【R18 / ファンタジーBL】氷炎の鎖

黄金便座

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第二章:葛藤と画策

2-2. 硝子の安らぎ

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 レオンは長い廊下を歩き始めた。ほんの数歩で、思わず廊下の壁に手をついた。激しい戦闘の負荷に耐えかねて、体中がズキズキと脈打ち、ローブが地肌を擦るたび、針で刺されたような痛みが走る。

(クソ……あの騎士の鎮静がなければ、今度こそ、暴走に内側から食い破られていたんじゃないのか?何かがおかしい——俺の意志とは無関係に、薪をくべ続けているような……これが、母の力だというのか?)

 本来なら、肉体の成熟と共に安定し、やがて衰えるのが魔導の理のはずだ。だが、ここ数年の力の奔流は、その法則を嘲笑うかのように加速している。

 自分の体でありながら、得体の知れない違和感。いつか制御不能の破綻が起きるだろう。しかし、結果としてまたしも生き延びてしまった。死ぬことすら許されない身体が重くのしかかり、意識の端で処理しきれないノイズがチカチカと点滅した。

(それに、あれは一体なんだ。あの騎士の記憶が泥のように俺の中に混ざり込んで……なぜ、そんなものが?)

 帰りの列車で意識を手放してしまった分、せき止めていた思考が一気に押し寄せてくる。敵の感情が、まだ自分の中に残っている。あまりに多くの混沌を抱え込み、脳が沸騰し蒸気を上げているようだ。

 足を止め、先程降り掛かった赤ワインを指で拭う。湿気を含み重くなった前髪が、肌にべっとりと張り付く。鼻孔を突くのは、熟成された葡萄の香り。本来なら、グラスを傾け陶酔に浸るはずのその芳醇な香りが、今は脂汗と混じり合い、吐き気を催す異臭にしか感じられない。

(最悪だ。この香りを、二度と心地よいとは思えないだろうな)

 好物だったはずの香りが、屈辱の記憶と結びつき、生理的な嫌悪へと変わっていく。その不快を打ち消すように、ふと先ほど味わったばかりの感覚が蘇る。あの戦場で、あの騎士に、無理やり魔力を凍結させられた瞬間のことだ。本来なら屈辱でしかないはずの強制的な鎮静。だが、その時訪れたのは初めて味わう背筋が痺れるほどの甘美な安らぎだった。

 ――ああ、欲してしまいそうだ。この苦痛を消し去ってくれるなら、手段など何でもいい。あの強引な冷気で、もう一度この身を貫いてほしい。肌を這うように広がる凍てつく快楽に、震えながら溶け込んでしまいたい。それは、毒のように甘く、禁断の渇欲だった。

 その時、思考の澱みを裂くように、慌ただしい声が届いた。

「し、司令官!」

 廊下の向こうから駆け寄ってきたのは、まだ魔導院の学生であるシン・シーデだ。あまり見慣れぬ皇城の空気に萎縮しているのか、肩をすくめている。その細い腕には、身の丈に合わない厳重な封印が施された書物が抱えられていた。

「シン……?なぜ学生のお前が、こんなところに、しかもこんな時間に?」
「あ、はい。実は、王都へのヴァルド様の同行を、今回僕が志願したんです。かなり前ですが、特別に皇城への出入り許可の刻印をいただいていたんです」

 シンがほんの少し魔力をこめると、華奢な手の甲には複雑な幾何学模様が青白く浮き出た。本人の魔力回路に直接干渉して認証するこの印は、押された者に焼けるような不快感を与えるため、人権を無視した強引な手法として悪名高かったが、同時にヴァルドがその魔導技術を認め、機密性の高い場所への出入りを特別に許可した者にのみ直接施される特級の身分保証の証だった。

「叔父上が……すまない、シン。いくら優秀とはいえ、まだ学生の君にまで、こんな不快な印を強いるとは……」
「い、いえ!今は痛みはありませんし、それにヴァルド様の仕事を隣で見れるいい機会でしたので」

 抱えている記録媒体に視線を落とし、続ける。

「今回の戦闘データはあまりに膨大で……。『移動中の列車内で、ノイズデータの除去と予備解析を完了させろ』と」
「データの解析だろう?だが、研究所には正規の職員が山ほどいるはずだ。そもそも、今回の同行、なぜ学生のお前が?」

 もっともな疑問だ。重要機密を扱う任務なら、信頼できる側近に任せるのが筋だろう。しかし、シンは恐縮するように答えた。

「はい。ですが現在、正規の研究員の方々は、砦に残って戦闘痕の事後処理や、本局での大規模解析で手一杯な状態でして……」
「なるほど。人手が足りないから、移動中の解析程度なら学生でも構わない、と?」
「ええ。それに……手前味噌ですが、ノイズ除去の演算速度に関しては、僕のほうが正規の方々よりも効率的だと、ヴァルド様が認めてくださいましたので……」

 それは事実だった。ヴァルドは徹底した合理主義者だ。身分が学生だろうが、正規職員より速く正確に処理できるなら、迷わずそちらを使う。シンはその実力を示し、自ら志願することでこの座を勝ち取ったのだ。

「……そうか。叔父上は徹底した実力至上主義だ。お前が正規の連中を追い抜いたなら、喜んでこき使うだろうな」

 呆れつつも、口元をわずかに緩めた。過酷な任務だが、自ら見出した教え子が、その才能を認められ、正規の研究員すら凌駕している事実は、純粋に誇らしかった。

「おかげで最新のデータ解析を間近で学べる好機を得られました!」

 そう言って、シンは少し照れくさそうにはにかんだ。

「それに、明日の午後に研究所へ戻る定期輸送列車の手配が取れましたので。発車までは自由時間ですし、久しぶりに帝都で靴でも買って帰ろうかと思いまして」

 その等身大の言葉に、頬が完全に緩む。中身はまだ年相応の学生なのだと、安堵したのだ。その時、シンの表情がふと引き締まり、こちらを真っ直ぐに見据えてきた。

「ところで、司令官、ご無事ですか?まるで……無理をされているように見えますが」

(やはり……勘が良いな)

 激痛を意志の力だけでねじ伏せ、微塵も表には出していないつもりだった。だが、目の前の学生は優秀すぎる。尊敬する上官の些細な不協和音も、その明晰な頭脳は見逃してくれないらしい。自分の弱さが露呈した事実に焦りを覚えつつ、いつもの余裕めいた笑みを無理やり貼り付けた。

「心配無用だ。陛下がお戯れにワインを振る舞おうとしてな。その相手で少し疲れただけさ」
「ですが……」

 シンはそっと身をかがめ、顔を覗き込んでくる。深い紫の絹糸のような髪が滑らかに揺れ、レオンの肩をかすめた。室内灯の微かな光を吸い込んだ黒曜石のような瞳が、不安げに波打つ。

 この純粋な存在に、己の内なる宿命の影を見抜かれたくなかった。

「いいから。お前は余計なことを案じるな。」

 そう言って、肩を優しく叩く。その温かい接触といつもの声に安堵を覚えるも、先程見た苦悶の傷跡に不安を拭いきれないらしい。

「お前は、この王国の、そして俺の希望なのだから。……明日はいい靴が見つかるといいな。おやすみ。」

 そう言って、軋む身体を騙しながら、重い一歩を踏み出した。背後から聞こえる、控えめな足音が遠ざかっていく。その音を聞きながら、ふと、シンとの出会いを思い出していた。瓦礫と泥にまみれ、絶望の中で怯えていた命。気まぐれに拾い上げたその手が、今は普通の学生として、ペンを持ち、未来を掴もうとしている。

 それだけで、自分の薄汚れた兵器として生きる意味も、身体を蝕む激痛も、今日という日の狂騒も、それだけで報われる気がした。

 自分の本当の姿をすぐに忘れてくれる事を願いながら、再び長い廊下を歩き出す。
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