甘責めがつ子の惑溺愛へのナローパス

uca

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がつ子、曲がるつもりのない曲がり角で立ち止まる

3.

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「大路、あのさ」
「何でしょう」
「辞めようとか、考えてないよな」
「…………」

 考えている。
 短い間なら何とかなる。そんな勢いでとにかく目の前の仕事を叩き潰してしのいでいるのが現状だ。でも配属されて最初の月締めを広居主任とりりちゃん先輩、派遣社員たちとで何とかクリアしてしまったことで、ハイパー産休育休ラッシュが喫緊きっきんの要事ではなくなってしまった。次の月締め、さらに月締めと同じテンションで叩き潰せるかというと、どうだろう。間違いなく続かない。
 営業アシスタントのひとりやふたり、替えなどいくらでもいる。
 新卒の樹子と新しい派遣社員たちという勝手の分かっていない面々で――広居主任とりりちゃん先輩の助けを借りまくったにしても――最初のひと月を何とか乗り切ったのだ。育児休暇に入った先輩社員の休暇を短縮してもらったり、時短勤務を解消してもらったり、課内の営業たちのさらなる助勢や他部署の応援を頼るという手もいざとなればまだ残っている。

――もう、無理。

 樹子が投げ出してもなんとかなる。
 だからといって辞められるかというと、辞められない。

――かずおじちゃんに恥をかかせては駄目よ。

 気遣わしげな母の顔が脳裏を過ぎる。
 コネクションを駆使して入社したのだ。迂闊うかつに辞められない。
 お通しの枝豆をつまんだ指を拭こうとおしぼりに伸ばした手をとられた。

「頼む。辞めないでくれ」
「しゅ、主任」
 枝豆がまとった塩水だとか口にもっていった以上唇についている飲みさしのビールを含むもろもろの液体だとか体液だとかがその手にはついちゃっているわけだがぎゅっと握られるにまかせてしまってよいのか。よくない。大して力が入っているとも思えないのに引っ込めようとしても樹子の手は広居主任に捕らえられたままだった。

「まだ辞めません。辞められませんし。――それよりあの、手を離してください」
「すまん……」

 向かいに座る広居主任が普段は新聞記者、ひとたび危機に瀕すれば立ち上がり超能力で敵を斃す外宇宙出身のスーパーなヒーロー似の顔を赤くしておろおろしている。なるほど、色白だから。ことさら顔に酔いやら動揺やらが出てしまうわけだ。目の前でおたつかれるとどうしてよいか分からなくなる。樹子は

「指、きれいにしますね。あの、私の手、枝豆とか口にもっていっちゃいましたし」

 広居主任の手を取り、おしぼりで拭った。

――なんで私、上司の手なんか拭いてるわけ?

 首をひねりたくなる。が、おとなしく自分に手を預けている上司の手前、「何してるんでしょうね、私ったら」などと投げ出してしまうわけにいかない。

――いや、投げ出しちゃってかまわないのでは?

 拭き終わると当たり前のように反対の手も差し出された。お手とおかわりか。ちなみにこちらの手は樹子に触れていない。腑に落ちないまま樹子は大きな手の上でおしぼりを動かした。ごしごしやるべきか、そっと撫でるべきか、そこからして分からない。何もかも分からない。
 す。
 おしぼりの中から大きな手が引っ込んだ。

「す、すまない……」

 遅れて広居主任もおかしなことになっているのに気がついたらしい。
 気まずい。

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