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第68話:辺境の村にて
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グレイヘム村の広場はにわかに活気づいていた。
ギルバート様率いる騎士たちが、その屈強な腕で見事な即席のかまどを組み上げ、大きな鍋には村の井戸から汲み上げた水がなみなみと満たされている。
村人たちは何事かと遠巻きにその様子を眺めていた。その虚ろな瞳には好奇心よりも、むしろ警戒の色が濃かった。彼らは長い苦しみの中で希望を持つことを、とうに諦めてしまっていたのだ。
私はそんな彼らの視線を背中に感じながら、調理の準備に取り掛かった。
まず、持ってきた食材を広場の大きな木のテーブルの上に広げる。帝都から持ってきた色鮮やかな野菜たち。それらが灰色の村の中で、ひときわ鮮烈な生命の色を放っていた。
「アリア様、何から始めましょうか」
ギルバート様がやる気に満ちた顔で尋ねてくる。
「ありがとうございます、ギルバート様。では、まずこの野菜を切るのを手伝っていただけますか」
私は人参やカブを指差して言った。
「お任せを! 騎士たるもの、剣だけでなく包丁の扱いも心得ておりますぞ!」
彼はそう言うと、腰の剣を抜くかのような勢いで調理用のナイフを握りしめた。しかしその手つきは、あまりにも無骨で見ているこちらがハラハラしてしまう。
「あ、あの、ギルバート様。皮はもう少し薄く…」
「おおっ! そうか! つい、兜割りの癖で…!」
そのどこか微笑ましいやり取りを見ていた他の若い騎士たちも、「俺たちも手伝います!」と次々に集まってきた。
厨房での調理とは違う、青空の下での炊き出し。それは私にとっても初めての経験だった。しかし、不思議と心は穏やかだった。
私が作るべきものは決まっている。
この、心も体も冷え切ってしまった村人たちを、体の芯から温める最高の一杯。
私は大きな鍋にたっぷりの鶏の骨と香味野菜を入れて火にかけた。基本の鶏がらスープだ。コトコトと時間をかけてじっくりと旨味を引き出していく。
その間に騎士たちが切ってくれた野菜を別の鍋で炒める。油で炒めることで野菜の甘みがぐっと増し、煮崩れも防ぐことができるのだ。
やがてスープから豊かな香りが立ち上り始めた。その生命力に満ちた香りは、風に乗って広場全体に、そして村の隅々まで広がっていく。
遠巻きに見ていた村人たちの間で、小さなざわめきが起きた。
「……なんだ? この、良い匂いは…」
「腹が、鳴った…」
何年も忘れていた『食欲』という名の本能が、彼らの中でかすかに目を覚まし始めていた。
私はスープの灰汁を丁寧にすくい取りながら、自分の手のひらを見つめた。
【生命賛歌】。
私の聖なる力。
この力は食材に触れることでその呪いを浄化し、生命力を与える。ならばこの村の呪われた食材を使えば、どうなるのだろうか。
それは一つの実験であり、そしてこの村を救うための大きな賭けでもあった。
私は村長の老人の元へと向かった。
「村長さん。お願いがあります。この村で採れた、どんなものでも構いません。野菜の切れ端でも干した豆でも。少しだけ分けていただけませんか」
私の申し出に、老人は怪訝そうな顔をした。
「姫様。およしなされ。この村の作物は呪われております。味もなければ栄養もない。食べれば腹を壊すのが関の山でございます」
「大丈夫です。私を信じてください」
私の真っ直ぐな瞳に、老人は何かを感じ取ったようだった。彼はしばらくためらった後、村の共同貯蔵庫から僅かに残っていたという、干からびた豆と痩せ細ったカブを持ってきてくれた。
それは帝都の食材と比べればあまりにもみすぼらしく、生命の光が感じられないものだった。
私はそのカブを自分の手でゆっくりと洗い、皮を剥いた。
その瞬間。
私の体の中から温かい光が溢れ出すのを感じた。
私の手に触れたカブがまるで魔法のように、その姿を変えていった。
乾いていた表面に瑞々しい艶が戻り、萎びていた実はふっくらと張りを取り戻す。そして、本来の色である美しい乳白色が内側から輝き出す。
「な……!?」
その光景を見ていた村長が息を呑んだ。
「これは……神の、御業か…!」
私は確信した。私の力は、この土地の呪いに打ち克つことができる。
私は浄化されたカブと豆を、騎士たちが切った他の野菜と一緒に大きな鍋へと投入した。そして、完成した鶏がらスープをなみなみと注ぎ込む。
味付けは塩とハーブだけ。ごまかしの効かないシンプルなスープ。
全ての食材が鍋の中で一つのハーモニーを奏で始める。
やがて村中に、今まで誰も嗅いだことのないような深く優しく、そしてどうしようもなく幸福な香りが満ち満ちていった。
それはもはやただのスープの香りではなかった。
生命そのものが歓喜の歌を歌っているかのような、奇跡の香りだった。
広場に一人、また一人と村人たちが引き寄せられるように集まってきた。虚ろだった彼らの瞳に確かな光が灯り始めていた。
その光景の全てをレオン様は少し離れた場所から腕を組んで静かに見守っていた。
彼の表情はいつも通り冷静だった。しかし、その蒼い瞳の奥には私の起こした奇跡に対する深い感動と、そして自分の選んだ女性への揺るぎない誇らしさが、燃え盛る炎のように宿っていた。
この辺境の村で今、一つの伝説が始まろうとしていた。
『食の聖女』の本当の力が初めて、そのベールを脱ごうとしていたのだ。
ギルバート様率いる騎士たちが、その屈強な腕で見事な即席のかまどを組み上げ、大きな鍋には村の井戸から汲み上げた水がなみなみと満たされている。
村人たちは何事かと遠巻きにその様子を眺めていた。その虚ろな瞳には好奇心よりも、むしろ警戒の色が濃かった。彼らは長い苦しみの中で希望を持つことを、とうに諦めてしまっていたのだ。
私はそんな彼らの視線を背中に感じながら、調理の準備に取り掛かった。
まず、持ってきた食材を広場の大きな木のテーブルの上に広げる。帝都から持ってきた色鮮やかな野菜たち。それらが灰色の村の中で、ひときわ鮮烈な生命の色を放っていた。
「アリア様、何から始めましょうか」
ギルバート様がやる気に満ちた顔で尋ねてくる。
「ありがとうございます、ギルバート様。では、まずこの野菜を切るのを手伝っていただけますか」
私は人参やカブを指差して言った。
「お任せを! 騎士たるもの、剣だけでなく包丁の扱いも心得ておりますぞ!」
彼はそう言うと、腰の剣を抜くかのような勢いで調理用のナイフを握りしめた。しかしその手つきは、あまりにも無骨で見ているこちらがハラハラしてしまう。
「あ、あの、ギルバート様。皮はもう少し薄く…」
「おおっ! そうか! つい、兜割りの癖で…!」
そのどこか微笑ましいやり取りを見ていた他の若い騎士たちも、「俺たちも手伝います!」と次々に集まってきた。
厨房での調理とは違う、青空の下での炊き出し。それは私にとっても初めての経験だった。しかし、不思議と心は穏やかだった。
私が作るべきものは決まっている。
この、心も体も冷え切ってしまった村人たちを、体の芯から温める最高の一杯。
私は大きな鍋にたっぷりの鶏の骨と香味野菜を入れて火にかけた。基本の鶏がらスープだ。コトコトと時間をかけてじっくりと旨味を引き出していく。
その間に騎士たちが切ってくれた野菜を別の鍋で炒める。油で炒めることで野菜の甘みがぐっと増し、煮崩れも防ぐことができるのだ。
やがてスープから豊かな香りが立ち上り始めた。その生命力に満ちた香りは、風に乗って広場全体に、そして村の隅々まで広がっていく。
遠巻きに見ていた村人たちの間で、小さなざわめきが起きた。
「……なんだ? この、良い匂いは…」
「腹が、鳴った…」
何年も忘れていた『食欲』という名の本能が、彼らの中でかすかに目を覚まし始めていた。
私はスープの灰汁を丁寧にすくい取りながら、自分の手のひらを見つめた。
【生命賛歌】。
私の聖なる力。
この力は食材に触れることでその呪いを浄化し、生命力を与える。ならばこの村の呪われた食材を使えば、どうなるのだろうか。
それは一つの実験であり、そしてこの村を救うための大きな賭けでもあった。
私は村長の老人の元へと向かった。
「村長さん。お願いがあります。この村で採れた、どんなものでも構いません。野菜の切れ端でも干した豆でも。少しだけ分けていただけませんか」
私の申し出に、老人は怪訝そうな顔をした。
「姫様。およしなされ。この村の作物は呪われております。味もなければ栄養もない。食べれば腹を壊すのが関の山でございます」
「大丈夫です。私を信じてください」
私の真っ直ぐな瞳に、老人は何かを感じ取ったようだった。彼はしばらくためらった後、村の共同貯蔵庫から僅かに残っていたという、干からびた豆と痩せ細ったカブを持ってきてくれた。
それは帝都の食材と比べればあまりにもみすぼらしく、生命の光が感じられないものだった。
私はそのカブを自分の手でゆっくりと洗い、皮を剥いた。
その瞬間。
私の体の中から温かい光が溢れ出すのを感じた。
私の手に触れたカブがまるで魔法のように、その姿を変えていった。
乾いていた表面に瑞々しい艶が戻り、萎びていた実はふっくらと張りを取り戻す。そして、本来の色である美しい乳白色が内側から輝き出す。
「な……!?」
その光景を見ていた村長が息を呑んだ。
「これは……神の、御業か…!」
私は確信した。私の力は、この土地の呪いに打ち克つことができる。
私は浄化されたカブと豆を、騎士たちが切った他の野菜と一緒に大きな鍋へと投入した。そして、完成した鶏がらスープをなみなみと注ぎ込む。
味付けは塩とハーブだけ。ごまかしの効かないシンプルなスープ。
全ての食材が鍋の中で一つのハーモニーを奏で始める。
やがて村中に、今まで誰も嗅いだことのないような深く優しく、そしてどうしようもなく幸福な香りが満ち満ちていった。
それはもはやただのスープの香りではなかった。
生命そのものが歓喜の歌を歌っているかのような、奇跡の香りだった。
広場に一人、また一人と村人たちが引き寄せられるように集まってきた。虚ろだった彼らの瞳に確かな光が灯り始めていた。
その光景の全てをレオン様は少し離れた場所から腕を組んで静かに見守っていた。
彼の表情はいつも通り冷静だった。しかし、その蒼い瞳の奥には私の起こした奇跡に対する深い感動と、そして自分の選んだ女性への揺るぎない誇らしさが、燃え盛る炎のように宿っていた。
この辺境の村で今、一つの伝説が始まろうとしていた。
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