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第六章

36. 暗雲の正体

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 ロゼリエッタが彼らの素性を知ったところで、何かが変わるわけではない。
 ただ、正規の衛兵ではないのなら、本当にマーガス暗殺の嫌疑をかけられてはいないことの証明に繋がるのではないか。
 今はそれだけで良かった。

「二つめ。これはあくまでも私たちの想像にすぎないことではあるけれど……多分、爆薬の威力を実際に試してみたかったのでしょうね」
「どうしてそのようなことを?」
「自国の武力抗争に使用する際の火力を調節したかったから、じゃないかしら」
「クロード様が巻き込まれて、行方知れずになったとされる事件の……?」

 兄からその事実を告げられた時と同じ痛みが胸を刺す。
 ほんの少し、声が震えるのを抑えられなかった。レミリアは痛ましげに眉根を寄せて頷く。

「王座を狙ってはいるけれど、王弟のフランツ殿下という方はとても小心者な方でね。本来であれば、とても武力による制圧を望むべくもないような方なの。何しろ、アーネスト第三王子殿下を事故と装って手にかけた時、捕まらない犯人に対して相当あった市民からの憤りの声にも怯えていたくらいなのだから」

 シェイドと似たような話をした。

 それでもフランツにとって王位とは魅力的なものだった。
 二番目に生まれたから。それだけの理由で手に入れられないもの。
 兄が病弱だったから。もしかしたら手に入るかもしれないもの。

 でも、手に入れられなかったもの。

「フランツ殿下が今になって実行に移しはじめたのは、口の上手い誰かさんに上手く唆されたのが大方の事実でしょうけど」

 その"口の上手い誰か"は、正統な継承権を持つマーガスが王位を得ることを脅かす存在だ。
 婚約者の輝かしい未来を共に勝ち取る為に戦えるレミリアの姿は、やっぱり羨ましかった。

「クロードのご両親については知っている?」

 自分が手に入れられないものを持つ彼女への憧憬に流れかけていた意識が、クロードの名を耳にして目の前の景色へと引き戻された。
 ロゼリエッタは弾かれるようにレミリアを見つめ、頷きと共に言葉を返す。

「アーネスト第三王子殿下と、グランハイム公爵の妹君マチルダ様のお子であることはクロード様ご本人から伺っています」
「では話をそのまま続けるわね。フランツ殿下がマーガス殿下と王位を争うに当たって、アーネスト殿下の忘れ形見クロードの存在は無視出来なかった」
「手を組まれては困る勢力もいると、クロード様はそう仰っていました」
「そうね。アーネスト殿下に実子がいたとなれば、民衆の関心を集めることは想像に難くないわ」

 少なくともクロードとマーガスが敵対する要素はない。
 そしてその利害関係は隣国の王位継承に際し、あまりに大きな影響を及ぼすと皆が分かっている。
 だからこそ、生まれてすぐにグランハイム公爵夫妻の子供として守られたのだ。

「でもクロードはグランハイム公爵が先に手を打って隣国との繋がりを断っていたし、私の護衛騎士にすることでさらに介入は困難なものになっていた。そこで目をつけたのが、全く異なる第三の存在なのでしょう」

 最後、レミリアは声に不快感を滲ませながら言い切った。
 けれども、さすがに王女の振る舞いとして相応しくないと判断したのか、ばつが悪そうな顔で一旦口を閉ざした。軽く咳払いをして気持ちを切り替え、あるがままの事実を伝えるべく姿勢を正す。

「それがいつ、どこでかはまだ分からないわ。ただフランツ殿下はクロードではなく、おあつらえ向きな地位にいたその人物に接触を図った。クロードの実の母君マチルダ様の婚約者だった、とある貴族にね」
「とある貴族……」

 グランハイム公爵家と釣り合う家柄。
 年齢はおそらく四十代前後。
 この二つの条件だけでも該当する人物は多くないだろう。

 そしてロゼリエッタの為を思ったアイリが協力を求められるほどの距離にいて、ロゼリエッタの為になるような強い影響を他人に与えることの出来る人物となればなおさらだ。

 現にロゼリエッタの中には、疑いを持ちながらも見知った人物の姿が浮かんで来ている。
 けれどまだ確信はない。他に誰も心当たりがなくとも、闇雲に疑いの目を向けたい相手でもなかった。

「結局のところ、皆がフランツ殿下を侮っていた。本当に武力に頼った行動を起こせるはずがないと。クロードがいなくてもマーガス殿下が次期国王になることには正統性があって、揺るがないことだから」
「フランツ殿下と協力関係を結んだ、我が国の貴族の甘言に乗ってしまったことが引き金なのでしょうか」
「それは……どうかしら」

 レミリアは静かに首を横に振った。

「フランツ殿下に野心が残っていたことは確かだもの。どちらかが一方的に利用していることはないような気がするわ。――でも」
「でも?」

 歯切れの悪くなったレミリアの言葉を引き出すよう問いかける。
 レミリアは溜め息を吐いた。初めて紅茶を飲み、ロゼリエッタはじっと待つ。
 紅茶はすっかり温くなってしまっていた。だけど今、喉を通すにはこれくらいがちょうどいい。

「これはあくまでも、私がそう思うだけの話だけれど」

 レミリアはそう前置きをしてロゼリエッタを見つめた。

「その"誰か"にとって本当はきっと、王位簒奪すらおまけのようなものなのよ。だって失敗を前提にした武力抗争が起きてクロードが巻き込まれたことも、マーガス殿下の命が狙われたことも……ロゼとの婚約を解消したことも、あなたに殿下暗殺の冤罪がかけられようとしていたのも……一連の流れで最も苦しんだのは、クロードなんだもの」

 ロゼリエッタはその瞬間、仄暗い喜びを抱いてしまった。

 婚約の解消にクロードも心を痛めていた。
 彼の心にロゼリエッタの存在が少しでも傷をつけていたのなら、忘れられてしまうことはない。
 それだけで歓喜を覚える自分はとても醜いけれど、どこか誇らしくさえあった。

「ロゼ、あなたももう、誰がフランツ殿下に手を貸しているのか……察してはいるのでしょう?」
「それは、」

 今度はロゼリエッタが言葉に詰まった。

 確信などない。ただ条件が一致しているというだけだ。
 だけど、他に誰もいない。

 ならばいっそのこと、名を出して否定してもらえば良いのではないか。

「スタンレー公爵閣下……ですか」
「ええ。その通りよ」

 思案の末、否定されることがどれだけ安堵に繋がるか分からず、喉につっかえた名を口にすれば簡単に肯定された。

 思い返せば、婚約を解消する為の書類を持って来た時、公爵はレミリアとクロードにスパイ疑惑があると話していた。
 そんなはずはないと聞き流したけれど、あれは二人への不信感を煽るように捲かれた、ごく小さな種だったのではないのか。

 守ろうとするクロードの手を、ロゼリエッタに取らせない為に。

「グスタフ陛下の体調が安定せず、マーガス殿下が成人を迎えたことで追い込まれていたフランツ殿下は相応の力を持った協力者が欲しかったことは想像に難くないわ。でも、立場的に隣国の貴族に公に接触を図る機会は多くない。数少ないチャンスを狙っていたのでしょうね」
「スタンレー公爵が取引に応じると、確信もおありだったのでしょうか」
「おそらくはね。そして協力を得ることを引き換えに教えたはずよ。クロードが、自分の婚約者がアーネスト殿下と密かに通じて生まれた子だと」

 フランツにとって、それは非常に危険な賭けだ。
 でもスタンレー公爵を引き込む勝算があった。自分と婚約関係を結んでいながら他の男性と子を成したなど、とても許せるような状況ではないだろう。

「そしてクロードも成人が近づくにつれ、他ならぬ自分たちの婚約にスタンレー公爵が噛んでいることに強い危機感を持った。だから……巻き込まない為に、手放してしまうことを選んだの。ロゼ、無垢なあなたが何よりも彼の大切なものだったから」
「でも、だからって……」

 ロゼリエッタは強くかぶりを振った。
 自分は無垢なんかじゃない。ただクロードに傍にいて欲しくて、レミリアに嫉妬だってするような人間だ。じゃあ無垢じゃないロゼリエッタは、傍にいてはいけないのか。

「何も言わないのは、信用していないことと同じです」
「それは違うわ、ロゼ。クロードは」
「だってマーガス殿下は、王位継承問題の渦中にあられてもレミリア殿下との婚約の解消も保留も選んでない!」

 ロゼリエッタとレミリアは違う。
 クロードとマーガスも違う。

 でも大切な人の手を取りたいと願うのは誰だって同じはずだ。

 感情が溢れて、ひどくみっともない心ごと隠すように両手で顔を覆う。
 涙が止まらなかった。

「ごめんなさい、ロゼ」

 背中に温かくて優しいものが触れる。
 レミリアの手だ。
 ロゼリエッタの涙を止めようと、何度も何度も背中を撫でる。

「私、は、ただクロード様が好きで……っ、お傍に、いた、か……っ。それだけ、なんです」

 嗚咽の中で、たった一つの叶わない願いを訴えた。
 拭っても拭っても涙はとめどなくこぼれ落ちて来る。前もそうだった。この涙は止められない。クロードとの婚約解消がなかったことにならない限りは。

「ロゼ。あなたを巻き込まないとする為に、逆にたくさんの悲しい思いをさせてしまった。ごめんね。ロゼ」
「謝罪の、言葉なんて」

 そんなものはいつだって欲しくない。
 するとレミリアは悲しみに満ちた表情のまま、三つ折りの紙を差し出した。

「私からのせめてものお詫びに、これを」
「これ、は……」

 ほっそりとした指が開いた内容に一瞬呼吸を忘れる。

 婚約解消に関する同意書だ。
 それがどうして、ここに。

「マーガス殿下を通してクロードにも言ってあるわ。全てを、ロゼの気持ちに委ねるって。破り捨てるなり、再び提出するなり、あなたの好きなようにしたらいい」

 でも違う。
 こんな紙にもう意味なんてない。
 ロゼリエッタはかぶりを振った。

「クロード様の心が、自分に向けられてはいないのに婚約関係を続けていたって……、みじめな思いを、抱くだけです」

 書類にサインをした時点でクロードの心は決まっていた。
 それをなかったことになんて、できない。

「あなたを馬鹿にするつもりなどなかったの。でも――そうね。私たちはいつだって、いちばん大切にしなければいけないあなたの気持ちを、いちばん踏みにじってしまっているのね」

 レミリアは力なく笑って項垂うなだれた。

 その姿に、ダヴィッドの言葉をふと思い出す。
 相手の為を想って何も言わずに行動することは、相手の為になることばかりじゃない。
 話し合わなければいけないのだ。
 自分の本当の言葉で、伝えなくてはいけないのだ。

 書類をレミリアに返し、ロゼリエッタはゆっくりと口を開く。

「一つ、だけ……レミリア殿下に、私からお願いがあります」


 その夜、五日後にクロードが貴族裁判にかけられるとの報告が入った。

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