恋や友情が、なくても

武内れい

文字の大きさ
31 / 40
第二章:気まずさと距離感

31、誰にも言えないこと(前半)

しおりを挟む

 保健室のドアを開けると、かすかに風がカーテンを揺らしていた。
 夕方の光が窓から斜めに差し込んで、白いシーツの上に長い影を落としている。

「どうしたの? 具合、悪い?」
 川島先生が、書きものの手を止めて、ふわっとした口調で声をかけてくれた。

「……ちょっとだけ、休みたくて……」

 そう言いながら、私は目を合わせずに、そっとベッドの端に座った。心臓がどくどくして、うまく言葉にならなかった。具合が悪いわけじゃない。熱も咳もない。
 でも、なんだか心の奥に、重たいものがぎゅっと詰まっている感じだった。

 先生はそれ以上何も聞かずに、小さなカップにお茶を入れて、私の前にそっと置いた。ふわりと漂うあたたかい香りに、少しだけ肩の力が抜けた。

「がんばってる子ほど、自分に厳しくなるのよ」
 先生が、ポツリとつぶやいた。

 私は、ドキッとした。何も話していないのに、どうしてそんなことがわかるんだろう。先生は、静かに私の隣の椅子に腰をおろした。ちょっと離れた距離が、ちょうどよくて、ほっとする。

「……私、さっき……颯太に怒っちゃったんです」
 そう言うと、言葉がつっかえて、少しだけ目を伏せた。

「うるさいって言われて、カッとなって、調子に乗らないでよって……」
 声が小さくなる。話すことで、自分がどれだけ怒っていたのか、ようやく気づいた。

「それで、あとからすごく、罪悪感がきて……私、変ですよね」

 先生はゆっくり首を横に振った。

「変じゃないわ。むしろ、とてもまっすぐよ。怒るって、大事な気持ちよ」
 少し笑みを浮かべながら、先生は続けた。

「でもね、優しい子ほど、自分の怒りを許せなくなるの。こんなことで怒っちゃだめって、自分を責めてしまうのね」

 私は黙って、その言葉を胸に染み込ませるように聞いていた。先生の声は、図書館の中の音みたいに静かで、優しくて、それなのに、心の一番奥にすうっと届いてくる。

「怒っていいんですよ」
 先生はカップのお茶をひとくち飲んでから、やさしく言った。

「きっとね、ほのかちゃんは、自分が誰かを傷つけるのがこわいのよ。でも、怒るってことは、それだけその人との関係を大事に思ってる証拠なの。ほんとうにどうでもよかったら、怒りなんて湧いてこないでしょ?」

 私はその言葉を聞いて、思わず顔を上げた。

「……そう、なんですか?」

「うん。怒るのは、好きだから。がっかりしたり、悲しくなったり、期待してたからこそ……心が動くんだと思う」

 私の中で、ふわっと何かがほどけるような気がした。怒った自分を、許してもいいのかもしれない――そんな思いが、少しずつ形になっていく。

 窓の外では、葉の影がゆらゆらと揺れている。風が吹いているのが見えるのに、保健室の中はとても静かだった。

 そして、私は小さくつぶやいた。

「……ほんとは、謝りたくて。でも、怖くて、なんかうまくいかない気がして……」

「うん、うまくいかないこともある。だけど、ちゃんと気持ちを持ってること、それだけでえらいのよ」

 川島先生のその言葉に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

【奨励賞】おとぎの店の白雪姫

ゆちば
児童書・童話
【第15回絵本・児童書大賞 奨励賞】 母親を亡くした小学生、白雪ましろは、おとぎ商店街でレストランを経営する叔父、白雪凛悟(りんごおじさん)に引き取られる。 ぎこちない二人の生活が始まるが、ひょんなことからりんごおじさんのお店――ファミリーレストラン《りんごの木》のお手伝いをすることになったましろ。パティシエ高校生、最速のパート主婦、そしてイケメンだけど料理脳のりんごおじさんと共に、一癖も二癖もあるお客さんをおもてなし! そしてめくるめく日常の中で、ましろはりんごおじさんとの『家族』の形を見出していく――。 小さな白雪姫が『家族』のために奔走する、おいしいほっこり物語。はじまりはじまり! 他のサイトにも掲載しています。 表紙イラストは今市阿寒様です。 絵本児童書大賞で奨励賞をいただきました。

運よく生まれ変われたので、今度は思いっきり身体を動かします!

克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞」重度の心臓病のため、生まれてからずっと病院のベッドから動けなかった少年が12歳で亡くなりました。両親と両祖父母は毎日のように妾(氏神)に奇跡を願いましたが、叶えてあげられませんでした。神々の定めで、現世では奇跡を起こせなかったのです。ですが、記憶を残したまま転生させる事はできました。ほんの少しだけですが、運動が苦にならない健康な身体と神与スキルをおまけに付けてあげました。(氏神談)

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
児童書・童話
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

星降る夜に落ちた子

千東風子
児童書・童話
 あたしは、いらなかった?  ねえ、お父さん、お母さん。  ずっと心で泣いている女の子がいました。  名前は世羅。  いつもいつも弟ばかり。  何か買うのも出かけるのも、弟の言うことを聞いて。  ハイキングなんて、来たくなかった!  世羅が怒りながら歩いていると、急に体が浮きました。足を滑らせたのです。その先は、とても急な坂。  世羅は滑るように落ち、気を失いました。  そして、目が覚めたらそこは。  住んでいた所とはまるで違う、見知らぬ世界だったのです。  気が強いけれど寂しがり屋の女の子と、ワケ有りでいつも諦めることに慣れてしまった綺麗な男の子。  二人がお互いの心に寄り添い、成長するお話です。  全年齢ですが、けがをしたり、命を狙われたりする描写と「死」の表現があります。  苦手な方は回れ右をお願いいたします。  よろしくお願いいたします。  私が子どもの頃から温めてきたお話のひとつで、小説家になろうの冬の童話際2022に参加した作品です。  石河 翠さまが開催されている個人アワード『石河翠プレゼンツ勝手に冬童話大賞2022』で大賞をいただきまして、イラストはその副賞に相内 充希さまよりいただいたファンアートです。ありがとうございます(^-^)!  こちらは他サイトにも掲載しています。

処理中です...