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第7章 雷雨は恋の記憶と突然に
第43話
しおりを挟む──「どうぞ」
由紀恵の温度のない声が聞こえてきてから私は「失礼致します」と返事をしてから社長室に入る。
すでに心奈は社長の真向かいにデスクを挟んで立っていた。私も直ぐに心奈の隣に並ぶ。
「源課長おはようございますー」
心奈は勝利を確信しているのだろう。こちらを見ながらグロスの塗られたピンクの唇を引き上げた。
(まだ分からないんだから……)
あれから私は一から図面を見ながら見積作成を行った。もう何度も見ている見積りであるいうこと、さらに一から作成し直したことで心奈に消去されたものより良い見積りを作成することができた。自信がないわけじゃない。
「おはよう」
私はそれだけ返すと直ぐに、心奈から由紀子へと視線を移した。
「二人とも、この三週間、業務の傍ら真摯に見積りに向き合ってくれてお疲れ様でした。今日朝から二時間かけて両方の見積りを隅から隅まで拝見させていただきました。正直言ってレベルが高くて驚いたわ」
由紀恵が革張りの椅子の上で足を組みなおすと、ふっと笑った。
「お二方ともそんなに緊張しなくても……ちなみに繰り返しになるけど、この見積対決の勝者が世界と交際する権利及び……婚約者として認めます」
(え?婚約者?)
「いいわね、心奈さん?もしあなたが負けたら世界との婚約は破棄、でも都市開発はこのまま続行よ」
「わかっています」
心奈が横目で私を睨みながら返事をした。
「源課長、もしあなたが負けたら、世界とは別れてもらう。世界を説得できずにちゃんと別れられない時は、どこかへの支店へ異動してもらう」
「え……異動って」
由紀子があきれたように笑う。
「世界はあなたにご執心のようだから……顔を合わせない方がいいと思うの。いいかしら?」
「……承知いたしました」
緊張からもう喉がカラカラだ。こうして異動の話までされるということはやはり出来レースなのだろうか。私は震えてきそうな両足にぐっと力を込めた。
「じゃあ早速結果発表と行きましょう。お互いのを見なさい。あなたたちならそれで分かるはずよ」
心奈が一歩、社長のデスクに歩み寄ったのをみて私も一歩前へと足を出した。
デスクの上に二つの見積書の束が置かれると直ぐに、心奈が私の見積書に手を伸ばした。私も心奈の見積書を手に取ると直ぐに捲っていく。
(え……?)
一枚一枚端から端まで目追いかけながらページをめくっていくたびに動機がしてくる。心奈の見積りは、それ自体は良くできているがやはり甘い。商品施工の際の部品漏れや個数間違いもちらほら見受けられる。
(……でも……)
私は思わず口元に掌を当てた。
その掌はカタカタと震えだす。
この見積りに心奈がどれほど真摯に向き合い取り組んだのか目に見えて分かる。特に予想はしていたがお金まわりの算出はほぼ完ぺきじゃないだろうか。
(これじゃあ……)
目の前の景色がぼんやりとしてくる。心奈に一度は見積書を消去されたりと卑劣なことをされたが、そもそもあんなことをされなくても勝負はついていた。
「っ……」
私が首を垂れた時だった。
「いやぁあああ!」
隣を見れば心奈が床に崩れ落ちていく。
「え……?」
由紀恵が椅子から立ち上がると心奈を見下ろしながら、やれやれと小首を傾げた。
そして由紀恵は私に掌を差し出した。
「まさかの展開で私も驚いたわ。でもあなたの見積りは完璧だった。特にあなたには不利だと思っていたお金まわりの計算には驚いたわ。あのパーセンテージなら今すぐ商談に入れる。相手企業もご納得されるわ、お疲れ様」
私は何も言葉が出てこない。
先ほど私が見た限りでは明らかに心奈の見積りの方が優れていた。
「……社長ちょっと……待ってください……」
「え?源課長?どうかした?」
私は泣き崩れている心奈の傍に落ちている自分の見積書を拾い上げ、ページを捲っていく。そしてすぐにそれが自分の作成したものと変わっていることに気づいた。
「これ……」
(世界くんだ……)
私の見積書は後半部分のお金周りの算出部分から計算方式が変わっている。その数字を見ればすぐに分かる。世界がいつも隣で作成していた見積書の計算方法と同じで、乗せてくるパーセンテージは酷似している。
「心奈さん、泣き止みなさい。勝負はついたのよ」
「そんな……ひっく……社長お願いします……もう一度チャンスを……」
「往生際が悪いわよ」
由紀子のその言葉に心の中にあっという間に靄がかかっていく。
(……勝負に勝ったのは私……でも)
心奈が立ち上がると私の掌を握った。綺麗な二重瞼はもう真っ赤になっている。
「ひっく……源課長……あんなことして本当にごめんなさい。不正を働いたこと謝ります。ですから……もう一度だけ……勝負して頂けませんか?私……世界がずっとずっと……好きだったんです。このままじゃあやっぱり諦められませんっ。お願いしますっ……」
「私……」
心が揺れる。
このまま黙っていれば私は世界との交際を認めてもらえて婚約者にだってなれる。異動だってない。ずっと世界の傍に居られる。
──でも本当にそれでいいのだろうか。
私は胸をはって世界と交際を続けていけるだろうか。私は結んでいた唇をそっと解いた。
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