上 下
18 / 31

邂逅と逃避

しおりを挟む

「あっ! 伯爵家のお嬢様、マリー様っ! やっぱりおいでなさった! すぐに分かりました、その御髪も、今日のために染め抜かれていたのでしょう?」
「シファ……!」

 背後から日傘を差し出してくれたのは、この町一番の商家の娘、シファであった。年は十二、女ながらに利発な商人としての性質を生まれ持ち、主人に叱られながらもマリーに似合う衣装を進呈しようとしてくれた逞しい子だ。以来、マネキンとしてのマリーを気に入った様子で、様々な装飾品や試作品に関する意見を求めた手紙のやり取りを続けている。

「本当に美しい白銀! 何を使ったらこうなるのかしら、東部でも南部でも、隣国でも見たことないってお父様が仰っていたわ!」

 そんな風に彼女に褒めそやされるたび、マリーは面映ゆいような複雑な気持ちになる。確かに人種の入り乱れる王都でも珍しい髪色だったが、それは働き盛りの若者に限っての話だ。老人となるとそのほとんどが自分と同じような白髪頭で、陰で賛歌隊に詰られた苦い記憶まで蘇ってしまう。実際は生まれついてのものなのだが、それを口にすると不気味に思われかねないと司祭に忠告され、染めたとか苦労を重ねたせいだ、とごまかすようにしているが。

「ありがとう、シファ。……それで確認なんだけど、今日も祝祭なのよね?」
「ええもちろん!」

 そうか、屋敷に籠りきっている間に七柱の神を讃える祝祭期間が始まっていたのか。
 基本的には二週間ほど、人々は観光客をもてなしながら、神殿や領主らの支援を得て祭りを盛り上げる。
 ジスランはその件について何も口にしていなかったが、運営に関与していないわけがない。催しの準備や神殿での祈祷と、マリアンナに説明する暇さえ惜しかったのだろう。そのわりに、朝食も夕食も共にしていたし、とりとめのない話をする余裕はあったのだが。

 もしかすると、マリアンナに婚約者として気負わせないよう配慮してくれたのかもしれない。
こうも考えられる、下手に手伝いを申し出たり、勝手に意気込んで空回られると迷惑だった、と。

 ――そのどれかよね……まさか祝祭を面倒くさがるなんてこと、ないわよね……。

 ジスランの行いを思い出していると、何かを曲解したらしいシファが「ああ」と声を上げる。

「今日はこの辺りは人が少ないですものね。皆さん本命は神殿の方かと。何と言っても――――ああ、ほら、いらっしゃったみたい!」
 シファの視線を追うと、中央広場の方から、人だかりが塊となってこちらの方へ移動しているのが見えた。その中央を陣取る見慣れた蒼色の一団に、どうして、と心臓がどくりと脈打った。

 ――そんな、今日に限って……!

 取り巻く見物客を阻む、帯刀した騎士たち。彼らが死守する空間を、まるで喧噪など外の世界の出来事であるかのように優雅に練り歩く人影。

「メレーサ……さま……!」

 すっかり失念していた。祝祭の中日には、王都から謳姫が招待され無償公演を収める。それがまさか今日だっただなんて、なんたる神の悪戯か。
 思わずよろめきながら、慌てて顔を伏せる。大丈夫、ここには大勢人がいる。マリアンナは死んだことになっている。こんなふうに着飾った自分を見ても、マリアンナだとは気づかないだろう。

「マリー様? もしかしてご気分が悪いの? どうしよう、お付きの方は? 伯爵さまは?」
「いえ、大丈夫。でも、少しの間だけお店で休ませてもらえるかしら……?」

 力強く頷いて、シファが踵を返した。父が商談中の可能性もあるため店の様子を確認したいらしい。
 そう安堵したマリアンナの背後で、おお、どどよめきが走る。メレーサが、急ごしらえの荷箱を積み上げた舞台で歌唱を披露するようだ。このために足を運んだという、近隣の敬虔な信徒でも進み出たのだろう。青いスカーフを身に着けた老婆と、その同胞らしき十人ほどの老若男女が舞台の前に跪いていた。

 メレーサは目を閉ざすと胸元で両手を握りこみ、たおやかに謳いだした。途端に辺りは水を打ったように静まり返る。遠くから聞こえる漣のような雑踏は、まるで薄膜を一枚隔てた別世界の出来事のように聞こえた。

 高く引き絞られた、嘆きとも祈りともつかない声色に、マリアンナは身震いした。
 美しいけれど、どこか冷たい。慈愛のもとに庇護するというより、支配欲のもとに囲い込んでしまう――そんな恐怖がこみ上げるなどと口にしたところで、誰にも同意してもらえないだろう。現に、聞き惚れる誰もがその歌声に陶酔しきっているのだ。

 眩暈がした。もうここにはいたくない。ふらふらと声の届かない方へ移動しようとしたそのとき、目の前に立ちはだかった何者かに両肩を掴まれた。

「っ、マリー……! ここにいたのか……!」
「ジ、ジスラン様……?」

 軽く息を喘がせたジスランが、良かったと頬を緩ませる。しかし、その顔にすぐに咎めるような色が差し込む。

「君が急にいなくなったと聞いて探していたんだ、不届き者にでも忍び込まれたのかとひやひやした……」
「! ご、ごめんなさい。そんなつもりはなかったんです。この子に大切なものを取られてしまって、追いかけたらここまで……あっ」

 それまで大人しくマリアンナの腕に抱かれていた黒兎が、突然暴れ出して腕をすり抜けた。地面に着地するや否や、まさに脱兎のごとく露店の裏手を駆けて行ってしまった。

「黒兎が? いったいどこから……」
「? 庭園で飼われていた子では?」
「いや、見たことがない。飼育小屋にいるのはすべて耳が垂れているし……」

 ジスランはマリアンナに向き直ると、その向こう側に見えた人だかりを一瞥して目を眇めた。

「それで、その大切なものとやらは奪い返したんだね?」
「はい、ここに」
「そうか、良かった。では屋敷に戻ろう」

 マリアンナが差し出した輝石を見て、ジスランは強引にマリアンナの肩を抱いた。

「? ああ、祭りの見物をしたかったかな? でも今日はよそう、人が多いし、ニケットが君を待っているんだ。大丈夫、謳姫を見る機会はまたいつかやってくるよ」
「いえ、そういうわけではない、のですが……」

 ジスランに促されるまま歩き出しながら、マリアンナはその端正な男の横顔を見上げた。

 ――何か、焦ってる……?

 まるでマリアンナをこの場に留めておきたくないような、この場から早く立ち去りたいというような意思が感じられる。マリアンナの身勝手な行動に憤りを隠しきれていないのかもしれない、と思うと、とても申し訳なくなった。

「あの、ジスラン様」

 謝罪を口にしようとして、マリアンナは背筋に迸った悪寒に足を止めていた。肩越しに背後を振り返る。周囲を見渡すが、謳姫と、それに聞き入る観衆以外、変わったところは何もない。
 気のせいだったのだろうか、神経が過敏になっているのかもしれない。

「どうした? マリー、すまない、話なら向こうで聞く、ここは何というか、よくない――」

 やはり焦れたように言うジスランに、マリアンナも慌てて従う。
 そう、ここはマリアンナにとっても良くない場所だ。早く立ち去った方が良い。
 すぐそこまでおどろおどろしい気配が忍び寄っているような不快感が離れてくれない。
本能が警鐘を鳴らしていた。逃げなくては。濁り切った深い闇に、呑み込まれてしまう前に、と。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ドラゴノア -素質なき愛姫と四人の守護竜騎士-

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:49

もふつよ魔獣さん達といっぱい遊んで事件解決!! 〜ぼくのお家は魔獣園!!〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:8,423pt お気に入り:1,901

落ちこぼれの竜人族は竜騎士になりたい。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:12

突然の契約結婚は……楽、でした。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:37,924pt お気に入り:777

立派な暗殺者を目指してたんだけど実は聖女だったらしい

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:76

【本編完結】病弱な三の姫は高潔な竜騎士をヤリ捨てる

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:149pt お気に入り:2,202

処理中です...