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第一話『呪われた髪』
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次の日曜、わたしは再び深沢へと訪れていた。先日の記憶を頼りに「カクリヨ美容室」へ向かう。ただわたしの方向音痴さが災いして、しばらく道に迷った。スマホで位置情報検索をしても、美容室の住所は出てこない。八方塞がり。
『トンネルの向こうは、不思議な街でした……』
いつか聞いたそんな映画のキャッチコピーみたく、わたしにとってこの場所は不思議そのものだ。せめてもの救いとして、帰れないことはないけれども……
ほだかさんにはもう二度会えないのかも。とぼとぼ歩きながら、気持ちを凹ませていた──と。
「もう二度と来てはならないと、お伝えしたはずですよ?」
偶然だった。路地裏で、ばったりほだかさんと遭遇。なぜあんななにもない場所にほだかさんがいたのかは分からないけど、ここ最近のわたしはすこぶる運が良いから。なんちゃって。
そんなこんなで、また「カクリヨ美容室」へとやって来た。ほだかさんは「もう、信じられません」とぶつぶつ呟き呆れている様子。だけど口元は僅かに緩んでいて、なぜだか嬉しそうに見えなくもなかった。もしかして、嫌よ嫌よは好きのうち。あまのじゃくかなって、まあこれはわたしの妄想だ。ごめんなさい。
「それで──」
二階の母屋から、わたしの買ってきた茶菓子と緑茶をお盆に乗せたほだかさんが降りてきた。
昨日同様、鏡面に向かって座るわたしを見つめるほだかさん。
「髪の調子はどうですか。あ、もしかして……今日はお直しに来たとか、そんな感じですかね?」
「滅相もありません! 超いい感じですよ!?」
つい声が上擦ってしまう。気持ちが昂っていたのだ。
改めて、鏡に映る自分の「生まれ変わった姿」を眺めてみた。顎先で切り揃えられた、丸い髪型となったわたし。自分で切ったこともありガタガタだった前髪も、眉下で綺麗に揃えられ、毛先が軽くて自然だ。
以上、生まれ変わった気分。
「短くしたのは初めてだったから不安でしたけど、びっくりしました。朝起きても全然跳ねないし、乾かすのも楽ですごく扱いやすいし」
「それは良かった」
「そうなんですよ! いやぁ、ショートって手入れがすごく大変だって聞いてたんですけど、そんなことなかったんですね! あーいや、ほだかさんのカットが上手だから、かな? あははは」
「ふふふ、ありがとうございます」
「それにっ、て……あ──」
やばい。なに熱く語っちゃってんだろう、わたし……あーやだやだ、超恥ずかしい。穴があったら入りたい……と。
「ショートボブと、そう呼ばれる髪型です」
ほだかさんは茶菓子と湯飲みを鏡面台に並べて、お盆を抱きしめながら笑った。
「一般的なボブという髪型はご存知でしょう? あれは長さをほぼ一直線に切ってあるのですが、ショートボブはその毛先に段を入れて、軽くしてあげたスタイルです」
「段……えっと、わたしも詳しくはないんですけど、美容師さんがレイヤーって、そう言ってるものですか?」
「ええ、そうです。ただ今回はほんの毛先だけ、グラデーションと呼びますが──」
と、ほだかさんはわたしの脇に立ち、耳元に顔を寄せてくる。
やだ、顔が近い──
「自然と毛先が丸みを帯びる形に仕上げてみました。襟足も同じように。如月さんは毛量も多いようでしたが、あまり梳き過ぎると毛先がはねると思ったので、少しだけ……いかがです?」
わたしは首をぶんぶんっと縦に振る。ヘッドバッキングしているみたいに、髪が上下に激しく揺れた。「崩れますよ」と、ほだかさんが優しい手つきで髪を撫で戻してくれる。
もうほんとやだ。わたしの愚行全てを、ほだかさんが神対応してくれる。まさか、あれか。これはなにも運がいいワケじゃなくて、「エモみを感じながら悶え死ね」という神なりメッセージとか。
だったら先に謝っておく。わたしの妄想力を、なめるな。この程度は、まだまだ序の口に過ぎない。伊達にモテなかったわけじゃないから……いいね?
「それで如月さん。そろそろ、お聞きしてもよろしいですか?」
かしこまった、ほだかさん。主語はなかったが、言っている意味はよく理解している。
それから、わたしは昨晩つむぎから聞かされた話を、なるべく丁寧に話した。ときおり思い出してきて泣きそうになったけれど、ほだかさんの慈愛満ちた笑顔のおかげで、なんとか耐えることができた。最後に、勇気を振り絞って聞いてみることにした。
「教えてください、ほだかさん。あの黒い影が、一体なんだったのか。父の死と、なにか関係があったのか……どうしても、知りたいんです」
なんとか喋り終える。ダメだったらダメで構わない。そこはほだかさんの御心次第である。
ほだかさんは、黙っていた。どこか後ろめたそうな、そんな表情をしている。そんなほだかさんに、ほんのり罪悪感を抱かされて。
「本来なら、話さないようにしているのですが……そうですね、自ら関わっておきながらなにも打ち明けないのも、時として毒かもしれません。特に、如月さんのような方には」
仄めかすような口調。だがそのくらい、縁起の良い話ではないのだろう。また人に聞かされるような話題でもない。きっとほだかさんのことだから、わたしのことを思って秘密にしようとしたに違いない。そうなのである。
「本当に、よろしいのですね?」
最終通達。わたしは少し間を空けて、
「はい、お願いします」
頷いた。ほだかんさんは頷き返してくれて、裏へと引っ込む。すぐにも戻ってきたその手には、
「普段は絶対にお見せしないのですが、今回は特別です」
それは、赤い布紐で両端が縛られている黒い束だった。
「これは、如月さんの髪束です。失礼だとは思いましたが、このように保管させていただきました。このあと、知り合いの神社で供養するつもりです」
「供養? ではやっぱり、その髪には、父の……」
「いえ、そうではありません」
ほだかさんは即答した。丁寧に髪の束を指先で撫ぜながら、
「供養と言ったのは、お父さまのほうではありません。安心してください。お父さまの魂は、既に成仏され安らかになられていますよ。だからそもそもが、如月さんの勘違いです。お父さまの呪いが、様々な悪意を振りまいていたわけではありません。むしろお父さまは、如月さんを悪しきものたちから守ってくれていたんです」
そのとき、ふと。昨日のほだかさんの声が、脳裏を掠めた。
──大丈夫、僕が付いています。それに……きっと守ってくれますから。
まさか……
「如月さんの髪には、霊が取り憑いていたんです。それもとんでもない数の、悪霊が」
『トンネルの向こうは、不思議な街でした……』
いつか聞いたそんな映画のキャッチコピーみたく、わたしにとってこの場所は不思議そのものだ。せめてもの救いとして、帰れないことはないけれども……
ほだかさんにはもう二度会えないのかも。とぼとぼ歩きながら、気持ちを凹ませていた──と。
「もう二度と来てはならないと、お伝えしたはずですよ?」
偶然だった。路地裏で、ばったりほだかさんと遭遇。なぜあんななにもない場所にほだかさんがいたのかは分からないけど、ここ最近のわたしはすこぶる運が良いから。なんちゃって。
そんなこんなで、また「カクリヨ美容室」へとやって来た。ほだかさんは「もう、信じられません」とぶつぶつ呟き呆れている様子。だけど口元は僅かに緩んでいて、なぜだか嬉しそうに見えなくもなかった。もしかして、嫌よ嫌よは好きのうち。あまのじゃくかなって、まあこれはわたしの妄想だ。ごめんなさい。
「それで──」
二階の母屋から、わたしの買ってきた茶菓子と緑茶をお盆に乗せたほだかさんが降りてきた。
昨日同様、鏡面に向かって座るわたしを見つめるほだかさん。
「髪の調子はどうですか。あ、もしかして……今日はお直しに来たとか、そんな感じですかね?」
「滅相もありません! 超いい感じですよ!?」
つい声が上擦ってしまう。気持ちが昂っていたのだ。
改めて、鏡に映る自分の「生まれ変わった姿」を眺めてみた。顎先で切り揃えられた、丸い髪型となったわたし。自分で切ったこともありガタガタだった前髪も、眉下で綺麗に揃えられ、毛先が軽くて自然だ。
以上、生まれ変わった気分。
「短くしたのは初めてだったから不安でしたけど、びっくりしました。朝起きても全然跳ねないし、乾かすのも楽ですごく扱いやすいし」
「それは良かった」
「そうなんですよ! いやぁ、ショートって手入れがすごく大変だって聞いてたんですけど、そんなことなかったんですね! あーいや、ほだかさんのカットが上手だから、かな? あははは」
「ふふふ、ありがとうございます」
「それにっ、て……あ──」
やばい。なに熱く語っちゃってんだろう、わたし……あーやだやだ、超恥ずかしい。穴があったら入りたい……と。
「ショートボブと、そう呼ばれる髪型です」
ほだかさんは茶菓子と湯飲みを鏡面台に並べて、お盆を抱きしめながら笑った。
「一般的なボブという髪型はご存知でしょう? あれは長さをほぼ一直線に切ってあるのですが、ショートボブはその毛先に段を入れて、軽くしてあげたスタイルです」
「段……えっと、わたしも詳しくはないんですけど、美容師さんがレイヤーって、そう言ってるものですか?」
「ええ、そうです。ただ今回はほんの毛先だけ、グラデーションと呼びますが──」
と、ほだかさんはわたしの脇に立ち、耳元に顔を寄せてくる。
やだ、顔が近い──
「自然と毛先が丸みを帯びる形に仕上げてみました。襟足も同じように。如月さんは毛量も多いようでしたが、あまり梳き過ぎると毛先がはねると思ったので、少しだけ……いかがです?」
わたしは首をぶんぶんっと縦に振る。ヘッドバッキングしているみたいに、髪が上下に激しく揺れた。「崩れますよ」と、ほだかさんが優しい手つきで髪を撫で戻してくれる。
もうほんとやだ。わたしの愚行全てを、ほだかさんが神対応してくれる。まさか、あれか。これはなにも運がいいワケじゃなくて、「エモみを感じながら悶え死ね」という神なりメッセージとか。
だったら先に謝っておく。わたしの妄想力を、なめるな。この程度は、まだまだ序の口に過ぎない。伊達にモテなかったわけじゃないから……いいね?
「それで如月さん。そろそろ、お聞きしてもよろしいですか?」
かしこまった、ほだかさん。主語はなかったが、言っている意味はよく理解している。
それから、わたしは昨晩つむぎから聞かされた話を、なるべく丁寧に話した。ときおり思い出してきて泣きそうになったけれど、ほだかさんの慈愛満ちた笑顔のおかげで、なんとか耐えることができた。最後に、勇気を振り絞って聞いてみることにした。
「教えてください、ほだかさん。あの黒い影が、一体なんだったのか。父の死と、なにか関係があったのか……どうしても、知りたいんです」
なんとか喋り終える。ダメだったらダメで構わない。そこはほだかさんの御心次第である。
ほだかさんは、黙っていた。どこか後ろめたそうな、そんな表情をしている。そんなほだかさんに、ほんのり罪悪感を抱かされて。
「本来なら、話さないようにしているのですが……そうですね、自ら関わっておきながらなにも打ち明けないのも、時として毒かもしれません。特に、如月さんのような方には」
仄めかすような口調。だがそのくらい、縁起の良い話ではないのだろう。また人に聞かされるような話題でもない。きっとほだかさんのことだから、わたしのことを思って秘密にしようとしたに違いない。そうなのである。
「本当に、よろしいのですね?」
最終通達。わたしは少し間を空けて、
「はい、お願いします」
頷いた。ほだかんさんは頷き返してくれて、裏へと引っ込む。すぐにも戻ってきたその手には、
「普段は絶対にお見せしないのですが、今回は特別です」
それは、赤い布紐で両端が縛られている黒い束だった。
「これは、如月さんの髪束です。失礼だとは思いましたが、このように保管させていただきました。このあと、知り合いの神社で供養するつもりです」
「供養? ではやっぱり、その髪には、父の……」
「いえ、そうではありません」
ほだかさんは即答した。丁寧に髪の束を指先で撫ぜながら、
「供養と言ったのは、お父さまのほうではありません。安心してください。お父さまの魂は、既に成仏され安らかになられていますよ。だからそもそもが、如月さんの勘違いです。お父さまの呪いが、様々な悪意を振りまいていたわけではありません。むしろお父さまは、如月さんを悪しきものたちから守ってくれていたんです」
そのとき、ふと。昨日のほだかさんの声が、脳裏を掠めた。
──大丈夫、僕が付いています。それに……きっと守ってくれますから。
まさか……
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