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 そして、俺の生活に新たなタスクが組み込まれた。
 以前の俺の生活は単純明快。研究、研究、研究、研究、偶に兄さんに泣きつかれ睡眠。それと同じようにして食事。そしてまた研究。それだけ。とても分かりやすいのと大好きな研究を沢山できて、俺はこの生活リズムが好きだった。人間的活動を疎かにしてまでも研究一色の生活なんて、本当に研究者冥利に尽きるだろう。
 だが、そんな夢のような生活は新たに加わったタスクによって、終わりを告げてしまった。なぜなら。
「やあ、ルクレツィオ君。調子はどうだい?」
「あんた、またかよ……」
 『可愛いお前の体が心配だからいい加減休んでおくれ』と兄に懇願され、渋々設けた食事の時間。それでも往生際悪くペンを片手にナプキンに思いついた式を書き付けていると、後ろから声がかかった。至福の立式の時間を邪魔され、思わず不機嫌な声を出した俺を、誰も責められまい。
「おやおや、そんな言葉遣い、兄君が聞いたら卒倒するよ」
「どうせあんたは気にしないんだからいいだろう」
「ふふっ、よく分かってるじゃないか」
 控え目ながらもクスクスと楽しそうな笑い声。今の会話の何がおかしいんだか。まったくもって俺には分からないし、理解しようとも思えない。背後の存在は無視してペンを走らせる。
 そう、ここの所俺の日常に入り込んでくるようになった、新しいタスク。それはあの、俺のパトロンとなった奇特な何とか様のお相手だ。
 我ながら俺は、なかなかに傍若無人に接していると思うのだが、何とか様はそのことを気にするどころか、寧ろそこがいいんだと益々距離を詰めてくる。そういう趣味でも持ってるんだろうか? そう思って聞いてみたが、違うらしい。よく分からないな。
 パーティーの日から早数週間。何とか様は、忙しいであろう仕事の合間を縫って、まだ奴の名前すらちゃんと覚えられていない俺のところに足繁く通っている。態々向こうから訪ねて来て何をするのかといえば、研究の邪魔にならない程度に俺に軽くちょっかいをかけて、すげなくされて、それを楽しむ。それだけ。何がしたいのか分からない。本人は否定してはいたけれど、やっぱりそういう趣味でも持っているんじゃなかろうか。
「ルクレツィオ君。計算もいいが、食事もちゃんとしないといけないよ。折角兄君が作業をしながら食べられるよう、サンドウィッチを用意してくれたのに、まだ小さく一口しか食べていないじゃないか」
「ここの計算が終わったらちゃんと食べるさ」
「そう言ってその計算、次々に派生していっていつまで経っても終わらないんだろう。どれ、貸してごらん。食べさせてあげる」
 ほら、と手を出されたので、大人しく申し訳程度に手に持っていたサンドウィッチを渡す。よかった、これで両手が空いた。片手で計算しながら、もう片手で魔法陣を組み立てられる。俺は両利きだから、これくらい御茶の子さいさいだ。やったな、作業効率が2倍だぜ。
「……ルクレツィオ君さぁ、君ってば本当に面白い人間だね。『食べさせてあげる』って言われたからって、普通本気にするかい? 本当に私に食事を食べさせてもらうつもりなの?」
「なんだ。あんた、俺を騙したのか?」
「いや、そんなつもりはないよ。こうなったら役得だ。言葉通りにさせてもらおう」
 そして口元に差し出されるサンドウィッチ。兄さん考案うちの料理人特性の、野菜たっぷり栄養たっぷり愛情たっぷりのやつ。俺みたいに人間生活下手くそで食べるのが上手くなくても挟んだ中身が零れにくいように工夫もされている。むいむいと唇に押し付けられるそれに、抵抗はせず大人しくかぶりつく。口に含んで咀嚼して、飲み込んでまた押し付けられて口に含む。その繰り返し。暫く差し出されるがまま、食べ続ける。
「なんだかこれ、楽しいね。雛鳥に給餌しているみたいだ。あ、お水いるかい?」
「ん、貰う」
 サンドウィッチが離れていき、代わりに唇には冷たく硬質な感触が。薄く口を開けば、完璧なタイミングでコップが傾けられ、口内に水が流れ込んでくる。俺は黙ってそれを飲み込む。あ、この魔法陣、実験室でちょっと試運転してみたいな。こっちのこれも。戻るか。
「ご馳走様」
「まだ少し残ってるよ」
「あげる」
「仕方ないなぁ、ちゃんと食べないと体に悪いのに」
 かけられた言葉を置き去りに、手早くメモをしていたナプキンを纏めて手に持ち、実験室へと戻る。頭の中に次々浮かんでくるアイディアをじっくり検討しながら、廊下を急いだ。
「ルクレツィオ君、今日は実験室に入ってもいいかい?」
「駄目って言っても入るじゃん」
「それはそうなんだけど、一応許可を取るのはマナーだからね。それで、今日はどんな楽しいものが見られるのかな?」
「別に、いつもと変わんねぇよ。理論を組みたてて、実験して、その繰り返しだ」
「それで、君はそれに夢中になって、他のことには目もくれない。私に対してもそうだ。それを見るのが楽しいんだよ」
 無駄話をしているうちに実験室につく。俺は後に続く何とか様の為に扉を抑えることもせず中に入り、机に向かう。俺がゴチャゴチャと機器を弄って実験の準備をしている間に、何とか様は奴の定位置となりつつある部屋の隅に置かれた奴専用の椅子へと座った。『お茶もお菓子も何も用意しなくていい。ただここで、ルクレツィオ君のことを眺めていたい』と言った何とか様に、せめてこれくらいのもてなしは、と兄さんが用意したものだ。機器の調節をしている俺の邪魔をしないようにか、暫く無言の時間ができる。
 やがて調節が終わり、先程作り上げた魔法陣を所定の位置にサッと書いて、スイッチを押す。こっからが長いんだよな。機器が色々と測定し終わるのを待たなきゃいけない。待ってる間暇だから、他の作業でも進めるか。俺が他のものに手を出し始めたのを見て、何とか様がまた話しかけてくる。
「ねえ、ルクレツィオ君。そろそろ私の名前は覚えてくれた?」
「ヴェ……チョ?」
「おしい。『ヴェチェッリオ』だ」
「ヴェッチェリロ!」
「あはは、違うなぁ」
「むぅ、あんたの名前が覚えにくいのが悪い」
「ふむ、そうか……。なら、ファーストネームで呼ぶのはどうだろう? エドアルド。これなら覚えやすいんじゃないか?」
「ふーん。高名な魔法陣学の第一人者と同じ名前だな。それなら覚えられる」
 エドアルド先生は100年程前の時代の学者だが、精霊召喚の成功率がそれまでより高い魔法陣を開発して新時代を作りあげた人だ。精霊召喚の魔法陣に関しては今でも彼の構築したものが現役で使われている。精霊、精霊か。ふむ、ここで精霊の力を借りて魔法陣を動かすのもありだな……。ブツブツと口の中で呟きながら、凄まじいスピードで壁に掛けられた黒板に思いついたことを書き付けていく。
「いやぁ、気持ちいいくらい私に興味無いよね、ルクレツィオ君は」
「当たり前だ。研究のこと以外を余分に考えるには、俺の頭はあまりにもお粗末過ぎる」
「何を言うんだか。理論の構築から魔法陣構成、実証実験、その先まで全て1人でやってのけるなんて、常人にはできないよ。普通は新しい魔法の作成なんて、専門ごとに別れた精鋭がグループになってやることだ。それを1人でやってのけるなんて、君は間違いなく化け物級の天才さ」
「俺は共同研究してくれる仲間がいないから、仕方なく1人でやってるだけだ。楽しいから全部自分でやりたいってのもあるけど」
 本当はこうして1人でやるのは効率が良くないんだ。どうしても1人でベストパフォーマンスを維持していくのは限界があるし、世の中には特定の学閥に入らないと見れない文献、コネがなくちゃ手に入らない素材が山とある。それでも俺は1人でやらなくっちゃいけない。何故って、理由は単純。集団に馴染めないから。なんと生きにくい性分か。まあ、足掻くだけ足掻くさ。
「今のを謙遜じゃなくて本心から言ってるんだから、凄いよなぁ。そういう嘘をつけないところも好きだよ」
「あっそ」
「素っ気ないなぁ。そこがいいんだけど」
「……」
「あ、とうとう無視か。本当、私をこんな風にぞんざいに扱うのは、この国では君だけだよ」
 大気の精霊を呼び出して空気伝道で情報を伝達して……。いや、ここは光の精霊の方がいいか? だがなぁ。速さでいったら間違いなく光の精霊なんだけど、あいつらは昼間と夜とで力にムラがある。昼夜で誤差が少ない方が扱いやすいから、最初だけでも大気の精霊でいくかな。それとも、思い切って他の精霊を呼び出すとか。うーむ、悩ましい。
「毎度毎度思うけど、本当に素晴らしい集中力だね。元々私は、私のことを眼中にないような扱いしてくれる人物を探していて、一意専心に何かに励むような人間ならその条件に該当するだろうと思って君を選び出したわけだけど、関わってみるに予想以上だ」
 大地の精霊? 駄目だ。地中に大きな岩があるとそれで情報が遮蔽される。いや、逆に頑強で安定した岩盤を利用して情報を伝えるのもありかも。でも、それには地面を深く掘らなきゃいけないだろうしな。情報を地下深くまで送って送受信する方法も考えなくてはならない。費用もかかって実用に耐えうるとは思えないし、なにか、他の方法は……。
「ルクレツィオ君は気にもとめていないだろうけどね、私は君のその無関心に救われてるんだよ。人に感情を向けられるのは嬉しいことだけれど、同時にとても疲れることだ。私みたいな類の人間には、特にね。普通は伝わらないことまでもが伝わるのは、祝福でもあり呪いでもある。何ともまあ、難しいことだな」
「伝わる? 何が? どうやって?」
「うわっ、聞いてたのかい?」
「魔法陣の情報伝達方法について考えていたら、あんたが伝わるとかなんとか言ったから」
「ああ、考えてる単語が話にでてきたから、思わず反応しただけか。驚いた。……確かに、君は嘘は言っていないみたいだね。相変わらず私に全く興味がない。よ」
 そう言ってアンニュイに笑ってみせられる。奴は何かを俺越しに遠くを見るように、少し目を細めていた。なんだよ、その思わせぶりな態度。俺は研究者だ。不明瞭なことを明確にし、この世の謎を究明し続ける人種なんだぜ。1度気になりだしたらとことん知りたくなる。誤魔化されたりなんてしないからな。
「勿体ぶるな。何がどうやって伝わるか早く教えろ。思いもよらないことが新しい発見へのヒントになる。何気ないことが次のステップへと進む為の、突破口となるんだ」
「いやいや、こればっかりはいくらルクレツィオ君にでも教えられな」
「早く言え」
 黒板に向けていた体を反転させ奴の方を向き、ギッとその両眼を睨みつける。言い渋っている場合か、とっとと教えろ、という意味を存分に込めて。学問の発展に役立つこと、ひいては真理の究明に役立つことなら、俺はなんでも知りたかった。
「あのねぇ、ルクレツィオ君。いくら君の頼みといえど、聞けないものが」
「どうしても駄目か? こんなにも知りたいのに。お願いだ、。教えてくれ」
 最も身近な存在の兄さんなら俺のどんなお願いも断らず、ほいほい聞いてくれるから、渋られて困ってしまう。こういった時どうすべきなのか分からない。知らない単語なら辞書を引けばいいし、分からない定理は専門書を紐解けばいい、新しい知識は発表された最新の論文で手に入る。
 では、他人の秘密は? どうやって知ればいい? 教えてくれるようにお願いをしてみて、相手が兄さんのように快く承諾してくれなければ、非力な俺にはもうお手上げだ。どうしようもなくなってエドアルドを見つめる。
「……はぁー。狡いよ、ルクレツィオ君。そこで名前呼んで、そんな顔をするなんて。反則だ」
 何が狡いというのか。ただ名前を呼んでお願いしてみただだけだろう。自分が今どんな顔をしているかなんて鏡の前でもないのに知る由もない。
 その『狡い顔』とやらをもっとすればエドアルドは折れてくれるだろうか? でも、無自覚にした表情の再現なんて器用なこと、俺にはできない。どうしたものかとコテン、と軽く首を傾げると、何故か、グウッと変な声を出してエドアルドが胸を抑える。
「エドアルド? どうかしたのか?」
「いや……。なんでもない。本当、君ってば恐ろしい奴だな。機微に疎くて人心を操る策略なんて練れないだろうから無自覚なんだろうけど、それでこれとは……。仕方がない。誰にも言わないと約束してくれるのなら、特別に私の秘密を教えてあげるよ」
「安心しろ。口の硬さなら自信がある。なんせ俺には友達も何もいないから、話す相手がいないんだ」
「君の兄君にも話しちゃ駄目なんだよ」
「元々兄さんには研究に関することは話していない。俺はどうも不器用で、一般人の兄さんには分からない専門用語ばかり使って喋ってしまうからな。難し過ぎて話しても頭は悪くない筈の兄さんにも理解できないんだ。第一、ゆっくりお喋りしている暇があったらその時間を使って研究をしたいから、秘密をペラペラ吹聴したりしないぞ」
 本当はこうして向かい合って議論している時間も惜しい。その気持ちを押して話しているのは、研究に関する手がかりが手に入るかもしれないと期待しているから。これで何も得られなかったら時間の割き損だが、試みが徒労に終わるのは未知の分野の実験にはよくあること。失敗からもなにかしら得るものがあると俺は信じている。
 エドアルドはジッと俺の瞳を見ていたが、軈て決心がついたらしく目を閉じてフゥ、小さく息を吐いた。次に目を開いた時には、既にその瞳には決意の色が宿っている。
「……ルクレツィオ君は嘘をついていないみたいだね。少なくとも私を貶めてやろうとは考えていない。それは私のこの。いいだろう。私の秘密を、君にこっそり教えてあげようじゃないか。ただし、これは国家機密だから、1度知ったら代わりに重い責任が付きまとうし、万が一にでも秘密が漏れたら真っ先に君が疑われ処罰されるよ。それでもいいかい?」
「執拗い。いいと言っている。早く吐け」
「いきなり雑になったねぇ。焦れているのかい? 君の探究心は留まる所を知らないな。まあいい。君も私の警告の意味が分からない程馬鹿じゃないだろうし、私も覚悟を決めた。潔く言うよ」
 そう言ってエドアルドは居住まいを正す。俺はそれを真っ直ぐ見つめる。エドアルドはそんな俺を見て1度、フッと嬉しそうに笑うと、直ぐにその笑みを消し、どうしてか少し悲しそうな顔で、どこか捨て鉢に言葉を紡ぐ。
「私はね……人の感情が分かるんだよ。いや、正確には『見える』と言った方がいいかな? 他人の思っている感情がね、色として目に見えるんだ」
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