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2 社長就任初日

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 沖重おきしげグループ――元々、世間に知られた大きな会社だった。
 けれど、巨大財閥である宮ノ入みやのいりグループに買収される前は、業績に伸び悩み、一時は倒産の危機にまで、追い詰められていたそうだ。
 今は子会社となって、業績は良好。
 私が就職先に選んだのは、親会社が大きいし、名前も知れてるし、一生独身であっても、自分一人食べるに困らない会社というのが、一番大事だったから。
 天涯孤独の身であるからこそ、就職する時は、悩みに悩んだ。
 長く勤められ、人間関係も良好なら、なお最高である。
 それが――

倉地くらちさん、聞いた? 新しい社長が来たって!」
「聞いたわよ」

 営業からの伝票を眺め、平静を装い返事を返す。
 若くイケメンな社長というだけあって、経理課の女子社員だけでなく、他の課の女子社員も浮足立ち、廊下を行ったり来たりしている。
 集中できないため、ドアを閉めると、前の席に座る女子社員から、恨めしい顔をされてしまった。

「ねえ、倉地さん。見に行かない?」
「私は忙しいから、またの機会にするわ」

 仕事をサボり、自分だけ新社長を見物するのは、後ろめたいらしく、私まで巻き込もうとする。

「ノリが悪いわねぇ。他の課の子たちは、見に行ってるわよ」

 なぜか、すでに反感を買ってしまったようで、不機嫌な顔をされた。
 要人かなめによって、私の平穏な日々と、将来設計が台無しである。

「私は気にしないから、新社長を見に行ってきたら?」
「そう? じゃあ、行ってくるわ」

 私が上司に告げ口しないとわかったからか、ふくれっ面から一転、大喜びで経理課から出ていった。
 なにが悲しくて、ほとんど毎日現れる幼馴染の顔をわざわざ見に行って、『わぁ! かっこいい! なんて素敵な新社長!』という茶番劇を披露しなくてはならないのか。
 間違いなく、要人に馬鹿にされるだろう。
 それに、今頃、大勢の人に囲まれて、近寄れないはず。
 昔から、要人はいるだけで、華やかで人の目を惹きつけ、周囲に人を集めるタイプだった。
 要人と比べたら、私なんて平々凡々な一般人。
 わかってることなのに、なぜか、ため息が出てしまった。

「倉地、どうした。疲れているのか?」

 営業部から新たな伝票を持って現れたのは、営業一課のエースの湯瀬ゆぜさんだった。
 私より二個上で、爽やかな部類の営業メンバーを引き連れて、やってきたけれど、全員面白くない顔をしている。
 
「いえ。ちょっと……。湯瀬さんたちこそ、空気が重いですね。なにかありました?」
「イケメン社長とやらが、就任したおかげで、陰が薄くなって退屈なんだよ」
「ああ……なるほど……」

 いつもはモテモテで、ちやほやされている営業部メンバーはイケメン揃い。
 今日ほど、女子社員に冷たくされたことはないと思う。

「社長が挨拶に回ってるけど、倉地はイケメン社長を見に行かなくていいのか?」
「忙しいので……。それより、出し忘れた領収書はありませんよね?」
「倉地さんはマイペースだな」
「さすが、経理課のエース」 

 そう言いながら、接待で使ったタクシーの領収書を私に手渡す。
 エースなんかじゃないですよと、言おうとした瞬間、経理課の中がざわついた。

仁礼木にれき社長よ!」
「社長が経理課に来られたの!?」

 経理課長は仕事の手を止め、椅子が倒れるくらいの勢いで、立ち上がった。
 要人が入ってくると、なごやかだった空気は一変し、ピリピリした空気が流れた。
 
 ――睨んでる。

 私が男子社員とおしゃべりし、仕事をサボっていると思ったらしく、威圧感のある態度と鋭い目で、こちらを見ていた。
 もちろん、要人の顔は笑顔である。
 笑顔なのに、威圧感を感じているのは、私だけでないらしい。
 私のそばにいる営業部の男子社員たちは、要人の魔王的なオーラに圧倒され、固まっていた。

「社長。日本人離れしてるよな……」
「端正な顔ってああいう顔を言うのかも」

 要人のおばあちゃんはドイツ人で、外国人の血が混じっている。
 それで、髪の色は茶色く、瞳も近くで見ると目の奥が青い。
 美しいのは認める。
 でも、あの威圧感は不要だと思う。

「えーと、領収書は処理しておきますね」

 とりあえず、この場を解散し、何事もなかったように仕事をすることに決めた。
 もちろん、要人に対しては、社長と社員の一線をバッチリ守って、会釈しておく。
 それのなにが気に入らなかったのか、要人がつかつかと大股で、こちらに近寄ってきた。

「ちょっ……ちょっと!」

 ――ま、まさかっ! もう約束を破るつもり?
 
 戦うポーズで身構えると、要人は私を無視し、男子社員たちの前に立つ。
 机の上に手をのせ、要人は挑発するかのように、高身長を生かし、男子社員たちを見下ろした。

「営業部まで案内してもらえるか?」

 要人の低い声が、重く響いた。
 
 ――なにこの凄味。普通にお願いできないの?

 そう言いたかったけど、ぐっとこらえた。
 ここで、なにか言おうものなら、私の手堅い人生設計と平穏な日々が消えてしまう。

「は、はい」
「こちらです」

 怯む社員達の中で、湯瀬さんだけが前に出て対応する。
 
「俺が案内します。どうぞ。仁礼木社長」

 さすが営業の仕事をしているだけあって、いろんな人間の扱い方を心得ているようだ。
 湯瀬さんは挑むように、要人と対峙している。
 でも、他の営業部の男子社員たちは、慌てふためき経理課から出ていった。
 要人はそれを冷ややかに眺め、まだ私の机に手をのせている。
 そして、ちらりと横目で私を見て、要人は小さい声で言った。

「志茉。バカみたいな顔をしてたぞ」

 ――そして、離れる。

「誰が馬鹿面よっ!」

 イラッとしながら、湯瀬さんを連れ、去っていく要人の背中を睨みつけたのだった。
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