甘責めがつ子の惑溺愛へのナローパス

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凋落の王子、二つ名と黒歴史を得る

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 大路おおじ樹子たつこはかつて、プリンスと呼ばれていた。

――プリンスって、王子……? 私、女だよ?

 小学六年のときだったか、初めてそう呼ばれて樹子は首を傾げた。男か女か以前に王の子ですらない。樹子の父は役所勤めの温厚な中年男で、王の覇気など微塵みじんも持ち合わせていない。強いていうならばビールを愛飲することで膨満した腹が福々しく見えなくもないというところか。母親は三宅精機という大きめの会社の創業者一族の一員だが端っこも端っこ、大学で樹子の父と出会って田舎で一介の主婦となった現在は一族の序列に加わりもしないしただ親戚というだけ。つつましいものだ。

――そういうことじゃない。
――血筋とか男の子か女の子かとか、そういうことじゃないの、王子さまって。

 先んじて成長期を迎えにょきにょきと身長が伸びた樹子を、クラスメイトの少女たちがきらきらした目で見上げた。
 女なのに、プリンス。王子さま。――何のことはない。
 第一に、名字。大路という姓が王子の音に近いから。
 第二に、外見。樹子の身長は平均よりやや高め。すっきりと整い少々鋭くもある顔立ちは女顔か男顔か、どちらかと問われれば男顔寄りで、背筋の伸びてきびきびとした立ち居振る舞いが凜とした印象を与える。
 第三に、親切な性格。

「落としものですよ」

 拾って渡すと相手の頬が染まる。他人に親切にするなんてのはごく当たり前のことなのであって、落としものを持ち主に返す程度のことにいちいち「今のは王子さまっぽくて気障きざかな」などと躊躇ためらうほどのこともない。
 だからって王子なんて。
 子どものころにこじつけのようにつけられたあだ名に過ぎない。



 樹子は一を聞いて十を知るほど聡明ではないが真面目なたちで、こつこつ努力したりじっくり調べたり、腰を据えて真正面から取り組むのが得意だし、好きでもある。だから学校の成績はそこそこによかった。努力が棚ぼたレベルの報酬をもたらすことはないけれど、努力しなければ結果が得られないことは知っている。たとえば、受験とか。
 故郷を離れ大学に入り、大人に近づくと、真面目なばかりではどうにもならないことが出てくる。たとえば、恋愛とか。
 王子と呼ばれつづけて定着したキャラクターは故郷を離れて髪を伸ばせば簡単に払拭ふっしょくできた。身長が高めとはいっても周囲の皆が成長してしまえばずば抜けて大きくもない。たまに親切に頬を染められることはあれどそもそも親切なんてのは多くの人に備わった普遍的美質なんであって樹子がことさら他人より親切というほどでもないのである。プリンスと呼ばれていたころは「あいつ、オレより女子にモテるから」などと男子に遠巻きにされ恋愛の機会などついぞなかったが、プリンスでなくなれば樹子とて年頃の女、周囲の男子たちの恋愛のハードルは下がる。そのはずだった。

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