王子の恋の共犯者

はるきりょう

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王子は手を引く

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豪華なシャンデリアの下、キラキラ輝く人々。その光景にエルサは思わずため息を漏らした。アンドリーと躍った初めてのダンスは、一言で言えば「最悪」だった。笑顔は忘れ、足を踏み、よろけ人にあたりそうになった。よろけるたびに、アンドリーの手がエルサに伸び、包み込むように引き寄せられる。細身なのに、それでもしっかりとした広い胸板。エルサの身体を容易に支えるアンドリーは物語に出てくる「王子」そのものであった。

距離が縮まり、その近さに慌てて離れようとして、また人にあたりそうになる。その繰り返し。ダンスの練習は怠っていたが、ここまでひどいことはなかった。周りの視線とアンドリーとの近さで緊張がピークに達したのだ。ヒールの高い靴がアンドリーの足を踏む。端正な顔立ちが一瞬歪んだ。それに気づいて、エルサは泣きそうになりながら謝る。そんなエルサにアンドリーは笑顔のまま「大丈夫」と答えた。

 やっていられない、そう言って出ていってしまってもおかしくない。そう思うエルサにアンドリーは笑顔を向ける。その笑顔の先にはユリアがいる。「結婚」の裏にある事実が露呈してないように徹底しているだけだ。エルサは自分に言って聞かせる。

そうでもしないと錯覚してしまいそうだった。肌を寄せ合わせ、吐息が顔にかかる。アンドリーが笑うたび、自分に笑いかけられている気になった。演技ではなく本当に自分を好きなのではないか。そう思えてしまう。

 そこまでしてユリアが好きなのかとエルサは思った。胸が小さな痛みを伴って音を一つ立てる。どうして胸が苦しくなるのか、エルサにはわからなかった。

 部屋全体にかかっていた音楽が鳴り止んだ。慣れないダンスにふらつくエルサの手をアンドリーが握る。そのままテーブルに戻った。

「エルサ、疲れただろう?何か食べるかい?」

「…王子、申し訳ありませんでした。足、大丈夫ですか?」

「ああ、気にしないで。今までダンスを踊らなかった俺が悪いし」

 そう言って笑みを浮かべながらアンドリーはいくつか食事を皿にのせ、エルサに渡す。エルサは反射的に受け取り、けれど食べる気にはならなかった。

「エルサ、体調でも…」

「アンドリー王子、少しお話をさせていただきたいのですが」

 アンドリーの声がかき消された。声の方を見れば、最近貿易で財を成している公爵家の当主であるオーラがアンドリーの隣に立つ。小太りのその短めの指には、ダイヤやルビーのついた指輪がいくつもはめてあった。先日も、諸外国との貿易協定を結んだと夜会で話題に上がっていたなと思い出す。

「隣国との貿易についてぜひ、王子のご意見を伺いたいのです」

「…どのような件ですか?」

 アンドリーはエルサを見て戸惑ったような表情を浮かべた。エルサは気にしないでというつもりで、一つ頷く。今日の夜会の目的は、王家と貴族との交流だ。忌憚ない会話ができることが、そしてそれが国益に繋がれば喜ばしいことである。

「…につきまして…関税を撤廃、いや、せめて減税し……、…する必要が…」

 オーラの言葉に、アンドリーは真剣に耳を傾けている。貿易のことなどわからないエルサにはとって、理解できる言葉は少なかった。けれど、アンドリーの反応を見れば有益な会話をしているのだとわかる。

ふと視線を感じ、顔を動かせば突き刺さる綺麗な令嬢からの視線。アンドリーは夜会でダンスを踊らない。どれだけ綺麗な令嬢に声をかけられても断っていた。けれど先ほど、笑顔でエルサとのダンスを終えたばかりだ。アンドリーに恋をする彼女たちの怒りを全身に浴びる。ただ、曽祖父の仲が良かっただけ。それだけで隣に立てるエルサを許せないのも無理はないと思う。だからこそ、王妃になるための勉強もマナーのレッスンも懸命に続けてきた。けれど、アンドリーの視線はエルサにではなく、ユリアに向いている。メイド服を着ていても損なわれない美しさと優しさを持っているユリアに。

 いろんなことが頭の中を駆け巡り、苦しくなる。コルセットを締めすぎたのかもしれない。そうだ、そうに違いない。心の中で自分と対話し、エルサはそっと一歩、後ろに足を引いた。

「エルサ、どうかした?」

 オーラとの会話に夢中になっていたはずのアンドリーからそう声をかけられた。話を中断させられているオーラが不機嫌そうな顔でエルサを見る。

「…少し、風に当たってきます」

「え?」

「人酔いをしたようです」

「ならば俺も行く」

 アンドリーの言葉にオーラが目を丸くして驚いている。同じようにエルサも驚き、首を横に振る。

「いえ、王子はお話を続けてください。大事なお話なのでしょう?わたくしは一人でも大丈夫ですわ」

「そういう訳にはいかないよ。あなたは私の婚約者であり、もうすぐ妻になるのだから」

「!」

 先ほどよりさらに目を丸くし、オーラが驚く。その声が聞こえる範囲にいた人たちも同じような顔をし、こちらに視線を向けた。エルサは、今度は驚くことなく、アンドリーを見る。なるほどな、と思った。貿易で広く交流のあるオーラに伝えれば、簡単に広まり、しかも信ぴょう性は高い。人選は完璧である。

「……だからこそ、王子の邪魔はしたくないのです」

 良妻として言葉を選ぶ。周りの令嬢たちから小さな悲鳴が上がった。エルサは、熱い視線をアンドリーに向ける一方、体温が下がっていくのを感じる。これからこんな場面ばかりなのだろう、そう思うと胸が苦しくなった

「…それではレノを連れて行って」

 そう言って自分の左隣で立っているレノに視線を向ける。レノはアンドリーの側近であり、護衛も兼ねている。剣の腕は近衛隊の隊長クラスに引け劣らない。

「でも、それでは王子が…」

「私と行くか、レノと行くか。それ以外の選択肢はないよ」

 有無を言わせない強い言葉にエルサは迷い、レノの視線を向ける。

「…ついてきてくれますか?」

「え?…あ、はい。…もちろんです」

 どこかアンドリーを伺いながら、レノがそう答える。

「それでは、王子。わたくしに構わず話を続けてください。話を中断させてしまい申し訳ありませんでした」

「…ああ」

 軽く頭を下げるエルサに、どこか不機嫌な態度でアンドリーは頷いた。そんなアンドリーに戸惑いながらもエルサはもう一度頭を下げると、人を避けるようにバルコニーに出た。

 空は暗く、小さな星がかすかに光っているだけだった。頬を当たる風が冷たく、その気持ちよさにエルサは目を細める。エルサは黒い空をただ、見上げていた。

「…くしゅん」

 小さなくしゃみが出る。部屋との温度差に身体が震えた。

「エルサ様、これを」

 そう言ってレノが上着を肩にかけた。一瞬、レノの存在を忘れていたエルサは驚き、そんな自分に苦笑する。改めてレノを見れば、黒髪の短髪がよく似合う端正な顔立ちをしていた。アンドリーに比べ、釣り目であり、きつい印象を与えるが、声色は柔らかい。

「…ありがとう、レノ。でも、あなたが冷えてしまうわ」

「俺は鍛えていますから。それに、エルサ様に風邪を引かせるわけにはいきません」

「…」

「俺のためを考えてくださるのなら、エルサ様がお使いください」

「…ありがとう、レノ」

「いえ」

「…レノ、なんて呼び捨て、失礼ね。王子がそう呼んでいるからつい。すみません」

「呼び捨てでかまいませんよ。そっちの方が慣れていますから」

「…それじゃあ、お言葉に甘えます」

「はい」

 そう言って笑うレノの顔は優しくて、エルサもつられて笑みを浮かべる。

「エルサ様は、アンドリー様のどのようなところが好きになったのですか?」

「…え?」

 突然のレノの言葉にエルサはすぐに反応できなかった。

「あ、いえ、…エルサ様との共通点がアンドリー様しかなかったものですから」

「…確かにそうですね。…それでは、他の共通点を探しますか?」

「え?」

  戸惑うレノを気にせず、エルサは話を進める。

「レノは歳はいくつですか?」

「え?あ、えっと…今年で17歳になります」

「わたくしは今年で18歳です。わたくしの方が1歳お姉さんですね」

「そうですね」

「それじゃあ、得意なことは何ですか?ちなみにわたくしは、刺繍が得意です」

「剣術、ですかね?」

「これも、合いませんね。それじゃあ、好きな食べ物は何ですか?わたくしは、ケーキですね。特にチーズケーキが大好きです」

「俺も甘いものが好きです。特に、チーズケーキが好きです」

 どこか照れくさそうに笑うレノ。殺伐とした雰囲気から逃れられたこのバルコニーでの空間は、エルサにとって心地のよいものであった。嬉しくなってエルサは話を進める。

「共通点見つかりましたね。それでは今度、チーズケーキを作ったら、レノも食べてください」

「…食べていいんですか?」

「ええ、もちろんです。わたくしのチーズケーキはおいしいと評判なんですよ」

「…それは知らなかったな」

 レノより少し低い声がエルサの耳に入った。声のした方を見れば、どこか不機嫌なアンドリーが仁王立ちしている。

「王子…」

「ずいぶん仲良しになったようだね」

「ええ。レノがおしゃべりに付き合ってくれたので」

「レノ?」

「…王子がそう呼んでいたので、私まで呼び捨てにしてしまって。そしたらレノが構わないと言ってくれたので言葉に甘えたのです」

「…」

「王子?」

「…王子、ね」

「…?」

 アンドリーのつぶやきの意味が分からず、エルサは首を横に傾げる。そんなエルサにアンドリーは近づき、肩にかかっていたレノの上着を無造作に取り上げた。

「レノ、返す」

「はい。…申し訳ありませんでした」

「いや、いい。…お前に頼んだのは俺だしな」

 そう言いながら、アンドリーは自分の上着を脱ぐ。それをエルサの肩にかけた。ふわっと香る匂いにエルサの頬が赤くなる。

「…え?あの…王子?」

「なんだい?」

「あの…風邪を引いてしまいます」

「レノの上着は借りるのに、俺の上着は借りられない?」

「…いえ、そんなことはありません」

「じゃあ、羽織っててよ」

 お願いの形を取っているが、反論を許さないそれにエルサは頷くしかなかった。そんなエルサにやっとアンドリーが笑みを見せる。

「じゃあ、帰ろうか?」

「え?だってまだ…」

「うん。だけど、エルサの体調が悪いなら早く帰った方がいいしね」

「それならわたくしだけ先に…」

「帰るの?俺を残して?…レノと一緒に?」

 怒気をはらむその声色にアンドリーを見れば、笑みの奥の瞳が笑っていなかった。アンドリーの隣でレノが苦笑を浮かべている。

「そういうわけでは…」

「じゃあ、帰ろうか」

 そう言ってアンドリーはエルサに手を伸ばした。エルサは頷き、アンドリーの手を取る。目的は達成していた。オーラを含む、数人に結婚のことが知れ渡ったのだ。それなら窮屈な夜会から帰りたいと思うのは当然かもしれないと、エルサはそう思う。それに、エルサを送って帰れば、ユリアが待っている。そこまで考えて、自分の胸の奥にもやもやしたものを感じた。その気持ちに名前が付きそうになり、エルサは慌てて首を横に振る。

「エルサ?」

「いえ、何でもありません」

 何でもない。そう、何でもないのだ。自分は、ずっと婚約者であって、親しくなっていたアンドリーと姉のように慕うユリアの幸せを願っているだけ。だから、この胸の痛みなど、ただの気のせいだ。だから、自分を引く手がたくましく見えるのも触れている手が熱くなるのも、気のせい。そう、帰りの馬車の中、何度も自分に言い聞かせた。

 バスラー家の屋敷の前で馬車を止めた。アンドリーが差し出す手を掴み、エルサは馬車から降りる。先ほどまで雲に隠れていた月が顔を出している。半月が辺りを照らす。夜だと言うのに、アンドリーの顔がよく見えた。

「今日は付き合ってくれてありがとう」

「いえ、わたくしのほうこそエスコート、ありがとうございました」

「身体を冷やしたかもしれない。温かくして寝るんだよ」

「はい、ありがとうございます。あ、上着。…ありがとうございました。とても助かりました。…王子も風邪を引かれないよう温かくしてください」

 エルサは上着を脱ぎ、アンドリーに差し出す。アンドリーはしばらく考えるようにしてエルサが両手で持つ自分の上着を見ていた。

「…王子?」

 軽く首を傾げるエルサにアンドリーはそっと近づく。エルサはだんだんと近づく距離に、けれど動けなかった。小さなリップ音が耳に入る。訳が分からず動けないでいると、持っていた上着の分、腕が軽くなった。

「…おやすみ、エルサ」

 早口でそう言うと、アンドリーはすぐさま馬車に乗り込む。無意識にエルサは自分の唇に触れた。かすかに濡れている。止まっていた時計が動き出すように、今の状況が再生された。頬が赤くなり、体温が上がる。ドキドキと高鳴る鼓動が聞こえるほど大きくなった。

「…おやすみなさい」

 エルサはもうそこにはいないアンドリーに向けてだいぶ遅れて返事を返した。

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