った。愚痴を言うはずが、その言葉が途中で消えてしまったほどだ。理解された?

 ――見た事が?
 ――ええ、その……シリウス様に触れている時に、何度か……

 そう言って、はにかむように笑う。
 私に触れている時に? そうだ、彼女に触れていると心地良い……だからつい、こうして手袋を外すようになった。他者との接触を苦手とする私が、だ……

 心か? 魂か? 分からない。
 だが、彼女が自分と似た感性を持っていることは確実だろう。自分の語る言葉を理解されることが、こんなに嬉しいとは思わなかった。

 自分は当たり前のように見ている世界が、他の者には感じられない、見えないのだと知った時の落胆はいかほどか。自分が垣間見た設計図の素晴らしさを語っても、どうやら理論そのものが突飛すぎるようで、理解されない。馬鹿馬鹿しいと一蹴されることもある。
 それなのに、彼女にはそれが分かる。まだまだ拙いが、自分と同じ世界に触れているのだと分かる。それがどれほどの喜びか、彼女は知らない。

 養女ではなく、未来の伴侶として……
 そんな考えが浮かんでは消える。

 年を度外視すれば、彼女は自分の理想だった。ティナは自分と同じ目線で同じ夢を語る者だ。何より、自分が見る世界を理解してくれる者が、この世界広しといえど、一体どこにいる?
 そう思っても、常識が邪魔をした。
 馬鹿なことを考えるなと。十八もはなれた子供と婚約など、とんでもない。自分の欲のために、こんな年端もいかない少女の一生を犠牲にするつもりかと。

 彼女は何も分かっていない。大人のずるさも汚さも。純粋さゆえに恐れを知らない。それが功を奏する場合もあるが、大抵はずる賢い大人の餌食だ。
 この場合は私か……

 世俗と隔絶して、世間知らずのまま育てれば、いくらでも丸め込んで、自分の手元に置ける。自分のものにできる。それこそいいように操れるだろう。
 けれど、それが何を意味するか……

 鎖でがんじがらめになった鳥は、どうなるのだろうな? 生きながら死せる者となりはしないか? 呼吸するだけの屍に……そうさせたくはなくて、なけなしの父性を振り絞って、一旦は手放した。自分で未来を選択出来る大人になるまで、待つつもりだった。手放したつもりだったが……

 ――バーデ侯爵閣下だぞ? またとない良縁だ。

 どこが良縁だ! 女好きのくそ野郎だ! 私よりも更に十以上も年が離れている! こんな話をティナにしたスワンド伯爵に、殺意にも似た感情が湧き上がった。今すぐにでもティナをオルモード家に引き取ろう……そう思ったが、祖母の体調を理由に、ティナ自身に断られてしまった。

 ――でも! 長距離の移動は、お祖母様の体の負担になるかも!

 仕方がない。彼女の希望が優先だ。イライラしながらも、彼女の動向を見守ったが、目にした光景に我を忘れた。

 ――さあ、セレスティナとやら。わしの可愛い花嫁! 

 ヘニング公爵がそう口にして、両手を広げたのだ。
 ティナを抱きしめようとでもするように。

 かっと頭に血が上った。この色ぼけジジィが! 開発したばかりの魔道具で空間をわたり、滅多打ちだ。
 私のティナだ、私のものだ!
 自分の激高を止められなかった。荒れ狂う激情に引きずられる。独占欲が強いことは自覚していた。自覚してはいたが……まさかここまでとは、自分でも呆れた。

 だが、どうしようもない。ティナは生まれて初めて見つけた宝だった。自分の見る世界を理解出来る者がどこにいる? 二つとない珠玉。その価値の分からぬものに触れて欲しくない。名を呼ぶことさえ、腹立たしい。

 ――オルモード公爵閣下、ご婚約おめでとうございます。

 スチュワートにそう告げられ、血が凍った。
 いったいどこから今回の騒動が漏れたのか……
 まずいと思った。このままいけば、絶対にティナを手放せなくなる。ティナの翼を手折っても、手元に置こうとするだろう。自分の欲を優先させてしまう。地に落ちた小鳥が脳裏に浮かび、心底焦った。駄目だ駄目だ駄目だ、そう思うのに、バーニーの台詞で後戻りは無理なのだと知る。

 ――へー? 勘違い? あ、そうなんだ? なら、セレスティナ嬢はフリーって事? じゃあ、僕の息子と婚約なんてのは……

 自分は既にティナに執着している。この調子では、必ず、そうだ、必ず彼女に近付く者を排除するに決まっている。知力財力権力を駆使して。もはや手遅れか……

 ――あの、シリウス様? 私、とっても嬉しいです。

 唯一の救いは、彼女が自分との婚約を喜んでくれたこと。
 これもいつまで持つか怪しいが……
 彼女は若い。可能性の先を知らない。知らないが故の純粋さは真っ直ぐだが、酷くもろい。大切にしていたものが、急に色褪せて見えることもある。成長過程では、これはままあることだ。珍しいことじゃない。だからこそ危機感を抱く。

 大きく育った彼女の目に、私はどのように映るのか……
 たとえ拒絶されたとしても、このままでは手放せないに違いない。どんな手を使っても引き止めようとするだろう。サマンサの時のように……
 それが容易に想像出来てしまう。

 だったら、最後の手段だ。ティナの翼を育てよう。
 彼女が自分自身の手で、空高く飛べるよう最大限の助力を。自分の支配すらふりきって、大空に飛び立てるように。彼女が自分の意志で、希望の未来を選択出来るように……自分の手を弛めることが出来ないのなら、その支配を振り切れるだけの力を……

 ――自分で選択するんだ。自分でな。何のための自由意志だ?

 あのぐーたらでさえ認めている自由意志で、自分の道を選択出来るように……ティナ、ティナ、私のティナ。愛している……
 出来る事なら永久の愛を……
 そうは思うが、心は移ろいやすく、愛もまた永遠ではない。
 壊れてしまった愛を前に、立ち尽くす時もある。サマンサとの思い出が消えない、消えてくれない……あの幸せだった時は凍り付いたまま、心の奥底に封印されている。取り出すことも出来ずに、ただただ放置されたまま。

 ――氷を思い通りの形に出来たら面白いわ。

 ああ、その技術はまだ生み出されていない。なのに、君はその設計図を描き上げた。私と同じように知恵の宝庫にアクセスしたのだろう。心を湖面のように研ぎ澄ませれば、そこに写るんだ、世界を作り上げた神の設計図が……
 これを理解出来るのは君だけ、君だけなんだ……
 君だけが私を理解出来る。
 君だけが私の孤独を癒やしてくれる。

 ――ほんのちょっとのさざ波でも消えてしまうの。

 そう、その通り……
 ティナ、ティナ、私のティナ、君の傍は心地良い。抱きしめさせて欲しい、傍にいさせて欲しい。心が安らぐ、喜びで満たされる。君の存在そのものが喜びだ。暗闇に差し込む光だ。これからも同じ音を奏でて、同じ音を聞いて欲しい。そら、一緒に踊ろう。世界の不思議を紐解こう。共に神の設計図にアクセスし続けよう。君となら、そうだ、君とならもっと高く高く飛翔出来るはず。

 ティナ、どうか、私を選んで欲しい。自由意志で、大人になったその目で選択するんだ。自分の未来を……
 ティナ、ティナ、私のティナ、君と歩く未来を夢見ている。

しおりを挟む
感想 2,169

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

腹に彼の子が宿っている? そうですか、ではお幸せに。

四季
恋愛
「わたくしの腹には彼の子が宿っていますの! 貴女はさっさと消えてくださる?」 突然やって来た金髪ロングヘアの女性は私にそんなことを告げた。

本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~

なか
恋愛
 私は本日、貴方と離婚します。  愛するのは、終わりだ。    ◇◇◇  アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。  初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。  しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。  それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。  この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。   レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。    全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。  彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……  この物語は、彼女の決意から三年が経ち。  離婚する日から始まっていく  戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。  ◇◇◇  設定は甘めです。  読んでくださると嬉しいです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。……これは一体どういうことですか!?

四季
恋愛
朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。

恋した殿下、愛のない婚約は今日で終わりです

百門一新
恋愛
旧題:恋した殿下、あなたに捨てられることにします〜魔力を失ったのに、なかなか婚約解消にいきません〜 魔力量、国内第二位で王子様の婚約者になった私。けれど、恋をしたその人は、魔法を使う才能もなく幼い頃に大怪我をした私を認めておらず、――そして結婚できる年齢になった私を、運命はあざ笑うかのように、彼に相応しい可愛い伯爵令嬢を寄こした。想うことにも疲れ果てた私は、彼への想いを捨て、彼のいない国に嫁ぐべく。だから、この魔力を捨てます――。 ※「小説家になろう」、「カクヨム」でも掲載

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

婚姻契約には愛情は含まれていません。 旦那様には愛人がいるのですから十分でしょう?

すもも
恋愛
伯爵令嬢エーファの最も嫌いなものは善人……そう思っていた。 人を救う事に生き甲斐を感じていた両親が、陥った罠によって借金まみれとなった我が家。 これでは領民が冬を越せない!! 善良で善人で、人に尽くすのが好きな両親は何の迷いもなくこう言った。 『エーファ、君の結婚が決まったんだよ!! 君が嫁ぐなら、お金をくれるそうだ!! 領民のために尽くすのは領主として当然の事。 多くの命が救えるなんて最高の幸福だろう。 それに公爵家に嫁げばお前も幸福になるに違いない。 これは全員が幸福になれる機会なんだ、当然嫁いでくれるよな?』 と……。 そして、夫となる男の屋敷にいたのは……三人の愛人だった。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。