土から育てるぼくらの青春

武内れい

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第一章:はじめの一歩

3、募集チラシとの出会い(前半)

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 商店街を通るときの、あの独特の匂いが私は少し苦手だ。
 魚屋の氷が溶ける匂い、パン屋の甘い焼き上がり、焼き鳥屋のたれが焦げるにおい……それらが夕方の湿った空気の中で入り混じって、鼻の奥にまとわりつく。
 でも、嫌いじゃない。

 毎日のように通るこの道に、変化はない。
 なのに今日は、すこしだけ視線の先が違って見える。

 スーパーの自動ドアが、ひときわ機械的な音を立てて開いた。
 その瞬間、冷房の冷たい風と、レジ袋のがさがさした音と、子どもの小さな泣き声がいっせいに押し寄せてきた。

「いらっしゃいませ~」
 いつもの女性の声。機械じゃないレジの挨拶が、今日だけちょっとだけ温かく感じた。

 私はカゴを手に取り、肉売り場へと向かう。
 豚こまグラム88円は、冷蔵ケースに貼られた黄色の値札でわかった。
 袋越しに手に取った肉の感触。やわらかくて、でもどこかしっかりしている。
 これなら、炒めものにしても固くならなさそうだ。
 ――じゃがいもは家にある。ピーマンはおばあちゃんがもらってきた分がまだ残ってる。
 あとは、もやし。19円。野菜室の下の段にある。手早く手に取り、カゴへ入れる。

 人混みを避けるようにしてレジへと向かい、並んだときだった。
 視線の端に、ふとあるものがひっかかった。

 掲示板。

 季節ごとのキャンペーンや、料理教室、町内会のお知らせ……色とりどりの紙が画鋲でとめられているなか、端っこに貼られていた一枚のチラシ。
 それは他の紙よりも少しだけ日焼けして、くたびれて見えた。

 〈畑作業スタッフ募集〉

 小さく書かれたその文字が、なぜだか目に止まった。
 手描きのイラストが添えられている。人参、トマト、ピーマン。子どもが描いたような線のやわらかさがあって、妙に目を引いた。

 畑……?

 私は思わず、近づいていた。
 カゴを片手に、掲示板の前で立ち止まる。
 チラシには、こうあった。

 〈初心者歓迎〉
 〈週2~OK〉
 〈早朝・夕方あり〉
 〈時給900円〉

 目を引いたのは、〈初心者歓迎〉と〈夕方あり〉の文字だった。

 夕方に働けるなら、学校帰りに行けるかもしれない。
 早朝なら、家事の前に短時間だけでも――いや、それは難しいか。
 でも……やれるかもしれない。少し、だけ。

 今までも、アルバイトしようかなって思ったことはあった。
 けど、接客とか、レジ打ちとか、苦手だと思っていた。
 人と話すのが苦手。
 笑顔がひきつってしまうのがわかってるから、最初から選択肢になかった。

 でも――畑なら。

 静かな場所で、誰かと一緒に汗を流すだけなら。
 必要以上に喋らなくていいなら。
 土と草の匂いの中で、少しだけ、がんばってみるなら。

 ……いやいや。私、何考えてるんだろ。
 自分で苦笑しながら、スマホをポケットから出して、チラシの端に書かれた連絡先をそっと撮影した。
 画面越しの紙は、少しだけ色あせて見えたけれど、その中に、何か“生きてる”気配があった。

 私はスマホをしまい、カゴを持ち直してレジに並んだ。
 前に並んでいたおばあちゃんが、小銭を一枚ずつ出していて、店員さんがやさしい声で待っていた。
 なんでもない光景。
 でも、今の私は、そのなんでもないを少しずつ変えたいと思っている。

 レジを終えて、買い物袋を抱えて店を出ると、夕焼けが少しずつ商店街を赤く染めはじめていた。
 自動ドアのガラス越しに見えた空は、まるで果物の皮みたいにじわじわと熟れていくオレンジ色。
 その色が、妙に心に残った。

(この道を、私はどこへ向かうんだろう)

 スーパーの裏を抜けて、路地に出る。
 道端に咲いたコスモスが、風に揺れている。
 その細い茎が、折れそうで折れない強さを持っていた。
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