覗く女

不幸中の幸い

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第二章

2時12分

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目が覚めたのは、いつもより早い時間でした。
布団の中で一度、玄関の方へ耳を向けました。
昨夜の音が夢だったかどうかを確かめたかったのに、
確かめるほどの“材料”が何もありません。
チェーンは掛かったまま。鍵も回ったまま。キッチンの小窓も閉じている。
金具の噛み合わせも、いつも通り浅いだけでした。

会社では、電車のことを誰にも話せませんでした。
話せば終わるはずの出来事なのに、口に出すと形になる気がしたからです。
昼休みにスマートフォンの履歴を見直しても、
知らない番号は残っていません。
昨夜は鳴っていない。そう思うと、逆に腹の底が落ち着きませんでした。

帰り道、マンションの掲示板を見ないようにしました。
それでも視界に引っかかる。
薄汚れた「節分 鬼は外」のチラシが、まだ残っています。
貼り直された形跡もなく、端だけが浮いている。
誰も気にしない紙が、私だけを見ているようでした。

部屋に入ると、私はいつもより音を立てて鍵を閉めました。
チェーンも掛け、靴を脱いで、キッチンの小窓を押し込みました。
カチ、と鳴る。指先に冷たさが残ります。
冷蔵庫から水を出して飲んでも、喉の奥の乾きが取れませんでした。

それでも眠くなり、灯りを消して布団に入りました。
目を閉じてしばらくすると、意識が沈みます。
沈みきる直前、枕元のデジタル時計が視界に入って、数字が揃いました。
2:12。

同じ瞬間、スマートフォンが震えました。
画面に、知らない番号。
呼び出し音は一回だけで止まり、すぐに着信が切れました。
私は息を止め、画面を見つめたまま指を動かせませんでした。
履歴に残っている。今度は残っている。
それが、昨夜との違いでした。

折り返すか迷い、迷っている間に、玄関の外で小さな音がしました。
ノックではありません。何かが擦れる、薄い音です。
ドアスコープを覗こうとして、体が固まりました。
覗いたら、向こうが“こちらを見返せる”気がしたからです。

その代わりに、耳だけを澄ませました。
廊下の空気が動く気配。誰かが息をしている気配。
そこに、言葉にならない小声が混じりました。
ぶつぶつ、と喉で丸める音。

掲示板の「節分 鬼は外」が頭に浮かびました。
私はそれを口に出して打ち消そうとしたのに、喉が固まって続きが出ません。
漏れたのは、二音だけでした。

「……おに……」

それが自分の声だと分かった瞬間、余計に気持ち悪くなりました。
私は布団の中で手のひらを握りしめ、
爪が皮膚に食い込む痛みで呼吸を戻しました。

もう一度、玄関の外で薄い音がしました。
今度は、ドアノブに触れたような金属音でした。
私は声を出せず、ただ時計を見ました。
数字は2:12のまま変わらないのに、
部屋の中だけが一段、狭くなった気がしました。
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