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がつ子、隘路を逆走する
22.
しおりを挟むオフィスビルの建ち並ぶ路地を、駅へ向かう人々の流れに逆らいゲートウェイ先輩とふたり、歩いた。
まだ梅雨明けが宣言されていないとはいえ、夏本番まであと少しだ。夏至を過ぎて日の入りは遅い。夜七時を過ぎているというのにビルとビルの間から薄く明かりの残る空がのぞいていた。
むしむしと温気の蟠る路地をゆったり足を運ぶゲートウェイ先輩は汗の気配など微塵も感じさせない。艶のあるまっすぐな黒髪が歩みにつれ背中を洗うように揺れる。そんな髪の動きがせせらぎを思わせるからか、暮れ泥む薄明に浮き上がるように肌が白いからか、涼しげだった。
ゲートウェイ先輩が足を止めた。
「ここにしましょう」
ビルとビルの間に二階建ての家がちんまりと挟まっている。喫茶店の看板が出ていた。
目に清かな白い壁の腰の高さに乱形の壁石が貼られて落ち着いた佇まいだ。玄関の庇にちょこんと濃い緑の丸い日除けテントが載っている。黒いドアに嵌め込まれたガラスから店内のあたたかな明かりが漏れていた。
ごま塩の髪をきゅっとひっつめた細身の老婦人の案内で隅の席に腰を下ろす。濃い葡萄茶のベルベットのシートの背もたれに白いカバーがかけられている。
客が少なく、のんびり静かな店だった。控えめな音量で弦楽曲が流れている。古風で折り目正しく、誰に対しても丁寧なゲートウェイ先輩の雰囲気と通じるものがある。
注文した紅茶と季節のタルトが運ばれてきた。白い皿に扇形に切り分けられた菓子が載っている。
「もう、桃の時季なのね」
「早いですね」
香ばしいタルト生地に桃を練り込んだマスカルポーネチーズのクリームとスライスされた桃が重ねられていた。
桃は、いい。
甘く濃く、それでいて涼感ある香りがみずみずしい。
金色のデザートフォークでカットしたタルトを口に運びゲートウェイ先輩が
「おいし」
微笑む。樹子はその笑顔に見蕩れた。
大学で男たちを魅了していた美しくも妖しい笑みとも、先日広居主任宅の玄関で見せたエンジェル河合そっくりの開けっぴろげな笑顔とも違う。
美味しいものを口にした喜びと、それを顔に出してしまったと気づきこぼれる羞じらいとが溶け合い、笑みとなっていた。
かわいい。
エンジェルがいったとおり、その人はかわいかった。はにかんだ笑顔がこの人の素なのだ。
歴代の継父たちから自らを、のちに弟妹たちや母親までも守るために賢く周到に立ち回らなければならなかったこの人の、古風で楚々としたいでたちと挙措はきっと、鎧だ。見透かすような妖しい笑みは、相手の卑しい欲望を映す鏡だ。妥協を強いられることがあってもしなやかに立ちつづけたこの人は、大人になって再会した兄のもとでやっと、安心して暮らせるようになったのだ。
「桃はお嫌い?」
「好きです」
しばらくの間、黙ってタルトと紅茶をいただき、店内に流れる音楽に耳を傾けた。
「お願いがあるの」
静かに、ゲートウェイ先輩が切り出した。
「兄に、手を出さないで」
「出していません」
「結婚を前提に交際を申し込んだと、兄がいっていたわ」
「お断りしました」
「嘘よ」
ゲートウェイ先輩が樹子を睨んだ。
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