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第一章:氷炎の共鳴
1-2. 邂逅と共鳴
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「仕事の時間だ」
立ち上がり、ローブを翻す。テントの幕をくぐり抜けると、曇天の下、荒野に広がる戦場の喧騒が彼を迎えた。アグナス軍の兵士たちが、最高司令官の登場に沸き立ち、士気が最高潮に達する。レオンはその狂騒の中心に無感動に立ち、イーゼン王国の最後の防衛ラインへ向けて、ただ指先を振るった。
詠唱は、ない。金色のルーン文字が虚空に展開し、アグナス王国の象徴である火の魔術が、イーゼンの防衛線を無慈悲に焼き尽くしていく。あまりにも一方的な蹂躙。
その光景に何の感慨も抱かないよう、次の魔術を行使しようとしたその瞬間だった。キィン、と甲高い音が鳴り響き、彼が展開した必殺の術式が、まるで陽炎のように強制的に霧散させられた。
「…なに?」
この戦場で初めて、本物の驚愕に思考を奪われる。自分の魔術が止められた?母から受け継いだ底知れぬ強力な力が?
砂埃と爆炎の向こう。イーゼン王国の騎士団、その先頭に立つ一体の騎士が、こちらを真っ直ぐに見据えていた。銀と氷青を基調とした、重厚な騎士甲冑。兜の目庇が深く、その顔ははっきりと認識できない。だが、佇まいだけで分かる。あれは、恐れていない。その剣先から立ち上る冷気が、レオンの魔術を無に帰した。
吹き荒れる戦火の中、レオンの放つ鋭利な金光と、騎士アルヴィン・フェルムが湛える絶対零度の蒼が、真っ向から衝突した。
彼の目には、青く強固な光が宿っていた。自分の魔力を唯一無効化するその力と、あまりにも真っ直ぐな敵意に、説明のつかない動揺を覚えていた。
「……面倒だな」
小さく舌打ちをし、動揺を打ち消す。しかし、レオンの瞬きの僅かな遅れを、アルヴィンが見逃すはずがなかった。
(あれが、アグナスの司令官……)
アルヴィンの脳裏をよぎるのは、幼き日に見た炎の中の父の死。目の前の男が操る圧倒的な魔力は、あの日、父を飲み込んだ理不尽な炎と同じ色をしている。胸奥で、アグナスへの根源的な敵意が渦を巻く。
「これ以上、奪わせるものか!」
氷嵐が咆哮し、剣を握る手が白くなるほど力を込めた。魔力を最大まで高める。地面を勢いよく蹴り、死神ただ一人に向かって、氷の刃となって突撃した。
「相手、してやるよ」
レオンはそのあまりにも単純な突撃に、まるで指揮棒でも振るかのように指先を軽く向ける。炎の槍が数十本、アルヴィンを串刺しにせんと殺到した。あの騎士甲冑がどれほど頑強な対魔術処理を施されていようと、いっそう魔力を込めた炎の槍に貫かれれば、灰すら残らないと。
だが、その騎士は止まらなかった。彼は迫り来る数十本の炎の槍に対し、回避も防御も選ばない。ただその銀色の剣を真正面から薙ぎ払った。灼熱の炎は、剣が纏う絶対零度の冷気に触れた瞬間、音もなく凍りつきその勢いのまま砕け散った。
「なっ……!?」
またしても脳内が空白に沈む。
(———あれは、『魔力凍結』!?)
アグナス王国の魔導師団にとって、それは氷の国イーゼンが独自に進化させた対魔術戦闘術として話には聞いていた。魔術の決定力を削ぐしぶとい抵抗の原因であり、叔父であるヴァルドが忌々しげに語っていた力だ。
だが、レオンが実際に目にするのはこれが初めてだった。そして、報告とは明らかにレベルが違う。これは戦術や抵抗などという生易しいものではない。今目の前で起きていることは、純粋な破壊の魔術そのものを凍結させて無効化するという、異次元の力だった。
(こいつは、何だ……!?)
ゴクリと小さく喉が鳴り、足元がわずかに後退しかける。氷の騎士は、突撃の勢いを殺さぬまま一瞬だけ深く息を吸い込んだ。吐き出された息は白く染まり、銀色の剣を青白い霧で満たした。
(ここで、アグナスの死神を仕留める……!!)
憤怒と使命感がアルヴィンの胸を灼き、『魔力凍結』の力を最大限に高める引き金となる。彼は剣を構え直し、最後の一撃を放つべく距離をゼロにした。
破滅的な一撃の予感に心臓が喉元まで跳ね上がり、内側から殴られるような鼓動が響いた。とっさに、魔力のすべてを、防御の一点に集中させた。だが、力は彼の制御の限界を超え、苦痛と共に暴走しかける。黒炎が空気を蝕み尽くし、轟音と共に歪んだ空間が激しく裂け、彼の眼前に最大出力の魔術障壁が瞬時に展開された。
そして、二つの魂が激突した。
アルヴィンの剣先が、レオンの障壁に触れた瞬間、爆発も、衝撃音も起こらなかった。ただ、世界から色と音が消え、時間が止まる。まるで二人の間で、目には見えない鎖が強制的に接続されたように、互いの精神には膨大な他者の記憶が濁流となって流れ込んだ。
———アルヴィンが見たもの。
底知れない、凍えるような孤独。だが、それだけではない。彼の背後にへばりつく、黒い支配の気配。「愛されたい」と願いながら、ずっと拒絶され続けてきた迷子の子供のような切実な叫び。母の命を奪い、父の理想を裏切り、のうのうと生きている己への焼けるような罪悪感。しかし、その絶望の泥沼の奥底に、祈りのような光が一瞬だけ瞬いた気がした。忌むべき存在が、あまりに脆く、救いを求めていることに戦慄した。
———レオンが見たもの。
胸を深く抉られるような、凄絶な喪失感。紅蓮の炎の中、力尽きて沈んでゆく父親の背中——すべてを奪われた幼い少年の絶望が、濁流となって流れ込んでくる。だが、その暗闇の先には、別の色が混じっていた。差し伸べられた温かな手、慈悲に満ちた守護の記憶。もう二度と誰も失わせないと、灰の中から立ち上がり、その身を盾として国を、民を、すべてを守り抜こうとする、痛いほど純粋で誇り高い意志。
孤独な支配の闇にいたレオンは、自分に向けられた殺意が真っ直ぐな正義と深い愛情に裏打ちされていることを瞬時に悟り、その光の眩しさに目を灼かれた。
瞬きする間ほどの永遠が、唐突に終わりを告げる。止まっていた時が激流のように押し寄せ、鎖が強制的に断ち切られると、二人は凄まじい衝撃に呑まれ共に後方へと吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
アルヴィンは重い甲冑ごと大地に叩きつけられ、兜が弾み転がった。肺の奥から血の味を吐き出し、激しく咳き込む。
(今のは、何だ……!?)
憎むべき敵。それなのに、なぜ自分は、あの魔導師の孤独に触れ、救いを求めていると感じてしまったのか。憎悪とはまるで異なる感情。まるで、守りたいとすら思ってしまった自分自身への強烈な嫌悪感に、内側で何かが音を立てて決壊した。
「……っ、は……ぁ……」
一方、レオンは地面に膝をつき、肩を大きく上下させながら息を荒げていた。彼を襲ったのは混乱だけではなかった。
(魔力が……鎮まってる……?)
あれほど天地を揺るがす勢いで荒れ狂っていた自らの魔力が、あの騎士の力に触れたことで、嵐が過ぎ去ったかのように鎮静化している。自分以外の力によって、この苦痛が制御された。しかし、自らの魔力が他者の力に屈したという恐怖を上回ったのは、安らぎだ。自分の核を蝕む絡みつく枷を緩めるような、許されざる鎖の隙間が全身に染み渡り、その屈辱すらも緩やかな揺らぎに飲み込まれていくようだった。
その時、両軍の側近が、指揮官である二人の元へ真っ先に殺到した。
「アルヴィン!無事か!」
アルヴィンの元へ駆け寄ったのは、エドリック・ハーヴェイだった。騎士団の副官を務める彼は、吐血したアルヴィンを即座に庇うように立ち塞がり、アグナス側を睨みつけた。
「レオン様!」
「司令官、ご無事ですか!」
ほぼ同時に、レオンの元へ魔導師団の部下たちが駆け寄る。彼らは膝をつくレオンの異常な様子に気づき、即座に魔術障壁を展開、アルヴィンへ報復の魔術を行使しようと殺気立つ。
部下たちの声で我に返り、兜の外れた騎士が自分と同じように顔を歪め、こちらを見つめていることに気づく。想像していた百戦錬磨の怪物とはかけ離れた、自分とそう変わらない——いや、恐らく自分よりも年下であろう。
兜から解き放たれたのは、粉雪のようにきめ細やかな銀髪だった。耳元で潔く切り揃えられ、額にわずかにかかるさらりと落ちる前髪の奥から、透き通ったマリンブルーの双眸がこちらを貫く。まだ青年の柔らかさを残した顔立ちだが、引き結ばれた口元と眉には確固たる意志が宿り、奇妙な焦燥感を覚えた。
レオンは胸の火を爪先で踏み潰し、部下たちへ低く告げた。
「落ち着け。余計な真似はするな」
敵将アルヴィン。報告書上の記号でしかなかったその名を、凛とした実像と重ね合わせ、改めて心に深く刻みつける。
「次は、もっと楽しませてくれよ」
そのまま魔導師団に撤退を命じ、踵を返す。去り際のレオンの横顔に、アルヴィンは確かにあの孤独の影を認めた。エドリックに支えられながら、ただそれを見つめていた。
レオンたちが向かったのは、砦の最奥に鎮座する軍用魔導列車だった。漆黒の装甲を纏った巨大な塊。その心臓部では、高純度の魔晶石が動脈のように怪しく脈動している。王国の魔力と特権を貪り食うその箱は、今のレオンには、口を開けた巨大な棺桶のように映った。
車内へ乗り込んだ瞬間、視界がぐらりと歪み、酷使した膝が支えを失ったようにガクガクと砕け始めた。地に縫い付けられたように重い足へ無理やり力を込め、レオンは地面を踏みしめる。
「……司令官」
「構うな。発車させろ」
気遣う部下を低い声で退け、逃げ込むように専用個室の扉を閉める。遮音結界が展開された、その瞬間だった。
「っ、ぐ……ぅ!」
張り詰めていた糸が切れ、レオンは吸い込まれるように地面へ沈み込んだ。革張りのシートに倒れ込むと、抑え込んでいた脂汗が一気に噴き出し、全身が軋む。アドレナリンで麻痺していた全身の筋肉が、遅れて悲鳴を上げ始めていた。
「……このまま帝都へ直行とはな。まったく、人使いが荒すぎる」
空は、西へと傾きかけていた。射し込む強烈な西日が、遮光された厚いガラスをぎらりと黄金に染め上げる。その眩しさに流れる景色は消え失せ、代わりにあの騎士の横顔が硝子に焼き付いているような錯覚を覚えた。見る者を飲み込まんとするほどの、強烈な意志を宿した表情。そして、剣を交えた瞬間に流れ込んできた他者の記憶。
考えるべきことは山ほどあった。あれは一体何だったのか。なぜ、彼と自分の記憶が共鳴したのか。思考を巡らせようとしたが、限界を超えた意識が重力に引かれるようにカクリと沈む。革張りの背もたれに無造作に頭が落ち、視界は急速に闇に塗り潰されていく。深い眠りの底へ沈んだレオンを乗せ、鉄の箱は国王の待つ帝都へと、ただひた走るのだった。
立ち上がり、ローブを翻す。テントの幕をくぐり抜けると、曇天の下、荒野に広がる戦場の喧騒が彼を迎えた。アグナス軍の兵士たちが、最高司令官の登場に沸き立ち、士気が最高潮に達する。レオンはその狂騒の中心に無感動に立ち、イーゼン王国の最後の防衛ラインへ向けて、ただ指先を振るった。
詠唱は、ない。金色のルーン文字が虚空に展開し、アグナス王国の象徴である火の魔術が、イーゼンの防衛線を無慈悲に焼き尽くしていく。あまりにも一方的な蹂躙。
その光景に何の感慨も抱かないよう、次の魔術を行使しようとしたその瞬間だった。キィン、と甲高い音が鳴り響き、彼が展開した必殺の術式が、まるで陽炎のように強制的に霧散させられた。
「…なに?」
この戦場で初めて、本物の驚愕に思考を奪われる。自分の魔術が止められた?母から受け継いだ底知れぬ強力な力が?
砂埃と爆炎の向こう。イーゼン王国の騎士団、その先頭に立つ一体の騎士が、こちらを真っ直ぐに見据えていた。銀と氷青を基調とした、重厚な騎士甲冑。兜の目庇が深く、その顔ははっきりと認識できない。だが、佇まいだけで分かる。あれは、恐れていない。その剣先から立ち上る冷気が、レオンの魔術を無に帰した。
吹き荒れる戦火の中、レオンの放つ鋭利な金光と、騎士アルヴィン・フェルムが湛える絶対零度の蒼が、真っ向から衝突した。
彼の目には、青く強固な光が宿っていた。自分の魔力を唯一無効化するその力と、あまりにも真っ直ぐな敵意に、説明のつかない動揺を覚えていた。
「……面倒だな」
小さく舌打ちをし、動揺を打ち消す。しかし、レオンの瞬きの僅かな遅れを、アルヴィンが見逃すはずがなかった。
(あれが、アグナスの司令官……)
アルヴィンの脳裏をよぎるのは、幼き日に見た炎の中の父の死。目の前の男が操る圧倒的な魔力は、あの日、父を飲み込んだ理不尽な炎と同じ色をしている。胸奥で、アグナスへの根源的な敵意が渦を巻く。
「これ以上、奪わせるものか!」
氷嵐が咆哮し、剣を握る手が白くなるほど力を込めた。魔力を最大まで高める。地面を勢いよく蹴り、死神ただ一人に向かって、氷の刃となって突撃した。
「相手、してやるよ」
レオンはそのあまりにも単純な突撃に、まるで指揮棒でも振るかのように指先を軽く向ける。炎の槍が数十本、アルヴィンを串刺しにせんと殺到した。あの騎士甲冑がどれほど頑強な対魔術処理を施されていようと、いっそう魔力を込めた炎の槍に貫かれれば、灰すら残らないと。
だが、その騎士は止まらなかった。彼は迫り来る数十本の炎の槍に対し、回避も防御も選ばない。ただその銀色の剣を真正面から薙ぎ払った。灼熱の炎は、剣が纏う絶対零度の冷気に触れた瞬間、音もなく凍りつきその勢いのまま砕け散った。
「なっ……!?」
またしても脳内が空白に沈む。
(———あれは、『魔力凍結』!?)
アグナス王国の魔導師団にとって、それは氷の国イーゼンが独自に進化させた対魔術戦闘術として話には聞いていた。魔術の決定力を削ぐしぶとい抵抗の原因であり、叔父であるヴァルドが忌々しげに語っていた力だ。
だが、レオンが実際に目にするのはこれが初めてだった。そして、報告とは明らかにレベルが違う。これは戦術や抵抗などという生易しいものではない。今目の前で起きていることは、純粋な破壊の魔術そのものを凍結させて無効化するという、異次元の力だった。
(こいつは、何だ……!?)
ゴクリと小さく喉が鳴り、足元がわずかに後退しかける。氷の騎士は、突撃の勢いを殺さぬまま一瞬だけ深く息を吸い込んだ。吐き出された息は白く染まり、銀色の剣を青白い霧で満たした。
(ここで、アグナスの死神を仕留める……!!)
憤怒と使命感がアルヴィンの胸を灼き、『魔力凍結』の力を最大限に高める引き金となる。彼は剣を構え直し、最後の一撃を放つべく距離をゼロにした。
破滅的な一撃の予感に心臓が喉元まで跳ね上がり、内側から殴られるような鼓動が響いた。とっさに、魔力のすべてを、防御の一点に集中させた。だが、力は彼の制御の限界を超え、苦痛と共に暴走しかける。黒炎が空気を蝕み尽くし、轟音と共に歪んだ空間が激しく裂け、彼の眼前に最大出力の魔術障壁が瞬時に展開された。
そして、二つの魂が激突した。
アルヴィンの剣先が、レオンの障壁に触れた瞬間、爆発も、衝撃音も起こらなかった。ただ、世界から色と音が消え、時間が止まる。まるで二人の間で、目には見えない鎖が強制的に接続されたように、互いの精神には膨大な他者の記憶が濁流となって流れ込んだ。
———アルヴィンが見たもの。
底知れない、凍えるような孤独。だが、それだけではない。彼の背後にへばりつく、黒い支配の気配。「愛されたい」と願いながら、ずっと拒絶され続けてきた迷子の子供のような切実な叫び。母の命を奪い、父の理想を裏切り、のうのうと生きている己への焼けるような罪悪感。しかし、その絶望の泥沼の奥底に、祈りのような光が一瞬だけ瞬いた気がした。忌むべき存在が、あまりに脆く、救いを求めていることに戦慄した。
———レオンが見たもの。
胸を深く抉られるような、凄絶な喪失感。紅蓮の炎の中、力尽きて沈んでゆく父親の背中——すべてを奪われた幼い少年の絶望が、濁流となって流れ込んでくる。だが、その暗闇の先には、別の色が混じっていた。差し伸べられた温かな手、慈悲に満ちた守護の記憶。もう二度と誰も失わせないと、灰の中から立ち上がり、その身を盾として国を、民を、すべてを守り抜こうとする、痛いほど純粋で誇り高い意志。
孤独な支配の闇にいたレオンは、自分に向けられた殺意が真っ直ぐな正義と深い愛情に裏打ちされていることを瞬時に悟り、その光の眩しさに目を灼かれた。
瞬きする間ほどの永遠が、唐突に終わりを告げる。止まっていた時が激流のように押し寄せ、鎖が強制的に断ち切られると、二人は凄まじい衝撃に呑まれ共に後方へと吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
アルヴィンは重い甲冑ごと大地に叩きつけられ、兜が弾み転がった。肺の奥から血の味を吐き出し、激しく咳き込む。
(今のは、何だ……!?)
憎むべき敵。それなのに、なぜ自分は、あの魔導師の孤独に触れ、救いを求めていると感じてしまったのか。憎悪とはまるで異なる感情。まるで、守りたいとすら思ってしまった自分自身への強烈な嫌悪感に、内側で何かが音を立てて決壊した。
「……っ、は……ぁ……」
一方、レオンは地面に膝をつき、肩を大きく上下させながら息を荒げていた。彼を襲ったのは混乱だけではなかった。
(魔力が……鎮まってる……?)
あれほど天地を揺るがす勢いで荒れ狂っていた自らの魔力が、あの騎士の力に触れたことで、嵐が過ぎ去ったかのように鎮静化している。自分以外の力によって、この苦痛が制御された。しかし、自らの魔力が他者の力に屈したという恐怖を上回ったのは、安らぎだ。自分の核を蝕む絡みつく枷を緩めるような、許されざる鎖の隙間が全身に染み渡り、その屈辱すらも緩やかな揺らぎに飲み込まれていくようだった。
その時、両軍の側近が、指揮官である二人の元へ真っ先に殺到した。
「アルヴィン!無事か!」
アルヴィンの元へ駆け寄ったのは、エドリック・ハーヴェイだった。騎士団の副官を務める彼は、吐血したアルヴィンを即座に庇うように立ち塞がり、アグナス側を睨みつけた。
「レオン様!」
「司令官、ご無事ですか!」
ほぼ同時に、レオンの元へ魔導師団の部下たちが駆け寄る。彼らは膝をつくレオンの異常な様子に気づき、即座に魔術障壁を展開、アルヴィンへ報復の魔術を行使しようと殺気立つ。
部下たちの声で我に返り、兜の外れた騎士が自分と同じように顔を歪め、こちらを見つめていることに気づく。想像していた百戦錬磨の怪物とはかけ離れた、自分とそう変わらない——いや、恐らく自分よりも年下であろう。
兜から解き放たれたのは、粉雪のようにきめ細やかな銀髪だった。耳元で潔く切り揃えられ、額にわずかにかかるさらりと落ちる前髪の奥から、透き通ったマリンブルーの双眸がこちらを貫く。まだ青年の柔らかさを残した顔立ちだが、引き結ばれた口元と眉には確固たる意志が宿り、奇妙な焦燥感を覚えた。
レオンは胸の火を爪先で踏み潰し、部下たちへ低く告げた。
「落ち着け。余計な真似はするな」
敵将アルヴィン。報告書上の記号でしかなかったその名を、凛とした実像と重ね合わせ、改めて心に深く刻みつける。
「次は、もっと楽しませてくれよ」
そのまま魔導師団に撤退を命じ、踵を返す。去り際のレオンの横顔に、アルヴィンは確かにあの孤独の影を認めた。エドリックに支えられながら、ただそれを見つめていた。
レオンたちが向かったのは、砦の最奥に鎮座する軍用魔導列車だった。漆黒の装甲を纏った巨大な塊。その心臓部では、高純度の魔晶石が動脈のように怪しく脈動している。王国の魔力と特権を貪り食うその箱は、今のレオンには、口を開けた巨大な棺桶のように映った。
車内へ乗り込んだ瞬間、視界がぐらりと歪み、酷使した膝が支えを失ったようにガクガクと砕け始めた。地に縫い付けられたように重い足へ無理やり力を込め、レオンは地面を踏みしめる。
「……司令官」
「構うな。発車させろ」
気遣う部下を低い声で退け、逃げ込むように専用個室の扉を閉める。遮音結界が展開された、その瞬間だった。
「っ、ぐ……ぅ!」
張り詰めていた糸が切れ、レオンは吸い込まれるように地面へ沈み込んだ。革張りのシートに倒れ込むと、抑え込んでいた脂汗が一気に噴き出し、全身が軋む。アドレナリンで麻痺していた全身の筋肉が、遅れて悲鳴を上げ始めていた。
「……このまま帝都へ直行とはな。まったく、人使いが荒すぎる」
空は、西へと傾きかけていた。射し込む強烈な西日が、遮光された厚いガラスをぎらりと黄金に染め上げる。その眩しさに流れる景色は消え失せ、代わりにあの騎士の横顔が硝子に焼き付いているような錯覚を覚えた。見る者を飲み込まんとするほどの、強烈な意志を宿した表情。そして、剣を交えた瞬間に流れ込んできた他者の記憶。
考えるべきことは山ほどあった。あれは一体何だったのか。なぜ、彼と自分の記憶が共鳴したのか。思考を巡らせようとしたが、限界を超えた意識が重力に引かれるようにカクリと沈む。革張りの背もたれに無造作に頭が落ち、視界は急速に闇に塗り潰されていく。深い眠りの底へ沈んだレオンを乗せ、鉄の箱は国王の待つ帝都へと、ただひた走るのだった。
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