無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

文字の大きさ
88 / 101

第88話:故国の崩壊

しおりを挟む
イザベラの追放は、リンドブルム王国の終わりの始まりに過ぎなかった。

民衆の怒りの矛先は、娘を失った国王、ただ一人へと集中した。彼は全ての権威を失墜し、もはや玉座に座るだけの無力な抜け殻となっていた。

「退位せよ!」
「無能な王はいらない!」

王宮の門前では、連日そのようなシュプレヒコールが鳴り響いた。かつて彼がアリアに投げつけた『無能』という言葉が、今やブーメランのように彼自身に突き刺さっていた。

貴族たちも彼を見限った。宰相をはじめとする有力貴族たちは、国王を半ば無視する形で、国の行く末を議論するための独自の議会を組織し始めた。

国王は完全に孤立した。

彼を支える者は、もはや誰もいない。

そんな絶望的な状況の中で、彼の精神はゆっくりと、しかし確実に蝕まれていった。

彼は夜な夜な悪夢にうなされるようになった。

夢の中に出てくるのは、いつも彼が捨てた二人の娘の姿だった。

一人は、泥にまみれ、虚ろな目をしたイザベラ。彼女は何も言わずに、ただ恨めしそうに彼を見つめている。
『お父様、なぜ私を見捨てたのですか』

もう一人は、幼い頃のアリア。魔力がないと判明したあの日の姿。彼女はただ静かに泣いていた。
『お父様、なぜ私を愛してくれなかったのですか』

「やめろ……やめてくれ……!」

彼は叫びながら目を覚ます。しかし、静まり返った寝室には彼一人しかいない。その絶対的な孤独が、彼の心をさらに苛んだ。

彼は後悔していた。

しかし、その公開は自分の犯した罪に対するものではない。

なぜアリアの価値にもっと早く気づかなかったのか。なぜイザベラをもっと上手くコントロールできなかったのか。

そのどこまでも自己中心的で身勝手な後悔だけが、彼の心をぐるぐると巡っていた。

そんなある日。

貴族議会はついに最後の決断を下した。

国王の強制的な退位。

数人の騎士が玉座の間に踏み込み、ほとんど抵抗もしない国王から王冠と王笏を取り上げた。

彼は全ての権力を失い、王城の北の塔に幽閉されることになった。それはかつてアリアが与えられていた部屋よりも、さらにみすぼらしく冷たい部屋だった。

食事は一日一度。固いパンと水だけ。

彼がアリアに与えていた食事と全く同じものが、今、彼自身に与えられていた。

彼は、その味のしないパンを毎日ただ黙々と食べた。

食べるたびに思い出す。

アリアが作ったという奇跡の料理。その噂を。

一体どんな味がしたのだろうか。

それを一口でも食べることができたなら。

自分の人生は何か違っていたのだろうか。

そんな詮無いことを彼は来る日も来る日も考え続けた。

そして、彼の心はゆっくりと壊れていった。

国王を失ったリンドブルム王国は、もはや国としての体をなしていなかった。

貴族たちは王位を巡って醜い派閥争いを繰り広げた。その混乱に乗じて、領地の民から重税を取り立て私腹を肥やす者も現れた。

民衆の不満はついに限界を超えた。

王都で大規模な暴動が起きた。

飢えた民衆は貴族の屋敷を襲い、食料を略奪した。その炎は瞬く間に国中に広がり、リンドブルムは完全な無政府状態に陥った。

故国の崩壊。

その報せは、ガルディナ帝国にいる私の元にも、エリオット様を通じて届けられた。

私はその報告書をただ黙って読んでいた。

涙は出なかった。

悲しいという気持ちもなかった。

ただ、胸の中に大きな空洞がぽっかりと空いてしまったかのような、虚無感があるだけだった。

私が生まれ育った国。

良い思い出など一つもなかったけれど。それでも、私の故郷だった場所。

それが今、燃え盛る炎の中で消え去ろうとしている。

「……自業自得ですわね」

私の口から、自分でも驚くほど冷たい声が漏れた。

父も姉も、そしてあの国の貴族たちも民衆も。

彼らは自分たちの愚かさの代償を支払っているだけなのだ。

私が心を痛める必要などどこにもない。

そう頭では分かっているのに。

なぜだろう。

胸の奥がずきりと痛んだ。

その日の夜。私は一人、厨房で火の前に座っていた。

かまどの中の赤い炎がゆらゆらと揺れている。その光景が、炎に包まれる故郷の街並みと重なって見えた。

「……眠れないのか」

いつの間にか、レオン様が私の隣に立っていた。

彼は何も言わずに私の隣に腰を下ろした。

「……故郷のことが気になるか」

彼の優しい問いに、私は小さく首を横に振った。

「いいえ。もう私の故郷はここですから」

私の偽らざる本心だった。

「でも……」

私は言葉を続けた。

「もし私が、あの国に残っていたなら。私の力で、あの国を救うことはできたのでしょうか」

それは考えても仕方のない『もしも』の話。

しかし、その問いを口にせずにはいられなかった。

レオン様はしばらく黙っていた。そして、ゆっくりと口を開いた。

「……できなかっただろうな」

そのきっぱりとした言葉に、私は少しだけ驚いた。

「君の力は確かに絶大だ。だが、君の力はそれを受け入れる心を持つ者にしか届かない。当時のリンドブルムに、君の優しさを正しく受け止められる人間が一人でもいただろうか」

彼の言葉は厳しく、そして真実だった。

「君は種だ、アリア。君という希望の種は、豊かで温かい土壌でしか芽吹くことはできない。石ころだらけの痩せた土地では、ただ枯れてしまうだけだ」

彼は私の手をそっと取った。

「君が花を咲かせる場所はあの国ではなかった。ただそれだけのことだ。君は何も悪くない」

彼の温かい言葉。

私の心の最後の罪悪感を、優しく洗い流してくれた。

そうだ。

私は、私の花を咲かせる場所を見つけたのだ。

この温かい帝国で。

この優しい人の隣で。

「……ありがとうございます、レオン様」

私は彼の肩にそっと頭をもたせかけた。

彼は何も言わずに、ただ優しく私の髪を撫でてくれた。

故国の崩壊。

それは一つの時代の完全な終わり。

そして、私の過去との完全な決別を意味していた。

もう振り返らない。

私は前だけを向いて生きていく。

この愛する人と共に。
しおりを挟む
感想 47

あなたにおすすめの小説

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

罰として醜い辺境伯との婚約を命じられましたが、むしろ望むところです! ~私が聖女と同じ力があるからと復縁を迫っても、もう遅い~

上下左右
恋愛
「貴様のような疫病神との婚約は破棄させてもらう!」  触れた魔道具を壊す体質のせいで、三度の婚約破棄を経験した公爵令嬢エリス。家族からも見限られ、罰として鬼将軍クラウス辺境伯への嫁入りを命じられてしまう。  しかしエリスは周囲の評価など意にも介さない。 「顔なんて目と鼻と口がついていれば十分」だと縁談を受け入れる。  だが実際に嫁いでみると、鬼将軍の顔は認識阻害の魔術によって醜くなっていただけで、魔術無力化の特性を持つエリスは、彼が本当は美しい青年だと見抜いていた。  一方、エリスの特異な体質に、元婚約者の伯爵が気づく。それは伝説の聖女と同じ力で、領地の繁栄を約束するものだった。  伯爵は自分から婚約を破棄したにも関わらず、その決定を覆すために復縁するための画策を始めるのだが・・・後悔してももう遅いと、ざまぁな展開に発展していくのだった  本作は不遇だった令嬢が、最恐将軍に溺愛されて、幸せになるまでのハッピーエンドの物語である ※※小説家になろうでも連載中※※

【完結】偽物聖女は冷血騎士団長様と白い結婚をしたはずでした。

雨宮羽那
恋愛
 聖女補佐官であるレティノアは、補佐官であるにも関わらず、祈りをささげる日々を送っていた。  というのも、本来聖女であるはずの妹が、役目を放棄して遊び歩いていたからだ。  そんなある日、妹が「真実の愛に気づいたの」と言って恋人と駆け落ちしてしまう。  残されたのは、聖女の役目と――王命によって決められた聖騎士団長様との婚姻!?  レティノアは、妹の代わりとして聖女の立場と聖騎士団長との結婚を押し付けられることに。  相手のクラウスは、「血も涙もない冷血な悪魔」と噂される聖騎士団長。クラウスから「俺はあなたに触れるつもりはない」と言い放たれたレティノアは、「これは白い結婚なのだ」と理解する。  しかし、クラウスの態度は噂とは異なり、レティノアを愛しているようにしか思えなくて……?  これは、今まで妹の代わりの「偽物」として扱われてきた令嬢が「本物」として幸せをつかむ物語。 ◇◇◇◇ お気に入り登録、♡、感想などいただければ、作者が大変喜びます! モチベになるので良ければ応援していただければ嬉しいです♪ ※いつも通りざまぁ要素は中盤以降。 ※完結まで執筆済み ※表紙はAIイラストです ※アルファポリス先行投稿(他投稿サイトにも掲載予定です)

ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件

ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。 スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。 しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。 一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。 「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。 これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。

『異世界転生してカフェを開いたら、庭が王宮より人気になってしまいました』

ヤオサカ
恋愛
申し訳ありません、物語の内容を確認しているため、一部非公開にしています この物語は完結しました。 前世では小さな庭付きカフェを営んでいた主人公。事故により命を落とし、気がつけば異世界の貧しい村に転生していた。 「何もないなら、自分で作ればいいじゃない」 そう言って始めたのは、イングリッシュガーデン風の庭とカフェづくり。花々に囲まれた癒しの空間は次第に評判を呼び、貴族や騎士まで足を運ぶように。 そんな中、無愛想な青年が何度も訪れるようになり――?

妹に裏切られた聖女は娼館で競りにかけられてハーレムに迎えられる~あれ? ハーレムの主人って妹が執心してた相手じゃね?~

サイコちゃん
恋愛
妹に裏切られたアナベルは聖女として娼館で競りにかけられていた。聖女に恨みがある男達は殺気立った様子で競り続ける。そんな中、謎の美青年が驚くべき値段でアナベルを身請けした。彼はアナベルをハーレムへ迎えると言い、船に乗せて隣国へと運んだ。そこで出会ったのは妹が執心してた隣国の王子――彼がこのハーレムの主人だったのだ。外交と称して、隣国の王子を落とそうとやってきた妹は彼の寵姫となった姉を見て、気も狂わんばかりに怒り散らす……それを見詰める王子の目に軽蔑の色が浮かんでいることに気付かぬまま――

ボロボロになるまで働いたのに見た目が不快だと追放された聖女は隣国の皇子に溺愛される。……ちょっと待って、皇子が三つ子だなんて聞いてません!

沙寺絃
恋愛
ルイン王国の神殿で働く聖女アリーシャは、早朝から深夜まで一人で激務をこなしていた。 それなのに聖女の力を理解しない王太子コリンから理不尽に追放を言い渡されてしまう。 失意のアリーシャを迎えに来たのは、隣国アストラ帝国からの使者だった。 アリーシャはポーション作りの才能を買われ、アストラ帝国に招かれて病に臥せった皇帝を助ける。 帝国の皇子は感謝して、アリーシャに深い愛情と敬意を示すようになる。 そして帝国の皇子は十年前にアリーシャと出会った事のある初恋の男の子だった。 再会に胸を弾ませるアリーシャ。しかし、衝撃の事実が発覚する。 なんと、皇子は三つ子だった! アリーシャの幼馴染の男の子も、三人の皇子が入れ替わって接していたと判明。 しかも病から復活した皇帝は、アリーシャを皇子の妃に迎えると言い出す。アリーシャと結婚した皇子に、次の皇帝の座を譲ると宣言した。 アリーシャは個性的な三つ子の皇子に愛されながら、誰と結婚するか決める事になってしまう。 一方、アリーシャを追放したルイン王国では暗雲が立ち込め始めていた……。

裏庭係の私、いつの間にか偉い人に気に入られていたようです

ルーシャオ
恋愛
宮廷メイドのエイダは、先輩メイドに頼まれ王城裏庭を掃除した——のだが、それが悪かった。「一体全体何をしているのだ! お前はクビだ!」「すみません、すみません!」なんと貴重な薬草や香木があることを知らず、草むしりや剪定をしてしまったのだ。そこへ、薬師のデ・ヴァレスの取りなしのおかげで何とか「裏庭の管理人」として首が繋がった。そこからエイダは学び始め、薬草の知識を増やしていく。その真面目さを買われて、薬師のデ・ヴァレスを通じてリュドミラ王太后に面会することに。そして、お見合いを勧められるのである。一方で、エイダを嵌めた先輩メイドたちは——?

処理中です...