月の光と惚れ薬

はるきりょう

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なんて、幸せなんだろう

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 セシリアが来なくなったあの日から5日が経過していた。いつもどおりの日々。クロードは窓の外を見つめる。太陽が隠れ、外は静まり返っていた。黒い空に黄色のまん丸な満月が輝いている。

 「ホー」と鳴くフクロウの声が聞こえた。その声に立ち上がると、クロードは扉のカギを外した。次の瞬間、扉が勢いよく叩かれる。

「開いてる」

 それだけ告げた。すぐに扉が開く。入ってきたのはリディだ。急いで出てきたのか髪が乱れている。

「クロード様!!」

 叫ぶように名前を呼ばれた。泣きそうな顔のリディに嫌な予感が浮かぶ。

「どうした?」

「…セシリア様が…いないのです」

「は?」

「今日は部屋でゆっくりするからと、早い時間に部屋の中に入られて。…けれどどこか様子がおかしかったので、そのあと見に行ったのです。そしたら部屋にいらっしゃらなくて」

「どういうことだ?」

「わかりません」

「…お嬢様の行きそうなところは?」

「すべて回りました。けれど、どこにも」

「…悪いがここにもいない」

 クロードの言葉にリディは倒れそうになった。それをクロードが支え、椅子に座らせる。

「…どこに…いかれたのでしょう。もしかして、…誘拐?」

 顔を青くするリディの肩をクロードは軽く叩いた。

「落ち着け。ハプス家の警備はしっかりしているはずだ。部外者なんて入れない」

「じゃあ、どうして…?」

「お嬢様の意志でどこかに出かけたと思うのが妥当だろう」

「でも、どこに?」

「…ロランというやつのとこは行ったのか?」

 リディは首を横に振った。

「話しを大きくしない方が得策かと思い、信頼できるものにしか話していません。それに、…きっとセシリア様はロラン様のところへは行きません。ご自分の意志では」

「だって、婚約者だろ?」

「親が決めた婚約者です」

「でも、選んだのはお嬢様だ」

「ええ。…けれど、仕方なくです」

「え?」

「お嬢様が想っているのはクロード様ですから」

「…」

 リディの言葉にクロードは視線を逸らした。けれどリディは言葉を続ける。

「クロード様はご存知だったでしょう?セシリア様が想っていたのはクロード様、あなたです」

「…でも、ロランというやつを選ぶことにしたと、お嬢様が言ったんだ」

「選んだのではありません。選ばされたのです」

「どういうことだ?」

「レリア様が、自分があなたの婚約者だと言ったからです。だから、セシリア様はロラン様を選ぶことにしたのです」

「レリアが?」

 クロードは驚いたような声を上げた。リディは頷く。

「なんでレリアが?あいつは妹みたいなもんだぞ?」

「あなたにはそうでも、レリア様にはクロード様は兄ではなかったのですよ」

「…」

「だからセシリア様は、望まない結婚をすることに決めたのです。…愛していない人を、愛するふりをしなくてはいけなくなったのです」

「…ちょっと待てよ。……それか」

「え?」

「惚れ薬だ。…ロランってやつを愛するために、採りに行ったんだ」

 クロードは怒ったように拳で机を叩いた。

 どうしてもっと強く抱きしめなかったのだろう。セシリアの気持ちも自分の気持ちにも気づいていたのに。振り払われた手が苦しかった。流れた血が怖かった。

 けれど、それ以上の気持ちで想っていたはずなのに。

「今日は満月。あの花が咲く唯一の日ですね。…でも、確か、夜の森は危険だったはず」

 言いながらリディの顔がさらに青くなる。

「ああ。バカか、あいつは。あそこは行くなって言ったのに!」

 怒鳴るような声を上げた。

「…クロード様。どうか、…どうかセシリア様を助けてください」

 震える声でリディが言う。そのリディにクロードは大きく頷いた。

「ああ。わかってる。あんたはいったん城に戻ってろ。ひょっこり帰ってくることもあるかもしれない」

「わかりました」

「…おそらくお嬢様の単独行動だ。だから、事を大きくするのは得策じゃない。でも、…これは今ある情報を集めた予想でしかない。…1時間だ。1時間で俺たちが戻らなかったらハプス家全員で捜索しろ。それまでは俺を信じてくれ」

「はい。…セシリア様を、どうか…どうかよろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げるリディを背に、クロードは駆け出した。そのスピードはおよそ人間とはかけ離れている。リディは祈るようにその背中を見つめていた。


 月の光がクロードを照らす。身体に違和を感じ、まずいと思った。けれど、すぐにそんなことはどうでもいいと思った。

 夜の森は静かだ。時折吹く風が木々を揺らす。クロードはセシリアの匂いをたどった。

 それと同時に獣の気配を感じ取る。姿を現さないのは相手がクロードだからだ。強い相手の前には野生の本能が働く。けれど、その逆もしかり。セシリアは格好の獲物のはずだ。

 クロードは忙しなく辺りを見回す。

「お嬢様!いるんなら返事しろ。俺だ、クロードだ!」

 声を張り上げ、耳を澄ませた。けれど、聞こえたのは、クロードの声に反応した獣の鳴き声だけ。

「…ここじゃないのか?」

 森は危険だ。リュナが生息しているのは崖の上。嫌なイメージが頭の中に浮かび、背筋がぞっと寒くなる。頭の中に浮かんだイメージを消すように、強く頭を横に振った。

「お嬢様!どこだ!」

 その時だった。小さな悲鳴を有能な耳は察知した。間違いない。セシリアの声。
 それはリュナが生息している崖とは真逆の位置から聞こえた。

 クロードは舌打ちをし、すぐに方向転換する。息が切れるほど必死で走った。月の光のおかげで周りがよく見える。


 見知った綺麗な髪を見たのはそのすぐ後だった。安堵の息を吐きながら足の歩みを緩める。
 「お嬢様」そう声をかけようとして、クロードは言葉を飲み込んだ。狼が2匹、セシリアの背中越しに見える。
 よだれを垂らし、荒い息を繰り返していた。腹を空かせていることがすぐにわかる。

 狼と対峙しているセシリアは、震えていた。後ろに下がろうとするが、恐怖で一歩も動けない。そんなセシリアをよそに、狼は楽しそうに一歩ずつセシリアとの距離を縮めている。

 クロードはぐっと拳に力を込めた。

「そいつを食べるのはやめてくれないか」

 突然の聞きなれた声に、セシリアは顔だけ後ろに向けた。ゆっくりとこちらに近づく人物の姿に一瞬驚く。

「クロード様…よね?…どうしてここに…?」

「なあ、腹が減ってるのはわかる。だけど、こいつはダメだ」

 セシリアを無視し、クロードはまっすぐ狼を見つめた。狼はセシリアに向けていた視線をクロードに向ける。

『…その毛並。ルーブ族だなお前。…そうか、今日は満月か』

「ああ。ルーブ族のクロードだ」

『ルーブ族のお前が、どうしてそいつをかばう?森の中は俺たちの縄張りのはずだ』

「もちろん。森の中に入って、腹を減らしたお前たちの前に現れたこいつが悪いよ。…でも、悪い。こいつは譲れない」

 クロードはそのまま歩みを進め、セシリアの前に立った。そして、かばうように背中に隠す。
 セシリアはわからず、けれど、クロードの背中の服をしっかり掴んだ。背中越しにセシリアの震えが伝わる。クロードは睨むように狼を見た。

『悪いが聞けないな。俺たちは腹が減っているんだ。しかもそんな上玉。譲れと言う方がおかしい。なんならお前も一緒に食べてやろうか』

 一匹の狼が牙を見せつけるように笑った。クロードの目がさらに鋭くなる。

「へぇ、狼ごときで俺に勝てると思ってんの?」

『普通じゃあ無理だろうな。ルーブ族の強さを知らないわけじゃない。しかも今日は満月ときた。けれど、2対1だ。しかも、あんたはその足手纏いのお嬢さんを抱えている。…無事で帰れるかな?』

 にやりと笑う狼にクロードは肩をすくめて見せた。

「…確かに無理かもな」

『そうだろう?なら諦めて、そのお嬢さんを置いていくんだな』

「でも、…こいつは守るよ。俺がどうなろうと」

『そいつの騎士か何かか?』

 狼の言葉にクロードは小さく笑う。

「そんな格好いいものじゃない。ただ、惚れてるだけさ」

「え?」

「…だから、こいつに手を出すなら、容赦しない」

 目が吊り上がった。クロードは牙を見せる。その威圧感に狼が後ずさった。

「どうする?俺は本気だぜ?森の掟なんてどうでもいい。俺は、こいつが守れればそれでいい。死んでも守る」

『…』

「相打ち覚悟の俺に勝てるか?」

『…』

「ここは引いてくれ」

 それはお願いという名の命令だった。狼は顔を見合わせると、すぐにクロードに視線を戻した。

『……2度目はないぞ』

 それだけ言うと、狼たちはクロードに背を向けた。イラつきを隠さない背中が遠くに消える。
 姿が見えなくなるとようやくクロードは安堵の息を吐いた。そしてすぐに後ろを振り返る。

「何やってんだお前は!あれほど危険だって言っただろう!」

 耳が痛くなるほどの声で怒鳴った。セシリアは背中を丸め、頭を下げる。

「ごめんなさい」

 しおらしく頭を下げたセシリアの頭を一度叩いた。

 言いたいことがいっぱいあった。説教だってもっとしなければならない。けれどそれよりも無事であったことが嬉しかった。
 クロードは思わずセシリアに腕を伸ばす。震えているセシリアを包み込んだ。落ち着かせるように綺麗な髪を撫でる。久しぶりのセシリアの匂いが懐かしい気がした。

 優しい手の心地にセシリアの震えは少しずつ止まっていく。
 小さく息を吐うと、そっと顔を上げた。

「…ねぇ、あなた、クロード様よね?」

「ああ。そうだけど。…って分かんないか。こんなに毛が生えてるんだもんな」

 そこにいたのは見慣れたクロードの姿ではなかった。身体中が獣の毛で覆われ、耳は伸び、牙がむき出しになっている。狼と表現するのが一番正しい容姿に変わっていた。
 クロードは微苦笑を浮かべる。

「怖いだろう、悪いな。…ルーブ族の特徴さ。満月の特殊な波長で狼男になるんだ。毛が一気に生えて、耳が伸びる。これがあんたらに恐れられる一番の理由だ」

 セシリアはまっすぐにクロードを見つめた。笑みを浮かべると、首を横に振る。

「怖くないわ」

「…別にいいぜ。本当の事言ってくれても」

「本当よ。…綺麗」

「何が?」

「あなたが」

「このどこが?」

 クロードは伸びた耳に触れた。人間とは言い難いその姿は綺麗とは程遠い。

「その毛並も、目も、耳も。いつもと違うけれど、とっても綺麗よ」

 嘘をついているようには思えなかった。セシリアはクロードの顔に手を伸ばす。獣の毛に触れ、数回撫でた。その様子にクロードは苦笑する。

「この姿を見て、そんなこと言ったのはお嬢様が初めてだよ」

「どうして?こんなに綺麗なのに」

「…俺が綺麗なんじゃなくて、お嬢様の心が綺麗なんだろう」

「そんなことないわ」

「そんなことあるよ。……だから俺はあんたがいいんだ」

「え?」

「俺は、お嬢様がいい」

 セシリアはまっすぐクロードを見つめた。いつもより大きい瞳の中に自分が映る。セシリアは両手でクロードの手を取った。

「…ねぇ、さっきの言葉は本当?」

「さっきのって?」

「惚れていると言ったでしょう?」

「…ああ。本当だ」

 クロードはゆっくり頷く。そんなクロードにセシリアは笑みを浮かべる。

 狼の毛並が綺麗だった。姿が変わっても、目の前にいるのがクロードだとセシリアにはすぐにわかった。目を合わせると胸が高鳴る。
 体温が上がり、けれど目を逸らしたくなかった。こんなにも自分の身体は訴えているのだ。クロードがいいと、クロードではなければダメなのだと。

 セシリアは数秒目を閉じた。やっぱり自分は自由だったのだと思う。だって、自分にはこの人を選ぶ権利があるのだから。セシリアは目を開け、クロードを見た。

「ねぇ、あなたの手をとってはダメかしら?」

「掴んだ手をあんたが離したんだろう」

「ええ。だって、クロード様はルーブ族の方と結婚すべきなんだもの」

「なんだそれ」

「だって純血が欲しいって。レリア様が」

 セシリアの言葉にようやく合点がいったのかクロードは納得したような表情を浮かべた。

「だからルーブ族って言ったのか。ルーブ族が嫌ってことじゃなくて、自分がルーブ族じゃないから俺を選べないって?」

「ええ」

 即答するセシリアにクロードは上を向いてため息をついた。セシリアを抱きしめている腕に力を入れる。

「…確かに、長老の中にはそう言う人もいる。けど、もうそんな時代じゃないだろう?血なんて、どうでもいい。満月の夜に狼男になれなくたって、走るのが今よりはるかに遅くたって、それに勝る道具ができてきている」

「…そうね」

「あとは、俺が、俺として生きていけばいいんだ。…自由でいいんだ」

「ええ」

「…俺はルーブ族だ。その事実は変えられない。だから、きっと限られた自由の中でしか生きられないと思う」

「…」

「でも、その中でも幸せになれる。そう教えてくれたのはお嬢様だぜ?」

「そうね」

「だから、俺の手を取れ、セシリア」

 クロードはセシリアを離し、一歩後ろに下がった。片膝をつき、手を差し出す。月の光に照らされたその様子は、物語の王子様のようだった。

「初めて名前を呼ばれたわ」

「そうだったか?」

「ええ。名前知ってたのね」

「当たり前だろ。好きなんだから」

「ねぇ」

「なんだ?」

「幸せにしてくれる?」

「俺を幸せにしてくれたらな」

 そう笑うクロードにセシリアはゆっくりとした動作で自分の手を差し出した。それを確認するとクロードは立ち上がり、一気に引き寄せる。

「幸せにできたかしら?」

「ああ。幸せだよ。…じゃあ、今度は俺がセシリアを幸せにする番だな」

「ええ。もちろん」

 今度はセシリアが満面の笑みを浮かべる。

「…あ、そうだ。メイドさんに1時間で戻るって約束してたんだ。早く戻ろうぜ」

「ええ、そうね。リディには申し訳ないことをしたわ。……でも、あと少しだけ」

 そう言ってセシリアは片手をクロードの頬に伸ばした。

「もう少しだけ、私を幸せにしていてくれない?クロード」

「仰せのままに、お嬢様」

 右手を胸に当て、クロードは笑った。そして、セシリアを抱きしめる。

 セシリアはゆっくりと目を閉じた。月の光に照らされたまま、2人の距離はゼロになる。



 鳥は、空を飛べるから自由なのではなくて、風に流されているから不自由なのではない。空を飛んでいても自分の意志がなければそれは不自由で、風に流されていても何をしたいのかわかっているのならそれは自由なのだ。

 5人の内誰かを選ばなくてはならないとしても、その1人を心から愛することができたのだから、自分はなんて自由で、なんて幸福なのだろう。

 クロードの腕の中でセシリアは確かに幸せを感じていた。
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