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5.愛おしい彼との時間
006
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(side 輝)
「冬馬くん。わたし、今日は……ひとりになりたくない」
あのとき、わたしの心はぼろぼろだった。佐野先生との再会で、こんなにも苦しくなるなんて思ってもみなかった。失恋直後ならまだしも、社会人となってそれなりに時間が経っていたので、甘酸っぱい過去の思い出として流せるようになっていると思っていたのに。
その日、冬馬くんを初めて部屋にあげた。正直、男女の仲になるつもりではなかったけれど、冬馬くんに抱きしめられたときにかまわないと思ったから、そのまま抱かれた。
わたしのことを全部知っている冬馬くんだったから、洗いざらい自分をさらけ出すことができたんだと思う。
久しぶりに味わう男の人の肌の感触は、わたしの心を落ち着かせてくれた。カラダの喜びというものを素直に感じた。
冬馬くんにとっては、たくさんいる女の子のひとりとの、なんてことのない行為なのだろうけれど、わたしにとっては大切な時間だった。
◇◇◇
いまはもう佐野先生に未練はない。スマホに保存してあった唯一の写真も削除した。いまは毎日冬馬くんのことばかり考えている。会社で見かけたら、つい目で追ってしまうし、話をすれば、しばらくはうれしさで舞いあがってしまう。
わたしのこんな気持ちを知ったら冬馬くんはどう思うだろう。やっぱり困らせちゃうかな。
あの日以来、冬馬くんと一緒に夜を過ごすことが多くなった。冬馬くんはふらりとやって来てはわたしの部屋に泊まっていく。だからいつ来ても大丈夫なように合鍵を渡した。
これは誰にも内緒の関係。恋人同士じゃないから、ほかの人には言えない。
今夜も冬馬くんはわたしのアパートにやって来た。香水のにおいをプンプンさせ、わたしの部屋に朝帰りしたのは今朝のこと。二日連続で泊まりにくることはそう珍しくない。
冬馬くんはスーツを脱ぐとシャワーを浴び、スウェットに着替え、テレビを見ながらわたしが作った夕飯を食べる。いつもだいたいこのローテーション。歯ブラシやひげそりはもちろん、替えのワイシャツとネクタイもわたしの部屋に常備していて、知らない人が見たら同棲カップルそのままだ。
情報番組を見ながら冬馬くんが言った。
「こいつ、すげえよな。この前はファッション誌のモデルで次は女優か。たしかに男から見ても格好いいけど、こう立て続けだとイメージダウンは避けられないな」
番組の内容は芸能コーナー。冬馬くんはお味噌汁をすすりながら、興味深そうにテレビに見入っていた。
「見た感じ、性格も悪そうだなあ。輝もそう思わない?」
「……わたしは思わないけど」
「ふーん。輝はこういう男もタイプなのか」
「別にタイプってわけじゃないよ」
「こいつ、たしかベースのやつだよな? 五人組のバンドの。こいつの名前なんだっけ?」
「サイジ」
「そうそう! サイジだ。なんだよ、なんだかんだ言いながら好きなんじゃん」
あのサイジさんだった。
ナリたちのバンドはデビューして二年後に音楽界のトップクラスの地位に登りつめた。最初は男性ファンが多かったが、テレビの音楽番組出演を機にビジュアルや音楽性が二十代から三十代の女性に受け、いまや絶大な人気を誇っている。
それと同時にサイジさんが写真週刊誌の女性スキャンダルで取りあげられるようになった。ちなみにファッション誌のモデルの前はキー局の人気女子アナとの深夜デートの現場で、なんと路チューまで激写されていた。
女性からの支持が高いバンドなので、このままだと冬馬くんの言う通り、イメージダウンは避けられない。
でもサイジさん。この女の人たちとは本気の恋なんだよね? そう信じていていいんだよね?
それともサイジさんは実紅さんのことをいまだに引きずっているのかな。もしそうならば、わたしのせい。サイジさんを苦しませてしまった責任を感じずにいられない。
「輝?」
「え?」
「どうしたんだよ? ぼーっとして」
「ううん、なんでもない。少し眠いだけ」
「じゃあ、今日は早いとこ寝るか。輝が元気なうちに」
「その言い方、いやらしい」
番組はスポーツコーナーに移っていた。
冬馬くんは食事を終え、「ごちそうさま」と箸を置く。「うまかった」と満足げに笑みを浮かべた。
いつもモリモリ食べてくれるので作り甲斐がある。好き嫌いもほとんどないし、焼き魚や煮魚の食べ方も上手で、骨だけ残してきれいに食べる。食べ終わった食器もシンクに運んでくれるし、洗い物も手伝ってくれる。ついでに資源ゴミの分別も完璧。女性関係はだらしないのに家のなかの細かい生活部分がちゃんとしているのは、お母さんの躾の賜物なのかな。
冬馬くんと過ごす時間は、地味で平和でとても愛おしい。わたしはサイジさんのことは考えないようにした。いまは冬馬くんとの時間を堪能していたい。
「冬馬くん。わたし、今日は……ひとりになりたくない」
あのとき、わたしの心はぼろぼろだった。佐野先生との再会で、こんなにも苦しくなるなんて思ってもみなかった。失恋直後ならまだしも、社会人となってそれなりに時間が経っていたので、甘酸っぱい過去の思い出として流せるようになっていると思っていたのに。
その日、冬馬くんを初めて部屋にあげた。正直、男女の仲になるつもりではなかったけれど、冬馬くんに抱きしめられたときにかまわないと思ったから、そのまま抱かれた。
わたしのことを全部知っている冬馬くんだったから、洗いざらい自分をさらけ出すことができたんだと思う。
久しぶりに味わう男の人の肌の感触は、わたしの心を落ち着かせてくれた。カラダの喜びというものを素直に感じた。
冬馬くんにとっては、たくさんいる女の子のひとりとの、なんてことのない行為なのだろうけれど、わたしにとっては大切な時間だった。
◇◇◇
いまはもう佐野先生に未練はない。スマホに保存してあった唯一の写真も削除した。いまは毎日冬馬くんのことばかり考えている。会社で見かけたら、つい目で追ってしまうし、話をすれば、しばらくはうれしさで舞いあがってしまう。
わたしのこんな気持ちを知ったら冬馬くんはどう思うだろう。やっぱり困らせちゃうかな。
あの日以来、冬馬くんと一緒に夜を過ごすことが多くなった。冬馬くんはふらりとやって来てはわたしの部屋に泊まっていく。だからいつ来ても大丈夫なように合鍵を渡した。
これは誰にも内緒の関係。恋人同士じゃないから、ほかの人には言えない。
今夜も冬馬くんはわたしのアパートにやって来た。香水のにおいをプンプンさせ、わたしの部屋に朝帰りしたのは今朝のこと。二日連続で泊まりにくることはそう珍しくない。
冬馬くんはスーツを脱ぐとシャワーを浴び、スウェットに着替え、テレビを見ながらわたしが作った夕飯を食べる。いつもだいたいこのローテーション。歯ブラシやひげそりはもちろん、替えのワイシャツとネクタイもわたしの部屋に常備していて、知らない人が見たら同棲カップルそのままだ。
情報番組を見ながら冬馬くんが言った。
「こいつ、すげえよな。この前はファッション誌のモデルで次は女優か。たしかに男から見ても格好いいけど、こう立て続けだとイメージダウンは避けられないな」
番組の内容は芸能コーナー。冬馬くんはお味噌汁をすすりながら、興味深そうにテレビに見入っていた。
「見た感じ、性格も悪そうだなあ。輝もそう思わない?」
「……わたしは思わないけど」
「ふーん。輝はこういう男もタイプなのか」
「別にタイプってわけじゃないよ」
「こいつ、たしかベースのやつだよな? 五人組のバンドの。こいつの名前なんだっけ?」
「サイジ」
「そうそう! サイジだ。なんだよ、なんだかんだ言いながら好きなんじゃん」
あのサイジさんだった。
ナリたちのバンドはデビューして二年後に音楽界のトップクラスの地位に登りつめた。最初は男性ファンが多かったが、テレビの音楽番組出演を機にビジュアルや音楽性が二十代から三十代の女性に受け、いまや絶大な人気を誇っている。
それと同時にサイジさんが写真週刊誌の女性スキャンダルで取りあげられるようになった。ちなみにファッション誌のモデルの前はキー局の人気女子アナとの深夜デートの現場で、なんと路チューまで激写されていた。
女性からの支持が高いバンドなので、このままだと冬馬くんの言う通り、イメージダウンは避けられない。
でもサイジさん。この女の人たちとは本気の恋なんだよね? そう信じていていいんだよね?
それともサイジさんは実紅さんのことをいまだに引きずっているのかな。もしそうならば、わたしのせい。サイジさんを苦しませてしまった責任を感じずにいられない。
「輝?」
「え?」
「どうしたんだよ? ぼーっとして」
「ううん、なんでもない。少し眠いだけ」
「じゃあ、今日は早いとこ寝るか。輝が元気なうちに」
「その言い方、いやらしい」
番組はスポーツコーナーに移っていた。
冬馬くんは食事を終え、「ごちそうさま」と箸を置く。「うまかった」と満足げに笑みを浮かべた。
いつもモリモリ食べてくれるので作り甲斐がある。好き嫌いもほとんどないし、焼き魚や煮魚の食べ方も上手で、骨だけ残してきれいに食べる。食べ終わった食器もシンクに運んでくれるし、洗い物も手伝ってくれる。ついでに資源ゴミの分別も完璧。女性関係はだらしないのに家のなかの細かい生活部分がちゃんとしているのは、お母さんの躾の賜物なのかな。
冬馬くんと過ごす時間は、地味で平和でとても愛おしい。わたしはサイジさんのことは考えないようにした。いまは冬馬くんとの時間を堪能していたい。
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