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第7章 雷雨は恋の記憶と突然に
第44話
しおりを挟む──屋上に来たのは久しぶりだ。手元の時計はまだ指定された時間よりも30分早い。いまはちょうど、社内はお昼休憩だがとても食べる気になれなかった私は早めに屋上へやってきた。
空は目が覚めるような青色が広がっていて、今日は雲一つない。LINEニュースでは夜から下り坂だと言っていたが本当に降るのだろうか。
(いっそ土砂ぶりになればいいのに……)
何を視界に映していても、驚いた顔の由紀恵と、嬉しそうに早速世界に報告に行った心奈の嬉しそうな顔が交互に浮かんで直ぐに涙が滲んでくる。
私は手元に抱え込んでいるジャケットを見つめた。勝負に負けたということは世界と別れなければならないということ。分かっていたはずなのに、あの時はどうしても自分に嘘がつけなかった。
あそこで嘘をつけばきっといつか後悔しそうで、自分自身が許せなくなる気がしてどうしても本当のことを言わずにはいられなかった。
「負けたんだよね……なんで私って……」
「──馬が好きだからって……馬鹿正直にも程がありますね」
(!)
背後から投げかけられた言葉と声に身体がぴくんと反応する。その声を直接会って聞くのは六日ぶりだが、もっと聞いていなかったように感じ、会ってなかったような錯覚を起こす。私は振り向けずに両腕を手すりに預けたまま俯いた。
世界はすぐに私の隣に並ぶとこちらをじっと見た。
「全部聞いたから。そもそも俺、賭け事の景品じゃねぇし」
「……でも……どうしても交際を認めて欲しかったの……傍にいていい理由が欲しかった」
声が震えている。世界が視線を合わせようとしない私を見ながら、小さくため息を吐いた。
「なんであんなこと言ったの?」
「心奈さんから聞いたの?」
「いやボスから聞いた。全部。てゆうか……そろそろこっちむいて」
世界の掌が頬に触れる。その温かさにほっとして無意識に涙が転がる。
「ごめん」
「……え……?」
世界がすぐに私から掌を離すと頭を深く下げた。
「この前……梅子さんにひどい事……して泣かせてごめん。今だって……俺のせいでごめん。梅子さんのこと俺なんも分かってないなって」
「そんなこと……ないよ」
「俺さ、梅子さんと心奈が俺の為に同じ都市開発の見積作成してるの知ってさ……どうしても梅子さんに勝って欲しくて、勝手に良かれと見積書手直しして。梅子さんの努力を台無しにしたし、梅子さんの性格わかってたのに……ごめん……」
私はすぐに顔を振った。
「違うの。世界くんと電話で久しぶりに話せてすごくほっとして……見積り最後まで頑張れたし、私を想って見積りに手を加えてくれたことも嬉しかったの……ただ心奈さんも本当に一生懸命で世界くんのことが大好きで……気持ちが分かるから嘘つきたくなかった」
「…………」
「それに……心奈さんの見積り見せてもらって……初めから勝負には負けてた。私の完全な実力不足。心奈さんの方が世界くんの隣に相応しい」
「俺の気持ち知っててそんなこと言わないでよ……って言わせてるの俺の実力不足だよな」
「世界くんのせいじゃない……心奈さんの方が世界くんへの気持ちが強かったんだと思う。あんな凄い見積り……本当にすごく努力したの分かるから」
「でも……俺、心奈と婚約とか考えられないから」
世界の苦しそうな顔に私も苦しくなる。私だって世界がほかの女の子とましてや心奈と付き合って婚約するなんて考えただけでも呼吸が上手くできなくなってくる。
「でも……社長とも約束したし、もともと契約交際だし……このまま世界くんと付き合えば都市開発の……大事な仕事がダメになっちゃう……」
「は?仕事?」
一瞬で世界の目つきが変わるのが分かった。
「……いい加減にしろよっ!」
怒鳴り声で身体が震える前に世界の腕が伸びてきて、身体があったかくなる。そして目の前には世界のネクタイの結び目が見えた。
「……はな、して」
「離すかよっ……仕事なんて正直どうでもいいだろ!俺は一緒に居れたらそれでいい!俺は梅子さんより大事なモノなんて一つもない!約束なんてクソくらえだろ!俺は別れない!別れてたまるかよ!」
「やめて。離して……」
世界に抱きしめられれば、安心する世界の匂いにもう何もかも投げ捨てたくなってくる。思考も感情もぐちゃぐちゃで目の前の景色も歪んで両目からまるい水玉になって溢れていく。
世界は泣き出した私をあやすように背中を撫でた。
「……なぁ、もうこのままどっかいこっか」
「……え?」
「俺、梅子さんが居たら別に社長の椅子なんて欲しくない。何にもいらない。全部捨てられる」
「……そんなこと……子供みたいなこと言わないでよっ」
「子供って言うなよ。俺だって考えてるし……早く生まれたかったし……もっと早く大人になりたいし!でもこんな伝え方しかできない、梅子さんが好きだから!俺の運命の人だから!」
世界の指先が私の肩に痛いほどに食い込む。
「俺、絶対別れないから!」
「痛いっ……とにかく……契約交際は解除だから」
「何でだよっ!」
もうそろそろ限界に近くなってくる。世界を突き放すのも、年上だから約束だからと大人ぶって理解したくないことまで飲み込もうとする自分に嫌気がさしてくる。
世界が少しだけ身体を離すと私を真っすぐに見つめた。
「じゃあ結婚しよ」
「え?……何……言って……」
「籍入れちゃえば、ボスだって心奈だってどうしようもなくなるじゃん、後は二人でどっか遠くにいこ?俺ちゃんと仕事見つけるし、苦労させないって誓うから」
(……そんなことできるわけない……)
何もかも捨てて好きな人と結ばれることを願うには私は年を重ねすぎているから。
家族も仕事も捨てられない。
どちらも大切な私の人生の一部分だから。
「……もういい加減にしてっ!」
私は勢いよく世界を突き飛ばすと距離をとった。
「梅子さんっ」
すぐに世界の掌が伸びてくるが私はその掌を振り払い、ジャケットを突き返した。
「触らないでっ……私は仕事辞めるつもりも約束破るつもりもないからっ……これ返す!契約交際楽しかった、ありがとう」
「ちょっ、待てよ!」
私は世界に背中を向けると振り返らない。振り返れない。もう涙があふれてどうしようもできないから。
私は世界から逃げるように屋上階段を一気に駆け下りた。
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