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13 【若緑】の竜とラウリの正体

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「ぎゃっー! すっぱいっー!」
「レモンティーだぞ」

 紅茶の中に沈んでいたレモンの輪切りからは酸味と苦味がにじみ出し、レモンティーはより最凶の飲み物へと変化していた。

「は、早く言ってくださいっ!」
「いつもはトロいくせにカップを素早く手にとったなと思っていたら、止めるのが遅れた」

 本当にうっかりで止めるのが遅れたのだろうか。
 涙目で優しい甘さのミルクティーを飲みながら、疑惑の眼差しをラウリへ向けた。

「さて、後片付けをするか。昼からは染物をするんだろう? 台所でお湯を沸かすか?」
「いいえ。外でやります。午後からの染物はヨルン様からの依頼品なので、家の中ではできませんし」

 染色術の染物は普通の染物と違って、失敗した時なにが起こるかわからない。
 素材も特別なものばかり。なかなか揃えるのが難しい素材もあり、染めるのに半年かかったこともある。
 私はラウリからエルヴァルト王国の重要機密である染色術について、追及されるのを避けるため、さっと席を立った。
 仕事がデキる女の顔をし、今日一番の機敏な動きを見せたにも関わらず、ラウリは淡々とした様子で手早く食器を重ね、台所へ食器を運んで行く。

「あ、あの……」

 あまりの無関心ぶりにラウリの背中に向かって声をかけると、足を止めて振り返った。

「アリーチェ。夕食の魚は揚げるのと焼くの、どっちがいい?」
「えっと、揚げたものがいいです……」
「わかった」

 会話終了――もうちょっと興味や関心を持ってくれてもいいのに今日の夕食メニューのほうがラウリにとって、重要な問題だったらしい。
 肩透かし気分で家の前の作業場へと向かった。
 外に出る前には玄関にかけて置いたエプロンと帽子を忘れず身に付ける。日焼け防止を忘れないモテたい年頃、乙女な私。

「いい天気。雲も少ないし、空も青いし、外で作業するにはうってつけの日よね」

 外の作業場には薪が積まれ、鬱蒼とした木々が屋根を覆っている。木々の隙間から射し込む木漏れ日は地面に落ち、切り絵のような模様を描く。
 レンガで作った竈に薪をくべ、大きな鉄鍋を置き、汲んできた水を中へ入れる。作業は力仕事で大変だけど、ラウリが庭に薪小屋を作り、小屋いっぱいに薪を積んでくれたおかげでずいぶん楽になった。それに作業のスピードもあがった。

「今回の王家からの依頼は闇色の術……」

 つまり、闇色に染めなくてはいけない。
 それも戦闘用となると、相手の目の前を完全に遮断してしまうくらい深い闇色が必要となる――

「黒……黒色……」

 ちょうどラウリが野菜くずを捨てに外に出てきたのが目に入った。
 彼の手によって細かく刻まれた野菜くずは畑の堆肥となる。野菜くずを土の中へ混ぜ込む姿は伝説級の存在である竜人族というより家政夫さん。
 人より神に近い存在である竜人のはずが、どんどん家庭の平和を守る家政夫へ……白いエプロンと三角巾がよく似合っている。

「私もラウリに負けず、仕事を頑張らなくちゃ」

 染色術に使用する染料は染料となる素材を加工するところからスタートする。
 素材は月光に晒した草の根や黒い羽根。そこまで選んで手を止めた。
 そして、ちらりとラウリを横目で見る。
 オブシディアンドラゴンの鱗があれば、もっと深い闇色に染められると思う。
 私の想像だけど、完全に姿を隠す染色術が完成するかもしれない。染物師としての好奇心と探求心が止められなかった。
 一枚。そう、せめて一枚だけでもあればっ……!

「おい。俺の鱗を狙うなよ」
「ひえっ! ど、どうして、それを……」

 頭の後ろに目があるのだろうか。
 私がチラチラと視線を送っていたのが、あっさりバレてしまった。
 敵は視線の気配すら察知する恐ろしい手練れ。戦闘のセの字もできない素人の私が気配を殺すことなど不可能に近い。だから、私は堂々とした態度でラウリに頼んだ。

「お願いです。一枚でいいので鱗をください!」
「やらん!」
 
  外に干してあったモップを手にしたラウリは強い。
 手を伸ばした私が近寄れないようにと、モップを私に向け、一歩たりとも足を動かすことを許さない。
 しかも、凶悪な顔で睨まれて二度目のお願いができる雰囲気じゃなかった。お願いした瞬間にゴミ扱いされてモップで攻撃される可能性のほうが高い。
 この間、掃除の邪魔だと言われ、座っている椅子ごと私を軽々と持ち上げ、床を掃除された時はさすがに驚いた。
 モップで私を一掃するくらいオブシディアンドラゴンであるラウリには余裕なのだ。
 竜人族――家をピカピカにするまで許さないという執念を持つ恐ろしい存在。
 ラウリは今から床を磨くらしく、ブラシとモップ、バケツを手にすると私を無視してスタスタと家の中へ入って行った。除中、換気をするため、窓やドアは開けているからラウリの姿を外からも見ることができる。

「そういえば、ラウリに姉弟とか友達っているのかな?」

 ラウリはまったく自分の身の上のことはなにも話さないし、竜人達が住む国のことも教えてくれない。
 人が立ち入ることができない場所であることと、竜人族が積極的に人が関わる種族でないせいで、私の竜人族に対する知識はゼロに等しい。
 伝説として文献に記述はあるものの、それは古く遠い時代から伝わるもので現実的ではない。エルヴァルト王国建国時代にまで遡らなくてはならないほど昔の話になる。
 多種多様な竜達がどこへ行ったのか、時代の中で滅びてしまったのか――

「でも、ラウリがいるってことは人の目が届かないような場所に竜人族がいるってことよね」

 つまり、竜の鱗を手に入れるチャンスはこの先まだあるかもしれない!
 諦めきれない竜の鱗。

「今までにないものすごい染色術が完成すると思うのに……」

 ふうっとため息をつきながら、沸いたお湯を見下ろした。
 お湯が沸き、白い湯気が顔にかかる。そこへ素材を鍋に入れて溶かし、混ぜ合わせると、黒い色がより深く、複雑な色合いへと変化していくのがわかる。同じ黒でも配合によって、それぞれ微妙に違う。
 ラウリが竜になった時のような美しい黒色に染めたい。
 光の加減で輝いたり、緑色が仄かに見えたりと、あの不思議な色合いを持つ鱗を思い出す。

「竜の姿は本当に綺麗だから」

 人間の姿はかっこいいけど、どうしても家政夫スタイルのせいか、キュンキュンとは別方向に行ってしまう。つまり、お父さん的な――

「おい。アリーチェ」
「ぎゃっ! お父さん!」
「誰がお父さんだ!」
「気配を消して近づかないでください。もう……寿命が縮まります。なんの用ですか?」
「いつ、町に行く? 床に塗るワックスが必要なんだが」

 開いた窓やドアから床を眺めたけど、ワックスが必要ないくらい輝いて見えた。

「そこまでしなくても、もう床はじゅうぶんピカピカですよ」
「いや、ワックスは必要だ。床が傷つかないよう保護しなくては」
「ラウリはなんでもできますね」
「お前ができなさすぎるというのもあるが、俺はなんでもできなければならない」

 不可能を可能にするみたいな無茶なことをラウリは言う。

「そんなのは無理ですよ。完璧な人なんていません」
「できないとわかれば、周りが俺を侮る」
「馬鹿にされたくないんですか? ラウリが馬鹿にされたら、私がちゃんと言ってあげます! すごく優秀な家政夫だって!」
「……それは言わなくていい。次に町へ行ったら、ワックスを買うぞ」
「はい」

 なぜか褒めたのに断られてしまった。
 ラウリは引き続き掃除をするらしく、雑巾とブラシを手に家の中へ戻って行った。
 垣間見えたラウリの心の内から、彼が竜人達の中でどんな存在なのかと私は考えようとした。偉そうな態度、侮られると困る立場、それって、もしかして……

「ラっ、ラウリ様っー! なっ、なっ、なんですか、そのお姿はっー!」

 今日一番の大声が森の中に響き渡り、バサバサッと鳥達が逃げて行く。逃げた鳥達はギャアギャアと声の主に怒りながら、木々の上を旋回している。
 森の家に新たなお客様がやって来た。
 それは若緑色の髪と瞳を持つ美しい青年だった。長い髪を大きな三つ編みにし、後ろに垂らして中性的な顔立ちをしている。

「わぁ、女の人より綺麗かも」

 その容姿から、彼が人ならぬ存在だということが見てわかる。

「うるさい奴が来たな」

 床掃除を終えたラウリは次の掃除に移ろうとしていたのか、ハタキを肩に担ぎ家の中から顔を出す。
 緑の髪の美青年の指差した指がぶるぶると震えていた。

「竜人族の王子であるあなたが……なぜそのような格好を……」
「えっ? 王子って、ラウリが王子様?」

 ラウリのことを知りたいと思っていたけど、まさかヨルン様と同じ王子とは思いもよらなかった。
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