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ばら撒かれる火種
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「……お前たちの眼に、私はそのように映っていたのか……」
「き、貴族ってのはみんなそういうもんだろう」
「違う……違います! 伯爵さまはそのような方じゃありませんっ」
突如、威勢よく怒鳴りつけて来た美貌の令嬢に、男たちは呆気にとられ言葉を失う。
「よく思い返してみてください。伯爵さまが圧政をしいたことがありましたか? この辺りの村の方々なら、一昨年の冬のことを覚えてらっしゃるでしょう? 飢えに苦しむ人々に食物庫を解放して、羊毛や薪を差し入れたのは誰? 隣の領地とのいざこざで汚染された土壌の作物を、それなりの価格で買い取ったのは? 皆さん忘れてしまったの?」
マリアンナが一人一人の眼を睥睨しながら言葉を重ねるほど、男たちからはみるみるうちに毒気が抜けていく。当然だろう、すべて事実なのだ。もっと深くジスランのことを知りたくて、ニケットやハシュアに子のエルドという土地のことを、そこで起きた事件のことを尋ねてまわったのだ。あまりの熱心さに、老僕は私的に記録していたおおまかな日記帳を貸し出してくれた。それだけではなく、まるで講義のように当時の出来事を詳細に語って聞かせてくれた。長い間、公明正大なジスランに仕え続けて来た執事長の言葉に、偽りや誇張があろうはずがない。
そう進み出たはいいものの、何を政治の政の字も知らない小娘がでしゃばっているのかとふと我に返った。慌ててジスランの顔を仰ぎ見る。叱責を受けるかと思いきや、不思議な笑みを浮かべているではないか。
まるで母親に見守られる幼子のような気分だったが、悪い気はしない。人ならざる力を持つジスランは無暗に抵抗できないのだろうし、彼らが傷つくことは望んでいないはずで、争うことなくこの場を収められればいいのだが。
「ですから、まずはこうなるに至った訳をお話してくださいませんか」
宥めるように声のトーンを落として語り掛けると、頭領らしき男がたじろいだ。彼は彼で、悪戯を見咎められた子供のようだ。マリアンナの熱心な態度に根負けした様子で、自身のみならず部下にも武器を下ろすよう手で命じつつ溜息を吐いた。
「……領主様が、化物を呼び出してこの国を荒らしまわそうとしてるって、そう聞いたんだよ」
「いったい誰がそんなことを……!」
「偉そうな爺さんだったな」
「何? 婆さんの間違いだろう」
いったい何がどうなっているのか――男たちも動揺を隠せない様子で、その噂の出所について、各々全く異なる主張を始める。曰く、老爺。あるいは老婆。ある者が言うには枯れ枝のような酔っ払いで、花を摘みながら駆け回る幼女を見た者もいるという。
「……魔術だ」
ぼそりとジスランが呟く。マリアンナが訝ると、耳元で解説をくれた。
「姿形を変える術がある、私が人の形をとるように。あるいは幻を見せて、姿が変わっているように見せかけたか。そうとしか考えられない」
「つまり、相手の方もジスラン様と同じ――」
「ともかくよお、俺たち、怖くなっちまって。次は俺たちの村の近くだっていうんだ。荒らされて、二度と使い物にならなくなる、防ぐためにはとりあえず旦那様を追い返すしかねえって……」
「……お前たち、出所も確かでない噂を信じたのか? 今この場で斬り殺されても仕方がない不敬まではたらいて?」
ジスランの呆れ声に、男たちは顔面蒼白になり狼狽えた。
「あれ……確かに……おい、なんで俺たちこんな……」
「考えてみりゃおかしいじゃねえか、化物連れてる旦那様をどうやって俺たちだけで止めようってんだ? 誰も止めなかったよな?」
動揺は波紋のように広がり、瞬く間に男たちは不安げな顔で狼狽しだした。何か、自分たちでは想像もつかないような恐ろしい事象に侵されていたのだと、おぼろげながら理解できたようだ。
ともかく、これで襲撃の意図が読めた。敵はジスランではないと分かってくれたはずだ。
「つまり、皆さんは何者かに惑わされていただけで、今はもう伯爵さまに盾突くつもりはない……ということでしょうか」
凛とした問いかけに、男たちは武器をその場に放り捨てて怯えたように頷いた。その眼は慈悲を乞うていた。許されない罪であると自覚しながら、一縷の目こぼしが与えられやしないかと、まるで神に祈るような面持ちでマリアンナを見ている。そう、神々しき貴公子たるジスランではなく、たおやかではかなげな少女の方を。
「だ、だんなさま……俺たちは……とんでもねえことを……」
まさに夢から覚めた心持ちなのだろう、頭を抱えた男の視線が、ジスランの穿たれた右腕をとらえている。無理もなかった。領主を害そうなど謀反も同義、牢屋にぶちこまれるのが道理である。ただ、自分の土地を、妻子を、村を守ろうと義憤に立ち上がっただけなのに。
ジスランは、そんな風に項垂れる哀れな男たちを見渡し、一度目を閉ざしてから嘆息した。
「マリー、乗りなさい」
マリアンナを馬車に押し込み、離れた茂みでこちらの様子を窺っていた御者に手振りで下知を飛ばす。困惑する男たちの前を素通りして自身も座席に乗り込むとそこでようやく、外へ向かって言い放った。
「ここでは、倒木に足止めを食らっただけだ。私は誰にも会っていない、ずっとここにいた。……わかったなら行きなさい」
言いながら、僅かに顔をしかめたのをマリアンナは見逃さなかった。今の彼の肉体は、ほとんど人と変わらないという。傷が痛むのだろう。
男たちはしばらくの間、言葉の意味を理解できていない様子でぽかんと口を開いたまま硬直していた。が、鬱陶しげな視線とともに投げられた「行け」の一言で、脱兎のように逃げ出していった。口々に謝罪と礼を、あるいは会釈を寄越しながら、一瞬のうちに森の深層へと人影は消えゆく。
ふう、と疲労困憊の様子で座席にもたれかかったジスランを、マリアンナは慌てて手当てしたのだった。
「き、貴族ってのはみんなそういうもんだろう」
「違う……違います! 伯爵さまはそのような方じゃありませんっ」
突如、威勢よく怒鳴りつけて来た美貌の令嬢に、男たちは呆気にとられ言葉を失う。
「よく思い返してみてください。伯爵さまが圧政をしいたことがありましたか? この辺りの村の方々なら、一昨年の冬のことを覚えてらっしゃるでしょう? 飢えに苦しむ人々に食物庫を解放して、羊毛や薪を差し入れたのは誰? 隣の領地とのいざこざで汚染された土壌の作物を、それなりの価格で買い取ったのは? 皆さん忘れてしまったの?」
マリアンナが一人一人の眼を睥睨しながら言葉を重ねるほど、男たちからはみるみるうちに毒気が抜けていく。当然だろう、すべて事実なのだ。もっと深くジスランのことを知りたくて、ニケットやハシュアに子のエルドという土地のことを、そこで起きた事件のことを尋ねてまわったのだ。あまりの熱心さに、老僕は私的に記録していたおおまかな日記帳を貸し出してくれた。それだけではなく、まるで講義のように当時の出来事を詳細に語って聞かせてくれた。長い間、公明正大なジスランに仕え続けて来た執事長の言葉に、偽りや誇張があろうはずがない。
そう進み出たはいいものの、何を政治の政の字も知らない小娘がでしゃばっているのかとふと我に返った。慌ててジスランの顔を仰ぎ見る。叱責を受けるかと思いきや、不思議な笑みを浮かべているではないか。
まるで母親に見守られる幼子のような気分だったが、悪い気はしない。人ならざる力を持つジスランは無暗に抵抗できないのだろうし、彼らが傷つくことは望んでいないはずで、争うことなくこの場を収められればいいのだが。
「ですから、まずはこうなるに至った訳をお話してくださいませんか」
宥めるように声のトーンを落として語り掛けると、頭領らしき男がたじろいだ。彼は彼で、悪戯を見咎められた子供のようだ。マリアンナの熱心な態度に根負けした様子で、自身のみならず部下にも武器を下ろすよう手で命じつつ溜息を吐いた。
「……領主様が、化物を呼び出してこの国を荒らしまわそうとしてるって、そう聞いたんだよ」
「いったい誰がそんなことを……!」
「偉そうな爺さんだったな」
「何? 婆さんの間違いだろう」
いったい何がどうなっているのか――男たちも動揺を隠せない様子で、その噂の出所について、各々全く異なる主張を始める。曰く、老爺。あるいは老婆。ある者が言うには枯れ枝のような酔っ払いで、花を摘みながら駆け回る幼女を見た者もいるという。
「……魔術だ」
ぼそりとジスランが呟く。マリアンナが訝ると、耳元で解説をくれた。
「姿形を変える術がある、私が人の形をとるように。あるいは幻を見せて、姿が変わっているように見せかけたか。そうとしか考えられない」
「つまり、相手の方もジスラン様と同じ――」
「ともかくよお、俺たち、怖くなっちまって。次は俺たちの村の近くだっていうんだ。荒らされて、二度と使い物にならなくなる、防ぐためにはとりあえず旦那様を追い返すしかねえって……」
「……お前たち、出所も確かでない噂を信じたのか? 今この場で斬り殺されても仕方がない不敬まではたらいて?」
ジスランの呆れ声に、男たちは顔面蒼白になり狼狽えた。
「あれ……確かに……おい、なんで俺たちこんな……」
「考えてみりゃおかしいじゃねえか、化物連れてる旦那様をどうやって俺たちだけで止めようってんだ? 誰も止めなかったよな?」
動揺は波紋のように広がり、瞬く間に男たちは不安げな顔で狼狽しだした。何か、自分たちでは想像もつかないような恐ろしい事象に侵されていたのだと、おぼろげながら理解できたようだ。
ともかく、これで襲撃の意図が読めた。敵はジスランではないと分かってくれたはずだ。
「つまり、皆さんは何者かに惑わされていただけで、今はもう伯爵さまに盾突くつもりはない……ということでしょうか」
凛とした問いかけに、男たちは武器をその場に放り捨てて怯えたように頷いた。その眼は慈悲を乞うていた。許されない罪であると自覚しながら、一縷の目こぼしが与えられやしないかと、まるで神に祈るような面持ちでマリアンナを見ている。そう、神々しき貴公子たるジスランではなく、たおやかではかなげな少女の方を。
「だ、だんなさま……俺たちは……とんでもねえことを……」
まさに夢から覚めた心持ちなのだろう、頭を抱えた男の視線が、ジスランの穿たれた右腕をとらえている。無理もなかった。領主を害そうなど謀反も同義、牢屋にぶちこまれるのが道理である。ただ、自分の土地を、妻子を、村を守ろうと義憤に立ち上がっただけなのに。
ジスランは、そんな風に項垂れる哀れな男たちを見渡し、一度目を閉ざしてから嘆息した。
「マリー、乗りなさい」
マリアンナを馬車に押し込み、離れた茂みでこちらの様子を窺っていた御者に手振りで下知を飛ばす。困惑する男たちの前を素通りして自身も座席に乗り込むとそこでようやく、外へ向かって言い放った。
「ここでは、倒木に足止めを食らっただけだ。私は誰にも会っていない、ずっとここにいた。……わかったなら行きなさい」
言いながら、僅かに顔をしかめたのをマリアンナは見逃さなかった。今の彼の肉体は、ほとんど人と変わらないという。傷が痛むのだろう。
男たちはしばらくの間、言葉の意味を理解できていない様子でぽかんと口を開いたまま硬直していた。が、鬱陶しげな視線とともに投げられた「行け」の一言で、脱兎のように逃げ出していった。口々に謝罪と礼を、あるいは会釈を寄越しながら、一瞬のうちに森の深層へと人影は消えゆく。
ふう、と疲労困憊の様子で座席にもたれかかったジスランを、マリアンナは慌てて手当てしたのだった。
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