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第二十一幕
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着陸を派手にやらかした。
宇宙船から別離した脱出用ポッドが大気圏を突破し、神々の力でどうにか落下速度を抑えたが、しかし落下する地点が予測不能のために、麦芽天然工房の天井を突き破り接地した。
ハッチが開け放たれる。衝撃によって生じた濃霧のごとく粉塵の帳が下りる。眼交いに流動する煙のうねりが躍如である。その生成りの帳を手で払いつつ、乗組員は続々とポッドから這い出す。誰かが咳き込む。その伝染するすわぶきは放恣な輪唱となって、もはや分別がつかなくなった。
景色が旧に復してゆく。
雑然と床に散らばる夥しい木屑と粉塵が草履の裏を掻いた。店内は木の床にめり込んだポッドの周辺以外はさして乱れた様子もなく、体系的布置にある卓子や椅子のすべてに、遊宴の名残りがいささかも見られないのが、不自然に思われてならなかった。不断に盛大に騒ぎてけつかるお祭り野郎たちの気配が感ぜられないのだ。しかのみならず、店員すらおらぬ。休みだろうか。とかく外へ出る必要がある。そして天上界へ戻り、アマユリたちにことの仕儀を伝えなくてはならぬ。
私は入り口兼出口の木扉へと足を向けた。そのとき、ミーネの喫驚する声音を背に聞いたのは同時だった。
「何だろう、あの黒いの」
窓辺に乗り出し、首をかしげるミーネの傍に寄って、私も彼女の視線の先を追う。
すると、やや燻んだ不透明な窓の四角を通して、それらの姿形は明瞭に認められた。
黒い球体である。球体の表に稠密して毛羽立つ針ほどの繊維がことごとく黒く、阿寒湖のマリモが腐敗したならば、ちょうどこんな具合になるかもしれない。大小様々なブラックマリモが路上にはばかりなく、オブジェのごとく超然と安置されている。しかし、人がいない。
私はミーネの肩を抱き、そのまま首を巡らせると、互いの安否をたしかめ合うている荒木鴇たちに呼びかけた。
「店を出ましょう」
$
退店の鐘の音は背後に喧しく鳴った。それくらい外に音がなかった。天は霞色の雲が瀰漫して、紫黒と希薄な光の濃淡が、まさに蛇行する青大将の鱗の流動であった。マンションのベランダに干された色とりどりの洗濯物が怪しくはためく。風が吹くと揺れる並木の葉末のささやきが不穏だった。
信号が青に変わる。しかし、整然と連なる車が動く気配がない。十秒が経過した。先頭の車両は動かない。なぜ警笛を鳴らさないのか。私は或るひとつの車両に近寄り、車内を覗き込んだ。運転席をブラックマリモが占めていた。助手席も同様である。ふと、ダッシュボードの上に何かが見えた。フロントに回り込む。それはバナナの皮と思われた。
その瞬間、私の脳裡を過ぎたる災厄の記憶が擦過した。二十世紀初頭、中国全土を混沌の渦に陥れた流行病。中期段階の症状は、やがて黒い毛玉に覆われると云う。自然に発生したものではなく、意識的にもたらされた禍事だった。その主格は——
「カラクラさん?」
声は私のすぐそこで聞かれた。反射的に左に顔を向ける。ジエンダが心許なげな表情で立っていた。私は足早に近づく。そして咫尺に至ると、ジエンダの両肩を掴んで揺すった。
「これはどういう事?」
「ちょっと、落ち着いて」
「落ち着いてられないわ。いったい、何を考えているの? アマユリとラウラはどうしたの? これを放擲して嘉とするほど阿呆ではないはずよ」
口疾に言った。両手にいや増しに力が入る。掴んだ着物の生地の皺が深くなる。ジエンダは逡巡と困惑が綯い交ぜになった様子で緘していたけれど、やがて私の両頬を諸手でパチンと挟むと、そのまま圧迫してきた。私の口はいきおい窄まった。
「にゃにしゅるにょよ」
私は「何するのよ」と言った。ジエンダはぐっと額を寄せた。
「お願いだから、私の話を聞いて、ね? ......まず、これは私がやった事ではないの」
「じゅあ、ちゃれがちゃっちゃにょよ」
じゃあ、誰がやったのよ、と言った。
ジエンダの背後から叱られた童子のごとく、ひとりの少女が悄然として蹌踉と現れた。所在無げに手を揉んでいる。だぼだぼに萎靡した、桜色のセーターを召している。身形からして、定し下級の神である。
私は一寸少女に目を落とし、それからジエンダに視線を戻した。
「どうして下級神の子が下界にいるの?」
圧迫から解かれた口付きは淀みなかった。
ジエンダは少女の傍に腰を下ろし、怯える彼女の頭をそっと撫でた。
「ザハク殿が原因なの」
私は毛玉に両腕を突っ込み、はしゃいでいるザハク殿を遠くに見た。
$
事の権輿はおよそ三日前に遡る。
ザハク殿と荒木鴇がビーチパラソルの下でよろしくやっていた頃、下界では異変が起こっていた。下級神の居宅が道路や田畑、マンションの屋上などのあちこちに降ってきたのだ。お祭り野郎達は仰天し、茅葺屋根の家に押しかけては、狼狽する神々に魔改造麦酒を勧めた。
ザハク殿の創神の力の余波である。これによって発生した竜巻が、下級神の村の家々を根こそぎ吹き飛ばし、下界へと降り注いだのである。下級神の村で育てている作物も然り。ちなみに、作物はバナナにそっくりな果物だ。それはかつてジエンダがもたらした災厄の残滓だった。神々が食べる分には問題はないが、人間が食べるとたちまちゴリラ病を患ってしまう。土地を選ばず繁殖力も旺盛、さしたる世話も要らぬ上に美味であるため、とりもなおさず下級神たちの主食になった。
絶滅すべきという意見はあった。しかし、代替の作物がすこぶる不味く、もはや主食としているものを取り上げるのは甚だ不憫であり、下界に行く術を持たぬ彼女らが下界を脅かす公算は低いという考えから、『下級神の村』の敷地内に限り栽培が認められた。
つまり、当節人々がブラックマリモ化しているのは、例の果物を食べたからである。魔改造麦酒の返礼に差し出されたり、勝手に食べたり、大量に収穫したのを商店街で売り捌いたりしたからだった。
天上界に残されたアマユリ、ラウラ、ジエンダはザハク殿たちの動静を見守りながら、懸命に策を案じていたがゆえに、事態の発見が遅れた。ラウラとジエンダが下界に着いたのは、宇宙船が麦芽天然工房に着地する約三十分前だった。偶然迷い子の下級神と共に近くにいたジエンダは、何事かと思い、押っ取り刀で駆けつけてみたところ、新世界と思われていた場所にいたはずのザハク殿一行を見つけたので驚いた。そして、今に至る。
$
商店街の一角に麗々しい桃色の光を輝かせる『愛の館』があった。
古めかしい小紫の暗幕を抜け、毛氈の敷かれた薄暗い廊下を行った奥で、ラウラは何やら奮闘中であった。黒檀の卓上の大きな水晶玉を睨みつけている。天井からこれまた桃色のライトがまばゆく照らし、水晶も薄いピンク色である。しわ寄せた額から汗が淋漓と流れては、彼女の膝下に滴った。
「何を占っているの?」
と、私が問うた。
ラウラはうんうんと唸り、呪文ともお経ともつかぬ意味不明の言葉を問わず語りに呟いているばかりだ。
私たちは彼女が気づくのを待った。ややあって、贄を切らしたザハク殿がラウラの水晶に手を伸ばして気を散らそうとしたが、その指先が触れる寸前、ラウラが蹶然として立ち上がったからザハク殿は驚いて尻餅をついた。
「あの方は何処へ!」
ラウラは半狂乱に叫んだ。カッと見開かれた両眼は爛々と光っている。瞳は私たちを選り分けるみたいに、私、ザハク殿、ジエンダ、荒木鴇(館内は狭いので、他の者は表に待たせたあった)を、順繰りに見回した。瞳が動きを止める。ラウラは荒木鴇にツカツカと歩み寄ると、彼の手を握りしめ、胸に押し当てた。
「ああ、よかった。いらっしゃったのね」
「はい。どうなさいましたか」
荒木鴇は平らかに答えた。
「顔色が優れないようですが」
「......外のありさまはご覧になりましたか」
「ええ、黒い球体がたくさんありました。あれはなんです?」
ラウラはゴリラ病についてあらかた話した。荒木鴇は納得したようだった。
「それで、私は何をすれば」
「ゴリラ病の治療方法はただひとつ、創神の力で病の根源を滅するのです。それも、患者一人一人に。かつてはザハク殿がそれを行いました。現在はどうやら荒木さんにザハク殿の力が転移しているので、彼女の代わりを担っていただきたいのです。幸いにも、まだ完全なゴリラと化した者はおりません。......どうか、力をお貸しください」
ラウラの懇篤な申し入れに、荒木鴇は一も二もなく応えた。
「神様のお願いとあれば、断るわけにはできません。謹んで、お受けいたしましょう」
彼は跪き、ラウラの手の甲に接吻をした。
宇宙船から別離した脱出用ポッドが大気圏を突破し、神々の力でどうにか落下速度を抑えたが、しかし落下する地点が予測不能のために、麦芽天然工房の天井を突き破り接地した。
ハッチが開け放たれる。衝撃によって生じた濃霧のごとく粉塵の帳が下りる。眼交いに流動する煙のうねりが躍如である。その生成りの帳を手で払いつつ、乗組員は続々とポッドから這い出す。誰かが咳き込む。その伝染するすわぶきは放恣な輪唱となって、もはや分別がつかなくなった。
景色が旧に復してゆく。
雑然と床に散らばる夥しい木屑と粉塵が草履の裏を掻いた。店内は木の床にめり込んだポッドの周辺以外はさして乱れた様子もなく、体系的布置にある卓子や椅子のすべてに、遊宴の名残りがいささかも見られないのが、不自然に思われてならなかった。不断に盛大に騒ぎてけつかるお祭り野郎たちの気配が感ぜられないのだ。しかのみならず、店員すらおらぬ。休みだろうか。とかく外へ出る必要がある。そして天上界へ戻り、アマユリたちにことの仕儀を伝えなくてはならぬ。
私は入り口兼出口の木扉へと足を向けた。そのとき、ミーネの喫驚する声音を背に聞いたのは同時だった。
「何だろう、あの黒いの」
窓辺に乗り出し、首をかしげるミーネの傍に寄って、私も彼女の視線の先を追う。
すると、やや燻んだ不透明な窓の四角を通して、それらの姿形は明瞭に認められた。
黒い球体である。球体の表に稠密して毛羽立つ針ほどの繊維がことごとく黒く、阿寒湖のマリモが腐敗したならば、ちょうどこんな具合になるかもしれない。大小様々なブラックマリモが路上にはばかりなく、オブジェのごとく超然と安置されている。しかし、人がいない。
私はミーネの肩を抱き、そのまま首を巡らせると、互いの安否をたしかめ合うている荒木鴇たちに呼びかけた。
「店を出ましょう」
$
退店の鐘の音は背後に喧しく鳴った。それくらい外に音がなかった。天は霞色の雲が瀰漫して、紫黒と希薄な光の濃淡が、まさに蛇行する青大将の鱗の流動であった。マンションのベランダに干された色とりどりの洗濯物が怪しくはためく。風が吹くと揺れる並木の葉末のささやきが不穏だった。
信号が青に変わる。しかし、整然と連なる車が動く気配がない。十秒が経過した。先頭の車両は動かない。なぜ警笛を鳴らさないのか。私は或るひとつの車両に近寄り、車内を覗き込んだ。運転席をブラックマリモが占めていた。助手席も同様である。ふと、ダッシュボードの上に何かが見えた。フロントに回り込む。それはバナナの皮と思われた。
その瞬間、私の脳裡を過ぎたる災厄の記憶が擦過した。二十世紀初頭、中国全土を混沌の渦に陥れた流行病。中期段階の症状は、やがて黒い毛玉に覆われると云う。自然に発生したものではなく、意識的にもたらされた禍事だった。その主格は——
「カラクラさん?」
声は私のすぐそこで聞かれた。反射的に左に顔を向ける。ジエンダが心許なげな表情で立っていた。私は足早に近づく。そして咫尺に至ると、ジエンダの両肩を掴んで揺すった。
「これはどういう事?」
「ちょっと、落ち着いて」
「落ち着いてられないわ。いったい、何を考えているの? アマユリとラウラはどうしたの? これを放擲して嘉とするほど阿呆ではないはずよ」
口疾に言った。両手にいや増しに力が入る。掴んだ着物の生地の皺が深くなる。ジエンダは逡巡と困惑が綯い交ぜになった様子で緘していたけれど、やがて私の両頬を諸手でパチンと挟むと、そのまま圧迫してきた。私の口はいきおい窄まった。
「にゃにしゅるにょよ」
私は「何するのよ」と言った。ジエンダはぐっと額を寄せた。
「お願いだから、私の話を聞いて、ね? ......まず、これは私がやった事ではないの」
「じゅあ、ちゃれがちゃっちゃにょよ」
じゃあ、誰がやったのよ、と言った。
ジエンダの背後から叱られた童子のごとく、ひとりの少女が悄然として蹌踉と現れた。所在無げに手を揉んでいる。だぼだぼに萎靡した、桜色のセーターを召している。身形からして、定し下級の神である。
私は一寸少女に目を落とし、それからジエンダに視線を戻した。
「どうして下級神の子が下界にいるの?」
圧迫から解かれた口付きは淀みなかった。
ジエンダは少女の傍に腰を下ろし、怯える彼女の頭をそっと撫でた。
「ザハク殿が原因なの」
私は毛玉に両腕を突っ込み、はしゃいでいるザハク殿を遠くに見た。
$
事の権輿はおよそ三日前に遡る。
ザハク殿と荒木鴇がビーチパラソルの下でよろしくやっていた頃、下界では異変が起こっていた。下級神の居宅が道路や田畑、マンションの屋上などのあちこちに降ってきたのだ。お祭り野郎達は仰天し、茅葺屋根の家に押しかけては、狼狽する神々に魔改造麦酒を勧めた。
ザハク殿の創神の力の余波である。これによって発生した竜巻が、下級神の村の家々を根こそぎ吹き飛ばし、下界へと降り注いだのである。下級神の村で育てている作物も然り。ちなみに、作物はバナナにそっくりな果物だ。それはかつてジエンダがもたらした災厄の残滓だった。神々が食べる分には問題はないが、人間が食べるとたちまちゴリラ病を患ってしまう。土地を選ばず繁殖力も旺盛、さしたる世話も要らぬ上に美味であるため、とりもなおさず下級神たちの主食になった。
絶滅すべきという意見はあった。しかし、代替の作物がすこぶる不味く、もはや主食としているものを取り上げるのは甚だ不憫であり、下界に行く術を持たぬ彼女らが下界を脅かす公算は低いという考えから、『下級神の村』の敷地内に限り栽培が認められた。
つまり、当節人々がブラックマリモ化しているのは、例の果物を食べたからである。魔改造麦酒の返礼に差し出されたり、勝手に食べたり、大量に収穫したのを商店街で売り捌いたりしたからだった。
天上界に残されたアマユリ、ラウラ、ジエンダはザハク殿たちの動静を見守りながら、懸命に策を案じていたがゆえに、事態の発見が遅れた。ラウラとジエンダが下界に着いたのは、宇宙船が麦芽天然工房に着地する約三十分前だった。偶然迷い子の下級神と共に近くにいたジエンダは、何事かと思い、押っ取り刀で駆けつけてみたところ、新世界と思われていた場所にいたはずのザハク殿一行を見つけたので驚いた。そして、今に至る。
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商店街の一角に麗々しい桃色の光を輝かせる『愛の館』があった。
古めかしい小紫の暗幕を抜け、毛氈の敷かれた薄暗い廊下を行った奥で、ラウラは何やら奮闘中であった。黒檀の卓上の大きな水晶玉を睨みつけている。天井からこれまた桃色のライトがまばゆく照らし、水晶も薄いピンク色である。しわ寄せた額から汗が淋漓と流れては、彼女の膝下に滴った。
「何を占っているの?」
と、私が問うた。
ラウラはうんうんと唸り、呪文ともお経ともつかぬ意味不明の言葉を問わず語りに呟いているばかりだ。
私たちは彼女が気づくのを待った。ややあって、贄を切らしたザハク殿がラウラの水晶に手を伸ばして気を散らそうとしたが、その指先が触れる寸前、ラウラが蹶然として立ち上がったからザハク殿は驚いて尻餅をついた。
「あの方は何処へ!」
ラウラは半狂乱に叫んだ。カッと見開かれた両眼は爛々と光っている。瞳は私たちを選り分けるみたいに、私、ザハク殿、ジエンダ、荒木鴇(館内は狭いので、他の者は表に待たせたあった)を、順繰りに見回した。瞳が動きを止める。ラウラは荒木鴇にツカツカと歩み寄ると、彼の手を握りしめ、胸に押し当てた。
「ああ、よかった。いらっしゃったのね」
「はい。どうなさいましたか」
荒木鴇は平らかに答えた。
「顔色が優れないようですが」
「......外のありさまはご覧になりましたか」
「ええ、黒い球体がたくさんありました。あれはなんです?」
ラウラはゴリラ病についてあらかた話した。荒木鴇は納得したようだった。
「それで、私は何をすれば」
「ゴリラ病の治療方法はただひとつ、創神の力で病の根源を滅するのです。それも、患者一人一人に。かつてはザハク殿がそれを行いました。現在はどうやら荒木さんにザハク殿の力が転移しているので、彼女の代わりを担っていただきたいのです。幸いにも、まだ完全なゴリラと化した者はおりません。......どうか、力をお貸しください」
ラウラの懇篤な申し入れに、荒木鴇は一も二もなく応えた。
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