上 下
11 / 29
第一章

10 結婚の秘密 ※玲花視点

しおりを挟む
 ――結婚するのが、私じゃないなんて、どういうこと?

 手をきつく握りしめていたせいで、手のひらに赤い爪の線が残っていた。

玲花れいかお嬢さんが結婚かと思ってたら、世梨せりさんが結婚とは驚いたねぇ」
「地味な姿をしていても、世梨さんは美人だし、しっかりしている。いい結婚相手が見つかると思ってたよ」

 結婚相手に選ばれなかったせいで、使用人にまで馬鹿にされていた。
 これも全部、世梨のせい。
 しかも、世梨の嫁入りの準備で、家中が忙しく、私のことは誰も気にかけてくれない。
 話を聞いてくれそうな清睦きよちか兄さんは大学の勉強のため、東京から戻らないと連絡がきた。
 電報には一言だけ、お祝いの言葉が添えられていただけで終わり。
 一緒に暮らしていたわけじゃないから、清睦兄さんが他人みたいな態度なのも当然のこと。 
 そもそも、私だって東京にいれば、こんな惨めな思いをしなくて済んだ。
 
「どうして、世梨が気に入られたのかしら」

 絶対、なにかあるに決まってる。
 あんな地味で、冴えない世梨に一目惚れするなんて、まずあり得ないのだから。
 家の中にいたくなくて、イライラしながら、外に出ると、親戚たちが集まっていた。
 郷戸ごうどの仕事関係者もいる。

「世梨の結婚式は、私より盛大にしないって言ったくせに! お父様の嘘つきっ!」

 私の結婚式より、世梨のほうが豪華で立派なものになることは間違いなかった。
 急に決まったのに、父は郷戸の力を使って、ごちそう用の食材を町から取り寄せ、酒を運び入れ、家紋入りのお膳を出し、親戚たちにも声をかけ、協力させた。
 大勢のお客様が集まる予定で、長時間の宴席を予定しているのか、提灯まで用意された。
 まるで、村のお祭り状態。
 世梨がいなければ、私が気に入られて結婚していたはず――

『あやかしの嫁取りだって』

 ――今、なんて言ったの?

 人ではない声が聞こえてきた。 

『幸せになるなんて、許せないわよねぇ』

 声の主は、私の心を代弁し、昔からの友人のように、白い手を肩に置いた。
 生気せいきのない手は、生きている者の手ではなかった。
 白くぼやけた人の形は、手と口だけが見え、全体の輪郭が定まらなのか、ゆらゆら揺れている。
 人が大勢集まるところには、人でないものが紛れやすい。
 
「あんたたちなんかに、同情されたくないわ。それより、今、あやかしって言わなかった?」

 私の態度が気に入らなかったらしく、死霊から無視された。
 無理やり従わせてもよかったけれど、自我を失わせて話せなくなると困る。

「わかったわよ。いい物をあげるから、機嫌を直しなさいよ」
『いい物?』

 死霊は機嫌を直したのか、こちらを向く。

「その代わり、あやかしの結婚について、説明してくれるかしら?」

 くちなし色の着物の袖から、隠し持っていた金平糖をちらつかせ、死霊をおびき寄せる。
 ふたつの死霊の影が、輪郭をしっかりさせ、私の前に姿を現す。
 禿かむろ姿の小さな子供と、襦袢じゅばん姿の色っぽい女性だった。
 金平糖を受けとり、二人はそれを分け合いながら、口にする。

『姐さん、美味しいね』
『そうだねェ』

 着ている着物の裾に、焦げ痕が見えた。
 生前、二人は同じ場所で暮らし、共に死んだことがわかる。
 どの客が連れてきた死霊か知らないけど、これは使えそうな気がした。

「もっと金平糖をあげるから、知ってることを話して」

 金平糖を取り出すと、禿姿の少女はわあっと歓声を上げた。

『あやかしのお嫁さんになるには、不思議な力を持ってないと駄目なの』
『あんたにも資格はあるよ。アタシたちと、こうして話してるんだ。あやかしにそれを教えてご覧』
『力を持ってる人って、少ないから、お嫁さんを探すのって大変みたい』
『だから、あやかしたちは奪い合う。嫁になりたいと望むなら、あんたの力を見せてやればいい』

 世梨だけでなく、私にも資格がある――それを知って鳥肌が立った。
 もしかしたら、世梨から結婚相手を奪えるかもしれない。
 
「金平糖を全部あげるわ。つまり、あの二人は人間じゃないのね?」
『そうだよぉ』
『龍と狐だねぇ。うまく人に姿を似せているけど、アタシたちにはわかる」

 死霊たちは私の金平糖に大喜びして、なんでも話してくれた。

『鴉もいるよ。ほら、そこに』

 ポリポリと音を立てて金平糖を食べていた襦袢姿の女は、招待客を指差す。
 背広姿の男は、黒髪に黒い目、手に黒の手袋をし、帽子を目深にかぶっていた。

「彼が鴉のあやかしですって?」

 客の中で、洋装姿は珍しく、男は私に気づくと近寄ってきた。

「郷戸のお嬢さん。お久しぶりです。ご機嫌いかがと言いたいところですが、良くはなさそうですね」

 彼とは、以前より顔見知りだった。
 父の仕事関係の知り合いで、二十代後半の背の高い男性。
 顔もよく、誰がお茶を運ぶかで、女中たちが毎回争いになるほど人気があった。
 彼の名は継山つぐやま景理かげさと
 職業は銀行の頭取で、父とも懇意こんいにしている。

「継山さん。機嫌は悪くありませんわ。ただ、今日は鴉がやたら多いですわね」
 
 私がそう言うと、継山さんは目をすうっと細め、死霊たちを睨んだ。
 そして、私が止める隙もなく、死霊に手を伸ばし、首に触れた。
 継山さんは優しげな笑みを浮かべていて、彼を危険だと少しも思わなかった。
 それなのに――

『ひっ……』
『姐さんっ! 姐さ……』

 二つの死霊を一瞬で焼いてしまった。
 普通の人の目には見えない白い炎は、死霊たちを包み込み、髪の毛一本、着物の端ひとつ残さない。
 線香の煙を思い起こさせる細い煙が、風でなびき、先ほどまで、そこになにかいたと教えていた。
 喜んで食べていた金平糖が、パラパラと乾いた音を立て、地面に散らばった。
 時間差で落ちた金平糖。
 最後の最後まで、この金平糖を握りしめていたのかもしれない。

「おしゃべりな死霊でしたね」
「邪魔しないでいただける? 私がせっかく見つけた死霊だったのに、勝手に消さないでほしいわ」

 継山さんは笑みを崩さず、私に言った。

「死霊たちから、色々聞き出したようですが、他言無用でお願いします。こうみえて、我々は人の世になんとか馴染もうと必死なんですよ」
 
 どこをどう見ても、必死に見えない。
 その証拠に、わざと金平糖を残し、靴底で踏み潰したのだから。
 私を脅しているのだ。

「私は言いふらしたりしないわ」
「それが懸命です。玲花さんも頭がおかしくなったと思われたくないでしょうし」

 私と継山さんはお互い睨みあった。
 以前から、継山さんと父が知り合いだったにも関わらず、私を嫁に望まなかったのはなぜ?
 私が普通とは違う特異な力を持っていることを知っていたくせに、なにが足りてなかったというのだろう。
 世梨にあって、私にないもの――それがなんなのか、私にはわからない。

「その着物、御所車にくちなしですか」
「男性に着物の良し悪しはわからないでしょうけど、これは着物作家のお友達からいただいたのよ。私のために作ったものだから、ぜひ着てほしいって言われたの」

 私のお友達は、女性雑誌にも取り上げられる人気の着物作家で、断髪のモダンな女性。
 あか抜けた着物の着こなしをお手本にしたいと、憧れる女学生は多く、私もその中の一人だった。

「いいえ、別に。よく似合っていらっしゃると思っただけですよ」
「無理に褒めなくても結構よ」
「そうですか」

 着物に興味がないようで、返事は淡白なものだった。
 黒のインバネスコートの袖に隠れていた煙草の箱が目に入る。
 箱に松の絵と『敷島しきしま』の文字。その箱から、白い棒状の煙草を一本取り出して、口にくわえた。

「煙草吸うなんて、人と変わらないのね」
「変わらない? そんなことはありません。一族の中でも力のない者は、言葉がわかる程度の獣になった」

 鴉たちが継山さんを守るように周囲を固めている。
 庭の木や空には必ず、鴉の姿があった。

「だから、我々には人間の娘が必要なんですよ。それも、普通じゃない娘がね」

 世梨の嫁入りの日、継山さんが現れた理由が、わかった気がした。

「もしかして、世梨を狙っていたの?」
「今も狙っています。彼女は変わった力を持っていて、とても魅力的ですからね」

 世梨の力がどんなものであるか知らないけど、私の力より役に立たないものであるはず。
 笑いが込み上げてきた。
 
「なぁんだ、そういうこと。てっきり、世梨を気に入って結婚するんだって思ってたけど、違うのね」
「少なくとも、龍は彼女を気に入っているようですよ」
「わかってるわ。世梨の力をでしょ」
「龍が家柄と金をちらつかせて、彼女に結婚を迫り、承諾させたのでしょうが、あまりに早い」

 継山さんの言い方だと、千後瀧ちごたき様が世梨を気に入り、無理矢理結婚を迫ったみたいで、なんだか気に入らなかった。
 でも、なぜ世梨が選ばれたかわかった。
 それだけでも、十分だった。
  
「力がある人間の女性ね。つまり、世梨じゃなくて、私でもいいってことよね?」
「よくある力では、龍も狐も相手にしない。もちろん、我々も」
「私のどこがよくある力よ! 失せ物探しだってできるし、死者と会話できるのよ?」
「興味を持つかどうかです。玲花さんだって、好みがあるでしょう? それに、龍と狐は我々の中でも別格ですよ」

 煙草の白い煙がふわりと天に向かって伸びた。
 私と継山さんの間で、天に昇る龍の形に似た煙が風で揺らぐ。

「別格って、なにが違うの?」
「鴉の一族において、当主である自分が出向かねばならないほど、彼らが別格だという意味ですよ」

 継山さんの手の中で、ぐしゃりと煙草の箱が潰され、箱が歪んで、形を変える。
 本気で世梨を狙っているのだとわかった。

「墨染めの着物を着た男は龍の一族、千後瀧家当主。茶色の髪の男が狐の一族の当主です」
葉瀬はぜ様も当主なの?」
「そうですよ。三葉みわ財閥は葉瀬はぜ葉山はやま上葉うえはの御三家から成る財閥で、御三家の中から、最も強い力を持った者が当主になるんですよ。狐は人になったのも早く、人の世に強い者が多い。奴が一番侮れません」

 葉瀬様は穏やかで優しそうな外見のせいか、彼がそれほどの力を持ったあやかしには見えなかった。

「本性は龍神と神狐しんこ。あやかしと呼ぶより、神に近い。ですから、格が高いのです」
「継山さんもでしょう?」

 私がそう言うと、少し機嫌が良くなった。

「そうですね。八咫烏やたがらすと呼ばれることもあります」

 神様に近い存在――つまり、世梨を狙って、あやかしたちが集まっているということ?
  私でなく、世梨。
 本宮もとみやの祖父もそうだった。
 世梨を特別扱いして、私や清睦兄さんはいてもいなくてもいいという雰囲気を感じた。
 今と同じ。
 相手にされていなかった。
 
「……継山さん。世梨が欲しいのよね?」
「そうですね。鴉の一族の繁栄のため、彼女を我が妻に迎えたいと思っていますよ」
「なら、私と手を組みましょうよ」
「手を?」

 目障りな世梨。
 ずっと本宮に行ったまま、戻らなければ、こんな汚い感情を知らずに済んだ。
 世梨を私の前から、消してしまいたい。
 あの死霊たちのように――

「そうよ。世梨に結婚相手だけは負けたくないの。女学校も出てるし、習い事だってしてるわ」

 私が女学校へ通い、習い事をしている間、世梨は本宮の祖父母に甘やかされて育った。
 その私より、いい相手に嫁ぐなんて許されない。

「私にだって、力はあるもの。世梨がいなくなれば、千後瀧様や葉瀬様の妻に選ばれるかもしれないでしょ」
 
 私の提案がよかったのか、継山さんが笑った。 
 これだけ盛大に行った結婚式。
 この結婚が駄目になり、両親の顔に泥を塗ることになれば、世梨は郷戸の家にいられなくなる。
 親子の縁も切られるはず。

「なんでも協力するわ」
「協力はありがたいですね。我々が近寄るより、妹相手のほうが、油断するでしょうし」

 世梨より、私のほうが優れていると認めさせたい――その思いだけで、継山さんと手を組んだ。
 簡単な気持ちで、あやかしたちの世界へ足を踏み入れ、取引をした。
 彼らが人でないことを考える余裕はなく、激しい嫉妬心が、私の心を支配していた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

あなたの妻にはなれないのですね

恋愛 / 完結 24h.ポイント:36,948pt お気に入り:401

私の初恋の人に屈辱と絶望を与えたのは、大好きなお姉様でした

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:3,822pt お気に入り:95

代わりに

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

食パンの奇妙な訪問者: 品質管理の舞台裏

O.K
エッセイ・ノンフィクション / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

初恋の王女殿下が帰って来たからと、離婚を告げられました。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:70,297pt お気に入り:6,933

最愛の人がいるのでさようなら

恋愛 / 完結 24h.ポイント:63,672pt お気に入り:649

処理中です...