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19 王子を蝕む呪い

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 ――アレシュ様が死んでしまう!

 兵士たちが倒れたアレシュ様に気づく。
 バルコニーでの異変を察した兵士たちは、顔色を変えて騒ぎ出した。

「アレシュ様! どうなさいましたか!」
「いったいなにが……!」

 私から危害を加えられたと、アレシュ様は思ったはずだ。

 ――そんなつもりはなかったのに。

 なぜ、口づけだけで倒れたのか、私にもわからない。
 私が生まれた時に殺そうとした兵士、剣で切付けたロザリエ。
 アレシュ様は私を傷つけていない。
 
「どうしてっ……!」

 今まで、ここまでの絶望を味わったことがない。
 どんな辛い時もどこかに救いがあると信じてたのは、そうでなければ、生きていけなかったから。
 だから、泣かずにいようと決めて生きてきた。
 泣いてしまったら、自分が惨めで救われない存在だと認めてしまうような気がして――人前で、初めて涙がこぼれた。
 私は自分を殺そうとしていない人でさえ、傷つけてしまうのだろうか。
 泣いていた私に気づき、アレシュ様は手を伸ばし、涙に濡れた頬に触れた。

「私に触れてはいけません! 危険ですから……!」

 アレシュ様が優しい緑の瞳で、私を見つめ、微笑んだ。

 ――どうして微笑むの?
 
 私があなたを苦しめているのに。
 ロザリエのように、私を嫌って罵倒し、お兄様みたいに冷たい態度をとってもおかしくなかった。
 アレシュ様は私の手を握り直し、口を動かす。

「さわ……ぐな……。シュテファンを……呼べ……」

 兵士たちはシュテファン様を呼ぶため、バルコニーから出ていった。
 シュテファン様はバルコニーのそばで控えていたのか、すぐに現れた。

「兄上……!」

 シュテファン様は倒れているアレシュ様のそばに駆け寄り、膝をつく。
 バルコニーでなにかあったのだと、招待客たちは察したけれど、兵士たちはカーテンを一斉に閉めた。

「ゼレナ」

 カーテンが閉まるのを見て、シュテファン様が大人びた声で、誰かの名を呼んだ。
 人の目がなくなるのが早いか、シュテファン様の服からミドリガメが飛び出してきた。

「え? ミドリガメ……ですか?」
「ただの亀ではありません」

 シュテファン様に慌てた様子はなく、その慣れた様子から、シュテファン様は十歳という年齢ながら、多くの病人や怪我人を見てきたのだとわかった。
 ミドリガメがちょこんとアレシュ様の体の上に乗る。
 そして、可愛らしい手をシュテファン様に触れさせた。

「ゼレナ。ありがとう。わかったよ」

 どうやってミドリガメと意志疎通したのか、シュテファン様は目を閉じ、祈りを捧げる。
 その瞬間、夜風より冷たい空気が流れ、その空気に水の気配を感じた。
 霧のような細かい水の粒子を含んだ空気が、アレシュ様の体を包み癒す――握っていた手のぬくもりが戻ってくる。
 シュテファン様が使った不思議な力。
 それは朝の澄んだ空気に似ていた。

「シュテファン、助かった……。お前がいてくれてよかった」

 アレシュ様は自分の感覚を確かめるように、手を動かし、体を起こす。

「兄上。いったい、なにがあったんですか? 体は平気ですか?」
「もう平気だ」
「平気じゃないです! 体内のダメージを回復させて、正常に戻しただけで、解毒できたわけじゃないんです!」

 シュテファン様は拳を握りしめ、声を張り上げた。

「でも、毒の種類がわからないと、解毒できない……」
「毒ですか? これは私の呪いでないのですか?」

 なぜ、毒がアレシュ様を蝕んだのか、わからなかった。
 これは、私が神に与えられた呪いが、人にも広まっただけのはず。

「呪い? いいえ、これは毒です。水の神であるゼレナが、間違えるはずがありません」
「落ち着け。シュテファン。シルヴィエは実態を目にしていないし、わかっていない。毒なら、医療院で解毒させればいいだけのことだ」
 
 この場で、すべてを理解しているのは、アレシュ様だけなのだと、全員が気づいた。
 アレシュ様は倒れていたはずなのに、立ち上がると、私に笑った。

「泣き顔が一番辛い。泣かずに笑ってくれ」
「アレシュ様。自分の呪われた身を説明できないまま、結婚式を迎えたこと、本当に申し訳なく思ってます……」
「謝るのは俺のほうだ。俺は罰せられただけだ」
「罰ですか?」
「そうだ。不届きな真似をしたから、神に罰を受けた」

 アレシュ様はさっきと同じように明るい笑みを浮かべ、唇を指でちょんっとつついた。
 今になって、初めて男性と口づけしたことを思い出し、恥ずかしくなってしまった。
 それで、シュテファン様はなにがあったか、理解したらしく、呆れた顔でアレシュ様を見ていた。

「なんだ……。そういうことですか。兄上。ゼレナをお連れください。解毒するまで、癒しの力を与えます」
「ああ。それから、シュテファン。もしかしたら、医療院では解毒できないかもしれない」
「普通の毒とは違いますから、その可能性は高いです」
「カミルに命じ、大司教を追って、呼び戻せ。そして、毒の成分を分析させる。結婚式に参列していたはずだから、そう遠くまでは行ってない」

 アレシュ様は苦しいはずなのに、表情に出さない。
 これが、ドルトルージェ王国の第一王子としての振る舞い。
 堂々としていて、弱さを見せなかった。
 この人は、王になるべき方なのだ。

 ――お父様やお兄様とは違う。王子でなくても、アレシュ様は王となる方。

「毒の分析が完了したら、医療院の薬草師から、解毒薬を調合させる。それまで、水の神の力を借りるぞ」
「はいっ! 兄上!」

 時間が勝負とばかりに、シュテファン様はすぐにバルコニーから飛び出していった。
 私に対して、警戒を解かない兵士たちにアレシュ様は言った。
 
「お前たちも広間に戻れ。招待客がおかしく思う」
「ですが、アレシュ様……」
「倒れられた毒は帝国のものでは……」

 アレシュ様は兵士たちに笑って見せた。

「毒などなかった。たとえ、それが毒だったとしても、風の神の加護を受けた俺が簡単に死ぬわけないだろう? ここは俺に任せて戻れ」

 納得するしかない言い方に、兵士たちは渋々、窓を閉めた。
 シュテファン様、兵士たち――アレシュ様はみんなから好かれ、信頼している。
 でも、私を心配する人は、誰もいなかった。
 騒ぎになっても駆けつけず、私は一人のまま、取り残されていた。
 
「さて、シルヴィエ。今後の相談をしようか」

 ――処刑される。

 アレシュ様に危害を加えたのだから、そう言われても不思議ではなかった。
 私の不安を消すように、体を軽々と抱き上げると、アレシュ様は優しく笑った。
 
「改めて結婚を申し込む。俺の妻になってくれるか?」

 私の呪われた身を知り、呪いを受けても逃げなかった唯一の人。
 涙は悲しい時だけ、こぼれるのではないと、生まれて初めて知った。
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