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24.出陣前夜

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 貴賓室のソファーで、差し向かいに座る二人。

 緊張のあまりクラウスの一挙一動に反応し、わずかな動きも逃すまいと目で追いかける。

 肉食動物に追い詰められた兎のように、神経を研ぎ澄ませ反応するミランダの姿に、クラウスは喉の奥で押し殺すように笑う。

「……ッ」

 クラウスが動くたびにビクッと身体を強張らせ、小さく震えるミランダに、クラウスは破顔一笑した。

 自分の腕に座するよう、テーブル越しにひょいと縦に抱き上げると、クラウスを見下ろす形で、ミランダが腕の中におさまる。

「そんなに緊張されては、何もできない。……場所を変えるか」

 そう言うと、クラウスはミランダを抱き上げたまま、貴賓室を出て薄暗い廊下を進んでいく。

 目的の部屋に着いたのだろうか、しばらく歩き、奥まった場所で立ち止まった。

 先程、貴賓室の外で護衛をしていた衛兵達が重い扉を押すと、鈍い音を立て、ゆっくりと扉が開く。

「ここが何の部屋か分かるか?」

 クラウスが室内に歩を進めると、床を打ち付ける靴の音が、硬質的なものへと変わる。

 長らく使用していないのだろうか、滞留した空気から僅かに湿った匂いがした。

 薄暗い部屋に灯りがともり、室内の様相が徐々に浮かび上がる。

「あれは……『石碑』、でしょうか?」

 浮かび上がった北側の壁には、黒曜石で作られた大きな碑が埋め込まれており、一面に文字が彫られている。

 興味深げに身体の向きを変えると、ミランダを抱き上げたまま、碑に手が届く距離までクラウスが近付いてくれた。

 腕を伸ばし指先で触れると、ひやりと、硬質的な冷たさが掌まで広がる。壁の両端は、打ち付けられた石膏がむき出しになっており、片側には切り出した石が、石室のように積まれていた。

 入ってすぐに目を引く豪奢なシャンデリアの真下には、革張りのソファと小さなテーブル、そして窓際には成人男性が使用するには少し小さめの、ロッキングチェアが置かれている。

 女性の部屋だろうかとミランダ考えていると、クラウスが石碑に目を向けた。

「……母の部屋だ」

 ワーグマン公爵家の長女であり、亡き王太子と第四王子であるクラウスの母。

 正妃として前国王に輿入れし、もしまだ生きていたら、王太后となったはずの女性の部屋にしては、随分と寒々しい。

「これは、輿入れの際に、ワーグマン公爵家から持ち込んだものだな」

 石碑の反対、南側は一転して温かみのある様相を帯び、壁際に置かれた数々の調度品は、細かい木目に大ぶりの彫刻が施され、マホガニーだろうか、深みのある美しい赤褐色の木肌は、経年による風格を感じさせる。

 奥に見える寝室は、床に黒曜石が組み敷かれ、いかにも女性らしい、バロックと幾何学模様を織り交ぜた壁布が、モチーフとして飾られていた。

「……一度、お前に見せたかった」

 ポツリと呟いたクラウスの、視線を辿る。

 視線の先、部屋の中央に位置する天蓋に囲われた広い寝台は、どこか寂寥感を伴い、王妃という華々しい身分には不釣り合いのように感じた。

 戻るか、と呟いて、クラウスは王妃の間を後にする。
 ミランダを抱く腕に力がこもり、何も言葉を返せないまま、貴賓室へと二人は戻った。

 ソファーに腰掛け、定位置になりつつあるクラウスの膝へとミランダが移動する。

「王国でただ一人、次期国王を産んだ、王妃の部屋だ」

 王太子……クラウスの兄である第一王子は、婚約者と避暑地へ向かう途中、馬車を襲撃され帰らぬ人となった。

 そして婚約者のは、燃え盛る馬車の中、閉じ込められ、一命を取り留めたものの大きな火傷を負い、それ以来公式の場には現れていない。

 悲しみのあまり王妃は狂い、自殺したのはファゴルにまで伝わる有名な話だ。

 襲撃犯は捕まらず、第四王子だったクラウスは激しい後継者争いの末、第二、第三王子を弑し、次代の王となった。

 綺麗ごとだけで統治者にはなれない。
 多くの命を背負い、諦め、踏みにじり、尚且つ選ばれた者だけが頂点に君臨することを許されるのだ。

 ぐ、と何かを堪えるように目を閉じ、ミランダの肩に額を当て、クラウスは沈黙した。

 ミランダは手を伸ばし、クラウスの頭を包み込むように抱きしめる。

 水晶宮に押し込まれた日とは違う。
 今はもう、彼がどんな人間なのか、少しだけわかる。

 弱音を吐く場所もなく、泣くことも許されず、ただ強くあらねばならない。
 それは、ファゴル大公国を背負って立つはずだったミランダも、よく分かっている。

「父と母の間に愛はなく、ただ義務だけがそこにあった」

 並び立ち、子を産み、次代の王を育てるだけの役目。

「俺には、お飾りの正妃や側妃など、必要ない……お前が、いいんだ」

 心惹かれたのはお前だけだ。
 ミランダの肩に顔を埋めたまま、クラウスは腕に力を籠める。

「……お前以外を娶る気はない。義務など果たさずとも構わない……子が出来なければ、優秀な者を次代の王として迎え入れればいい。俺の傍にいる限り、お前を守ると誓おう」

 ひっそりと泣いているような、そんな気がして、ミランダは何も言わずにクラウスの髪を優しく撫でた。

「最大限手は尽くしたが、戦地に向かう間、お前を守ってはやれない。前にも言ったが、自分の身は自分で守れ」

 はいはい、と子供をあやすようにミランダが返事をすると、クラウスは肩に埋めた顔を上げる。

「絶対に無茶はするな。心配事があればザハドに相談をしろ。一人で暴走するな。俺以外の男に話しかけるな」

 ザハドに相談しろと言っておきながら、他の男に話しかけるなと無茶を言う。

 まるで駄々をこねる子供のようだ。

「俺は大切なものを守るためなら身を惜しまない。この国の全ては俺のものだが、お前は特別大切にしてやる」
「……ッ、ふふっ、陛下、もう少し女性に好まれる表現があったのではないですか」

 恩着せがましい物言いに、ミランダが思わず吹き出すと、眉間に皺を寄せ、ムッとした顔をする。

 まあ怖いと揶揄うミランダの後頭部に手を回し、ぐいと引き寄せ、触れ合うだけの口付けをした。

「……俺はいつでも構わないと言ったはずだ」

 意味ありげな笑いを顔に浮かべ、互いの額を密着させる。

 たまには自分からしてみろと言われ、ギリリと唇を噛んだ負けず嫌いのミランダは、クラウスの頬へと小鳥がついばむように唇を寄せた。

「そんなものか? 俺の苦労にそぐわない褒美だな」
「何を言って、ん! ん、んん――ッ!!」

 困ったやつだと鼻で笑うと、クラウスは再度ミランダを引き寄せ、今度は深いキス。

「死地へ向かう時は、気が高ぶる。お前が鎮めてくれないのだから、これくらいは許せ」

 凄みのある笑みを浮かべ、有無を言わせず唇を奪うと、抱き上げられたまま寝台へと移動する。

 何もせず抱きしめたまま眠るつもりらしい。

 自分を守ってくれるこの腕が。
 すぐ眉間に皺を寄せるくせに、たまに甘く歪むその瞳が。

 明日からは傍にいないのだと、ミランダは今更ながら実感し、ほんの少し鼻をすすりながら、太い腕の中でそっと目を閉じた。






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