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第二章
10. 拭われることのない涙
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「ロゼ」
懺悔を捧げる相手を確認するようにレミリアが名を呼ぶ。
何でしょうか、と自分の声とは思えないほど冷静な声が答えた。また大きな呼吸の音が聞こえ、レミリアは言葉を静かに紡ぎはじめる。
「クロードに隣国へ行ってマーガス王太子殿下の手助けをするよう、私が命じたの。真面目な彼はそれを断れなかった。断れないと知っていて命じたの」
今さらそんな、分かり切っていることなんて聞きたくもない。
謝罪の言葉も要求してなどいなかった。
それを得たところでロゼリエッタには何も残らないことには変わりないのだ。
だって謝るくらいなら、婚約を解消しなければ良かった。
危険と分かっている場所に、クロードを行かせなければ良かった。
何より、ロゼリエッタを一緒に連れて行こうと思ってはもらえないことを、ロゼリエッタでは引き留められないことを、まざまざと何度も突きつけて来る。
「どう、して……クロード様だったの、ですか。クロード様じゃないと、いけない理由でもあったのですか」
他にもいくらでもいたはずだ。
もちろん、クロードではない誰かが巻き込まれたら良かったと思っているわけではない。
でもどうしてクロードでなければいけなかったのか。その理由があるなら隠さずに教えて欲しい。謝罪よりもずっと、ロゼリエッタが求めるものだ。
「――そうね。どうしても、彼でなければならなかったの」
「何故ですか」
尋ねてはみたけれど、その答えは知っていた。
レミリアが小さく首を振る。やっぱりと、その動作で察してしまう。
「クロードが言わなかった以上、私の口からは何も言えないわ。私のことを恨んでくれても構わない。でもどうかクロードのことは許してあげて」
予想通りの返事に笑みが浮かんだ。
クロードもレミリアも目に見えている秘密を共有し、なのにロゼリエッタの理解や許しを得ようとする。何一つ教えられてなどいないのに、何を理解し、許せというのだろうか。
半端にちらつかせたりすることなどなく、最初からそこには何も存在しない。そうやって徹底的に隠し通してくれた方が、よほど誠実な態度に思えた。
「勝手、です……! クロード様も、レミリア殿下も、みんな、みんな勝手です!」
「ごめんなさい」
ワンピースの肩口が濡れて、肌に張りつくのが分かった。
レミリアの声も肩も小さく震えていた。泣いている。凛とした王女がロゼリエッタに詫びながら、はらはらと涙を零していた。
その涙もきっと、とても美しいのだろう。
――だけど。
レミリアが泣き濡れる姿が儚く、美しければ美しいほど、ロゼリエッタは醜い姿を晒してしまう。
ロゼリエッタはこの想いを、怒りを、誰にぶつけたらいいのだろうか。
涙にくれながらも詫びる美しい王女に、誰が自らの醜い感情を叩きつけることができるだろうか。
「許してなんて言わない。あなたは私を永遠に許さなくても、憎んでもいいの。あなたにはその権利がある」
言われるまでもなくレミリアのことは許せない。許せないと思う。けれど、憎めるかと聞かれれば否と答える。
憎めるならもっと前から憎んでいた。でもクロードの想いがレミリアにあると、そう気がついてしまったその時に憎むことができなかった以上、今さらだ。
それにレミリアを憎んだところで、クロードは二度とロゼリエッタの元に帰っては来ない。みじめな想いがまた一つ増えるだけだった。
ロゼリエッタは行き場のない想いを抱え、堪え切れずにしゃくりあげた。濡れた瞳から真珠のように大きな雫が一粒、レミリアの肩口へ落ちる。
「どうして私に謝罪などなさるのですか」
謝罪なんてレミリアの自己満足だ。
クロードを危険な場所へ行かせ、挙句命の危険に晒してしまった罪悪感を、ロゼリエッタに詫びることで和らげたいだけに過ぎない。
許さなくていいなんて、それこそロゼリエッタが苦しむだけの言葉だ。どちらを選ぼうとしても、どちらを選んだとしても、心が痛むことに変わりはなかった。
「謝罪など、必要ありません。でも……帰して下さい。クロード様を、私の元に帰して下さい……っ」
誰も――クロード本人ですら叶えられはしないであろうことを懸命に訴える。
だけど心から欲しいものなんて他に何もない。だったらどうしようもないではないか。
「私からクロード様を、取り上げないで下さい……!」
抱きしめて欲しいのはただ一人だけだ。
でも、そのただ一人だけが抱きしめてはくれない。一度だけ抱きしめてくれたのは贖罪の為だ。
立っていられなくて床にへたり込む。
レミリアもまた、ロゼリエッタを支えきれずに膝をついた。
優しく穢れのない王女様は、未だ涙に濡れ光る瞳で真っすぐにロゼリエッタを見つめる。だけどそれは光が影を照らし出す無慈悲な行為に思えた。
「謝って済むことじゃないのは分かっています。それでもごめんなさい」
部屋に入った時と同じようにレミリアの手が頬に触れた。
慈しむようなその仕草は、けれどロゼリエッタをますますみじめにさせる。
(私はレミリア王女殿下とお会いしない方がいいのだわ)
今さらながら、そう思った。そしてそれは最善の手段にも思えた。
その方がお互いの為だ。
ロゼリエッタが得られなかったクロードの愛情を得ているレミリアに、これまでは羨望と、嫉妬を抱いて来た。だけど、こうしてレミリアと会って分かった。
このままではいつかきっと、ロゼリエッタは心から笑えなくなる。憎みたくても憎めなくて壊れてしまう。
『いつまでもレミリア王女殿下のお心を煩わせてしまうわけにはいかない』
ロゼリエッタの為にと、そう周囲に決めつけられてクロードとの婚約を解消するに至った。
ならばロゼリエッタだって、一度くらいはそんな言い訳をしても許されるはずだ。それを謝罪の形として要求したっていい。
だけど、決意を秘めたロゼリエッタより先にレミリアが言葉を紡いだ。
「ロゼ――。一月後に王城でまた、夜会を開くの。招待状を送るから、どうかあなたにも来て欲しい」
ロゼリエッタの目の前が真っ暗になる。
もう、そっとしておいて欲しい。
その願いすらも、叶えられはしないと言うのか。
懺悔を捧げる相手を確認するようにレミリアが名を呼ぶ。
何でしょうか、と自分の声とは思えないほど冷静な声が答えた。また大きな呼吸の音が聞こえ、レミリアは言葉を静かに紡ぎはじめる。
「クロードに隣国へ行ってマーガス王太子殿下の手助けをするよう、私が命じたの。真面目な彼はそれを断れなかった。断れないと知っていて命じたの」
今さらそんな、分かり切っていることなんて聞きたくもない。
謝罪の言葉も要求してなどいなかった。
それを得たところでロゼリエッタには何も残らないことには変わりないのだ。
だって謝るくらいなら、婚約を解消しなければ良かった。
危険と分かっている場所に、クロードを行かせなければ良かった。
何より、ロゼリエッタを一緒に連れて行こうと思ってはもらえないことを、ロゼリエッタでは引き留められないことを、まざまざと何度も突きつけて来る。
「どう、して……クロード様だったの、ですか。クロード様じゃないと、いけない理由でもあったのですか」
他にもいくらでもいたはずだ。
もちろん、クロードではない誰かが巻き込まれたら良かったと思っているわけではない。
でもどうしてクロードでなければいけなかったのか。その理由があるなら隠さずに教えて欲しい。謝罪よりもずっと、ロゼリエッタが求めるものだ。
「――そうね。どうしても、彼でなければならなかったの」
「何故ですか」
尋ねてはみたけれど、その答えは知っていた。
レミリアが小さく首を振る。やっぱりと、その動作で察してしまう。
「クロードが言わなかった以上、私の口からは何も言えないわ。私のことを恨んでくれても構わない。でもどうかクロードのことは許してあげて」
予想通りの返事に笑みが浮かんだ。
クロードもレミリアも目に見えている秘密を共有し、なのにロゼリエッタの理解や許しを得ようとする。何一つ教えられてなどいないのに、何を理解し、許せというのだろうか。
半端にちらつかせたりすることなどなく、最初からそこには何も存在しない。そうやって徹底的に隠し通してくれた方が、よほど誠実な態度に思えた。
「勝手、です……! クロード様も、レミリア殿下も、みんな、みんな勝手です!」
「ごめんなさい」
ワンピースの肩口が濡れて、肌に張りつくのが分かった。
レミリアの声も肩も小さく震えていた。泣いている。凛とした王女がロゼリエッタに詫びながら、はらはらと涙を零していた。
その涙もきっと、とても美しいのだろう。
――だけど。
レミリアが泣き濡れる姿が儚く、美しければ美しいほど、ロゼリエッタは醜い姿を晒してしまう。
ロゼリエッタはこの想いを、怒りを、誰にぶつけたらいいのだろうか。
涙にくれながらも詫びる美しい王女に、誰が自らの醜い感情を叩きつけることができるだろうか。
「許してなんて言わない。あなたは私を永遠に許さなくても、憎んでもいいの。あなたにはその権利がある」
言われるまでもなくレミリアのことは許せない。許せないと思う。けれど、憎めるかと聞かれれば否と答える。
憎めるならもっと前から憎んでいた。でもクロードの想いがレミリアにあると、そう気がついてしまったその時に憎むことができなかった以上、今さらだ。
それにレミリアを憎んだところで、クロードは二度とロゼリエッタの元に帰っては来ない。みじめな想いがまた一つ増えるだけだった。
ロゼリエッタは行き場のない想いを抱え、堪え切れずにしゃくりあげた。濡れた瞳から真珠のように大きな雫が一粒、レミリアの肩口へ落ちる。
「どうして私に謝罪などなさるのですか」
謝罪なんてレミリアの自己満足だ。
クロードを危険な場所へ行かせ、挙句命の危険に晒してしまった罪悪感を、ロゼリエッタに詫びることで和らげたいだけに過ぎない。
許さなくていいなんて、それこそロゼリエッタが苦しむだけの言葉だ。どちらを選ぼうとしても、どちらを選んだとしても、心が痛むことに変わりはなかった。
「謝罪など、必要ありません。でも……帰して下さい。クロード様を、私の元に帰して下さい……っ」
誰も――クロード本人ですら叶えられはしないであろうことを懸命に訴える。
だけど心から欲しいものなんて他に何もない。だったらどうしようもないではないか。
「私からクロード様を、取り上げないで下さい……!」
抱きしめて欲しいのはただ一人だけだ。
でも、そのただ一人だけが抱きしめてはくれない。一度だけ抱きしめてくれたのは贖罪の為だ。
立っていられなくて床にへたり込む。
レミリアもまた、ロゼリエッタを支えきれずに膝をついた。
優しく穢れのない王女様は、未だ涙に濡れ光る瞳で真っすぐにロゼリエッタを見つめる。だけどそれは光が影を照らし出す無慈悲な行為に思えた。
「謝って済むことじゃないのは分かっています。それでもごめんなさい」
部屋に入った時と同じようにレミリアの手が頬に触れた。
慈しむようなその仕草は、けれどロゼリエッタをますますみじめにさせる。
(私はレミリア王女殿下とお会いしない方がいいのだわ)
今さらながら、そう思った。そしてそれは最善の手段にも思えた。
その方がお互いの為だ。
ロゼリエッタが得られなかったクロードの愛情を得ているレミリアに、これまでは羨望と、嫉妬を抱いて来た。だけど、こうしてレミリアと会って分かった。
このままではいつかきっと、ロゼリエッタは心から笑えなくなる。憎みたくても憎めなくて壊れてしまう。
『いつまでもレミリア王女殿下のお心を煩わせてしまうわけにはいかない』
ロゼリエッタの為にと、そう周囲に決めつけられてクロードとの婚約を解消するに至った。
ならばロゼリエッタだって、一度くらいはそんな言い訳をしても許されるはずだ。それを謝罪の形として要求したっていい。
だけど、決意を秘めたロゼリエッタより先にレミリアが言葉を紡いだ。
「ロゼ――。一月後に王城でまた、夜会を開くの。招待状を送るから、どうかあなたにも来て欲しい」
ロゼリエッタの目の前が真っ暗になる。
もう、そっとしておいて欲しい。
その願いすらも、叶えられはしないと言うのか。
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