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第一章 学院編

第9話 林道のイーター

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 校門を出て左に曲がり、ずっと道なりに進むと、左手に鳥居のような石の門があり、そこから奥へ林道が続いている。
 俺の前に立つシャイルの紺色ブレザーと赤黒チェックのプリーツスカートが突風にはためいた。
 木の丸太を並べて整えられた道の先には、光を食らう暗闇が棲んでおり、奥から吹きつけてくる風は、そこへ侵入せんとする者を拒む意志を示すかのようだった。

「ここよ。ここを進むの」

「なるほど。こりゃあ何も出ないほうがおかしいな」

 俺がおもむろに進もうとすると、シャイルが俺を呼びとめた。
 シャイルはスカートのポケットから一対の軍手を取り出し、それを装着した。軍手には、滑り止めゴムの代わりに石が取りつけてある。

「なんだ、それ。メリケンサックの代わりなら、手のひらと手の甲が逆じゃないか?」

「私はそんな野蛮じゃありません。これはね、こうやって使うものよ」

 シャイルは右手を振り上げ、振り下ろす。左手を下から振り上げる。両手が交差するとき、軍手の石と石がぶつかり、火花を散らした。
 その瞬間、火花がゴウと燃え上がり、一度舞い上がった炎がシャイルの足元に収束すると、そこに小型の犬をかたどる炎の塊が現れた。

「この石は火打ち石よ。そしてこの子はリム。見てのとおり、火の精霊なの」

「なるほど。こいつがいれば、辺りを照らせるというわけだな」

「もちろんそれもあるけれど、発生型の魔導師と違って操作型の魔導師が魔法を使うためには、その魔法のエレメントがなければならないからよ。私の火を操る魔法は、火がなければ何もできない。だから精霊に顕現してもらって、常に火が近くにある状態を作り出したの。精霊に顕現してもらうためには火を発生させなければならないから、こうして火打ち石を使ったってわけ」

 ふーん。説明おつかれさん。

 エレメントというのは、俺で言うと空気、シャイルで言うと火のような、その人の魔法の要素のことだろう。
 俺の魔法は常に空間に存在している空気であるため、いままで気づかず使っていたが、魔導師というのはエレメントがなければ魔法は使えない。
 つまり、俺は空気を操ることはできるが、生み出すことはできない。シャイルも火を操ることはできるが、生み出すことはできない。
 空気は常に存在していてエアが顕現していなくても俺は魔法を使えるが、シャイルはリムに顕現してもらわなければ、火の魔法を使えないのだ。松明でも持ち歩けば、その限りではないのだろうが。

「なるほど。俺は魔法の種類に恵まれたな。精霊に頼らず魔法を使えるだけで、一つ有利なわけだ」

「そうね。重力はいついかなるときにも存在しているものね」

 まだシャイルは俺が重力の能力者だと思っているらしい。
 ま、べつにそれは構わないのだが。

 肝を試される林道をしばらく進むと、ふいに耳の中に弱い風が吹き込んだ。
 エアが顕現せずに俺に耳打ちをしてきたのだ。

「エスト、木の陰にイーターがいる。気をつけて」

 火の精霊リムも、立ち止まって林の方を睨みつけてうなっている。リムの唸りは轟々ごうごうと燃える炎の音そのものだった。

「え、なに?」

「イーターがひそんでいるらしい。木陰に隠れてこちらの様子をうかがうとは、全てのイーターが脳筋というわけではないらしいな」

「賢いイーターもいるわ。けれど、人間よりも狡猾なイーターなんてそうそういないわよ。そんなのがいたら、たいていネームドイーターになっているもの」

「人に見つからなければ、ネームドにもならないだろう」

 木陰に潜んでいるイーターが本当に頭のいいイーターならば、気取られた時点ですぐに退散するはずだ。
 だが、その様子はない。所詮は獣の脳ということだ。

「来るぞ!」

 木が揺れた。大きな揺れだった。イーターが木を蹴って移動したのだ。パワーがある。少なくとも、脚力は人間の比ではない。
 一本目の木が揺れた後、別の木が揺れた。そしてまた別の木が。林道の対岸の木も揺れだした。襲う方角を悟らせないようにするつもりだろうか。

「エスト君、このイーターはヤバイかも。ハンティング慣れしたイーターだわ。私たち、完全に得物と見なされている」

「へえ。舐められたもんだ。ま、所詮はイーター。魔導師の力量を推し量ることもできない下等生物だ」

 今日遭遇したハーティのことを思い出し、人間もイーターも変わらないな、と思いなおす。

「ねえ、大丈夫なの? このままじゃ私たち狩られ……ひゃっ」

 シャイルの顔の真横にイーターの顔面があった。
 イーターは兎型のようで、セントバーナードくらいの大きさの身体を持ち、前歯とあごと脚が妙に発達していた。シャイルが驚くのも無理はない。
 しかしイーターも驚いていた。顔がガラスに押しつけたように潰れている。俺が空気を固めた壁で周囲を囲んでいたのだ。どの方位から来ても、生半可な物理攻撃は通らない。

 イーターは空気の壁を蹴り、再び木から木へと撹乱移動を始めた。

「いまの、エスト君?」

「まあな。奴を仕留めるのも難しくはないだろう。だがシャイル、この林、焼き払ったほうが早くないか?」

「そんなの駄目に決まっているでしょう!」

「なぜ駄目なんだ? 駄目なものは駄目とか、駄目に決まっているとかじゃなくて、俺が納得できる説明をしろよ」

 シャイルはキッと俺を睨んだ。その表情には苛立ちよりも焦りのほうが色濃く表れている様子だった。

「こんなときに何を言っているの? べつに私は固定観念にとらわれて言っているわけじゃないわ。あなたが納得するかどうかは知らないけれど、普通の人なら誰でも納得できる理由を最低でも四つは即答できるわよ。けれど、四つも述べていたら時間がかかってしまうから、いまは言わない。とにかくいまはこの窮地きゅうちを脱することが先決よ」

「けっこう喋ったな。いまの時間で四つ言えたんじゃないか? それから、いまのこの状況はまったく窮地ではない」

 俺がフンと鼻で笑うと、木の揺れがだんだんと小さくなっていった。そして、木の揺れの時間間隔も少しずつ長くなっていった。

「あれ? 遅くなっている? 疲れてきたのかしら?」

「違うぜ。足の踏み場の弾性が弱くなっているのさ。イーターは蹴り足に感じる手応えが小さくなってきているはずだ」

 俺は周囲の木々に、ネットリとした空気の層を貼りつけたのだ。
 イーターが木に足を着けるとき、まるで水の中に飛び込んだように足が重くなっていることだろう。勢いよく跳ねようとするならば、より強く木を蹴らなければならない。人が水に足を取られて高く跳べないのと同じだ。

「なあ、シャイル。イーターって調教できるのか?」

「え? そんなの分からないわ。だって、いままで誰も試したことなんてないもの。そんなことを試せるほど、イーターの凶暴性はやさしくはないわ」

「でも、圧倒的な実力差があったとしたら、試すくらいはできるよな?」

「まあ、そうだけど。でも、イーターっていうのは見境のない怪物なんだよ。調教なんて無理だと思うわ」

 兎型のイーターの移動がどんどん遅くなり、欠伸しながらでも動きを目で追える程度になった。
 そして、イーターが次の木に足を着けた瞬間、俺はその木の周りの空気をガチリと固めた。
 イーターは首から下が完全に動かなくなった。俺が空気を固めているから、このイーターは首から下をセメントで固められたのと同じような状態になっているのだ。

「おい、イーター。俺のペットになる気はないか?」

 イーターは自慢の前歯をガツガツと打ち合わせて俺を威嚇いかくしてくる。
 俺はイーターの頭を殴ろうと、拳を振り上げた。それを察知したイーターが、前歯を上に向ける。
 どこまでも攻撃的な姿勢を崩さない。

「おまえ、いまの状況を俺が作ったってことが、まだ分かってないようだな。俺が絶対強者だと分からせるには、直接殴るしかないってことか?」

 俺は拳の周囲の空気をガチガチに固め、硬質のグローブを作った。そして、それを振り下ろす。
 フンゴッといううめきとともにイーターの頭が下がる。前歯にはヒビ一つ入っていなかった。イーターは再び前歯をガチガチやって俺を威嚇する。
 俺はイーターを固める空気の層を増やし、イーターの頭も動かないように固定した。

「その前歯がなくなれば、おとなしくなるか?」

 俺は空気を薄い円盤状に固め、そして回転させた。それをイーターの前歯に押し当てる。火花を散らしながら、円盤空気がジワジワと進んでいく。いわゆるエアーチェーンソーだ。

「なに? これ、エスト君がやっているの? エスト君、あなたって、いったい……」

 イーターの上と下の前歯が根元から切断された。
 俺はシャイルの言葉を聞き流し、イーターに問いかけた。

「なあ、自慢の前歯を失った気持ちはどうだ? 己の武器を失った動物は、自然界において淘汰されるのを待つだけの存在だぞ。いまのおまえがまさにそれだ。イーターはイーターをも食うらしいな。さて、もし俺がおまえを解放してやったとしたら、おまえはどうする?」

 俺がイーターの頭部を空気塊から開放してやると、イーターの反抗的な目つきは消え失せていた。

「嘘……。エスト君、イーターを手懐てなづけたの?」

 俺はシャイルの言葉に返事をせず、イーターに意識を集中させている。
 俺はイーターの拘束を解いてやった。
 イーターはうつむき、そのたくましい脚でよちよちと俺に近づいてくる。

「シャッ」

 イーターは突然、俺に飛びかかった。前歯が復活している。その瞳には紅の殺意がギラギラと輝いていた。

「ふん。そんなことだろうと思ったよ」

 イーターの前歯は俺には届かなかった。
 俺は自分の周りに空気の壁を張り巡らせ、その壁から空気の針を無数に伸ばしていた。俺に牙を剥いたイーターは頭から尾まで全身が串刺しになっていた。

「駄目だったな。もしも手懐けられるイーターがいるとしたら、犬のように集団行動を取る種でなければ駄目だろう。単独行動を取るイーターに協調性や服従を求めるのは無理があった」

「集団行動を取るイーターの目撃例は存在していないわ」

「じゃあ、やっぱりイーターをペットにするのは無理か。惜しいな。魔術師を襲わせたりしたら面白いと思ったんだがな……」

 シャイルはまるでイーターを見るような畏怖の目を俺に向けた。

「冗談だよ。イーターとの共存の可能性を模索したかっただけだ」

 というのはまったくのデタラメで、イーターをペットにして魔術師どもを怖がらせたいというのが本心のすべてだった。
 ちょっとだけ疲れていたため、とっさに言いつくろってしまった。そんな必要はなかったのだが。
 シャイルは冗談という言葉を信じたらしく、安堵に胸を撫で下ろしている様子だった。

 俺たちは再びリムに先導されるように林道を進んだ。
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