お前のような地味な女は不要だと婚約破棄されたので、持て余していた聖女の力で隣国のクールな皇子様を救ったら、ベタ惚れされました

夏見ナイ

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第16話:エルミート帝国へ

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アシュレイの指笛が森の静寂を切り裂いてから、それほど時間はかからなかった。
木々の奥から、複数の人影が猛烈な速度でこちらへ向かってくる気配がした。それはただの足音ではない。鍛え上げられた者が発する、一切の無駄がない動きの音だった。

茂みをかき分け、最初に姿を現したのは、熊のように大柄な騎士だった。その顔には大きな傷跡があり、歴戦の猛者であることを物語っている。彼はアシュレイの無事な姿を認めると、安堵の息を漏らしたが、その直後、アシュレイの隣にいるリリアーナの存在に気づき、鋭い警戒の視線を向けた。

「殿下! ご無事でしたか!」
「魔物の残党は片付けたか、レオナルド」
「はっ! 全て掃討いたしました。しかし、殿下とはぐれてしまい……申し訳ございません!」
レオナルドと呼ばれた騎士団長らしき男が、深く頭を下げる。続いて、同じように精悍な顔つきの騎士たちが五、六人、周囲を固めるように現れた。彼らもまた、リリアーナの姿を訝しげに見つめている。その視線は冷たく、まるで得体の知れない侵入者を値踏みしているかのようだった。

リリアーナは居心地の悪さに身を縮こませた。無理もない。泥と葉にまみれた怪しい娘が、行方不明だった皇子のそばにいるのだ。警戒されるのは当然だった。

「この娘は?」
レオナルドが、低い声でアシュレイに問うた。その声には、リリアーナに対する明確な敵意が込められている。
アシュレイは、リリアーナに一瞥もくれず、淡々と答えた。
「私の命の恩人だ。魔瘴の呪いを受け、動けなくなっていたところを、彼女に救われた」
その言葉に、騎士たちの間に衝撃が走った。彼らの表情が、驚愕に染まる。皇子が長年苦しめられてきた呪いを、この小さな娘が救った。にわかには信じがたい話だった。

アシュレイは、彼らの動揺を無視して続けた。
「彼女を帝国へ連れて行く。私の専属の癒やし手として、だ」
「なっ……殿下、お待ちください! 素性も知れぬ者を、皇城に上げるなど……!」
レオナルドが慌てて進言するが、アシュレイは氷の視線でそれを黙らせた。
「決定だ。異論は許さない」
その一言は、絶対的な王族の持つ威厳に満ちていた。レオナルドは悔しそうに唇を噛んだが、それ以上何も言うことはできなかった。騎士たちは顔を見合わせ、戸惑いを隠せないでいる。

リリアーナは、ただそのやり取りを呆然と見ていることしかできなかった。自分の意志など、どこにも介在する余地はない。全てが、この氷の皇子の思うままに進んでいく。

やがて、騎士の一人が森の外れに隠してあった馬を引いてきた。その中の一頭は、他の馬よりも一回り大きく、黒曜石のような艶やかな毛並みを持つ見事な軍馬だった。アシュレイは軽々とその馬に跨ると、リリアーナに向かって手を差し伸べた。
「乗れ」
「え……あの、わたくしは……」
「歩かせるわけにはいかない。お前は消耗している」
有無を言わせぬ口調だった。リリアーナは躊躇したが、彼の冷たい視線に逆らうことはできず、恐る恐るその手を取った。力強い腕が、彼女の体を軽々と引き上げ、彼の前に乗せる。
馬の背は高く、硬い筋肉の感触と、彼の体温が背中から伝わってきた。リリアーナは緊張で全身が石のように固まった。

一行は、帝国へと向かって森を抜けた。森を抜けると、そこはもうエルミート帝国の領土だった。リリアーナがいた王国とは明らかに違う、厳格で質実剛健な空気が漂っている。街道は広く整備され、畑は整然と区画整理されていた。全てが、完璧に管理されている。

街道の途中で、彼らのために用意されていたらしい豪奢な馬車に乗り換えた。リリアーナは、アシュレイと同じ馬車に乗るように命じられる。
向かい合わせの座席に座ると、気まずい沈黙が流れた。馬車の内装は、黒檀と深紅のベルベットで統一され、華美ではないが最高級の品であることが一目で分かる。リリアーナは、自分の汚れた姿がその空間を汚しているようで、ますます身を小さくした。

沈黙を破ったのは、リリアーナの方だった。このまま何も聞かずに帝国へ連れて行かれるのは、あまりにも恐ろしかった。
「あの……殿下」
アシュレイは窓の外を見ていたが、その声にゆっくりと顔を向けた。青い瞳が、静かに彼女を捉える。
「……その、呪いというのは、一体……」
失礼な質問かもしれない。しかし、どうしても知っておきたかった。自分の力が、一体何を相手にしたのかを。

アシュレイはしばらく黙っていた。答える気はないのかもしれない。リリアーナが諦めかけた、その時だった。
「私が五歳の時だ」
ぽつりと、彼が口を開いた。
「敵国の魔術師によってかけられた。以来、ずっと私を蝕み続けている」

彼の声は、やはり平坦だった。まるで他人事のように、自分の苦しみを語る。
「常に生命力を奪われ、全身に激痛が走る。特に……感情が昂ると、呪いは活性化し、耐え難い苦痛となって私を襲う。怒り、喜び、悲しみ。強い感情は、全てが引き金になる」

リリアー-ナは息をのんだ。
感情を殺して生きる。彼が「氷の皇子」と呼ばれる理由は、それだったのだ。冷徹なのではない。そうしなければ、生きていけなかったのだ。
「だから、私は感情を捨てた。不要なものとして、心の奥底に封じ込めた。そうでなければ、皇太子としての責務を果たすことなどできん」

彼の言葉の端々に、長年にわたる絶望と諦念が滲んでいた。五歳の子供が、どれほどの恐怖と苦痛の中で、感情を殺すことを学んだのだろう。想像するだけで、胸が締め付けられるようだった。

「お前の力は、その呪いの核にまで届いた。これほどの効果があったのは、初めてだ」
アシュレイは、自分の手のひらを見つめながら言った。
「だから、お前が必要だ。私の呪いを……完全に解くことができるかもしれん」
その青い瞳の奥に、ほんの僅か、希望とも期待ともつかない微かな光が揺らめいたのを、リリアーナは見逃さなかった。

彼はずっと、一人で戦ってきたのだ。誰にも理解されず、誰にも頼らず、たった一人で。
リリアーナの心に、これまで感じたことのない感情が芽生えていた。
同情ではない。憐憫でもない。
この人の力になりたい。
そう、強く思った。

「……わたくしに、できるかどうかは分かりません。でも……」
リリアーナは、震える声で言った。
「精一杯、やらせていただきます」
それは、彼女の人生で初めて、誰かに必要とされて、自分の意志で返した言葉だった。

アシュレイは何も答えなかった。ただ、じっと彼女を見つめるだけだった。
しかし、その氷の瞳が、ほんの少しだけ和らいだように見えたのは、きっと気のせいではなかっただろう。

やがて、馬車の窓の外に、巨大な城壁が見えてきた。
天を突く尖塔と、白亜の城。エルミート帝国の王都、エルミリア。
リリアーナの新たな人生が、今、始まろうとしていた。
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