無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

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第82話:浄化の光

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アリアの意識が闇に沈んだ、その瞬間。

黒き祭壇は最後の断末魔のような低い呻き声を上げると、その表面にびしりと一本の亀裂を走らせた。そしてそれを皮切りに、まるで雪崩のように全体がガラガラと崩れ落ち、ただの黒い石くれの山と化した。

二百七十年もの間、この帝国を蝕み続けてきた呪いの根源は完全にその機能を停止した。

同時に、アリアの全身から放たれていた世界を包むほどの黄金色の光もまた、ふっとその輝きを失った。まるで役目を終えた星が静かに眠りにつくように。

「アリアッ!」

レオンの絶叫が響き渡った。

彼は崩れ落ちる祭壇の瓦礫も構わず、力なくその場に崩れ落ちようとするアリアの体を滑り込むようにして、その腕の中に抱きとめた。

腕の中のアリアはまるで眠っているかのように穏やかな顔をしていた。しかしその体は氷のように冷たく、呼吸もかろうじて感じられる程度に浅く弱い。

彼女は自らの生命力のほとんど全てを、帝国全土の呪いを浄化するために使い果たしてしまったのだ。

「しっかりしろ! アリア! 目を開けろ!」

レオンは必死に彼女の名を呼んだ。しかし、その声はもう彼女には届いていない。

「陛下!」

ギルバートや他の騎士たちが駆け寄ってくる。彼らの顔にも安堵と、そしてアリアの身を案じる深い憂いの色が浮かんでいた。

広間を満たしていた禍々しい瘴気は完全に消え去っている。代わりに天井の岩の裂け目から、まるで祝福するかのように一本の清浄な光の筋が差し込んできていた。

呪いは解けたのだ。

しかし、その代償はあまりにも大きかった。

レオンはアリアの冷たい頬を震える手でそっと撫でた。

(俺が守ると誓ったのに)

結局また彼女に全てを背負わせてしまった。彼女のそのあまりにも大きな優しさと自己犠牲の精神に甘えてしまった。

皇帝としての無力感と、一人の男としての後悔が彼の胸を容赦なく締め付ける。

「……帰るぞ」

彼は低い、絞り出すような声で言った。

「帝都へ。アリアを連れて帰る」

彼はアリアの体を、まるで世界で最も尊い宝物でも扱うかのように優しく、しかし力強く横抱きにした。その体はあまりにも軽く、彼の罪悪感をさらに増幅させた。

遺跡からの帰路は、来た時とはまるで違う光景が広がっていた。

あれほど不気味だったねじ曲がった枯れ木々には、小さな、小さな緑色の若葉が芽吹き始めていた。淀んでいた川には清らかな水の流れが戻り、せせらぎの音が優しく響いている。

鳥たちが戻ってきていた。その何年も聞こえることのなかった生命の歌声が森の奥から聞こえてくる。

大地が生き返ったのだ。

呪いの枷から解き放たれ、本来の豊かな生命力を取り戻し始めていた。

その光景は騎士たちの心を深く、深く揺さぶった。

「……聖女様がこの大地を救ってくださったのだ」

誰かがぽつりと呟いた。

その言葉に誰もが無言で頷いた。

彼らはただ腕の中で眠り続ける少女の、その穏やかな寝顔を絶対的な敬愛と、そして感謝の念を込めて見つめることしかできなかった。

数日後。

私たちの帰還を知らせる早馬が帝都アスガルドに到着した時。

帝都は歓喜の渦に包まれていた。

『呪いは解けた!』
『聖女様が我らを救ってくださった!』

瘴気が晴れたあの日以来、帝都では奇跡のような出来事が次々と起こっていた。

原因不明の病に苦しんでいた人々が次々と回復し、街には活気が戻ってきた。
何年も実らなかった城下の畑から、力強い緑の芽が一斉に顔を出した。
そして何より、人々が口にするパンやスープの味が明らかに変わっていた。素材本来の豊かな味わいが戻ってきたのだ。

人々は、その全てが遠い地で戦っているであろう『食の聖女』のおかげであることを、理屈ではなく魂で理解していた。

レオンの率いる一行が帝都の城門をくぐった時。

彼らを迎えたのは、道の両脇を埋め尽くした無数の民衆だった。

彼らはレオンの腕の中で静かに眠り続けるアリアの姿を認めると。

誰からともなくその場にひざまずき始めた。

そして彼らは叫んだ。

地響きのような感謝と歓喜の叫びを。

「聖女様! 我らが聖女様がお戻りになられたぞ!」
「ありがとう、ございます! この国を救ってくださり、誠にありがとうございます!」

その声は波となり、帝都全体を揺るがした。

レオンは、その光景を馬上から静に見つめていた。

民衆の熱狂。

アリアはもはやただの『食の聖女』ではない。

この国を二百七十年の長きにわたる呪いから解放した『救国の聖女』として、帝国の歴史にその名を永遠に刻むことになったのだ。

彼は腕の中のアリアの白い額にそっと自分の唇を寄せた。

(……聞こえるか、アリア)

(これが君がその身を賭して守り抜いた国の姿だ)

(だから早く目を覚ましてくれ)

(そして君が救ったこの世界で、今度は俺が君を世界で一番幸せにすると誓うから)

彼の声なき誓いは、民衆の熱狂的な歓声の中に静かに溶けていった。

浄化の光は帝国全土を照らし、新たな時代の幕開けを告げていた。

しかし、その光の中心にいるべき聖女は、まだ深い、深い眠りの中だった。
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