【R18 / ファンタジーBL】氷炎の鎖

黄金便座

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第二章:葛藤と画策

2-3. 孤独の調律(R)

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 シンと別れたレオンは、待機していた護衛用の高速魔導列車へと乗り込んだ。軍幹部専用の特別車両。重厚な防音扉が閉まると、世界から音が消える。

 革張りのシートに深く沈み込んだ向かいには、すでにその男が座っていた。魔導研究の最高権威、ヴァルド・キニス。組んだ足の上で分厚い資料を広げていたが、レオンが入ってくると、獲物を捉える爬虫類のような、粘りつく視線をゆっくりと這わせた。

「……遅かったな。別れは済んだか」
「申し訳ありません。……少し手間取りました」

 表情を殺し、対面の席に座る。列車が滑るように動き出すと、窓外の帝都の灯りが流れる光の帯となって二人を照らし出した。

「どうだ、身体の調子は」
「問題ありません。少し、熱が残っている程度です」

 淡々と答えると、ヴァルドは組んでいた足を解き、資料を閉じた。そして、眼鏡の位置を直しながら、労るような、それでいてどこか嘲るような声色で告げる。

「酷い顔色だ。……まだ、陛下に浴びせられた罵声を気に病んでいるのか?」

 びくりと肩を震わせ、視線を伏せた。謁見の間での屈辱。ワインを浴びせられ、罵られた記憶が蘇る。

「……いえ。私の慢心が招いたことですので」
「フン。愚直なことだ。あの男の癇癪など、いちいち真に受ける必要はない」

 つまらなそうに鼻を鳴らし、男は続けた。

「あれは期待の裏返しだ。お前という力があまりに強大で、代わりが利かないからこそ、完璧以外を許せないのさ。……喜べ、レオン。お前はそれだけ、王国にとって……いや、私にとって価値ある存在だということだ」

 優しい言葉だが、その響きには体温がない。人間として愛されているのではなく、道具として高く評価されていると言われているに過ぎない。けれど、今の自分にはその歪んだ承認だけが、唯一の救いだった。

「……ありがとうございます、叔父上」
「分かればいい。……どれ、診てやろう」

 ヴァルドが身を乗り出した。細長い指が伸び、顎を強引に上向かせる。

「……っ」

 逃げようとする本能を抑え、されるがままに瞳を晒す。親指が、脈打つ頸動脈を愛撫するようにゆっくりとなぞった。

「脈が速い。それに、妙なノイズが混じっているな」
「ノイズ、ですか?」
「ああ。いつもの暴走寸前の荒々しい熱ではない。もっと異質な、何かに鎮められ、強制的に去勢されたような、奇妙な静けさだ」

 銀縁眼鏡が、室内灯を冷たく反射して妖しく閃いた。その鋭い指摘に、心臓が早鐘を打つ。バレているのか? あの戦場で、敵国の騎士に、不可解な安らぎを得てしまったことが。

「……そうですね。ノイズは認めます。この過酷な公務の連続は、精神系統の摩耗を補いきれません。単なる神経の過剰負荷です。すぐに復旧します」
「フン。ならいいがな」

 興味を失ったように手を離し、シートに背を預けた。だが、その視線は蛇のように絡みついたままだ。

「明日の予定は?」
「溜まっている決裁書類を片付けます。午後からは空けてありますが」
「よし。では明日の午後、第1研究室へ来い。その汚れた回路を、私がきれいに洗浄してやる」
「……承知しました」

 窓外に流れる灯火へ、自らの意識を投げ打つように視線を向けた。この箱は、いつも逃げ場のない檻へと運ばれる護送車だ。豪華な特別車両などではないと、内心で自嘲した。



 時刻は早朝。魔導研究都市の幹部宿舎に辿り着いたのは、深夜1時を回った頃だった。身体は重く、休息など全く取れていないにもかかわらず、緊張感だけが彼をいつもの時間に叩き起こす。

 不快感を上回るのは、肌にこびりついた汚れだった。戦場の脂汗と、赤ワインの甘ったるい臭気が絡み合い、屈辱の記憶のようにレオンを責め立てる。

 洗い流さず眠りに落ちてしまったことを後悔し、深い溜め息を吐いた。唇を噛みながら、一刻も早くこの異物を剥ぎ取るためバスルームへ急ぐ。シャワーを熱めに設定し、勢いよく叩きつける湯を浴びた。皮膚が赤く染まるほど、強く擦る。

 余計な感情も、すべて流し去りたかった。だが、濯ごうとすればするほど、あの騎士の魔力に触れた感覚が蘇る。芯から侵食する猛りは、屈辱的な快感となって制御不能に膨らんでいった。

 自己嫌悪と背徳の高揚が混ざり合い、無意識に、自分の中心へ手を伸ばしかける。

「……っ、やめろ」

 濡れた手のひらを強く握りしめ、爪を食い込ませる。痛みで昂りをねじ伏せ、歯を食いしばった。乱暴に湯を止めると、滴る水も構わずに素早く軍服に着替える。

 端麗な容姿に反して、その身支度には一切の関心がない。鏡の中には、作り慣れた司令官の顔だけ。自分の外見など、それ以外に必要性を感じたことがなかった。

 窓を突き破るように差し込んだ朝の光が、部屋の闇を押し込める。机上には、趣味であるボトルシップと愛用の工具が、鋭く光を反射していた。

 しかし、今は没頭する時間すらない。不在の間に溜まった書類を、機械のような正確さで処理していく。部下を無駄死にさせないための冷徹な判断。この公務だけが、彼に残された数少ない贖罪だった。

 昼過ぎ、最後の一枚にサインを終えてペンを置く。壁の時計が約束の時間を告げていた。

「……時間か」

 立ち上がり、照明を落とす。向かう先は、宿舎の地下通路で繋がっている第1研究棟。彼を修理し、管理し、支配する創造主の元へ。

 魔力認証パネルに手をかざすと、警告めいた赤色に発光し、重厚な防音扉が開いた。冷気に満ちた特別研究室。消毒液の臭気と、魔導心電計の電子音だけが支配する無機質な空間。その中央で、ヴァルド・キニスが待ち構えていた。

「遅かったな、レオン。……仕事熱心なのは結構だが、お前の身体は私だけの所有物ではないのだぞ」

 白衣を纏った男が、底冷えする目をすっと細める。無言で上着を脱ぎ、シャツのボタンを外した。

「さあ、台へ」

 硬い手術台に仰向けになると、ゴム手袋をはめた指が胸板を這う。冷たい感触が無機質に肌をなぞった。

「……酷い過熱ぶりだ。制御が効いていない証拠だな」

 魔力を受けた瞬間、鎖骨下の皮膚から青白い光が放たれ、複雑な紋様が浮かび上がる。ヴァルドの支配の刻印であり、魔力回路への鍵穴だった。

 男は傍らのトレイから、粘度のある薬剤を手に取った。上半身に乱雑に塗りたくられる。冷たく粘つく液体が鎖骨の窪みを伝い、胸筋の谷間を滑り落ちる感触に、思わず背筋が泡立つような嫌悪感を覚えた。

「っ……」

 特殊な小型機器が、薬剤の上から胸部を滑る。機械が肌をなぞるたび、神経はゾクゾクとした浅ましいざわめきを訴えた。

(……相変わらずこの作業は気持ち悪い。この感触も、身体の隅々まで暴かれている屈辱も、何もかも)

 無感情を装いながら、視界の隅で映像を捉える。血管壁に沿って散り散りに張り付く魔力源の欠片――かつて母に埋め込まれた幽晶石の残骸が鮮明に映し出されていた。

「第3頸動脈周辺の魔力流のノイズが特に激しい。血管が熱に耐えきれず閉塞を起こしている証拠だ」

 ヴァルドが探針を手に取った。鎖骨下の刻印へ迷いなく先端を差し込み、ロックする。

「よし。魔導連結器ロック完了。調律を開始する」

 高濃度の魔力安定剤が流れ込んだ。物理的な痛みではない。血管が強制的に修復され、生かされているという背徳的な痛みだった。

「力を抜け。筋肉が収縮していると、薬剤が血管に浸透しない」
「は、い……」

 胸の奥が焼け、熱い塊が逆流するように押し寄せると、ドクン、と心臓が跳ねた。ヴァルドの指が胸板をぐっと押し込み、浸透を促す。

 灼熱の液体は全身へと分岐し、肩から腕、腹部、そして内腿の奥まで――まるで溶けた鉛を注がれるような重圧となって広がった。血管が書き換えられ、支配者の手で維持されているという、屈辱と快楽。

 滞っていた回路が通じた瞬間、脳髄を溶かすような痺れが炸裂した。衝撃に筋肉が大きく跳ね、唇からは押し殺した吐息が漏れる。遮断されていた感覚が一気に流れ込み、脳内で快楽物質が暴発した。

「いい反応だ。……感じるか、レオン? 私の指が、お前の血管の一本一本を直接撫でているのが」

 耳元で甘く囁きながら、まるで恋人の内側を弄るように、繊細かつ傲慢に魔力を操る。逃げ場のない体内への侵入。

「高濃度の安定剤が神経を灼く感覚に耐えながら、お前は何を考えている? 薬液の浸透圧か? それとも、変異していく己の組織の断末魔か?」

 流し込む密度が跳ね上がる。レオンの身体は寝台の上で激しくしなった。

「……あ、が……っ、は……あ……」

 溶かされるような激痛が、逃れようのない悦びへと書き換えられていく。白む視界の中、拒絶したい心に反して、身体はヴァルドの指先に縋るように波打った。

 血の混じった唾液を零し、狂おしい喘ぎを吐きながら、壊れかけた意識で言葉を絞り出す。

「……安定剤の……濃度が、高すぎる……。神経の……焼き付きを抑えたいなら……触媒の配合を……あと二割ほど、薄めるべきで、は……?」

 手が、ピタリと止まった。眼鏡の奥の光が鋭く尖り、やがて、その唇にゾッとするような愉悦の笑みが浮かぶ。

「……ほう。教えた覚えはないが、この苦痛の中で自らの肉体を読み解いていたのか。さすがはアリエスの息子だ。学者の端くれだった男の血か……泥棒のように他人の知を掠め取ることだけは一流だな」

 濡れた髪を乱暴に掴み、その耳元に再び唇を寄せた。

「だが、いいだろう。その呪われた知性こそ、私の技術を継承するに相応しい。お前が理解を深めるほど、お前は私の一部となっていくのだからな」

 濁った視界で仰ぎ見るが、言葉を返す気力は残っていなかった。自分を蝕むこの知識が、そして指先に残る淫らな熱が、いつか存在を完全に塗り潰してしまうのではないか。その底知れぬ恐怖に震えることしかできない。

「よし。神経伝達速度、正常値へ復帰。……起きなさい」

 荒い息を吐きながら、気怠げな身体を起こした。ヴァルドが乱れた髪を冷たい指で掬い上げ、銀細工の魔導灯を瞳に差し向ける。

「顔を上げろ。瞳孔反応を見る」

 強い光に目を細めたが、顎を固定されて逃げられない。

「……感度良好。水晶体の濁りもなし」

 目元を愛おしげになぞる。だが、その視線は彼自身を見てはいなかった。

「お前の目は、ステラと瓜二つだな」

 うっとりとした声に、背筋が凍りつく。自分が「器」でしかないことを突きつける、呪いの言葉。

 男は満足げにライトを消した。レオンは冷たくなった薬剤を拭き取り、伏し目がちにシャツを羽織る。ボタンをとめる指先は、思うように動かなかった。

「感謝いたします……叔父上」
「ああ。ところでレオン。シルスで行われる、一時停戦協定の署名式の件だが」

 シャツを羽織りかけた手が止まる。

「イーゼンの『魔力凍結』を持つ騎士たちが来るらしい。お前という圧倒的な熱量を前にして、彼らの氷がどれほど役に立つのか……実地試験には絶好の機会だろう?」
「……戦うのですか? 和平の席で」
「まさか。ただそこに立って、睨みを利かせるだけでいい。私の作り上げた『雷槌』の威光を、愚かな旧時代の騎士たちに見せつけてやりなさい」

 平和への署名式すら、この男にとっては実験の場でしかない。胸の奥で微かな拒絶を覚えたが、それを表情に出すことは許されなかった。

「……はい。承知いたしました、叔父上」

 一礼をして研究室を後にする。その首には、慈悲という名の見えない鎖が、より一層強く、きつく巻き付いていた。

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