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第一章:日常のさざ波
17、机に残されたメモ(前半)
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教室に戻ったとき、窓から差し込む陽の光が机の上をやわらかく照らしていた。
ほのかは、いったん床に置いた筆箱と教科書を手にとって、自分の席にすわった。外はまだ青空が続いていて、陽射しはぽかぽかと暖かくて、肌にふれるとくすぐったいくらい。
教室のあちこちでは、小さな声が飛び交っていた。ノートをひらく音、シャープペンの芯を出すカチカチという音。近くの席では、男の子たちがこそこそと笑いながら何かを話している。
ほのかはプリントを重ねてまとめようと、手元にあった一枚をふっと裏返した。
その瞬間。
小さな文字が、目に飛びこんできた。
──〈ピアノがんばれ〉
思わず、息をのんだ。
プリントの裏、すみのほう。鉛筆の筆跡で、少し大きめの文字。力をこめて書かれたのか、紙がちょっとだけへこんでいる。
一瞬、まちがいかな、と思った。でも、違う。これはほのかへのメッセージだ。
(……これ、だれが書いたんだろう)
考えるまでもなく、私の頭の中にはすぐに一人の顔が浮かんだ。
颯太。
さっきの休み時間、私がトイレに行ってる間に席に戻ったとき、机の上にプリントが少しずれて置かれていたのを思い出した。誰かが席のそばを通って、軽く触れたような、そんなズレ方だった。
颯太は、朝の会のときからなんとなくそわそわしていた。いつも通り、ジャージのポケットに手をつっこんで、目を合わさずにぼそっと話すあの感じ。目立つことはしないけど、どこかでちゃんと見ている、あの子。
字も、なんとなく彼っぽかった。丸くもなく、でも雑ってわけでもない。少し力強くて、まっすぐな字。
私は、そっとそのメモを見つめたまま、胸の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
(……なんでだろう。たったこれだけなのに)
声に出して言われたわけじゃないのに、心にふわっと入ってきた。
それは、たとえば春日さんの「遊びたい気持ちも大事にしていいんだよ」という言葉とも似ていて、でももっと……秘密みたいな、小さな宝物みたいな感じだった。
(ピアノがんばれ、って……)
だれにも言ってなかったのに。昨日の夜、レッスンでうまく弾けなくて、ちょっとだけ落ち込んでた。お母さんにも「手首に力が入ってる」って言われて、何回も同じところをやり直して、指がつりそうになった。
「また明日、練習しようね」ってお母さんは言ってくれたけど、私はうなずくだけで、自分でもちょっと不機嫌だったのがわかった。
でも。
この〈ピアノがんばれ〉のメモを見たら、その気持ちが、すこしずつほぐれていった。
(知られてたんだ。なんでかな)
もしかしたら、ピアノの話を授業のときに少し言ったことがあったかもしれない。音楽の時間に先生が「発表会はあるのか?」って聞いたとき、「来月……ちょっとしたやつが」と言った気もする。
それを聞いていたのかな。
それとも、なんとなく雰囲気で感じたのかな。
どっちでもいい。
大切なのは、その子が、それを書こうと思ってくれたってこと。
まるで、私にしか見えない手紙みたいで、読んだときにだけ、胸の奥でポッと火がつく。
私は、ペンをとって、ふだんどおりプリントに名前を書いた。
でも、心のなかでは、ちゃんと返事をしていた。
(ありがとう)
声には出さない。でも、ちゃんと届いているといいなって思う。
ふと顔を上げると、颯太が前の列の男子と話しながら、笑っていた。いつもより、ちょっとだけ楽しそうな表情だった。
彼がこのメモを書いたって、だれも知らない。
でも、それでいい。
私だけが知っている、小さなやさしさ。
その瞬間、教室に流れる空気が、少しだけやわらかくなったような気がした。
ほのかは、いったん床に置いた筆箱と教科書を手にとって、自分の席にすわった。外はまだ青空が続いていて、陽射しはぽかぽかと暖かくて、肌にふれるとくすぐったいくらい。
教室のあちこちでは、小さな声が飛び交っていた。ノートをひらく音、シャープペンの芯を出すカチカチという音。近くの席では、男の子たちがこそこそと笑いながら何かを話している。
ほのかはプリントを重ねてまとめようと、手元にあった一枚をふっと裏返した。
その瞬間。
小さな文字が、目に飛びこんできた。
──〈ピアノがんばれ〉
思わず、息をのんだ。
プリントの裏、すみのほう。鉛筆の筆跡で、少し大きめの文字。力をこめて書かれたのか、紙がちょっとだけへこんでいる。
一瞬、まちがいかな、と思った。でも、違う。これはほのかへのメッセージだ。
(……これ、だれが書いたんだろう)
考えるまでもなく、私の頭の中にはすぐに一人の顔が浮かんだ。
颯太。
さっきの休み時間、私がトイレに行ってる間に席に戻ったとき、机の上にプリントが少しずれて置かれていたのを思い出した。誰かが席のそばを通って、軽く触れたような、そんなズレ方だった。
颯太は、朝の会のときからなんとなくそわそわしていた。いつも通り、ジャージのポケットに手をつっこんで、目を合わさずにぼそっと話すあの感じ。目立つことはしないけど、どこかでちゃんと見ている、あの子。
字も、なんとなく彼っぽかった。丸くもなく、でも雑ってわけでもない。少し力強くて、まっすぐな字。
私は、そっとそのメモを見つめたまま、胸の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
(……なんでだろう。たったこれだけなのに)
声に出して言われたわけじゃないのに、心にふわっと入ってきた。
それは、たとえば春日さんの「遊びたい気持ちも大事にしていいんだよ」という言葉とも似ていて、でももっと……秘密みたいな、小さな宝物みたいな感じだった。
(ピアノがんばれ、って……)
だれにも言ってなかったのに。昨日の夜、レッスンでうまく弾けなくて、ちょっとだけ落ち込んでた。お母さんにも「手首に力が入ってる」って言われて、何回も同じところをやり直して、指がつりそうになった。
「また明日、練習しようね」ってお母さんは言ってくれたけど、私はうなずくだけで、自分でもちょっと不機嫌だったのがわかった。
でも。
この〈ピアノがんばれ〉のメモを見たら、その気持ちが、すこしずつほぐれていった。
(知られてたんだ。なんでかな)
もしかしたら、ピアノの話を授業のときに少し言ったことがあったかもしれない。音楽の時間に先生が「発表会はあるのか?」って聞いたとき、「来月……ちょっとしたやつが」と言った気もする。
それを聞いていたのかな。
それとも、なんとなく雰囲気で感じたのかな。
どっちでもいい。
大切なのは、その子が、それを書こうと思ってくれたってこと。
まるで、私にしか見えない手紙みたいで、読んだときにだけ、胸の奥でポッと火がつく。
私は、ペンをとって、ふだんどおりプリントに名前を書いた。
でも、心のなかでは、ちゃんと返事をしていた。
(ありがとう)
声には出さない。でも、ちゃんと届いているといいなって思う。
ふと顔を上げると、颯太が前の列の男子と話しながら、笑っていた。いつもより、ちょっとだけ楽しそうな表情だった。
彼がこのメモを書いたって、だれも知らない。
でも、それでいい。
私だけが知っている、小さなやさしさ。
その瞬間、教室に流れる空気が、少しだけやわらかくなったような気がした。
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