ことばの繋ぎ手

武内れい

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第一章:見えないひずみ

13、秘密の帳面(前半)

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 秋の夜風が、神宮寺じんぐうじ家の瓦屋根を優しく揺らし、かすかな虫の声が遠くから響いてくる。
 庭の古木こぼくの葉が風にそよぎ、月明かりに照らされて銀色に輝いていた。

 深い闇の中にぽつんと灯る和灯りは、白い障子しょうじを通して居間をほのかに染める。
 たたみの目がくっきりと浮かび上がり、壁にかけられた書画しょが墨痕ぼっこんが落ち着いた趣を醸し出している。

 こころは、そんな神宮寺家の夜の静けさに包まれながら、そっと玄関から廊下を歩き、居間のふすまの隙間から中を覗いた。
 長年の生活が染みついた木の香りがほのかに漂い、歳月さいげつを経た家の温もりを感じさせる。

 祖父は座卓ざたくの前に膝を折り、畳に正座せいざしたまま、手元の古びた帳面ちょうめんに向かっていた。
 古い和紙わしが積まれたその帳面は、年月の経過で黄ばんでおり、表紙の革は擦り切れている。
 だが、表面に書かれた筆跡ひっせきは、黒々と鮮明せんめいで、まるで今まさに刻まれたばかりのように力強かった。

 こころの目はじっとその帳面に吸い寄せられ、言葉と記号の複雑な絡まりに見入る。
 そこには見慣れた祝詞のりとの文字だけでなく、古代文字こだいもじや呪文のような不思議な紋様もんようがびっしりと詰まっていた。

 祖父の指先は慎重に文字をなぞり、時折筆先で小さな丸印まるじるし斜線しゃせんを加えていく。
 その動きはまるで、何か神聖な儀式のようであり、祖父の眉間みけんには集中のしわが深く刻まれていた。

 部屋の中は薄暗く、障子を通した灯りが揺らぎ、帳面の上の文字が微かに波打つように見える。
 その空気は張り詰めており、こころは自分の息遣いきづかいさえも大きく響いているように感じた。

 やがて祖父は筆を置き、静かに深呼吸しんこきゅうをした。
 その顔には年輪ねんりんが刻まれ、白髪交じりの眉が優しく動く。
 一瞬、祖父の視線がふっとこちらに向いた。

「こころ……」
 祖父の声は低く穏やかでありながら、どこか重みを含んでいた。

 こころは胸の鼓動こどうが高鳴るのを感じ、思わず一歩後退ったが、そのまま足を止めた。
 祖父の前に立ち、畳のふちにそっと手を置く。

「おじいちゃん……これは、何の帳面?」
 問いかける声は震えていたが、知りたいという強い気持ちが勝っていた。

 祖父はしばしの間、言葉をにごしたが、やがて口を開いた。

「これはな……言葉の帳面だ」
 その言葉に、こはるの胸は一瞬にしてざわついた。

「言葉の帳面?」
 こころのひとみがますます大きくなる。

 祖父はゆっくりと説明を始める。
「昔から、この家では言葉の力を守り伝えてきた。言葉はただの音や文字じゃない。世界をつなぎ、守るための結界けっかいいしずえとなるものだ」

 その言葉には、静かな決意が込められていた。
 こころはまだ半信半疑はんしんはんぎだったが、祖父の姿とこの帳面の重みが、自分の心に何か大きなものを呼び覚ましているのを感じた。

 居間の空気が緊張感きんちょうかんに満ちる中、古い木の床がきしむ音とともに、外からは虫の声が繰り返し聞こえる。
 窓の外の夜風が庭の松の枝を揺らし、月の光が障子の隙間から細く差し込んでいた。

 こころはその美しい夜の静寂せいじゃくの中で、祖父が紡ぐ言葉の重さに心を引き寄せられた。
 この帳面には、ただの文字ではない、見えない力が秘められているのだと直感ちょっかんした。

「この言葉の力が、私たちの日常を守っているの?」
 こころの問いに、祖父はゆっくりと頷いた。

「そうだ。言葉は世界の秩序ちつじょを保つ大切な糸だ。みだれれば、目には見えぬ亀裂きれつが生まれ、世界は少しずつ壊れてしまう」

 祖父の語るその言葉は、こはるの胸に重く響き、これまで感じていた違和感の意味が少しずつ明らかになり始めた。

 こころの手は自然と帳面のページに触れ、古い文字の一つ一つを確かめるように指で辿《たど》った。
 その瞬間、帳面から微かに温かな気配けはいが伝わってくるようだった。

 彼女の心に芽生えたのは、ただの好奇心こうきしんだけではなかった。
 これから自分がになうべき何か大きな使命しめいの予感。

 祖父の横顔よこがおを見上げると、その瞳には静かな希望ときびしさが同居していた。

 夜は深まり、時折遠くで犬の鳴き声が響き渡る。
 こころはじっとその場に立ち尽くしながら、知らず知らずのうちに自分の未来に思いを馳《は》せていた。
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