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第3章
20 竜族の襲撃 ※へレーナ視点
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サーラにはリアム様との旅を自慢げに言ったけど、心から楽しめなかった。
なぜなら――
『フォルシアン公爵に伝えろ。リアムの味方をしても損をするだけだと』
ルーカス様の言葉を思いだし、ゾッとした。
きっとルーカス様は四大公爵全員を自分の手駒にしてから、王位につくつもりでいる。
もちろん、私は怖くなって、ルーカス様に言われたとおり、お父様にそれを伝えた。
でも、お父様は一瞬だけ難しい顔をしただけで、リアム様につくことを決めているようだ。
ルーカス様が王になるとは思っていない。
ただの脅しと判断したようだった。
――あたしはルーカス様が怖い。でも、リアム様も同じくらい怖いのよっ!
ちょっと目があっただけで、『こっちを見るな』という威圧感を感じる。
本当にそう思っているわけではないはずだけど、リアム様の鋭い目が人を寄せ付けない。
それでも、頑張って仲良くなろうと試みるも――
「ここから先は通せません」
「リアム様から、へレーナ様を自分に近寄らせるなと命じられております」
宮廷魔術師たちはリアム様の周囲に必ずいて、あたしが近づくのを阻み、近寄らせなかった。
――宮廷魔術師を壁にするとか、なんなの!? 壁が分厚すぎて打ち破れないんですけど?
「あたしはリアム様の妃候補よ? 王宮にだって、自分の部屋を持っているんだから!」
「存じております。ですが、我々はご令嬢を守っている立場。妨害するつもりはみじんもございません」
「怪我したり、死にたくないでしょう? リアム様は近づいた暗殺者や魔物を反射的に葬ります」
――それって、リアム様が拒んだ勢いで、あたしが死ぬってこと!?
そして、今、さりげなく失礼なことを言われたような気がするわ。
あたしが暗殺者や魔物と同じ扱いなんて、完全に馬鹿にしてる。
けれど、リアム様と長年の付き合いである宮廷魔術師たち。
彼らが言うからには、きっとこれが初めてのことじゃない。
――おかしいわ。絶対におかしいっ! この旅で二人の距離が近づくはずだったのに!
それが、数歩の距離も近寄らせてくれない。
あたしとリアム様の間には、見えない壁がある。
それも分厚い壁が。
リアム様は王都から遠ざかれば遠ざかるほど、人を寄せつけなくなった。
竜の巣がある島の対岸までたどり着いた頃には、こちらから話しかけるのをためらうほどだ。
徐々にお父様の機嫌も悪くなる。
「ふん。すました顔をしていられるのも今のうちだけだ」
お父様はリアム様がフォルシアン公爵家を頼ってこない状況が面白くなかった。
竜族との戦いが起きれば、リアム様が頼れるのはフォルシアン公爵家だけだというのに、なぜ頼ってこないのか。
リアム様が力を貸してほしいとお願いしてきたところを狙って、お父様は力を貸す代わりに、あたしを妃にするよう要求する筋書きだったのだ。
いくら天才魔術師といえど、竜の大群に一人で立ち向えるわけがないのだから。
「リアム様がなにを考えているかわからないが、竜族のほうはうまくいったな」
「でも、お父様。竜の数が多くないかしら?」
「へレーナ。案ずるな」
お父様は海を挟んだ向こう側にある竜の巣を眺め、悪い顔で笑った。
ここの竜族が、他の竜にも協力を求めたのか、他の巣で暮らす竜も飛来し、数を増やしている。
「どれだけ数を増やし、探そうが無駄だ。卵は竜の目から見つけ出しにくい場所に隠し、魔術を施してある」
「どこに隠してあるの?」
「ヘレーナ。当てられたら教えてやろう」
――わかるわけないじゃない。
考えるのも馬鹿馬鹿しい。
わかるわけないから、あたしにお父様はそんなふうに言ったのだと思う。
竜の卵が見つかると、この作戦は終わってしまう。
竜の卵の場所を知っているのは、お父様とそれを運んだ者のみ。
「たとえ、場所がわかったとしても、手練れの奴隷が卵を守っている。それを突破して取り戻すのは不可能だ」
「でも、お父様。もしも、作戦が失敗したらどうなるの?」
「失敗したとしても、獣人が罪をかぶってくれる」
「獣人が?」
六百年前、竜族との戦いでヴィフレア王国の地は荒れ果てた。
竜族と敵対することがないように、お父様は考えてあるらしい。
「そうだ。この作戦を思いついたのも、手頃な獣人の奴隷が手に入ったおかげだ」
お父様は竜の卵を獣人の奴隷に命じ、盗ませた。
身体能力の高い獣人は、海に小舟ひとつ浮かべて、見事盗み出してきたというわけだ。
「獣人など獣と同じだと思っていたが、なかなか役に立つ」
「お父様。卵を守りきれたら、彼らを自由にしてあげるのでしょ?」
竜の卵を盗んだ時に多額の報酬を支払った。
そして、次は彼らを自由にするのを条件に、竜の卵の護衛を命じた。
「守りきれたとしても、竜の巣に忍び込んだ罪で処刑されるがな」
お父様は最初からそのつもりで、獣人たちに盗ませたのだ。
――なんだか、あたしが思っていたのと違うわ。もっと堂々とお父様が竜と戦ってるんだって、想像してたけど違うのね。
現実を知ってがっかりした。
一生懸命、剣術を学んでいれば、いずれ竜や魔獣を倒せるようになるんだと信じていた。
――傭兵が主力だったなんて。
しかも、フォルシアン公爵家の兵士は、雇われた傭兵より弱い。
お父様は自分の身を傭兵に守らせて、後方から戦いを傍観するつもりでいる。
せめて、あたしだけでも竜と戦いたい。
「お父様。あたしは竜と戦うわ!」
「馬鹿を言うな。お前は安全な場所にいろ」
「でも、兵の士気が……」
「兵士たちも戦わない。貴族の三男や四男だ。死んだら困るだろう」
――なんのために連れてきたの?
野営の準備が終わり、お父様はワインの準備を始める。
お父様は竜を見物するためにきたのだとわかった。
一方、リアム様はこちらを無視して、派遣された宮廷魔術師とともに野営の準備をしている。
竜を刺激しないためか、リアム様たちは森の中を選び、自分たちの姿を隠した。
「お父様。あたしたちも姿を隠さなくてもいいの?」
「宮廷魔術師たちが大勢いる。彼らは我々を守るだろう。セアン様もいらっしゃるしな」
宮廷魔道具師長のセアン様が、リアム様のそばに控えている。
作戦を話し合っているのか、二人の表情は真剣そのものだ。
時々、リアム様の視線は竜の巣ではなく、王都の方角を眺めていることに気づいた。
――もしかして、サーラのことを考えているとか!?
「リアム様! 少しお話をしませんこと?」
こちらに視線を向けさせたけれど、その冷たい青い瞳に足がすくんで、近づけなかった。
――こ、怖い!
戦いに備えているからか、いつも以上に緊張感が漂っていた。
「なにか用か?」
「あ、あの……その、竜をこんな近くで見るのは初めてで……」
「近い? これが?」
「え?」
海を挟んでいても近いと思うのに、リアム様は遠いと感じている。
それは、あたしが実戦を知らないから――
「竜だ! 竜が襲ってきたぞ!」
気づくのが遅かった。
あたしは竜と戦うということが、どんなものであるか、少しもわかっていなかったのだ。
激しい風が吹き、地面の砂と小石が巻きあがる。
鎧で覆われていない顔と手にぶつかって、痛みを感じ、目を閉じた。
「な、なにが起きたの!」
「竜が飛来したか」
落ち着いたリアム様の声に、ゾッとした。
同じ人間であるはずなのに、今までどれだけ竜を狩ったのか、まったく動じてない。
「ひっ!」
大きな黒い影が頭上にかかり、空を見上げると鱗に覆われた竜の腹が見えた。
押し潰されたら、確実に死んでしまう。
「リ、リアム様……」
「鱗は赤か。それなら、まだ三百年ほどの若い竜だな」
――三百年が若いって、どういうことよ!? リアム様は竜が怖くないの?
頭上を旋回した赤い竜は、海面を低空飛行し、陸に海水をぶちまけた。
夕食のために起こした火が一瞬で消え、食事が水に浸かる。
お父様が用意していたワインの瓶が地面に落ち、粉々に砕け散った。
宮廷魔術師たちが野営地を森に決めたのは、これがあったからだ。
木の高さより下に竜は飛べず、森の木々は風を遮った。
けれど、これはまだ序の口。
竜はリアム様に向かって炎を吐く。
リアム様が死んでしまうと思った。
でも、あたしは一歩も動けず、できたのは叫び声をあげるだけ。
「きゃああああっ! リアム様っ!」
普通の人間なら、丸焦げになっていた。
それを魔術ではなく、道具も詠唱も必要としない魔法を使って、氷の壁を作って身を守る。
炎は氷の壁に阻まれ、周囲に散って消えた。
セアン様がリアム様のそばに近寄り、魔術強化と魔力増幅のブレスレットを渡す。
「親友。魔道具は渡したんだから俺も守ってくれよ?」
「誰が親友だ」
リアム様はセアン様に冷たい態度をとる。
余裕で炎を防いだからか、赤の竜だけでなく、青の竜までやってくる。
「若い部類の彼らは血の気が多く、気性が荒々しい。ヘレーナ。戦わないのか?」
「えっ!? た、た、戦う?」
「お前の剣で俺を守ると言っていたな? あれは嘘か?」
「そ、それはっ!」
腰を抜かし、立てないのに剣を振るえるわけがなかった。
わかってるはずなのに、リアム様はわざとあたしに言っているのだ。
お父様に助けを求めようとしたけど、お父様のほうも、それどころではなかった。
「傭兵たちよ! 炎を消せ! そして、竜を倒すのだ!」
お父様の声に傭兵が集まってくる。
リアム様はそれを静かに眺めていた。
「攻撃を……ぐっ!」
竜に炎を吐かれ、お父様は身を守るので精一杯だった。
身を守るための魔石が発動し、輝きが失われた。
――たった一度の竜の攻撃で、魔石が使いものにならなくなるなんて!
目障りだと言わんばかりに、竜は野営地を燃やし尽くした。
遠くで見る竜と近くで見る竜が、これほど違うものとは思わなかった。
竜の尾が目の前の土をえぐる。
めり込んだ尾を振り回し、あたしのそばを通りすぎる。
「きゃあっ!」
「ヘレーナ! 剣で身を守るんだ!」
お父様の声にハッとして、慌てて剣を構えた。
目の前の尾を剣で受け止めたはずが、あまりの重さに体が吹き飛び、地面に転がった。
「こ、これが竜……」
魔石で切れ味を強化したはずの剣が、尾を受け止めただけで折れてしまった。
しかも手が痺れて、棒切れ一本握れそうにない。
「リアム様っ! 助けてください! このままじゃ死んでしまいます!」
燃え盛る炎の中に立つリアム様に、あたしが泣き叫ぶ声が聞こえたのか、セアン様から渡されたブレスレットを使う。
恐怖にさらされた者にとって、リアム様が魔術を使うまでの時間が、とてつもなく長く感じられた。
「【水の幻魔】」
【水の幻魔】――『それは誘惑。愛した者に訪れる死。記憶を失った彼女は誰が恋人であったのか、もはやわからない』
水の塊が空中に出現し、人の形をとると、竜の腹を蹴り上げて動きを止める。
竜はウンディーネに追いかけられ、翼を水で濡らす。
水で重くなった翼のせいか、スピードがわずかに落ちる。
ウンディーネは炎を手ではらい、一瞬で炎を消す。
白い肌に青い髪、青い瞳のウンディーネは、指を優雅に竜へ向け、微笑んだ。
竜は危険を感じたのか、首を空へ向け、一気に上昇し、旋回すると竜の巣へ去っていった。
その間、お父様を含むフォルシアン公爵側は、竜を前にして、なにもできなかった。
お父様でさえ、身をかがめ、避けるので精いっぱい。
そんな中、リアム様だけが、魔術を使い、圧倒的な力を見せた。
宮廷魔術師たちはリアム様が対処するとわかっていたからか、その場から一歩も動かず、魔術を『見物』していた。
経験した実戦の数と力量の差。
これは、フォルシアン公爵家の完全な敗北だった。
――リアム様がフォルシアン公爵家を頼る? そんなことありえないわ!
「あれがヴィフレア王国歴代最強の魔術師か……」
お父様の声が震えている。
怖いのは竜だけじゃない。
――リアム様は人間なの?
美しい水の精霊ウンディーネが、リアム様の前に跪き、顔をあげて微笑む。
その美しい指先がリアム様の頬をなでると、姿を消した。
精霊に愛され、魅了する魔術の王。
ヴィフレア王家の王子は、どちらも一筋縄ではいかない。
「フォルシアン公爵。後悔しているのであれば、今すぐお前のたくらみを吐け」
それは脅しだった。
リアム様が罠だとわかっていて、ここまできたのは、お父様を罪に問うため。
「なんのことですか? た、たくらみなどと、人聞きの悪いことを……」
「お前自身が命を落とすまで、竜と戦うことになるが、それでいいんだな?」
「し、知るか! なにも知らない!」
お父様の嘘は誰の目にも明らかだった。
そして、お父様が大丈夫だと言っていた石の小屋は、竜によって破壊され、粉々になっていた。
――サーラ。あなたはリアム様の恐ろしさを知っていてそばにいるの?
あたしは妃候補ですと、口に出して言えなくなっていた。
なぜなら――
『フォルシアン公爵に伝えろ。リアムの味方をしても損をするだけだと』
ルーカス様の言葉を思いだし、ゾッとした。
きっとルーカス様は四大公爵全員を自分の手駒にしてから、王位につくつもりでいる。
もちろん、私は怖くなって、ルーカス様に言われたとおり、お父様にそれを伝えた。
でも、お父様は一瞬だけ難しい顔をしただけで、リアム様につくことを決めているようだ。
ルーカス様が王になるとは思っていない。
ただの脅しと判断したようだった。
――あたしはルーカス様が怖い。でも、リアム様も同じくらい怖いのよっ!
ちょっと目があっただけで、『こっちを見るな』という威圧感を感じる。
本当にそう思っているわけではないはずだけど、リアム様の鋭い目が人を寄せ付けない。
それでも、頑張って仲良くなろうと試みるも――
「ここから先は通せません」
「リアム様から、へレーナ様を自分に近寄らせるなと命じられております」
宮廷魔術師たちはリアム様の周囲に必ずいて、あたしが近づくのを阻み、近寄らせなかった。
――宮廷魔術師を壁にするとか、なんなの!? 壁が分厚すぎて打ち破れないんですけど?
「あたしはリアム様の妃候補よ? 王宮にだって、自分の部屋を持っているんだから!」
「存じております。ですが、我々はご令嬢を守っている立場。妨害するつもりはみじんもございません」
「怪我したり、死にたくないでしょう? リアム様は近づいた暗殺者や魔物を反射的に葬ります」
――それって、リアム様が拒んだ勢いで、あたしが死ぬってこと!?
そして、今、さりげなく失礼なことを言われたような気がするわ。
あたしが暗殺者や魔物と同じ扱いなんて、完全に馬鹿にしてる。
けれど、リアム様と長年の付き合いである宮廷魔術師たち。
彼らが言うからには、きっとこれが初めてのことじゃない。
――おかしいわ。絶対におかしいっ! この旅で二人の距離が近づくはずだったのに!
それが、数歩の距離も近寄らせてくれない。
あたしとリアム様の間には、見えない壁がある。
それも分厚い壁が。
リアム様は王都から遠ざかれば遠ざかるほど、人を寄せつけなくなった。
竜の巣がある島の対岸までたどり着いた頃には、こちらから話しかけるのをためらうほどだ。
徐々にお父様の機嫌も悪くなる。
「ふん。すました顔をしていられるのも今のうちだけだ」
お父様はリアム様がフォルシアン公爵家を頼ってこない状況が面白くなかった。
竜族との戦いが起きれば、リアム様が頼れるのはフォルシアン公爵家だけだというのに、なぜ頼ってこないのか。
リアム様が力を貸してほしいとお願いしてきたところを狙って、お父様は力を貸す代わりに、あたしを妃にするよう要求する筋書きだったのだ。
いくら天才魔術師といえど、竜の大群に一人で立ち向えるわけがないのだから。
「リアム様がなにを考えているかわからないが、竜族のほうはうまくいったな」
「でも、お父様。竜の数が多くないかしら?」
「へレーナ。案ずるな」
お父様は海を挟んだ向こう側にある竜の巣を眺め、悪い顔で笑った。
ここの竜族が、他の竜にも協力を求めたのか、他の巣で暮らす竜も飛来し、数を増やしている。
「どれだけ数を増やし、探そうが無駄だ。卵は竜の目から見つけ出しにくい場所に隠し、魔術を施してある」
「どこに隠してあるの?」
「ヘレーナ。当てられたら教えてやろう」
――わかるわけないじゃない。
考えるのも馬鹿馬鹿しい。
わかるわけないから、あたしにお父様はそんなふうに言ったのだと思う。
竜の卵が見つかると、この作戦は終わってしまう。
竜の卵の場所を知っているのは、お父様とそれを運んだ者のみ。
「たとえ、場所がわかったとしても、手練れの奴隷が卵を守っている。それを突破して取り戻すのは不可能だ」
「でも、お父様。もしも、作戦が失敗したらどうなるの?」
「失敗したとしても、獣人が罪をかぶってくれる」
「獣人が?」
六百年前、竜族との戦いでヴィフレア王国の地は荒れ果てた。
竜族と敵対することがないように、お父様は考えてあるらしい。
「そうだ。この作戦を思いついたのも、手頃な獣人の奴隷が手に入ったおかげだ」
お父様は竜の卵を獣人の奴隷に命じ、盗ませた。
身体能力の高い獣人は、海に小舟ひとつ浮かべて、見事盗み出してきたというわけだ。
「獣人など獣と同じだと思っていたが、なかなか役に立つ」
「お父様。卵を守りきれたら、彼らを自由にしてあげるのでしょ?」
竜の卵を盗んだ時に多額の報酬を支払った。
そして、次は彼らを自由にするのを条件に、竜の卵の護衛を命じた。
「守りきれたとしても、竜の巣に忍び込んだ罪で処刑されるがな」
お父様は最初からそのつもりで、獣人たちに盗ませたのだ。
――なんだか、あたしが思っていたのと違うわ。もっと堂々とお父様が竜と戦ってるんだって、想像してたけど違うのね。
現実を知ってがっかりした。
一生懸命、剣術を学んでいれば、いずれ竜や魔獣を倒せるようになるんだと信じていた。
――傭兵が主力だったなんて。
しかも、フォルシアン公爵家の兵士は、雇われた傭兵より弱い。
お父様は自分の身を傭兵に守らせて、後方から戦いを傍観するつもりでいる。
せめて、あたしだけでも竜と戦いたい。
「お父様。あたしは竜と戦うわ!」
「馬鹿を言うな。お前は安全な場所にいろ」
「でも、兵の士気が……」
「兵士たちも戦わない。貴族の三男や四男だ。死んだら困るだろう」
――なんのために連れてきたの?
野営の準備が終わり、お父様はワインの準備を始める。
お父様は竜を見物するためにきたのだとわかった。
一方、リアム様はこちらを無視して、派遣された宮廷魔術師とともに野営の準備をしている。
竜を刺激しないためか、リアム様たちは森の中を選び、自分たちの姿を隠した。
「お父様。あたしたちも姿を隠さなくてもいいの?」
「宮廷魔術師たちが大勢いる。彼らは我々を守るだろう。セアン様もいらっしゃるしな」
宮廷魔道具師長のセアン様が、リアム様のそばに控えている。
作戦を話し合っているのか、二人の表情は真剣そのものだ。
時々、リアム様の視線は竜の巣ではなく、王都の方角を眺めていることに気づいた。
――もしかして、サーラのことを考えているとか!?
「リアム様! 少しお話をしませんこと?」
こちらに視線を向けさせたけれど、その冷たい青い瞳に足がすくんで、近づけなかった。
――こ、怖い!
戦いに備えているからか、いつも以上に緊張感が漂っていた。
「なにか用か?」
「あ、あの……その、竜をこんな近くで見るのは初めてで……」
「近い? これが?」
「え?」
海を挟んでいても近いと思うのに、リアム様は遠いと感じている。
それは、あたしが実戦を知らないから――
「竜だ! 竜が襲ってきたぞ!」
気づくのが遅かった。
あたしは竜と戦うということが、どんなものであるか、少しもわかっていなかったのだ。
激しい風が吹き、地面の砂と小石が巻きあがる。
鎧で覆われていない顔と手にぶつかって、痛みを感じ、目を閉じた。
「な、なにが起きたの!」
「竜が飛来したか」
落ち着いたリアム様の声に、ゾッとした。
同じ人間であるはずなのに、今までどれだけ竜を狩ったのか、まったく動じてない。
「ひっ!」
大きな黒い影が頭上にかかり、空を見上げると鱗に覆われた竜の腹が見えた。
押し潰されたら、確実に死んでしまう。
「リ、リアム様……」
「鱗は赤か。それなら、まだ三百年ほどの若い竜だな」
――三百年が若いって、どういうことよ!? リアム様は竜が怖くないの?
頭上を旋回した赤い竜は、海面を低空飛行し、陸に海水をぶちまけた。
夕食のために起こした火が一瞬で消え、食事が水に浸かる。
お父様が用意していたワインの瓶が地面に落ち、粉々に砕け散った。
宮廷魔術師たちが野営地を森に決めたのは、これがあったからだ。
木の高さより下に竜は飛べず、森の木々は風を遮った。
けれど、これはまだ序の口。
竜はリアム様に向かって炎を吐く。
リアム様が死んでしまうと思った。
でも、あたしは一歩も動けず、できたのは叫び声をあげるだけ。
「きゃああああっ! リアム様っ!」
普通の人間なら、丸焦げになっていた。
それを魔術ではなく、道具も詠唱も必要としない魔法を使って、氷の壁を作って身を守る。
炎は氷の壁に阻まれ、周囲に散って消えた。
セアン様がリアム様のそばに近寄り、魔術強化と魔力増幅のブレスレットを渡す。
「親友。魔道具は渡したんだから俺も守ってくれよ?」
「誰が親友だ」
リアム様はセアン様に冷たい態度をとる。
余裕で炎を防いだからか、赤の竜だけでなく、青の竜までやってくる。
「若い部類の彼らは血の気が多く、気性が荒々しい。ヘレーナ。戦わないのか?」
「えっ!? た、た、戦う?」
「お前の剣で俺を守ると言っていたな? あれは嘘か?」
「そ、それはっ!」
腰を抜かし、立てないのに剣を振るえるわけがなかった。
わかってるはずなのに、リアム様はわざとあたしに言っているのだ。
お父様に助けを求めようとしたけど、お父様のほうも、それどころではなかった。
「傭兵たちよ! 炎を消せ! そして、竜を倒すのだ!」
お父様の声に傭兵が集まってくる。
リアム様はそれを静かに眺めていた。
「攻撃を……ぐっ!」
竜に炎を吐かれ、お父様は身を守るので精一杯だった。
身を守るための魔石が発動し、輝きが失われた。
――たった一度の竜の攻撃で、魔石が使いものにならなくなるなんて!
目障りだと言わんばかりに、竜は野営地を燃やし尽くした。
遠くで見る竜と近くで見る竜が、これほど違うものとは思わなかった。
竜の尾が目の前の土をえぐる。
めり込んだ尾を振り回し、あたしのそばを通りすぎる。
「きゃあっ!」
「ヘレーナ! 剣で身を守るんだ!」
お父様の声にハッとして、慌てて剣を構えた。
目の前の尾を剣で受け止めたはずが、あまりの重さに体が吹き飛び、地面に転がった。
「こ、これが竜……」
魔石で切れ味を強化したはずの剣が、尾を受け止めただけで折れてしまった。
しかも手が痺れて、棒切れ一本握れそうにない。
「リアム様っ! 助けてください! このままじゃ死んでしまいます!」
燃え盛る炎の中に立つリアム様に、あたしが泣き叫ぶ声が聞こえたのか、セアン様から渡されたブレスレットを使う。
恐怖にさらされた者にとって、リアム様が魔術を使うまでの時間が、とてつもなく長く感じられた。
「【水の幻魔】」
【水の幻魔】――『それは誘惑。愛した者に訪れる死。記憶を失った彼女は誰が恋人であったのか、もはやわからない』
水の塊が空中に出現し、人の形をとると、竜の腹を蹴り上げて動きを止める。
竜はウンディーネに追いかけられ、翼を水で濡らす。
水で重くなった翼のせいか、スピードがわずかに落ちる。
ウンディーネは炎を手ではらい、一瞬で炎を消す。
白い肌に青い髪、青い瞳のウンディーネは、指を優雅に竜へ向け、微笑んだ。
竜は危険を感じたのか、首を空へ向け、一気に上昇し、旋回すると竜の巣へ去っていった。
その間、お父様を含むフォルシアン公爵側は、竜を前にして、なにもできなかった。
お父様でさえ、身をかがめ、避けるので精いっぱい。
そんな中、リアム様だけが、魔術を使い、圧倒的な力を見せた。
宮廷魔術師たちはリアム様が対処するとわかっていたからか、その場から一歩も動かず、魔術を『見物』していた。
経験した実戦の数と力量の差。
これは、フォルシアン公爵家の完全な敗北だった。
――リアム様がフォルシアン公爵家を頼る? そんなことありえないわ!
「あれがヴィフレア王国歴代最強の魔術師か……」
お父様の声が震えている。
怖いのは竜だけじゃない。
――リアム様は人間なの?
美しい水の精霊ウンディーネが、リアム様の前に跪き、顔をあげて微笑む。
その美しい指先がリアム様の頬をなでると、姿を消した。
精霊に愛され、魅了する魔術の王。
ヴィフレア王家の王子は、どちらも一筋縄ではいかない。
「フォルシアン公爵。後悔しているのであれば、今すぐお前のたくらみを吐け」
それは脅しだった。
リアム様が罠だとわかっていて、ここまできたのは、お父様を罪に問うため。
「なんのことですか? た、たくらみなどと、人聞きの悪いことを……」
「お前自身が命を落とすまで、竜と戦うことになるが、それでいいんだな?」
「し、知るか! なにも知らない!」
お父様の嘘は誰の目にも明らかだった。
そして、お父様が大丈夫だと言っていた石の小屋は、竜によって破壊され、粉々になっていた。
――サーラ。あなたはリアム様の恐ろしさを知っていてそばにいるの?
あたしは妃候補ですと、口に出して言えなくなっていた。
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