伝えたい、伝えられない。

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38.嫉妬

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 アパートに戻る途中、コンビニに寄ってほしいと真緒が言うので立ち寄ることにして、車を入れた。
 どうやらネットショッピングの代金の支払いをしたいらしい。
 真緒は一時期、コンビニのお茶のおまけにハマっていたということを思い出す創平だ。このコンビニは、真緒が通勤する途中にある店で時折利用するという。
『すぐに行ってきますね』
「おう」
 創平も車から降り、コンビニの店内へ入り、何か買おうかなと考えた。
 レジで真緒が支払いをしていると、店員の男が何かそわそわしている様子だった。
 手話で真緒に挨拶をしているのが見えた。
(ん?)
 一瞬、真緒の知り合いかと思った。
 真緒も、頭を下げている様子だったからだ。
(友達……か)
 大学生くらいの男性店員だ。
 おそらくこの付近の大学の学生だろう。
 真緒が支払いを済ませ、去ろうとすると、彼は真緒に何か言いたそうだった。
 真緒は気づかない様子で、そのまま捌けると、外へは出ずにドリンクコーナーへと向かった。何か飲み物が欲しかったのだろう。
 真緒がペットボトルのお茶を二本手にすると、再びレジに向かった。
 その店員は、真緒の動向を気にしている様子だ。
 真緒の前に客が一人いたが、その人が終わり真緒の番になると、彼はふいに真緒に話しかけた。
「あの……」
『はい』
 店員は、
『連絡先を交換しませんか』
 と手話で伝えていた。
(なっ……)
 以前の自分なら見逃していただろう、最近はかなり手話もわかるようになってきたので、それを理解することができた。
 ノーマークだった。
 青葉建設の御曹司のような、大人の男だけを警戒していたが、よく考えてみれば真緒は大学生くらいの年代なのだ。同世代に見初められてもおかしくない。真緒が社会人なので、すっかり失念していた。
 創平はカッとし、周囲を見渡し、商品を一つ手にすると、急いでレジに向かった。
 真緒は何か伝えたのだろう、だがまた何かを言われたのか、困ったような顔をしている。
「これも一緒に会計で」
 その商品を置くと、店員は創平をまじまじと見返し、商品をスキャンした。
「会計は俺がするから、いいよ」
 隣の真緒に言うと、
『だったら後で払いますね』
 と言った。
 店員は創平たちの様子を見て、口を噤んだ。
「袋はお持ちですか」
「そのままでいいです」
 ペットボトルはそのままだが、創平の出した商品を、店員はレジ下から取り出した茶色い紙袋に入れてくれた。
「……円です」
 創平は電子マネーで支払いをし、
「どうも」
 とそれを手にして、ペットボトルを真緒に持たせた。
『何買ったんですか?』
『ゴム』
 指文字で伝えると、真緒は絶句した。
「もう今日の分は足りないだろうから買っとく」
『…………』
 真緒が困ったように創平を見上げていた。
「ありがとうございました」
 真緒に何か言いたそうだった店員は、悲壮な顔をしていた。
 これで牽制になっただろう。
 真緒と一緒にコンドームを買えば、嫌でもわかるだろう。真緒と自分がそれを使う間柄であるということを。
 つまり、その店員に入る隙はないし、真緒の連絡先を教える必要は無い、ということも。
(真緒と俺がナニするか考えて落ち込め)
 彼は、ここに買い物に来る真緒に恋をしていたのかもしれない。
 何かきっかけがあったのか、見た目だけで真緒を気に入ったのか、それはわからないが、そんなことは正直どうでもよかった。
(真緒が話せないこと、知ってるのか……)
 それでいて真緒に近づきたいと思って手話を勉強したなら、相当本気だ。青葉建設の御曹司もそうだが。
(なんかイラつく)
 真緒のほうはどうせ自覚もないのだろう。
 やはり彼女は人目を引く存在なのだ。
「行くか」
 真緒の腰の辺りを抱き寄せ、店を出た。
 車の助手席のドアを開け、真緒を乗せると、自分もさっさと車に乗り込んだ。
 店員の様子を見やると、別にいたもう一人の店員が彼に何やら言っているようだ。俯く彼に、もう一人が慰めているのだろうか。慰めているらしい店員と創平の目が合った。見ていると思わなかったのだろう、すぐに逸らされたが。
「出るぞー」
『はーい』
 そしてコンビニの駐車場を後にした。
 しばらく走ったあと、創平は口を開いた。
「さっきの店員、知り合い?」
 真緒は否定した。
「何か言われた? ……まあ、言いたくないことなら言わなくていいけど」
 思いのほか自分の声が低くなっていた。その時はカッとしたが、今は腹は立っていない。あれは焦ってしまっただけだった。いつだって、心のなかでは、真緒を誰かに盗られないか不安はあるのだ。
『連絡先を交換しませんか、って』
 運転中なので、ちらりと横目で見やった。
「連絡先、交換しなかったのか?」
 うん、と彼女は頷く。
『必要はないかな、って』
「……そっか」
『何か……怒ってますか?』
 創平の声が低いことに気づいたようで、真緒はおずおずと見てきた。
「怒ってないよ」
『ほんとに?』
「ああ、怒る理由なんてないだろ?」
『そう、ですか……』
 声が低いのは、怒っているからではないが、真緒にはそう思えたようだ。苛立ちはあったが、焦ってしまったからで怒っているわけではないのだが。
「あの店員、真緒が好きなんだろうな」
『どう、でしょうか……』
「真緒は可愛いからな。あと無自覚に優しいし」
『自分ではよく……』
 だろうな、と創平は小さく笑った。
 以前クマのマスコットがついたお茶をよく買っていた時に、レジで、
「このクマ、好きなんですか?」
 と訊かれたことがあるらしい。
 もう一年以上も前の話だ。自分もその頃から真緒を気にしはじめていたから記憶にある。
 店員は、真緒が話せないことをに気づいてからは、会った時は時折手話で話しかけてくれるようになったということだった。
(完全に落ちてるな……)
 だがずっと片思いをしていたのだろう。自分もそうだからわかる。
(まさか真緒に相手がいるなんて思わなかったんだろうな)
 おそらく大学生のはずだと思うが、素性は全くわからないと彼女は話してくれた。
 相手もよくここまで我慢したものだ。もっと早く行動していればよかったものを。ずっとどうしようか考えていたのかもしれない。もしかしたら創平より先に告白できていたかもしれないのに。真緒は創平を思っていたようだが、ひょっとしたら意地の悪い男より彼の良さが伝わったかもしれないのに。
(いいやつかどうかはわからねえけど)
『もう、あのコンビニに行かないことにします』
「なんで?」
『松浦さんが、嫌だと思うので』
「別に嫌じゃないよ」
『そうなんですか?』
「真緒の自由だよ。俺があれこれ言う権利はないからな」
 真緒は困った顔になった。
 行きたければ行けばいい。
 あの店員には対してはかなり牽制できたと思うし、何か言ってくることはないだろう。それに相手は大学生のバイトのはずだ。いずれ辞めるだろう。
(それより)
 相手の男である自分が、一緒にコンドームを買ったことに対して、真緒は何も思わないのだろうか。恥ずかしがる性格なのに、今後あの店に行って、あの店員に会う度に、コンドームを使うようなことをしている、と想像されるかもしれないのだ。
 コンドーム一箱で察したのか、落ち込んでいたようだし。
(ま、黙っとこ)
『本当に怒ってませんか?』
「怒ってないよ。……ちょっと嫉妬しただけ」
『嫉妬』
「うん。また真緒が俺の知らないところでモテてるわ、って妬いただけ」
 ハンドルから左手を外し、真緒の手を握った。
「真緒が俺に愛想尽かすまでは、離す気はないけどな」
 その上にさらに真緒は手を重ね、創平の手を包んだ。
 尽かしませんよ、と唇が動く。
「そっか」
 そうです、と真緒は笑った。
 そっと手を抜き取ると、ぽんぽんと彼女の手を撫で、またハンドルを握った。
「よーし、帰ったら夕飯の支度するぞー」
『はいっ』
 真緒も俺に嫉妬してくれるのかな、と創平は横目で彼女を見た。
(ま、俺は嫉妬されるようなことはないんだけどな)
 以前、園田茜が訪ねて来て、ピアスの忘れ物のせいで嫉妬されたこともあったが、あの程度なら嫉妬のうちにも入らない。
(真緒が嫉妬したら、どうなるのかな……)
 見てみたいかも、と笑った。
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