女官になるはずだった妃

夜空 筒

文字の大きさ
6 / 20
第一章

第六話

しおりを挟む
◇◇◇





「た、大家が…!!」

そんな声に起こされ、目を開ける。
目の前にはすやすやと眠っている美丈夫。

視線をずらすと、私の室に繋がる戸を開けて口を押さえている羲和ぎお様と弦沙げんざ


大変なことになった。
すっかり覚醒した頭で、とりあえず起き上がろうという判断に至ったものの彼の腕が非常に邪魔だ。

頼むから起きてくれ!!


詩涵しーはん様!起きてはなりません!大家が熟睡しておられるので!」


なんなんだ、ここは主従そろってお互い大好きか。
私がどうなろうが構わないってか。

私は頑張って手を自由にして、畏れ多くもその顔をぺちぺちと叩いた。
鬱陶しそうに顔を顰めているのに、目を開けない。
おいおい、目を開けてくれ。

室内にぺちぺちという音が鳴り続ける。
羲和様も弦沙も呆気に取られて、何も言わないので遠慮なくやっている。
す、と目が開いて眉間にしわを寄せる彼。


「…うざい、うるさい、ねむい」
「じゃあ起きてください。永遠に叩きますよ」
「…俺のことが嫌いだろう」
「ええ、昨日よりも」


ぺちぺち、と叩き続ける手。
ただ目線が絡み合う時間が続いた。


「ふ、ふふ…愛いな…あなたは」
「はいはい。起きてください」
「羲和、朝議を遅らせてくれ」
「いや無理でしょう。起きてください。私の侍女に見つかったら、どうなるか」
「娘娘、もう見つかってます」


弦沙がすっと避けると、感極まったような侍女たちが見える。
口を押さえて、互いにばしばし叩き合っている。
私は今すぐにでも消えてなくなりたい、骨も残さずに粉塵になってしまいたかった。


「なんの罰だろう。天子の顔を叩いたから?」
「罰って言うな。これはすごいことだからな」
「娘娘!私たちは貴女様に仕えられて本当に幸せです!!」


寝台から一向に起きようとしない彼のおかげで、そう口々に感謝を述べられる。
にやりと意地の悪い笑みを浮かべた彼に、背筋が凍った。


――あぁ、昨日の全ての言動を撤回してしまいたい……どうしよう…私のせいで




彼の腕を払いのけて、のそりと起き上がった。


「実家に帰ります」


頭を垂れて、夜着のまま廊下を歩く。
突然の出来事に皇帝も、羲和も弦沙も侍女も反応できなかった。
急にものすごい力で腕をのけられ、無表情で実家に帰ると言って出て行ったからだ。
はっとしてそのあとを追うように廊下に出る。


彼女はふらー、と柱にぶつかって


「あ、ごめんなさい。いま気が動転してるんです。少しそこを通してもらえますか、一人になりたいんです」


柱に向かって謝って、言い訳をしている彼女。
それをじっと見つめる皇帝の口元には、いつになく楽しそうな笑みが浮かんでいた。





***






「もう、娘娘…どこ行ったんですかぁ!!」
「そんなに嫌だったのかしら…」
「柱にぶつかりにいって謝るくらいだものね…」


梓涼宮では、侍女たちが主人を探すのに忙しくしている。
朝餉も食べずに、どこかに消えてしまったからだ。

皇帝である海沄はいゆんを見送ってから、梓涼宮中を探し回っているのに見つからない。
文徳楼にまで足を延ばしたが、その姿は見えなかった。
夜着のままでどこに行ってしまわれたのか。









梓涼宮の裏手には、小さな林がある。
その中ほどに建つ廃れた小屋のようなもの。

建物の中には詩涵がいた。
その傍らには弦沙と凌梁。
膝を抱えて蹲っている主人を心配そうに見ている。


「…娘娘」
「帰りましょう?皆心配をしています」
「……」


小屋の中は、あまり清潔とは言えなかったが手入れはされているようだった。


「…私の宮に、嫌がらせが起こったらどうしよう…侍女同士にやっかみが起こっちゃったらどうしよう~」


まるで子どものように喚く。
そんな主人を見て、安心したように二人は力を抜いた。


「娘娘は少し優しすぎるんですよ。後宮には嫉妬、嫌がらせなんかは付き物ですから」
「そうですよ。宦官になって初めて護衛した方なんかは嫌がらせばかりしてました」
「慰めになってないわよ~!」


顔をあげた主人。そこに涙の痕がないことに安心した。


「大家が困ってましたよ。娘娘」
「…うん。いろんなものが頭を駆け巡って、訳分からなくなったの…皆喜んでたから、それくらい大ごとなんだって思ったら…怖くなって…それで」
「着替えて、謝りに行きますか?」



こくん、と頷いた主人の手を取って宮に戻る。

あっという間に侍女たちに囲まれる。
皆この主人が、大好きなのだ。
だから嫌がらせなんかが起こっても気付かせないし、彼女を不安にさせるような行動はとらない。
やっかみがなんだ。うちの主人が一番なんだから、好かれて当たり前だろう。という心持ちであることはまだ内緒にしておく。





***





今日は素直に着飾られている。
散々心配させたので、小言を言われながらではあるが。
金釵と花飾りを挿して、やっと準備が終わった。
侍女たちは口々に褒めてくれるけど、私は着飾ってもあまり綺麗にはなれないことを知っている。


先触れを出して時間を貰っているので、謝罪することを許してくれるのだろう。
ただ、彼から逃げ出したことを許してくれるかどうかは分からないけれど。




朝議が終わった頃合いを見計らって、私と弦沙は昨日と同じ雅鹿殿に向かって歩いている。
その際には、嫌でも他の妃の宮の前を通らねばならないので、大変心地が悪い。

背筋を伸ばして堂々と、顔には万人受けする微笑みを浮かべて。

昔読まされた淑女になるための本の内容を思い出して、実践してみる。
顔が引き攣ってるのが自分でもわかるわ。


藍洙らんず様の宮の前、剪定された生垣を過ぎた時


「…紙魚姫が、藍洙様に適う訳もないわ。いくら着飾ったって、所詮は虫だもの」


わざとだろう。
しっかり聞こえるように、しかし姿は見えないように。
弦沙が、殺気立つ。


「いいわ。こういうのが当たり前なら、慣れていかないとね。いい練習相手だわ」
「俺、娘娘が前向きに無意識で煽るのすごく好きなんですよね」
「……あら、煽ってたかしら?やだ、性格が悪いみたいじゃない」
「ほら、それも」
「天性の性悪なのかしら、私」


私は特に傷付くこともなく、後宮を抜けた。
悪口、というよりも言葉遊びを聞いて楽しんでいた。


一個だけ訂正するならば、私は本の虫ではあるけれど、紙魚のように紙を食べたりなんかはしないということだ。





雅鹿殿に着くと、すぐに羲和様が来た。
なんだろう?と思う間もなく、雅鹿殿の奥に案内された。
誰も通っていない廊下を進んで、人気のしない一室に連れられた。


「…ここは、どこですか?」
「大家の政務室兼休憩室です。人がいると大家は集中できないので」


人が少ないのは、彼のためか。
そう納得したのもつかの間。

いやいや、なんで?なんでここに連れられたの?


「大家、詩涵様が到着なさいました」
「――入れ」


戸を開けて、羲和様が恭しく礼をして私に入るように促す。

真向かいに椅子に座って、仕事をしている皇帝がいる。
書類に向けていた目を、私に。
几には筆、印璽が並んでいる。


「朝以来だな」
「…その節は大変申し訳ありませんでした。気が動転いたしまして」
「……どこに行っていた?」
「…裏の林にある小屋におりました」


彼が椅子を立って、こっちに歩いてくる。
すでに戸は閉められて、この空間には二人だけ。
一歩下がると、彼は二歩詰めてくる。


「…あなたは、逃げられると追いかけたくなるという心理を知らないようだ。いや、書物の中だけの話だと思っているのか」

あぁ、またあの顔だ。
背筋が凍るような意地の悪い笑み。


「逃げられると、思わない方がいい」




「…逃げると陛下が傷付きますか?」

私は彼の目を真っすぐに見つめた。
寂しそうに揺れていた瞳に支柱を刺すように。


「……――あぁ、俺が傷付く。あなたに本気で逃げられるのは、いやだから」


彼の足が止まる。
寂しそうな色は消えないまま、じっと私を見つめる。


「…一つお聞きします」
「なんだ?」
「私を”人”として、認識していますか?」
「もちろんだ。人として見たうえで尚、一緒に眠れたのだから」
「…じゃあ、私が陛下の唯一ですか…」
「残念そうに言うな。名誉だ、誇れ」


覚悟を決めて一歩、また一歩、彼に近づく。
目の前が彼の袍でいっぱいになった。

困惑と寂しさが混ざった瞳を見上げる。


「私が陛下の唯一である限り、あなたを一人にはしません」


少しだけかかとを上げて、彼の頬に手を伸ばす。
目を瞠る彼を他所に、朝叩いてしまった頬を撫でる。


「驚いても、頑張ってとどまります。眠れないなら本を諳んじます。妃としてふさわしくなりますから、どうか傷付かないでください」


きっと、さっき以上の心ない言葉や嫌がらせも起こるだろう。
それが後宮の当たり前であるならば、やっぱり慣れるしかないのだ。
彼の妃になるということは、そういうことなのだと思う。

侍女や宦官たちには迷惑をかけてしまうかもしれないが、彼の妃である以上は避けて通れない。
皇后の座を狙っているわけでもないし、むしろ遠慮したいくらいだが。
ただ、彼の唯一になってしまった今だけ、誰より妃らしくならねばいけないと思う。



藍洙様にその役目が回るまでは、唯一である私が請け負うべきだと思うから。
しおりを挟む
感想 34

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

〖完結〗旦那様には出て行っていただきます。どうか平民の愛人とお幸せに·····

藍川みいな
恋愛
「セリアさん、単刀直入に言いますね。ルーカス様と別れてください。」 ……これは一体、どういう事でしょう? いきなり現れたルーカスの愛人に、別れて欲しいと言われたセリア。 ルーカスはセリアと結婚し、スペクター侯爵家に婿入りしたが、セリアとの結婚前から愛人がいて、その愛人と侯爵家を乗っ取るつもりだと愛人は話した…… 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全6話で完結になります。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~

なか
恋愛
 私は本日、貴方と離婚します。  愛するのは、終わりだ。    ◇◇◇  アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。  初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。  しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。  それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。  この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。   レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。    全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。  彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……  この物語は、彼女の決意から三年が経ち。  離婚する日から始まっていく  戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。  ◇◇◇  設定は甘めです。  読んでくださると嬉しいです。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

白い結婚はそちらが言い出したことですわ

来住野つかさ
恋愛
サリーは怒っていた。今日は幼馴染で喧嘩ばかりのスコットとの結婚式だったが、あろうことかパーティでスコットの友人たちが「白い結婚にするって言ってたよな?」「奥さんのこと色気ないとかさ」と騒ぎながら話している。スコットがその気なら喧嘩買うわよ! 白い結婚上等よ! 許せん! これから舌戦だ!!

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

処理中です...