狡猾な狼は微笑みに牙を隠す

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 俺にアバター情報を返したヤジは、それからも毎日メッセージを送ってきた。
 十九時前後になるとインした事を知らせるそれが届いて、急かされるように風呂に入ってからログインする。

「ねーイサトくん、今日は獣姦とフィストファックどっちがいい?」
「……どっちも嫌です」

 美少年フェチを隠しもしなくなったヤジは、さらに歪んだ性癖を容赦なく俺にぶつけてくるようになった。中身に俺が入っていないと興奮しないと言う割に、俺への配慮が日に日に減っていく。俺はノーマルなプレイでいい。出来れば少し痛くしてくれると嬉しいけれど、ぶっ飛んだ変態プレイは御免なのに。

「『変身(中型犬)』が一回五百円かぁ……。ね、イサトくん、犬と馬だったらどっちがいい? 『動物園ルーム』だったら確か変身無料なんだけど、大型の動物しかいないからちょっと負担が大きいよね」
「あの、本当に嫌です。俺は人間とヤりたいです」
「じゃあフィストにしよっか」
「人間のチンチンとセックスしたいです」
「あ、チンチンって言い方、可愛い。ね、イサトくん、おちんぽ、って言ってみて」

 誰か助けてくれ。
 ほとんどこちらの言い分を聞いてくれないくせに、インしないでいるとインした日に数倍ねちっこく虐められる。寝る時間を守る為には毎日インしてサクッと終わってもらうのが一番賢明で、だけれどここ数日はちょっとプレイが過激すぎる。
 昨日は陰茎の尿道に謎の棒を入れられたし、一昨日は課金モブNPCに尻を犯されながらヤジには延々喉を犯された。その前はディルドの二本挿しと、それからお漏らしもさせられたっけ。あの日はログアウトしてから濡れていない股間に心底ホッとした。
 正直、どれもこれも最終的には気持ち良くなってしまう。でも、だからって俺は、変態になりたい訳じゃない。

「ヤジ。あんまり酷いことばかりする気なら、もうインしませんよ」
「ひどい? 違うよ、ちゃんと俺はイサトくんが気持ち良くなれるかどうか考えて提案してるよ?」
「その提案を、もっとノーマルなプレイに寄せてほしいです」
「ええー」
「……お願いします、ヤジ。俺はただ、あなたと普通にセックスしてるだけで気持ちいいので」

 『SMルーム』の一室でベッドに腰掛けて課金オプションを確認している隣のヤジに身を寄せて、彼の胸元にスリスリと頬をつけて甘えてみる。

「そういうあざといの、俺嫌い。っていうか、あの外見でよくそういうこと出来るね。恥ずかしくならないの?」
「……」

 黙って離れて、ベッドに置いてあった枕を壁に叩き付けた。すまん、枕。八つ当たりだ。
 俺は自分は結構穏やかな性格だと思っていたし、怒るなんてほとんどした事なかった筈なのに。ヤジに関しては、駄目だ。わざと俺を怒らせようとしてきているんじゃないかというくらい、イライラさせられる。それなのに一度セックスが始まってしまえば、抵抗する気を失くして彼にされるがままに蕩かされてしまう。
 どうしようもない人に捕まってしまった、と溜め息を吐く俺の後ろで、ヤジは楽しそうに「あ、ねぇイサトくん、豚の陰茎ってドリルみたいなんだって。豚にする?」と笑った。








「あ、えーっと、そこの君」
「はい」

 一月のインターンは小間使いではなく、実際に本社で働いている社員の話が聞けるというものだった。
 内務と外務で結構仕事内容や待遇が違うらしく、インターンに来た大学生が二組に分けられた。経理課希望の俺は内務の社員の話を聞きに行き、月末以外は残業がほとんど無いが給料が大きく上がることも無いとか、真面目にやれば査定で評価してもらえるが、手抜きするとすぐにボーナスに反映される、お局様はいないけど女の派閥争いが酷い、などの愚痴に似た内情を聞いた。
 そんな話までしてしまっていいのかと思いつつ、終わって合流してから外務の方に行った友人に内容を聞いたら、勤務内容ややりがい、如何にこの会社が風通しの良いホワイト企業であるか、などのありがちな内容だった。
 内務の方はあまり重視されていないのか、内容の監査を受けていないのかもしれない。外務の方にはゾロゾロと複数の社員がついて行ったのに、内務の方は説明も案内も終始一人だけだったし。
 「平社員が会社について話す時に、他の社員が聞き耳立てて寄ってくる会社はやめとけ」と言っていた先輩の言葉を思い出して、この会社の外務だけはやめよう、と決めた。
 内務希望と外務希望が合流してから、会社内の小ホールのような場所に詰め込まれて、会社の理念やら目標やらを聞いた。
 全て終わって帰ろうとしたら、玄関ホールで内務の説明をしてくれた社員に声を掛けられた。
 夏のインターンの時も、小間使いするインターン生を見守って声を掛けてくれていた老齢の男性で、確か小林という名前だったか。少し曲がり掛けた腰を守るようにいつも背中に腕を回してのんびりと社内を廻っていて、内務の社員からも「おじいちゃん」と呼ばれていた。

「なんでしょうか」
「うん、君ね、岩瀬くんだっけ。夏のインターンも来てたよね?」

 はい、と頷くと、何故だか俺をじっと見て、申し訳なさそうな顔でスーツの内ポケットから名刺入れを取り出して、一枚を俺に差し出してきた。

「真面目によく働いてくれてたから、うちの内務がすごく君を欲しがっていてね。他にどうしても、って会社が無かったら、うちを受けてみないかな」
「……え、と……ありがとうございます。御社が第一志望ですので、とても嬉しいです」

 急なことにどう返事をしていいか分からず、丁寧な言葉で思ったままを伝えた。多少稚拙な言葉遣いになっていても、素直な方が好感度は高いだろう。
 名刺を受け取ってバッグに仕舞おうとした俺に、小林は白黒の斑になった顎髭を指で撫でながら、「いやね」と続ける。

「社交辞令とかじゃなくてね。君の為に枠を空けておくから、うちを受けてね、っていう……内々定のつもりでいて欲しいんだけど」
「え……」
「もちろん、他に絶対に受けたい会社があるっていうなら辞退してくれても……」
「いえ、お受けします。俺には勿体無いくらいのお話です。ありがとうございます」

 狩屋商事といえば、県内本社の企業の中では大きい方だ。さっきの説明でも創業五十年とか言っていたし、安定感は抜群。俺のようなFラン大出身はインターンに滑り込めなければ書類審査で落とされるような会社で、そこから名指しで枠を空けてくれると言われるなんて、なんの冗談かと思ってしまうくらいだ。

「そうか。良かった」

 小林は何故かホッとしたような表情で、俺に軽く会釈すると「じゃあ本面接で」と去っていった。出来る限り深く腰を折って礼をしてそれを見送って、それから、仕舞いかけた名刺を見つめて固まった。
 『副社長 小林 勲』と表記されていて、あの人内務のおじいちゃんじゃなかったのかよ! と震える。誰に対しても失礼の無いようにと動いていたつもりだけれど、自分の言動を思い返して不安になった。
 ともあれ、問題が無いから、内々定の申し出があったのだ、とすぐに思い直す。
 そうだ。大丈夫、大丈夫だったんだ。
 ぐっと拳を握って、あとはちゃんと大学を卒業出来れば何も問題無い、と降って湧いた幸運を噛み締めた。
 ……が。
 帰宅した俺は、ほぼほぼ絶望の底に近い場所まで突き落とされた。
 三日間のインターン中は遅刻御法度だからと封印していたVRのヘッドセットの電源を入れたのだけれど、肝心の『ぱらどり』が起動しない。何度ログインしようとしてもタイトル画面のまま、『なうろーでぃんぐ!』の文字さえ出てこない。
 メンテナンス中ならタイトル画面にそのアナウンスがある筈で、不思議に思ってスマホで公式サイトにアクセスしたら、そこには大きく『ぱらどりをプレイする皆様へ、重大なお詫びとお知らせ』と表記があった。
 悪い予感しかしない。
 リンクをタップして開いたそこに書かれていたのは、『ぱらどり』のサービス終了と、『ぱらどり』後継の新規タイトルの発表発売までは早くとも一年を要する、という内容だった。
 よくよく読むと、どうやらリアルなアバターを自在に作れるというのを悪用して有名アイドルそっくりのアバターを作ったプレイヤーが、ゲーム内の動画録画機能を使ってエグいAVを作った上、それを販売して荒稼ぎしたらしい。AVによくあるそっくりさん、とかいうレベルではなく、ホクロやそばかすの位置まで再現した本人さながらの完成度だったらしく、本人じゃないかとネットは大炎上で事務所も激怒したらしい。
 一度そういう前例が出てしまったら面白半分で後追いする輩は確実に出てくるだろうと判断した会社は、潔くサービス終了を決めたらしい。
 後続タイトルは2Dに近いアニメチックなものになる予定らしく、SNSを見れば絶望の声で溢れていた。
 一年、もしかしたらそれ以上の期間、『ぱらどり』無し? 泣きそうだ。性欲解消を右手だけに頼るには、俺はもうセックスの良さを知りすぎた。
 検索を続けると、VRエロゲ最大手の『ぱらどり』が崩れたことで小規模ソフトにプレイヤーが散ったらしく、もう既に雨後の筍よろしく新規タイトルがうようよサービスを開始していた。
 レビューを読むとどれもこれも『ぱらどり』には遠く及ばない完成度らしいが、何も無いよりマシだ。数ある中でも『ぱらどり』プレイヤーが移住先に選んでいるというタイトルをメモして、明日はこれを買いに行こう、と決めた。
 ベッドに転がって、そして気付く。
 ──ヤジと、切れた。
 彼とはゲーム内でしか交流が無い。『ぱらどり』が起動しなければ、サーバーが動いていないからメッセージの送受信どころか確認すら出来ない。課金に関しては後続タイトルにユーザー情報ごと移行するらしいが、それまでは、『ぱらどり』の一切にアクセス出来ない。
 良かった?
 安心した?
 もう彼に付き纏われずに済む?
 自分に訊いてみても、なんだかしっくり来ない。
 あんな迷惑な男の相手をしなくて済むようになったんだから、安心すればいいのに。心に隙間風が吹き込んだような気分で、歪な形に空いたその隙間をどうすればいいのか、見当がつかずに目を閉じた。











 無事就職の決まった俺は危なげなく大学を卒業し、四月から半月ほどは会社の研修に通っていた。
 そうして、どうしてか経理希望で入ったのに本社の営業二課に配属された、今日がその初日だったのだけれど。

「ねぇイサ……岩瀬くん、メッセージアプリのID教えて?」
「……仕事を教えて下さい」
「そんなのいいから、ほら、スマホ出して」
「嫌ですってば」

 朝礼が終わると他の社員は支度をしてゾロゾロと外回りへ出て行ってしまって、そんなに広くもないオフィスで俺とヤジ──矢造の二人だけになってしまった。
 矢造は俺の教育係らしいが、さっきから連絡先やらこの一年どうしていたか、なんて話ばかり振ってきて全く仕事の説明をしてくれない。仕方ないので部長に渡された営業二課の業務内容を纏めた分厚いファイルを自分に用意されたデスクに座って目を通しているのだけれど、とうとう横から机の上に置いた俺のスマホを勝手に取っていこうとされて、声を荒げてそれを止めた。

「やっとこっち見た」

 スマホではなく俺の手の甲を握った矢造が、目を細めて笑う。思わず手を引っ込めるのに、彼は気にした風もなく張り付けたような笑顔で俺のスマホの画面を叩いた。

「IDだけ教えてくれたら、俺も仕事教えるから」
「……出来るんですか?」
「あのね、俺、一応ここの課長だからね」

 ほら早くして、と急かされて、渋々メッセージアプリを開いてIDを教えた。早速俺のIDを登録した矢造は、『あ』の一文字だけを送ってきて、それが俺のスマホに表示されるのを見て口角を上げた。

「よし。じゃあ仕事をしよう。俺も暇じゃないし、サクサクいこう」
「あ、はい」

 矢造はそれまでのしつこさが嘘みたいに、雰囲気を切り替えて仕事の説明を始めた。オフィス内の備品の場所の説明から、二課の主な仕事の説明、一課との営業先の違い、今日は珍しく他の社員が全員出払っているけれど、基本的に二課はテレアポがメインだとか。
 部長から渡されたファイルを俺から奪うと、必要なところだけマーカーを引いて付箋を貼って返してくれて、それから電話応対についての説明に入った。

「半年くらいはとにかく誰より早く電話取るのが仕事だと思ってて。出来れば一コール、最悪でも三コール以内には取ってね。電話取ってからの定型句は研修中に叩き込まれてきたよね?」
「はい」
「うん、じゃあ今から電話掛けるから、俺を客だと思って応対して」

 え、と慌てる俺の机上のスマホを操作して勝手に電話番号を表示させると、それを見ながら自分のスマホで電話を掛けてきた。

「ちょ……っ」
「もうこっちは四コール目が鳴ってる」
「~~っ、大変お待たせ致しました、狩屋商事営業二課、岩瀬がお受け致します」
「今日のパンツ何色?」

 イラ、と頬を引き攣らせた俺を見て、矢造が眉を上げて揶揄うみたいに「黙らない」と囁いてくる。目の前とスマホ越しと、両方から甘い声が聞こえてぞくりとした。

「申し訳ありませんお客様、電波が悪いようで聞き取れなかったので、もう一度よろしいでしょうか?」
「やっぱりいい声してるね。聞き取りやすくて落ち着いてる。経理から奪ってきて正解」
「……はい?」

 通話を切った矢造は俺の番号と名前を登録して、そしてすぐに次の説明に移った。
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