無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

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第69話:炊き出しと大地の再生

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鍋から立ち上る生命力に満ちた香り。

それは、もはやどんな言葉よりも雄弁だった。グレイヘム村の村人たちは一人、また一人と、まるで夢遊病者のようにその香りに引き寄せられて広場へと集まってきた。

その数はいつの間にか三十人を超えていた。痩せこけた老人、病で顔色の悪い女性、そして瞳に光のない子供たち。村に残された全ての人々だった。

彼らは広場の中央でぐつぐつと煮える大きな鍋を、信じられないものを見るような、あるいは神の降臨でも待つかのような、畏怖と期待が入り混じった目で見つめていた。

私は鍋の中をゆっくりとかき混ぜながら、最終的な味の調整をしていた。村の呪われたカブと豆は私の力によって完全に浄化され、帝都の野菜にも劣らない素晴らしい風味と甘みをスープに与えてくれていた。

「……できました」

私はかまどの火を弱め、静かに告げた。

その一言を合図に、ギルバート様が力強く号令をかけた。

「者ども、配膳の準備をせよ! 村の皆様に、聖女様からの温かい恵みをお届けするのだ!」

騎士たちがきびきびと動き出す。馬車から持ち出した清潔な木の器とスプーンを、村人たち一人一人に手渡していく。

村人たちは最初、戸惑っていた。見慣れない立派な騎士たちから器を差し出され、どうしていいか分からずにおどおどしている。

「さあ、遠慮なさらずに。アリア様があなたたちのために心を込めてお作りになったのですから」

私ができるだけ優しい声でそう言うと、一番近くにいた小さな女の子がおそるおそる器を差し出した。

私は大きな柄杓で湯気の立つ黄金色のスープをすくい、その小さな器をなみなみと満たしてあげた。ゴロゴロとした色とりどりの野菜と柔らかそうな肉。その全てが幸せな香りと共に湯気を立てている。

女の子は、その器をまるで宝物でも受け取るかのように、両手で大切そうに受け取った。そして自分の母親の元へと駆け戻っていく。

それを皮切りに、他の村人たちも次々と列を作り始めた。私は一人一人の顔を見ながら心を込めてスープを注いでいった。

「ありがとう、ございます…」

か細い感謝の言葉。それはこの村で私が初めて聞いた温かい言葉だった。

やがて広場に集まった全ての村人が、温かいスープの入った器を手にした。しかし誰もすぐにそれを口にしようとはしなかった。ただその温かさと香りを、信じられないというように確かめている。

そんな中、最初にスプーンを動かしたのはあの小さな女の子だった。

彼女は母親に見守られながら、スープを一口、小さな口へと運んだ。

次の瞬間。

その子の長い間光を失っていた瞳が、驚きに大きく、大きく見開かれた。

そして。

「……おいしい」

ぽつりと呟かれたその一言。

それはこの村に何年、いや何十年も響くことのなかった、純粋な子供の喜びの声だった。

その声が魔法の呪文となった。

他の村人たちも堰を切ったように、一斉にスープを口にし始めた。

広場は静寂に包まれた。聞こえるのは人々が夢中でスプーンを動かす音と、時折漏れる抑えきれない幸福なため息だけ。

一口、食べるごとに。

彼らの乾ききっていた心と体に、温かい生命力が染み渡っていく。

一口、食べるごとに。

長年の呪いがもたらした絶望と無気力が洗い流されていく。

ある老人は涙を流していた。
「……味がする。わしの舌はまだ味を忘れとらんかった…」

ある母親はスープを頬張る我が子の姿を見て、静かに微笑んでいた。
「ああ、神様……。この子がこんなに美味しそうに食べる顔を見るのは何年ぶりでしょう…」

それはもはやただの炊き出しではなかった。

『食の聖女』が起こした集団治療の儀式。絶望に沈んだ魂を一斉に救済する奇跡の光景だった。

そして、その奇跡は人々だけにとどまらなかった。

私がスープを配るために広場の地面を歩き回っていた、その時。

私の足元で不思議な現象が起きていた。

私が踏みしめた枯れ果てていたはずの灰色の土。その地面から、まるで春の訪れを告げるかのように小さな、小さな緑色の双葉がいくつも芽吹き始めていたのだ。

私の【生命賛歌】の力が私の体を媒体として、大地そのものにまで影響を与え始めていた。

それはまだごくごく僅かな変化だった。しかし、それはこの土地を覆う二百七十年の呪いが確かに浄化され始めていることを示す、希望の兆しだった。

そのあまりにも神々しい光景を、騎士の一人が偶然目にした。

「……み、見ろ! アリア様の足元を!」

彼の震える声に、他の騎士たちも村人たちも一斉に私の足元に視線を向けた。

そして、誰もが息を呑んだ。

聖女が歩いたその後ろに。緑の生命が生まれている。

「おお……!」
「聖女様……! 本物の聖女様だ!」

村人たちはスープの器を持ったままその場にひざまずき始めた。その瞳にはもはや疑いの色はない。ただ、絶対的な神への信仰にも似た敬愛の光が燃え盛っていた。

私は自分の足元で起きている奇跡にただ呆然としていた。

私の力が、こんなことまで。

その力のあまりの大きさに、私は少しだけ恐怖を覚えた。

その時。

私の肩に大きな手がそっと置かれた。

振り返るとそこにいたのはレオン様だった。彼はいつの間にか私の隣に立っていた。

彼の蒼い瞳はひざまずく村人たちではなく、ただ私だけを見つめていた。

その瞳はこう語っていた。

「怖がることはない。それが君の力だ。君が君らしく生きた証だ」

彼の揺るぎない眼差しが私の心の恐怖を優しく取り除いてくれた。

そうだ。これは私の力。

ならばこの力を人々のために、この国のために使うだけだ。

私はひざまずく村人たちに向かって、ゆっくりと、そして力強く言った。

「さあ、顔を上げてください。スープが冷めてしまいますよ」

その声は、もはやただの人質の王女のものではなかった。

民を導き希望を与える『聖女』としての、威厳と慈愛に満ちた響きを持っていた。
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