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第1話 枕営業
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東京の街を見下ろせるタワマンの薄暗いパーティールーム。
一応「異業種交流会」という名目のパーティーが開かれていて、参加者三十人ほどの内、半分は顔が良い若い男女で、半分は高級なブランド品を解りやすく身に着けたやや年上の男女。
このパーティーの実態は、芸能人とお金持ちの「利害が一致した飲み会」だ。
この中で今夜、俺が声をかけるのは……
「あの、初参加の伊月さんですよね?」
端の方のソファに座って一人でシャンパンを飲んでいた、この中では若めの男性に声をかける。
三十歳の伊月光一郎さん。最近親から会社を継いで、大手企業の社長に就任したばかりの人だ。
俺にとってはそのステータスが大事だから見た目なんてどうでもいいんだけど、背が高くて男らしいイケメンだし、細く引き締まった体に合わせたスーツのセンスもいい。モテそうな外見だなと思う。
七三に分けた前髪を上げてしっかりセットされた短髪に控えめな香水、ソファに深く腰掛けてゆっくりとシャンパングラスを傾ける仕草。
堂々としていて、場慣れしていて……このパーティーは初めてだとしても、昔から金持ちの集まる場所に何度も出ている、モテている、遊び慣れている人っぽいな。
ちょうどいい。
そういう人の方が話が早い。
「あぁ。そうだけど……」
遠慮なく隣に座ると、薄暗いからか、俺の顔を確認するように伊月さんの背中がソファの背もたれから浮いた。
落ち着いた表情だった整った顔が、少しだけ驚いたように目を見開く。
「え? まさか……アオくん?」
「はい、俳優の波崎アオです」
俺がいると思わなかった?
デビュー十年で二十三歳の実力派爽やかイケメン俳優、波崎アオ。
昨年は主演映画が一本、主演ドラマが二本、CMが五本。
主演以外のドラマや舞台出演もたくさんあった。
今日の服装だって、CMでよく着せられるような真っ白なシャツに淡い青色のカーディガンなんていう「俺らしい」格好。変装なんてしていない。
普通に人気のある俳優が、こんな場所で堂々と媚びを売るのは意外かな?
でも……
「主催の方から、俺のファンだとうかがったんですが」
今日、このパーティーへ行くように言ってきた事務所の社長と、主催のテレビ関係者の情報では、この人は俺のファン。
そして、この人の会社は、毎年制作される特別枠のドラマのスポンサーで、人気俳優を起用したCMも沢山流している。
俺は、どんなに人気があってももっと仕事が欲しい。仕事をもらえるならなんだってする。
「あぁ……そうだよ。今やっているドラマも毎週観ている。真面目な研修医役、すごく合っているよね? その髪色も、新鮮でいいね」
伊月さんは驚いたのは一瞬だけで、すぐに落ち着いた笑顔で俺の顔……そして全身を値踏みするように眺め、口からは流れるように褒め言葉が出てくる。
芸能人と遊び慣れているんだな。
ただ、そのドラマは今クールで視聴率が一番いいし、俺のイメージに近い真面目で爽やかな研修医役だから「当たり役」と何度も言われている。髪型は普段と同じ、柔らかい髪質を生かしたソフトマニッシュだけど、少し明るめの茶髪にするのは珍しくて「かわいい」とか「王子様感が増した」と何度も言われている。
聞き飽きた褒め言葉。
でも……俺は実力派俳優だから。
喜ぶ演技は得意だ。
「本当ですか? 嬉しいな。難しい医療用語が多くて台詞を覚えるのが大変だったけど、頑張った甲斐がありました」
「あぁ、そうだね。本物のお医者さんみたいにスラスラ言うから、一瞬アオくんが俳優だって忘れそうになったよ。でも……」
伊月さんの視線がじっと俺の顔で止まった。
「こんなにキレイな顔の医者は……いないか」
余裕のある大人の笑顔ではあるけど、伊月さんの視線は熱っぽい。
この感じ、うん。この人はいけるな。
だったら……
「あ……そんな……」
視線をそらして、口元を押えて……でも、まだ媚び過ぎないように、自然に……
「照れます。あなたみたいな大人の、かっこいい男の人に褒められることって少ないから……特別に嬉しいです」
二十三歳の、真面目でまだ幼さの残る男の子っぽく。
芸能人の、素の部分が見えてしまったように。
「ごめんなさい、初めて会ったのにいきなりこんなこと。でも……仕事でちょっと悩んでいたから、ファンの人の素直な感想というか……褒め言葉をいただけたのが嬉しくて」
これで、俺があなたに気を許したのは伝わったはず。
あとは、誘いやすい隙を見せればソッチに持って行ける。
「悩み?」
「はい。マネージャーさんから今年の後半のスケジュールがまだ全然埋まっていないと聞いて……自分では頑張っているつもりなんですが、まだまだ頑張りが足りないのかなって」
落ち込んでいる演技はするけど……さすがにあざといな、俺。
でもいいんだ。これは「対価」を求める様式美。
俺が欲しい物を提示して、相手が了承すれば、相手が求める「遊び」に付き合う。
ここはそういう場だ。
「え? こんなに魅力的な子なのに? 信じられないな……そうだ、俺の会社がスポンサーにつくドラマのプロデューサーに相談してみるよ」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
伊月さんからスムーズな返事が来て、ついでにソファに置いていた手を握られる。
「俺はアオくんのファンだから、これくらい当然だよ。他に協力できることがあったら何でも相談してね?」
「伊月さん……ありがとうございます。俺、伊月さんにずっとファンでいてもらえるように……」
ここまでずっと保っていた「爽やか人気俳優」らしい顔に、少しだけ色気をのせる。
契約成立。
俺、今夜はあなたに付き合いますよ……って顔。
「伊月さんに俺の魅力をたっぷり知ってもらえるように、頑張ります」
握られた手に、もう片方の手を重ねると、伊月さんの笑みが深まった。
あまり爽やかな笑みではなくて、欲望を隠さない笑み。
どうやら口に出さなくても伝わったらしい。
「俺も、もっとアオくんのことが知りたいな。……ここの三十四階に部屋を持っているんだ。二人きりでもっとアオくんのこと教えてくれる?」
耳元に唇が近づいて囁かれる。
ガッついているけどスマート。
遊び慣れた金持ちモテ男は話が早くていいな。
この様子なら、セックスも上手そう。
……万が一変な性癖があっても、仕事のためだから頑張るけど。
「はい。他の人には見せない俺のことも、伊月さんには知ってもらいたいです」
「アオくん。あまりかわいいこと言わないで。俺、余裕なくなっちゃうよ?」
こんなことを余裕たっぷりの顔で言いながら、伊月さんが俺の手を引きながら立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
パーティーが始まって三十分でもう抜けられるなんてラッキーだな。
伊月さんに肩を抱かれながら、薄暗いパーティールームを抜ける。
部屋の中にはまだまだたくさんの俳優やアイドル、タレントなんかがいて、それぞれに狙った相手に媚びを売っているようだった。
みんなそれなりにテレビで顔を見る「人気芸能人」だけど、この中で知名度も仕事量も一番多いのは俺だと思う。
キャリアだって長いし、人一倍努力だってしてきた。容姿にも才能にもそれなりに恵まれていると思う。
本当は、選り好みをしなければ仕事はいくらでもある。
でも、よりよい仕事がもらえるなら、俳優として成功できるなら、どんなことだってする。
一晩好き勝手に抱かれることなんて、人気枠のドラマの主役の対価としては安いくらいだ。
俺にとって、何よりも価値があるのは「人気俳優でいること」で、それ以外はどうでも良かった。
「ここだよ」
エレベーターで四つ上がってすぐのドアを伊月さんが開く。
そのまま伊月さんが先に中に入って、俺が入るよりも先にシューズボックスの上に置かれた写真たてを伏せた。
俺に見られたくない恋人の写真かな?
きちんと割り切って遊ぶ人なんだ?
いいな。
社会的地位、仕事面での収穫、イケメンで遊び慣れていそうな雰囲気。
枕営業の相手として最高。
今夜はいい仕事ができそう。
「お邪魔します」
期待しながら玄関で靴を脱いだ。
この時の俺はまだ、大きな誤算に気が付いていなかった。
一応「異業種交流会」という名目のパーティーが開かれていて、参加者三十人ほどの内、半分は顔が良い若い男女で、半分は高級なブランド品を解りやすく身に着けたやや年上の男女。
このパーティーの実態は、芸能人とお金持ちの「利害が一致した飲み会」だ。
この中で今夜、俺が声をかけるのは……
「あの、初参加の伊月さんですよね?」
端の方のソファに座って一人でシャンパンを飲んでいた、この中では若めの男性に声をかける。
三十歳の伊月光一郎さん。最近親から会社を継いで、大手企業の社長に就任したばかりの人だ。
俺にとってはそのステータスが大事だから見た目なんてどうでもいいんだけど、背が高くて男らしいイケメンだし、細く引き締まった体に合わせたスーツのセンスもいい。モテそうな外見だなと思う。
七三に分けた前髪を上げてしっかりセットされた短髪に控えめな香水、ソファに深く腰掛けてゆっくりとシャンパングラスを傾ける仕草。
堂々としていて、場慣れしていて……このパーティーは初めてだとしても、昔から金持ちの集まる場所に何度も出ている、モテている、遊び慣れている人っぽいな。
ちょうどいい。
そういう人の方が話が早い。
「あぁ。そうだけど……」
遠慮なく隣に座ると、薄暗いからか、俺の顔を確認するように伊月さんの背中がソファの背もたれから浮いた。
落ち着いた表情だった整った顔が、少しだけ驚いたように目を見開く。
「え? まさか……アオくん?」
「はい、俳優の波崎アオです」
俺がいると思わなかった?
デビュー十年で二十三歳の実力派爽やかイケメン俳優、波崎アオ。
昨年は主演映画が一本、主演ドラマが二本、CMが五本。
主演以外のドラマや舞台出演もたくさんあった。
今日の服装だって、CMでよく着せられるような真っ白なシャツに淡い青色のカーディガンなんていう「俺らしい」格好。変装なんてしていない。
普通に人気のある俳優が、こんな場所で堂々と媚びを売るのは意外かな?
でも……
「主催の方から、俺のファンだとうかがったんですが」
今日、このパーティーへ行くように言ってきた事務所の社長と、主催のテレビ関係者の情報では、この人は俺のファン。
そして、この人の会社は、毎年制作される特別枠のドラマのスポンサーで、人気俳優を起用したCMも沢山流している。
俺は、どんなに人気があってももっと仕事が欲しい。仕事をもらえるならなんだってする。
「あぁ……そうだよ。今やっているドラマも毎週観ている。真面目な研修医役、すごく合っているよね? その髪色も、新鮮でいいね」
伊月さんは驚いたのは一瞬だけで、すぐに落ち着いた笑顔で俺の顔……そして全身を値踏みするように眺め、口からは流れるように褒め言葉が出てくる。
芸能人と遊び慣れているんだな。
ただ、そのドラマは今クールで視聴率が一番いいし、俺のイメージに近い真面目で爽やかな研修医役だから「当たり役」と何度も言われている。髪型は普段と同じ、柔らかい髪質を生かしたソフトマニッシュだけど、少し明るめの茶髪にするのは珍しくて「かわいい」とか「王子様感が増した」と何度も言われている。
聞き飽きた褒め言葉。
でも……俺は実力派俳優だから。
喜ぶ演技は得意だ。
「本当ですか? 嬉しいな。難しい医療用語が多くて台詞を覚えるのが大変だったけど、頑張った甲斐がありました」
「あぁ、そうだね。本物のお医者さんみたいにスラスラ言うから、一瞬アオくんが俳優だって忘れそうになったよ。でも……」
伊月さんの視線がじっと俺の顔で止まった。
「こんなにキレイな顔の医者は……いないか」
余裕のある大人の笑顔ではあるけど、伊月さんの視線は熱っぽい。
この感じ、うん。この人はいけるな。
だったら……
「あ……そんな……」
視線をそらして、口元を押えて……でも、まだ媚び過ぎないように、自然に……
「照れます。あなたみたいな大人の、かっこいい男の人に褒められることって少ないから……特別に嬉しいです」
二十三歳の、真面目でまだ幼さの残る男の子っぽく。
芸能人の、素の部分が見えてしまったように。
「ごめんなさい、初めて会ったのにいきなりこんなこと。でも……仕事でちょっと悩んでいたから、ファンの人の素直な感想というか……褒め言葉をいただけたのが嬉しくて」
これで、俺があなたに気を許したのは伝わったはず。
あとは、誘いやすい隙を見せればソッチに持って行ける。
「悩み?」
「はい。マネージャーさんから今年の後半のスケジュールがまだ全然埋まっていないと聞いて……自分では頑張っているつもりなんですが、まだまだ頑張りが足りないのかなって」
落ち込んでいる演技はするけど……さすがにあざといな、俺。
でもいいんだ。これは「対価」を求める様式美。
俺が欲しい物を提示して、相手が了承すれば、相手が求める「遊び」に付き合う。
ここはそういう場だ。
「え? こんなに魅力的な子なのに? 信じられないな……そうだ、俺の会社がスポンサーにつくドラマのプロデューサーに相談してみるよ」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
伊月さんからスムーズな返事が来て、ついでにソファに置いていた手を握られる。
「俺はアオくんのファンだから、これくらい当然だよ。他に協力できることがあったら何でも相談してね?」
「伊月さん……ありがとうございます。俺、伊月さんにずっとファンでいてもらえるように……」
ここまでずっと保っていた「爽やか人気俳優」らしい顔に、少しだけ色気をのせる。
契約成立。
俺、今夜はあなたに付き合いますよ……って顔。
「伊月さんに俺の魅力をたっぷり知ってもらえるように、頑張ります」
握られた手に、もう片方の手を重ねると、伊月さんの笑みが深まった。
あまり爽やかな笑みではなくて、欲望を隠さない笑み。
どうやら口に出さなくても伝わったらしい。
「俺も、もっとアオくんのことが知りたいな。……ここの三十四階に部屋を持っているんだ。二人きりでもっとアオくんのこと教えてくれる?」
耳元に唇が近づいて囁かれる。
ガッついているけどスマート。
遊び慣れた金持ちモテ男は話が早くていいな。
この様子なら、セックスも上手そう。
……万が一変な性癖があっても、仕事のためだから頑張るけど。
「はい。他の人には見せない俺のことも、伊月さんには知ってもらいたいです」
「アオくん。あまりかわいいこと言わないで。俺、余裕なくなっちゃうよ?」
こんなことを余裕たっぷりの顔で言いながら、伊月さんが俺の手を引きながら立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
パーティーが始まって三十分でもう抜けられるなんてラッキーだな。
伊月さんに肩を抱かれながら、薄暗いパーティールームを抜ける。
部屋の中にはまだまだたくさんの俳優やアイドル、タレントなんかがいて、それぞれに狙った相手に媚びを売っているようだった。
みんなそれなりにテレビで顔を見る「人気芸能人」だけど、この中で知名度も仕事量も一番多いのは俺だと思う。
キャリアだって長いし、人一倍努力だってしてきた。容姿にも才能にもそれなりに恵まれていると思う。
本当は、選り好みをしなければ仕事はいくらでもある。
でも、よりよい仕事がもらえるなら、俳優として成功できるなら、どんなことだってする。
一晩好き勝手に抱かれることなんて、人気枠のドラマの主役の対価としては安いくらいだ。
俺にとって、何よりも価値があるのは「人気俳優でいること」で、それ以外はどうでも良かった。
「ここだよ」
エレベーターで四つ上がってすぐのドアを伊月さんが開く。
そのまま伊月さんが先に中に入って、俺が入るよりも先にシューズボックスの上に置かれた写真たてを伏せた。
俺に見られたくない恋人の写真かな?
きちんと割り切って遊ぶ人なんだ?
いいな。
社会的地位、仕事面での収穫、イケメンで遊び慣れていそうな雰囲気。
枕営業の相手として最高。
今夜はいい仕事ができそう。
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この時の俺はまだ、大きな誤算に気が付いていなかった。
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