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「…だから、もう無理に外にいく理由はないよね」

 ガトーは立ち尽くす私の手をとりベッドへと誘導する。
 私は、されるがままにベッドまで行き、甘いケーキの匂いに満ちたそこに腰を下ろす。彼はそんな私を見ると、ほっとした顔をしてそのまま部屋から出ていこうとする。

「…なんで?」
「なんでって…なにが?」

 振り向いたガトーはゆったりとした歩みでベッドの前まで戻ってくると、ベッドに座る私に対してかがむことなくその長身で見下ろす。

「なんで、火事を…」
「だって、グレーテルが望んだ。グレーテルが…なにか起きたら、村を助けてって…」
「そうじゃないです。そうじゃなくて…なんで、火事を防いでくれたことを…黙ってたんですか」
「…忘れてた、伝えるの…」

 ガトーが?几帳面で真面目なガトーが?忘れる?そんなことあるのか?…そんなこと、あると思えない。
 それよりはガトーがとりあえず私をベッドに戻すために、適当な嘘をついていると考えたほうがまだ現実味が…いやそれも恐らくない。彼は嘘がつけるようなタイプではないし、彼が嘘をついているようには思えない。
 だとすると、やはり彼が意図的に…

「私が…気にしてるの知ってましたよね?」

 彼を下から睨みつけるようにしながら尋ねる。

 だって何度も聞いた。約束を覚えているかって。
 ちょっと不自然かもしれないとは思ったけれど、不安に頭を支配された私は「約束」にすがるしかなかった。

「…うん」
「だったらなんで…」
「…きみはすごく、村のことを気にするね」
「…」

 まずい。
 熱くなっていた鉄に氷水をかけた時のように、一瞬にして脳と肝がヒヤリと冷える。

 そして今更ながら、ガトーの心配に多少の不信が絡まる視線に気づく。これまで彼から向けられてきた全幅の信頼とは全く、違う、感情。

 …さすがにこれは、これ以上深く追求するのは危険だ。
 そもそも、よく考えてみたらここでガトーを詰めるのはおかしな話かもしれない。
 私があんなに不安がっていた火事の件について黙っていたことは少々酷いかもだが、一応彼は村を救ってくれたのだ。なんの見返りもないにも関わらず。むしろ私は彼に感謝するべきだろう。
 
「その…」

 べき、だが…

「…騒いで、すみません…。疲れたので、寝ます…」

 やはり今は素直に感謝する気にはなれないし、このタイミングで突然お礼を言うのもおかしいだろう。
 もちろん、村を助けてもらったことはありがたいし、あとでまた落ち着いたら感謝は絶対に伝える。でもやっぱり、今お礼を言うのは色んな意味でなんか違う。
 だから、今は寝る。寝て、次起きた時の私に全部任せる。このタイミングで寝るとか言い出すのも、それはそれでおかしいかもしれないが、そのおかしさも明日の私に誤魔化してもらう。謝罪しただけマシだろう。

「…そっか」

 私のその言葉を聞いたガトーは、まとう空気と目元を少々和らげ私の前を退いた。

 そして、カーテンを閉めて部屋を暗くすると、おやすみなさい…と一言告げて部屋を出ていく。

 …パタン、と扉が閉まると、途端に部屋に静寂が満ちる。

 そして胸に広がる「やってしまった」の言葉。
 ガトーのあんな顔も視線も見たことなかった。もしかしたら、私は…彼だったら何を言ってもなにをやっても私のことを信じてくれると…甘えていたのかもしれない。もしくは、タカを括っていた。でも…無条件の信頼なんてあるわけなかった。だって、ガトーは私の母親でもなんでもない。それなりの言葉と行動あっての信頼だ。

 今からでも彼に感謝か先ほどの言動の言い訳をしに行くべきだろうか。…いや、やっぱりそれは不自然だ。あの場では謝罪が限界だったし、今もそれは一緒だ。
 …とにかく、明日なるべくさりげない感じで感謝と言い訳を伝えよう。そして、しばらくは足の治療に専念して、なるべく不審な行動をしないようにしよう。とりあえず火事は防げたのだから、これからは…

 __これから?

 これから、ってなんだ。
 だってもう火事は回避されて、村は救われ、私の仕事は終わった。私はもうガトーに囚われる必要はないし、この家にいる意味ももうない。彼の信頼を失わないようにする必要ももちろんない。
 …でも、だからって私は…すたこらさっさとガトーとの生活を捨てて、村にとっとと帰るのか?私の願いはかなったからもう用はないと…これまで散々よくしてもらって、命すら救ってくれた彼を…まるで使い捨てのおもちゃみたいに投げ捨てて…帰るのか?

 考えても、考えても答えの出ない問いが無限に浮かんできて私を問い詰める。
 でも、答えなんかやっぱり出せるわけもなくて、無為に問いだけが積み重なっていく。


 しばらく前の私が恐れ続けていた、火事が起きた「その後」が…音もなく私の隣に立っていた。






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