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第二章:つながりの芽
22、朝露の中の作業(後半)
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畑の空気は、太陽が少しずつ高くなるにつれて、透明だったものがじわじわと温度を帯びていくようだった。
水やりがひととおり終わる頃には、葉の上の露は光を飲み込みながら蒸発しはじめていて、小さな蒸気がふわりと漂っていた。
私は手に残った水をすっとズボンになすりつけ、腰をのばす。ふくらはぎにほどよい疲れがあって、それがなんだか心地よかった。
「ねえ、これ見て」
声がしてふり向くと、美咲がトマトの苗を指さしていた。赤くなりかけた実が、葉の陰からのぞいている。
「ちっちゃいけど、色づいてきてる」
「ほんとだ……すごい」
小さな赤。その色は、ほかのどの緑よりも確かで、生きているとしか言いようがなかった。私たちの手で水をやり、草をとり、支柱を立てたこの土の上で、何かが実を結ぼうとしている。
そのことが、なぜだか胸の奥をじんと温めた。
「この子らが大きくなるの、ちょっと楽しみだね」
美咲が「子ら」って言ったのが可笑しくて、でもちょっとだけ嬉しくて、私は小さく笑った。
「……名前、つける?」
「つける!? たくみー、こっち来て、トマトに名前つけるって」
拓海が肩をすくめながら寄ってきた。
「いや、お前らもう完全に親バカやん」
「じゃあたくみもひとつ命名してよ。責任持って育てて」
わいわい言いながら、三人でトマトの苗に向かってしゃがみ込む。葉のかげで静かに膨らんでいる実たちに、私たちの声が届いている気がした。
バカみたいだって思うかもしれない。でも、こういうことが、たまらなく愛おしいって、今の私は思っている。
休憩の時間になり、小屋の前で水筒を開けた。中の麦茶はまだひんやりとしていて、一口飲むと喉をすうっと通り抜けていった。ほんの少しだけ塩味を感じたのは、汗のせいか、それとも疲れのせいか。
そのとき、ふと遠くで草刈り機の音が響いてきた。田んぼの向こうの斜面で、誰かが作業をしているのだろう。
その音は、リズムを刻むように空気のなかに続いていて、まるでこの土地全体が朝の営みを歌っているようだった。
「……ねえ」
私は思わず口を開いていた。
「なに?」
美咲がこちらを見た。
「こういう朝って、いつまででもここにいたくなるね」
自分でも意外な言葉だった。口にして、少し照れくさくなった。
でも、それが嘘じゃないことは、自分が一番知っていた。
美咲は少し笑って、空を見上げた。
「うん。わかる。なんか、すーっとするもんね」
拓海は黙っていたけれど、帽子の下の目がゆるやかに笑っているのがわかった。
鳥の声が、空の向こうから返ってきた。低く鳴いて、どこかへ飛んでいった。
ふと、私の中でひとつの感覚が芽生えていた。ここにいることが、ただのバイトじゃなくなりつつあるのかもしれない。
野菜の葉に触れた指先には、まだ水のひんやりした感触が残っている。
手のひらのなかに、確かに今があるような気がした。
もうすぐ、日が高くなる。空はもう、うっすら白んで、入道雲の種のようなかたまりが西の山に浮かんでいる。
この朝が、永遠に続くわけじゃないってことはわかっている。けれど、今ここにあるものは確かで、どこか、未来にまでつながっている気がした。
私はそっと、トマトの実を指でなでてから、立ち上がった。
「さ、もうひと頑張りだね」
自然と、言葉がこぼれた。
「おっ、やる気出てきたじゃん。これは期待だな~」
拓海の茶化す声に、美咲が「陽菜ちゃんは真面目なんだから!」と笑う。
私も笑った。心のどこかが軽くなって、胸の奥でなにかが、確かに芽吹いた気がした。
水やりがひととおり終わる頃には、葉の上の露は光を飲み込みながら蒸発しはじめていて、小さな蒸気がふわりと漂っていた。
私は手に残った水をすっとズボンになすりつけ、腰をのばす。ふくらはぎにほどよい疲れがあって、それがなんだか心地よかった。
「ねえ、これ見て」
声がしてふり向くと、美咲がトマトの苗を指さしていた。赤くなりかけた実が、葉の陰からのぞいている。
「ちっちゃいけど、色づいてきてる」
「ほんとだ……すごい」
小さな赤。その色は、ほかのどの緑よりも確かで、生きているとしか言いようがなかった。私たちの手で水をやり、草をとり、支柱を立てたこの土の上で、何かが実を結ぼうとしている。
そのことが、なぜだか胸の奥をじんと温めた。
「この子らが大きくなるの、ちょっと楽しみだね」
美咲が「子ら」って言ったのが可笑しくて、でもちょっとだけ嬉しくて、私は小さく笑った。
「……名前、つける?」
「つける!? たくみー、こっち来て、トマトに名前つけるって」
拓海が肩をすくめながら寄ってきた。
「いや、お前らもう完全に親バカやん」
「じゃあたくみもひとつ命名してよ。責任持って育てて」
わいわい言いながら、三人でトマトの苗に向かってしゃがみ込む。葉のかげで静かに膨らんでいる実たちに、私たちの声が届いている気がした。
バカみたいだって思うかもしれない。でも、こういうことが、たまらなく愛おしいって、今の私は思っている。
休憩の時間になり、小屋の前で水筒を開けた。中の麦茶はまだひんやりとしていて、一口飲むと喉をすうっと通り抜けていった。ほんの少しだけ塩味を感じたのは、汗のせいか、それとも疲れのせいか。
そのとき、ふと遠くで草刈り機の音が響いてきた。田んぼの向こうの斜面で、誰かが作業をしているのだろう。
その音は、リズムを刻むように空気のなかに続いていて、まるでこの土地全体が朝の営みを歌っているようだった。
「……ねえ」
私は思わず口を開いていた。
「なに?」
美咲がこちらを見た。
「こういう朝って、いつまででもここにいたくなるね」
自分でも意外な言葉だった。口にして、少し照れくさくなった。
でも、それが嘘じゃないことは、自分が一番知っていた。
美咲は少し笑って、空を見上げた。
「うん。わかる。なんか、すーっとするもんね」
拓海は黙っていたけれど、帽子の下の目がゆるやかに笑っているのがわかった。
鳥の声が、空の向こうから返ってきた。低く鳴いて、どこかへ飛んでいった。
ふと、私の中でひとつの感覚が芽生えていた。ここにいることが、ただのバイトじゃなくなりつつあるのかもしれない。
野菜の葉に触れた指先には、まだ水のひんやりした感触が残っている。
手のひらのなかに、確かに今があるような気がした。
もうすぐ、日が高くなる。空はもう、うっすら白んで、入道雲の種のようなかたまりが西の山に浮かんでいる。
この朝が、永遠に続くわけじゃないってことはわかっている。けれど、今ここにあるものは確かで、どこか、未来にまでつながっている気がした。
私はそっと、トマトの実を指でなでてから、立ち上がった。
「さ、もうひと頑張りだね」
自然と、言葉がこぼれた。
「おっ、やる気出てきたじゃん。これは期待だな~」
拓海の茶化す声に、美咲が「陽菜ちゃんは真面目なんだから!」と笑う。
私も笑った。心のどこかが軽くなって、胸の奥でなにかが、確かに芽吹いた気がした。
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