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第六章 その祈り、届かなくとも……

546 ミホム東の国境

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 さて、俺たちの旅路はわりとのんびりとしたものとなった。
 野盗のたぐいに襲われることもなかったし、道中に行き会った大連合の人々は親切に道を教えてくれたり、家畜と一緒でいいならと天幕ゲルに泊めてくれたりもしたのだ。
 家畜の天幕ゲルはかなり臭ったが、とても暖かくて寒いこの時期にはたいへんありがたかった。
 家主は「寒い時期にはヤギを抱いて寝るのが一番でさ!」などと言いつつ、自分も二匹ほど連れて家族の天幕ゲルで休んだ。
 大連合の人は家畜を家族同様に扱うので、家畜用の天幕ゲルと言っても立派なもので、ずいぶん助かった。

「ヤギって、最初怖かったのですけど、慣れるとかわいいですね。特に小さい子とかは」

 聖女は子ヤギが気に入ったらしく出立するときには少し寂しげだった程だ。
 そうして俺たちは最初の目的地であるミホムの王都から真東にあたる国境に到着した。
 途中からは俺たちとは別ルートを通って来たらしい商人たちの隊商が先行しているのに行き会い、互いが危険な相手ではないことを確認してひとときの同行となる。

 国境にはレンガを積んで作られた塀と広く開いた門があった。
 兵士が門の外側に二人、内側にもあと何人かいるようだ。

「じゃあお先に」

 大集団の商人の隊商が先に行くとその分時間がかかるが、商人という者たちは他人に譲ることを嫌がるものが多い。
 まぁそもそも順番を譲ってもらう必要もないしな。

「あの人たちの検査が終わるまでお茶にしましょう」

 雇い主である学者先生に提案して受け入れられたので、門番の一人に近くの木陰で順番を待っていることを告げておく。

「いいな。俺も茶を飲みたい」

 その若い門番はうらやましそうな顔でそう言った。
 茶を差し入れることを提案したが、もう一人の年上の門番がきっぱりと言う。

「見知らぬ者から受け取ったものを飲食してはならないという決まりがある」

 俺にそう断ると、若い門番をしかりつけていた。
 あの若い門番にはちょっと気の毒なことをしてしまったな。

 いつものように冒険者用の携帯ストーブで湯を沸かし、全員にほんのカップ半分程度の茶を回してすする。
 長く歩いたので、みんなホッとして足を伸ばしていた。

「こっちの国境は検査が緩いのだろ? それにしては時間がかかるな」
「あれぐらいは普通だ。俺たちが貴族の屋敷に入るときなんかも持ち物をチェックされるからな」
「なんだと、師匠を疑うとはけしからんな」
「いや、それぐらいちゃんとやってもらわないと、こっちが不安になる。誰も疑わない貴族なんかと仕事は出来ないからな」
「む? どういうことだ?」
「一般的に貴族は庶民よりも金持ちだ。金がある相手からなんとかして金をむしろうとする輩は多い。他人を疑わない相手なら騙し放題だ。たちまち何もかもむしり取られるさ」
「確かに、疑うべき相手を疑わないのはだめだな。だが、師匠は違うだろ」
「そんなこと知り合いでもない相手にわかるはずがないだろ」
「むむっ……」

 勇者は人を選り好みしすぎて感覚がおかしくなっているようだ。
 俺を特別だと思うのをなんとかやめてくれないかな。

 ゆっくりと茶を飲み干す頃には隊商の検査も終わりを迎えていた。
 やがて呼ばれた俺たちは、門をくぐって広場のような場所に待機する。

「お前たちの身元を保証するものはあるか?」
「こちらを」

 学者先生が貴族印の入った指輪を示す。
 どこかだらけた雰囲気のあった門番たちがぎょっとしたように態度を改めた。

「お、お貴族さまでしたか?」

 あ、さっきの若い門番だ。
 その若い門番の足を後ろから年上の門番がさりげなく蹴っ飛ばした。

「いてっ!」
「失礼いたしました。照合しますのでこちらに押印をいただけますか?」

 年上の門番は金属の板の上に持ってきた蝋燭であぶった赤いロウを垂らすとそれを学者先生に差し出す。
 鷹揚にうなずいた学者先生は指輪の貴族印を柔らかくなったロウに押し当て、その印を残した。

 印の押されたロウを別の門番に持たせて、俺たちは別室に案内される。
 普通は木製の長イスがある広い部屋で待つか、あの広場で立ったまま待たされるものだが、通されたのは貴族の応接間のような部屋だった。
 どうやら貴族用の待合室らしい。

「こうしてみると先生はやっぱり貴族なんですね」
「ははは、その事実に一番馴染んでないのは私かもしれないな」

 門番が姿を消したので、つい軽口をたたいてしまった。
 学者先生は楽し気に応じてくれる。

「もっとも勇者様たちの紋章を示したほうがさっさと通れたかもしれないな」
「そういえばそうですね」

 そうか、そういう順番というか、貴族のなかでも格の違いがあるのか。
 どうも学者先生の護衛ということで動いていたので、自分たちの身分を先に示すという考えがなかった。

「君にとってはもう彼らは仲間なのだろう。うらやましいことだ」
「いえ、……まぁ、そういうことかもしれません」

 学者先生の言葉を一度は否定しようとした俺だが、よくよく考えてみれば確かにその通りではないかと思い至る。
 勇者のお付きのような気持ちだったら真っ先に門番に勇者の訪れを告げたはずだ。
 俺の気持ちのなかでは、勇者たちはすでに特別な存在ではなく、冒険者仲間のようなものとなっていたのかもしれない。

 自分の気持ちを把握するのは難しいものだな。

「隠すべきことなどないのだから堂々と名乗ってもよかったね」
「ええ。勇者が帰還したと知られても、今のところさして困ることはありませんからね」

 そう言った俺に、当の勇者が反論した。

「勇者が帰還したとなると絶対城に呼び出されて今までの経緯を聞き取られる。面倒くさい」
「面倒くさいとはなんだ。それがお前の仕事だろ?」
「城に行くたびに気分が悪くなる。嫌いだ」

 まぁもともと自国の高位貴族だった勇者に対してこの国の貴族連中はあまりいい印象を持ってないとは聞いたからな。
 次の王の座を狙っていることが発覚して厄介払いをされたみたいなことがささやかれているらしい。
 そういうことを噂している連中に囲まれるというのは確かに嫌だろうな。

「気の毒だがアルフ。この先の砦に到着すれば嫌でもバレるぞ。顔が知られているだろうからな」
「くっ、確かに」

 まぁそれまではわずかな猶予ということで、せいぜいのんびり行くことにするか。
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