ことばの繋ぎ手

武内れい

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第一章:見えないひずみ

15、線の向こうに(前半)

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 駅の一日が終わりを迎えるころ、都市のざわめきも静かに息をひそめていた。
 構内には人の姿がほとんどなく、時折、自動販売機の照明が小さく明滅めいめつし、蛍光灯の灯りがホームに白い光の帯を落としている。

 あおいは、改札口を抜け、裏手の通路へと足を踏み入れた。
 ここは普段、駅員や清掃員が使う通路で、一般客の目にはほとんど触れない場所だった。彼は今日、どうしても見てみたいものがあった。朝、見かけた線の違和感――それが一日中、彼の胸をざわつかせていたからだ。

 蒼の靴が、タイル貼りの床に小さな足音を刻む。
 夜の駅は、昼間の喧騒けんそうとはまるで別の世界だった。人気ひとけのない空間には冷たい静けさが流れ、機械の音すら遠くに引いて、そこにあるすべてが沈黙に包まれている。

 薄暗い照明の下、壁際に古びた清掃用具や工具箱が並ぶ。
 構内案内図の隅には、誰も気に留めないような手描きの修正跡しゅうせいあと
 そこに、彼の目がふと留まったときだった。

 視界の先、ホームの片隅に人影があった。
 制服を着た駅員のようだ。だが、その動きはいつもとは違っていた。駅員はしゃがみ込み、線路際に敷かれた黄色い安全線の一部を、何かで拭き取っている。
 手には細いペンのようなものと、白い粉末ふんまつのようなチョーク。

 蒼は思わず物陰に身を隠した。
 好奇心と不安が入り混じった感情が胸を駆け巡る。
 まるでいけないものを見てしまったような、そんな気配がした。

 駅員の動きは几帳面きちょうめんだった。慎重に、だが手慣れた手つきで線をなぞり、そこに幾何学的きかがくてきな模様を描き込んでいく。
 まるで、それが何かの印であるかのように。

 蒼の目は釘付けになった。
 その模様は、彼が見慣れていた路線図の交点にある記号と似ていた。だが、それよりももっと細かく、複雑で、まるで言葉のようにも見える。

 描き終えた駅員は立ち上がり、静かに辺りを見回す。
 その顔は暗がりでよく見えなかったが、目の奥に宿る気配には張りつめたものがあった。
 夜の駅で、誰にも知られず線を描くその姿に、何か重大な意味があることを、蒼は直感した。

 ホームの端を、風が通り抜ける。
 彼の耳元で、小さくざわっと音が鳴ったような気がした。
 風の音か、構内の配管の響きか、それとも……声?

(なにかが……変だ)

 背中を伝う冷たい汗。
 駅員が描いた模様は、ほんの数分のうちにコンクリートの地面に溶け込むように薄れていった。
 まるで描いた瞬間から隠れるように。

 蒼は目を凝らしながら、その模様の最後の一部をノートに写し取ろうとポケットからメモを出した。
 だが、その瞬間、蛍光灯が一つ、チッと音を立てて消えた。

 ホームが一瞬、闇に沈む。

 その暗闇のなかで、模様の中央だけが、かすかに青白く発光はっこうしていた――一瞬だけ。

 次の瞬間にはすべてが元通りに戻っていた。
 駅員も、模様も、発光も、何もなかったかのように。

 蒼はその場から動けなかった。
 目の前にある現実が、ほんの少しだけこちら側と向こう側の間にずれたような、そんな感覚がしていた。

 彼が毎日通う駅の、見慣れたプラットフォーム。
 そのすぐ足元に、知らない世界の輪郭りんかくが存在していた――そう思った瞬間、彼の胸には、ぞくりと冷たいものが走った。

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