4 / 40
第一章:はじめの一歩
4、募集チラシとの出会い(後半)
しおりを挟む
家までの道を歩くうちに、空の色がすこしずつ深くなっていく。
赤から、紫。そして群青。
季節の境目を知らせるように、商店街のアーケードの隙間から、虫の音が聞こえてきた。
私は足元を見つめながら歩いた。
歩道のタイルに、夕陽が斜めに影を落としている。
スーパーの袋の重さが、手のひらにじんわり食い込む。
この感触にも、慣れてしまった。
だけど今日は、なんとなく違う。
指先の感覚が、何かを掴んだような気がした。
(連絡……する? しない?)
頭の中で何度も問い直す。
畑のバイトなんて、やったことない。
虫が苦手なわけじゃないけど、朝早いのはしんどい。
学校と家のことだけで手いっぱいだって、思ってた。
でも、やってみたい気持ちが――少し、ある。
興味じゃない。
必要だから、って気持ちのほうが近いかもしれない。
欲しいものが、ある。
弟のための参考書とか、文房具とか。
おばあちゃんに新しいエプロンを買ってあげたいとか。
自分のノートがちょっとボロボロで、表紙がはがれてきているのを見て、次はもう少し厚めのにしよう、とか。
誰かに頼るんじゃなくて、自分で稼いで、自分の手で用意したい。
それだけのこと。
でも、それが、ずっとできなかった。
気持ちだけでは、どうにもならなかった。
私はポケットからスマホを取り出すと、さっき撮ったチラシの画像を開いた。
指先で画面を拡大すると、番号がくっきりと映し出される。
090──
なんて普通の番号。
でも、その向こうに誰がいるのかも、どんな場所なのかも、何ひとつわからない。
怖いわけじゃない。
ただ、知らないって、それだけで人は躊躇するものなんだと思う。
それでも、私は電話アプリを開いた。
心臓の音が、静かな坂道にまで聞こえてきそうだった。
(かける? 本当に?)
手が、すこしだけ震えているのを自覚した。
でも、誰も見ていない。
誰も、笑わない。
私は、そっと親指を動かした。
通話ボタン。
ひとつ、深呼吸をしてから、耳に当てる。
――ツー……ツー……ツー……。
呼び出し音が続く。
時間が、ものすごくゆっくりに感じる。
まだ出ない。出ない。出なければいいのに、って思う。
でも、出てほしい、って思ってる自分も、確かにいる。
『はい、もしもし』
おだやかで、低めの声だった。
年配の男性のような、落ち着いた響き。
私は反射的に口を開いた。
「あ、あの……スーパーの掲示板で、アルバイトのチラシを見て……」
『ああ、はいはい。ありがとう。えっと、お名前は?』
「やまもと……山本陽菜です」
名前を名乗るのが、こんなにも緊張するなんて。
『山本さんね。高校生? 週何日くらい働けそう?』
「あ……たぶん、夕方なら週に二回くらいは……」
自分でも、すごく頼りない言い方だと思った。
でも、それでも向こうの人は、やさしい調子で答えてくれた。
『それくらいでも大丈夫だよ。いきなり毎日来てもらうわけじゃないし。初めて? 畑仕事』
「はい……。でも、がんばります」
がんばります、なんて言ったの、いつ以来だろう。
私は自分の声に、少し驚いた。
『じゃあ、一度見学に来てみる? 都合のいい日、教えてくれたら案内するよ』
その言葉に、肩の力がすっと抜けた気がした。
すぐ働け、でもなく、履歴書を持って来い、でもない。
見学。たったそれだけの言葉が、こんなにも安心をくれるとは。
「……ありがとうございます。来週の火曜か水曜なら、学校が早く終わるので……」
『じゃあ火曜の夕方にしてみようか。うち、藤原農園って言います。場所は、スマホで藤原農園 地図って調べたら出るはずだから』
藤原。
たぶん、あのチラシを作った人。
私は「はい」と返事をして、通話を終えた。
通話終了の画面を見つめながら、ふっと息をついた。
まるで水の中に潜っていたのが、ようやく浮上したような気分だった。
ポケットにスマホをしまい、私は坂道の上に視線を向けた。
夕空は、さっきよりもすこし色を失っていて、それでも遠くの雲がまだ、うっすらと赤く染まっていた。
明日も、きっと何かが変わるわけじゃない。
でも、今日。私は、知らない世界に、ほんの少しだけ手を伸ばした。
その先に何があるのかは、わからない。
でも、足を踏み出さなければ、永遠にわからないままだった。
制服の袖を、そっと引き下ろす。
家に帰ったら、もやし炒めを作ろう。
弟が好きな味つけにして、あの子の笑顔を見よう。
私はそう思いながら、静かな坂を一歩ずつ上っていった。
赤から、紫。そして群青。
季節の境目を知らせるように、商店街のアーケードの隙間から、虫の音が聞こえてきた。
私は足元を見つめながら歩いた。
歩道のタイルに、夕陽が斜めに影を落としている。
スーパーの袋の重さが、手のひらにじんわり食い込む。
この感触にも、慣れてしまった。
だけど今日は、なんとなく違う。
指先の感覚が、何かを掴んだような気がした。
(連絡……する? しない?)
頭の中で何度も問い直す。
畑のバイトなんて、やったことない。
虫が苦手なわけじゃないけど、朝早いのはしんどい。
学校と家のことだけで手いっぱいだって、思ってた。
でも、やってみたい気持ちが――少し、ある。
興味じゃない。
必要だから、って気持ちのほうが近いかもしれない。
欲しいものが、ある。
弟のための参考書とか、文房具とか。
おばあちゃんに新しいエプロンを買ってあげたいとか。
自分のノートがちょっとボロボロで、表紙がはがれてきているのを見て、次はもう少し厚めのにしよう、とか。
誰かに頼るんじゃなくて、自分で稼いで、自分の手で用意したい。
それだけのこと。
でも、それが、ずっとできなかった。
気持ちだけでは、どうにもならなかった。
私はポケットからスマホを取り出すと、さっき撮ったチラシの画像を開いた。
指先で画面を拡大すると、番号がくっきりと映し出される。
090──
なんて普通の番号。
でも、その向こうに誰がいるのかも、どんな場所なのかも、何ひとつわからない。
怖いわけじゃない。
ただ、知らないって、それだけで人は躊躇するものなんだと思う。
それでも、私は電話アプリを開いた。
心臓の音が、静かな坂道にまで聞こえてきそうだった。
(かける? 本当に?)
手が、すこしだけ震えているのを自覚した。
でも、誰も見ていない。
誰も、笑わない。
私は、そっと親指を動かした。
通話ボタン。
ひとつ、深呼吸をしてから、耳に当てる。
――ツー……ツー……ツー……。
呼び出し音が続く。
時間が、ものすごくゆっくりに感じる。
まだ出ない。出ない。出なければいいのに、って思う。
でも、出てほしい、って思ってる自分も、確かにいる。
『はい、もしもし』
おだやかで、低めの声だった。
年配の男性のような、落ち着いた響き。
私は反射的に口を開いた。
「あ、あの……スーパーの掲示板で、アルバイトのチラシを見て……」
『ああ、はいはい。ありがとう。えっと、お名前は?』
「やまもと……山本陽菜です」
名前を名乗るのが、こんなにも緊張するなんて。
『山本さんね。高校生? 週何日くらい働けそう?』
「あ……たぶん、夕方なら週に二回くらいは……」
自分でも、すごく頼りない言い方だと思った。
でも、それでも向こうの人は、やさしい調子で答えてくれた。
『それくらいでも大丈夫だよ。いきなり毎日来てもらうわけじゃないし。初めて? 畑仕事』
「はい……。でも、がんばります」
がんばります、なんて言ったの、いつ以来だろう。
私は自分の声に、少し驚いた。
『じゃあ、一度見学に来てみる? 都合のいい日、教えてくれたら案内するよ』
その言葉に、肩の力がすっと抜けた気がした。
すぐ働け、でもなく、履歴書を持って来い、でもない。
見学。たったそれだけの言葉が、こんなにも安心をくれるとは。
「……ありがとうございます。来週の火曜か水曜なら、学校が早く終わるので……」
『じゃあ火曜の夕方にしてみようか。うち、藤原農園って言います。場所は、スマホで藤原農園 地図って調べたら出るはずだから』
藤原。
たぶん、あのチラシを作った人。
私は「はい」と返事をして、通話を終えた。
通話終了の画面を見つめながら、ふっと息をついた。
まるで水の中に潜っていたのが、ようやく浮上したような気分だった。
ポケットにスマホをしまい、私は坂道の上に視線を向けた。
夕空は、さっきよりもすこし色を失っていて、それでも遠くの雲がまだ、うっすらと赤く染まっていた。
明日も、きっと何かが変わるわけじゃない。
でも、今日。私は、知らない世界に、ほんの少しだけ手を伸ばした。
その先に何があるのかは、わからない。
でも、足を踏み出さなければ、永遠にわからないままだった。
制服の袖を、そっと引き下ろす。
家に帰ったら、もやし炒めを作ろう。
弟が好きな味つけにして、あの子の笑顔を見よう。
私はそう思いながら、静かな坂を一歩ずつ上っていった。
0
あなたにおすすめの小説
14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート
谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。
“スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。
そして14歳で、まさかの《定年》。
6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。
だけど、定年まで残された時間はわずか8年……!
――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。
だが、そんな幸弘の前に現れたのは、
「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。
これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。
描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。
パンティージャムジャムおじさん
KOU/Vami
児童書・童話
夜の街に、歌いながら歩く奇妙なおじさんが現れる。
口癖は「パラダイス~☆♪♡」――名乗る名は「パンティージャムジャムおじさん」。
子供たちは笑いながら彼の後についていき、歌を真似し、踊り、列は少しずつ長くなる。
そして翌朝、街は初めて気づく。昨夜の歌が、ただの遊びではなかったことに。
星降る夜に落ちた子
千東風子
児童書・童話
あたしは、いらなかった?
ねえ、お父さん、お母さん。
ずっと心で泣いている女の子がいました。
名前は世羅。
いつもいつも弟ばかり。
何か買うのも出かけるのも、弟の言うことを聞いて。
ハイキングなんて、来たくなかった!
世羅が怒りながら歩いていると、急に体が浮きました。足を滑らせたのです。その先は、とても急な坂。
世羅は滑るように落ち、気を失いました。
そして、目が覚めたらそこは。
住んでいた所とはまるで違う、見知らぬ世界だったのです。
気が強いけれど寂しがり屋の女の子と、ワケ有りでいつも諦めることに慣れてしまった綺麗な男の子。
二人がお互いの心に寄り添い、成長するお話です。
全年齢ですが、けがをしたり、命を狙われたりする描写と「死」の表現があります。
苦手な方は回れ右をお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
私が子どもの頃から温めてきたお話のひとつで、小説家になろうの冬の童話際2022に参加した作品です。
石河 翠さまが開催されている個人アワード『石河翠プレゼンツ勝手に冬童話大賞2022』で大賞をいただきまして、イラストはその副賞に相内 充希さまよりいただいたファンアートです。ありがとうございます(^-^)!
こちらは他サイトにも掲載しています。
【奨励賞】おとぎの店の白雪姫
ゆちば
児童書・童話
【第15回絵本・児童書大賞 奨励賞】
母親を亡くした小学生、白雪ましろは、おとぎ商店街でレストランを経営する叔父、白雪凛悟(りんごおじさん)に引き取られる。
ぎこちない二人の生活が始まるが、ひょんなことからりんごおじさんのお店――ファミリーレストラン《りんごの木》のお手伝いをすることになったましろ。パティシエ高校生、最速のパート主婦、そしてイケメンだけど料理脳のりんごおじさんと共に、一癖も二癖もあるお客さんをおもてなし!
そしてめくるめく日常の中で、ましろはりんごおじさんとの『家族』の形を見出していく――。
小さな白雪姫が『家族』のために奔走する、おいしいほっこり物語。はじまりはじまり!
他のサイトにも掲載しています。
表紙イラストは今市阿寒様です。
絵本児童書大賞で奨励賞をいただきました。
王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
鬼狩りトウヤ ―最後の鬼になる少年―
かさい さとし
児童書・童話
少年トウヤ。
鬼に最愛の姉を殺された夜、彼は復讐を誓う。
だが彼自身もまた、鬼だった。
鬼王の血を引きながら、角を持たず生まれた“異端”。
鬼の里を捨て、人間界へと逃れた少年は、鬼を狩る者となる。
鬼でありながら鬼を斬る。
その正体が知られれば、討伐されるのは彼のほうだ。
それでも彼は刀を振るう。
姉を奪った鬼を、この手で滅ぼすために。
鬼を狩る者たちの中に、鬼がひとり。
これは復讐から始まる少年の物語。
そして――やがて“最後の鬼”になる少年の物語。
※毎日12時頃投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる