10 / 10
番外編
余裕 〈二〉
しおりを挟む電車はめちゃくちゃに混んでいた。電車はばんばん来てはいる。ホームからあふれんばかりの乗客を押しこんでは去り、次の電車に押しこんでを繰り返しても乗客は減らない。ここ数十分間運転再開を待っていた乗客が路線それぞれの駅で待ち構えているのだ。仕方ない。だわわわ、と電車の奥へ押しこまれ私は篠原さんにしがみつく体勢になってしまった。それだけならいい。私たちは恋人同士だ。密着ばっちこい、くっつくのも吝かでない。しかしだからといって電車で右手が恋人の股間にタッチしちゃっているという状況はいただけない。プライベート空間ならともかくここは電車、しかも激混み満員電車だ。普段から痴女プレイなどに興じるならまだしも私たちにそんな趣味はない。ないんだほんとなんだ。右掌にあたる篠原さんの篠原さんは今のところ半分おっきしてるかなどうかな、の節度ある状態をキープしている。
「すみません……っ」
「だいじょうぶ」
篠原さんは微笑むと私をぎゅっと抱きしめた。耳もとで囁かれて
きゅ。
胸の奥が痛むようなわななくような、不思議な感じが戻ってきた。
私はあの夏の日を思い出してどきどきしているのに、篠原さんは平気なんだ。私の膝の上で甘えて顔を赤くしてたころはかわいかった。そういえばしばらくそんなこともなくなっている。毎日ではないけれど、週に何度も体を重ねて私に飽きちゃったんだ。
たった半年で。
らちもないことを考えていたら、のろのろ進んでいた電車がとうとう駅と駅の間で止まってしまった。
「ただ今ぁ、前の電車が、つかえてぇおりまぁす――」
乗客の耳に届きやすいよう工夫されたアナウンスらしいが苛立ちを煽っているようにしか聞こえない。
逞しい胸板に頬を寄せ、目の前のきっちりネクタイが締められた恋人の喉もとを睨む。いったん鳴りを潜めた不満がこみあげてきた。
いつも余裕ぶっこいちゃって。
今日のデートも「仕方ない」なんてさらっと諦めちゃって、私が甘えてもよしよーし、なんて子どもをあしらうみたいにして大人みたいに――大人なんだけど――掌で踊らせてる気分なんだ、きっと。
そう考えたらますます腹が立ってきた。
どきどきさせてやる。
右手をそっと、動かした。身動ぎする体でいったん局部から太ももへ退く。急に動いたのに驚きはしたかもしれないが、問題ある場所からいくぶん問題のないエリアへの移動なので多少無理に手を動かしても篠原さんはじっとしたまま、反応しなかった。どきどきさせてやるとか息巻いといて退却か? いいえ、戦術です。一度退いたと見せて遠くから攻める。基本の戦術、焦らしです。太ももかから内側へゆっくりと撫でた。ペニスに触れる前にまた太ももへ戻る。二度、三度と行き来していると
がたん。
揺れとともに電車が動き出した。手が大きくふくらんだものに触れる。そっとはりつめた塊を撫でた。
「……っ」
微かな吐息とともにぎゅう、と抱きしめられた。
ごくり。
音が聞こえそうに大きく、喉仏が上下する。
「こら……」
耳もとで囁くと篠原さんはお互いの体の間に腕をねじ込み、股間から私の掌を引きはがした。ターミナル駅に着き、乗客ががどっと降りまた乗り込んでくる。手をつないだまま私たちは電車のさらに奥へ押しこまれた。篠原さんがぎゅ、と握った私の右手を口もとへ運ぶ。
じゅう。
掌をきつく吸われた。こちらを見下ろす篠原さんの目に剣呑な光が宿っている。
K駅に着き、改札を出ると篠原さんはがっし、と私の不埒な右手を掴んだ。そのままつかつかとマンションへ向かう。いつもなら私の歩調に合わせてゆったり足を運ぶのに。怒っているのだろうか。――まあ、怒るよな。フラれちゃうかな、また。今度こそ会社続けられないな。どんより考えつつ駆けるように引きずられるように歩いているとあっという間にマンションに着いた。つかつかとエントランスを通り抜けエレベータに乗る。
「今日は、どうした」
手はつないでいるが、篠原さんは目を見てくれない。
「その……」
居住階に着く。扉が開ききるのを待たずすり抜けるように出て通路をずんずん進む。もどかしげに玄関を開け私を中に押しこみ
がちゃり。
後ろ手に鍵をかけた。そのまま玄関で向かい合う。つないでいた手が離れる。
「今日はおかしいぞ。何があった」
「何もありません。ただ、その、私に飽きちゃったのかな、って……」
「飽きる? 誰が? 誰に?」
「清さんが、私に」
「そんなこと、あるわけないだろ……」
篠原さんはがっくりと肩を落とした。
「だって、だってどきどきするのって私ばっかりで、私ばっかり清さんのこと好きで、会社でもさっきの電車でも清さんはいっつも余裕で私なんかなんでもないみたいな顔してて――」
「あー、もう」
肩にかけていた鞄を三和土に放り、篠原さんは両手で顔を覆った。
「来なさい」
蹴るように靴を脱ぐと篠原さんは私の手をがっしと掴み廊下をずんずん進む。慌ててパンプスを脱いでついていく。玄関からすぐの寝室へ向かうかと思いきや、篠原さんは隣の部屋の扉を開けた。カーテンを閉め切ったそこは昔子ども部屋だったと聞いている。今は書斎だ。本棚と机、PCやモニター、機能重視のデスクチェアがある。リモコンのボタンを押すと暖房のスイッチが入った。ネクタイを緩めコートと上着を毟るように脱ぎ捨てた篠原さんは私の鞄をとって部屋の隅に置き、いくぶん丁寧な手つきで私から服を剥いでいった。
「あの……」
「何だ」
「その、これから何を」
「……」
篠原さんは眉間に深々と皺を寄せた。脱がせたジャケットを鞄のあるほうへ放る。スカートのジッパーをおろしてストッキングも下着も脱がせると
「座って」
ぽい、と部屋の隅へ放りながらデスクチェアを目で示した。
「このかっこうで?」
中途半端に脱がされて今、ブラウスと下にブラジャーとスリップのみ。ちなみにノーパンだ。
「うん。座って」
篠原さんは素っ気なくうなずいた。いつになく不機嫌なままで不安になるが、いわれたとおりデスクチェアに腰かけた。私の前に跪き篠原さんはむき出しの太ももを撫でた。
「――危ないから、暴れないで。力を抜いて。いいね」
「はい?」
はてな、と首を傾げる。篠原さんは「よし」とうなずき私の両足をがばあ、と広げ椅子の肘掛けに載せた。
「ひゃあ!」
「動かないで」
足を元に戻そうと身動ぎしかけたところで厳しい声がかかった。シャツの襟からネクタイを引き抜いて放り投げると、
「十和さんは分かってない。全然、分かってない」
引き攣り気味の内ももに
ちゅ。
口づけ、頬ずりした。
「俺には十和さんが思うほど余裕なんかないし、大人の男でもない」
「あの、あの……」
口をはさもうとする私を険しい目で制し、見た目よりだいぶ器用な大きい手でブラウスのボタンをぷちぷちと外す。そして脱がしはじめるが途中でそれを止めた。
私は今、とんでもないかっこうをしている。
中途半端に脱がされたブラウスの袖が後ろへ回った両腕を拘束している。下半身は両足を大きく広げた、いわゆるM字開脚の姿勢だ。うかつに動けない。まだ脱がされていないスリップがぺろんと股間を覆っているものの、心もとないことこの上ない。
「十和さん、好きだ」
篠原さんは、薄いピンク色のスリップをブラジャーといっしょにずりあげ、ぷりりと露わになった胸の膨らみにすりすりと頬を寄せた。
「俺は十和さんに夢中で、夢中になりすぎてその、――もっと俺のこと、かまってほしいっていつも思ってるし、気を抜くとむらむらしてしまうんだ」
「――はい?」
いったん顔を上げた篠原さんがぽ、と頬を染めおっぱいぱふぱふポジションへ戻った。ごにょごにょとつぶやく。
「会社できみが小野田さんや野崎さんと話しているのを見ると割って入りたくなるし」
「話をしないわけにも」
「分かってる。分かってるんだ。だから『ん!』って」
篠原さんの眉間に深々と皺が寄った。
「我慢する」
「なるほど……」
不機嫌強面の原因の一端を知るもどうコメントしたものか、分からない。「かわいいかよ」以外思いつかない。
「それはその、いいんだ。当たり前だけど、かまわないんだ。仕事が終わればきみと話せるから。――問題は、その」
「むらむらのほう」
「うん。十和さんがこっちに背中を向けてファイル片づけてたりとか、してるといつもじゃないんだ、でもときどき――」
篠原さんは露わになった私のおなかにちゅ、ちゅ、と口づけた。
「トイレとかに連れ込んで後ろからとか、考えてしまう……」
「……」
「あと残業とかでふたりきりになったときこうして……」
なるほど、寝室でなく書斎につれてきたのはこのデスクチェアを会社の椅子に見立てたかったからというわけだ。ブラウス半脱ぎ拘束にM字開脚であんあんいわせたいわけだ。前戯長めの穏やか和やかセックスが好きなのかと思っていたがそうでもないということか。
「ここ、子宮」
篠原さんは恥丘の上あたりに口づけた。閉じた目の、睫毛が濃く影をつくっている。顰めた眉が苦しげで切なげで、告白内容にはどん引きしていても頭を撫でて慰めたくなる。半脱ぎブラウス拘束で手が動かせないわけだが。
「中出ししてここを、十和さんのすべてを俺で穢したいって、考えてしまう……」
「セックスはその、できればおうちとかオープンでない場所でしたい、ですけど中出しは穢れとか思いませんし安全日だったらいいのでは……」
「あーもう、そういうとこ!」
がば、と篠原さんは私のおなかに顔を伏せた。
「十和さんはいっつも! カジュアルに煽ってくるけどどんだけ! 俺が我慢してると思ってるのか」
煽っているつもりはないんだがそういえばことの発端はさっき電車で私が篠原さんの篠原さんをなでなでしたことでそもそもつきあうきっかけからしてソレだったわけで「そういうとこ!」と責められればほんとうに申し訳なく思う。そんな私を篠原さんはそれはもう大事にしてくれていてセックスのときは必ずコンドームをつけてくれる。当たり前のことといえばそうなんだけどつきあう前の衝動的ななだれこみセックスのときですらちゃんと用意があった。
「だから安全日であれば」
「そんな日はない。今まで避妊に成功していたのも単に幸運だったからに過ぎない」
「それに私、清さんなら中で出されても――。もしかして私じゃ」
「今がそのときでないというだけだ。ときがきたら――ここを俺で満たす」
篠原さんは私のおなかにそっと口づけた。
「それって、――今なんじゃないですかね」
「俺の話、聞いてた?」
「私のほうはOKってことです。授かったら産みますし育てますよ」
「十和さん……」
私たちは唇を重ねた。噛みつかれているみたいなキスだった。
「先っぽだけでも、挿れちゃいます?」
「またそういうこと、いう。――もう、俺怒っていいかな」
「お仕置き、する?」
「な、な、……」
ぼばばば、と頬を染め篠原さんはがば、と私の胸に顔を押しつけた。なにげにおっぱいぱふぱふポジションだ。下のほうからかちゃかちゃベルトを外す音、ごそごそ衣擦れの音がする。がば、と開いた足の間でもそもそする恋人の頭を眺める。セックスの準備――コンドーム装着のもそもそというのは間が抜けてしまうというか、テンションがダウンしてしまうというか、どうしてもそうなってしまう空白のひとときだ。
きゅ。
胸の奥が痛むようなわななくような、不思議な感じがする。胸がきゅんきゅんして、笑っちゃいたくなる。
篠原さんのことが、いとしくてたまらない。
乱れてもちゃもちゃになってしまった髪やかわいらしいつむじだとか、どうでもいいことに嫉妬しちゃうところとか仕事中に妙な妄想をしちゃう困ったところとか、まじめなところとか、頼れるところとか、大事にしてくれるところとか、武骨なのにかっこよくて色っぽいところとかかわいいところとか、篠原さんの何もかもがいとしい。
顔を上げた篠原さんの目に剣呑な情欲の光が宿っている。
「ああ、……清さ、あんっ」
「……っ」
熱い塊がごりごりと私を暴き貫く。
「すごい、すぐ、いってしまいそうだ……」
「私も、――だから連れていって、いっしょに」
がくがくと跳ねる足を掴み、篠原さんはがつがつと私を貪った。快楽の波が私たちを呑みこむ。
「あん、あああっ」
「うぁ、……っ」
視界が白く塗りつぶされていく。絞り出すような呻きとともに欲望が私の最奥で爆ぜた。
今はまだそのときでない、か。――いつか、そうなるといいな。未来を考えていいと知って私は幸せな気持ちに満たされた。
(了)
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
24
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(2件)
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
積極的なヒロイン大好きな私大歓喜な番外編でした、二人ともかわいい…♡
ヤッター!!仲間!積極的なヒロイン私も大好きです!ありがとうございます!握手握手(ギュッギュギュ)
篠原さんかっこいいですぅぅぅ!言葉の少ないタイプだけど、出てくる言葉には力がある、素敵なヒーローでした。
ホワーーー!!篠原さんかっこいいといっていただけてとてもとても嬉しいです!ご感想をいただけて励みになりました。お読みくださいましてありがとうございます!