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第二章:気まずさと距離感
31、誰にも言えないこと(前半)
しおりを挟む保健室のドアを開けると、かすかに風がカーテンを揺らしていた。
夕方の光が窓から斜めに差し込んで、白いシーツの上に長い影を落としている。
「どうしたの? 具合、悪い?」
川島先生が、書きものの手を止めて、ふわっとした口調で声をかけてくれた。
「……ちょっとだけ、休みたくて……」
そう言いながら、私は目を合わせずに、そっとベッドの端に座った。心臓がどくどくして、うまく言葉にならなかった。具合が悪いわけじゃない。熱も咳もない。
でも、なんだか心の奥に、重たいものがぎゅっと詰まっている感じだった。
先生はそれ以上何も聞かずに、小さなカップにお茶を入れて、私の前にそっと置いた。ふわりと漂うあたたかい香りに、少しだけ肩の力が抜けた。
「がんばってる子ほど、自分に厳しくなるのよ」
先生が、ポツリとつぶやいた。
私は、ドキッとした。何も話していないのに、どうしてそんなことがわかるんだろう。先生は、静かに私の隣の椅子に腰をおろした。ちょっと離れた距離が、ちょうどよくて、ほっとする。
「……私、さっき……颯太に怒っちゃったんです」
そう言うと、言葉がつっかえて、少しだけ目を伏せた。
「うるさいって言われて、カッとなって、調子に乗らないでよって……」
声が小さくなる。話すことで、自分がどれだけ怒っていたのか、ようやく気づいた。
「それで、あとからすごく、罪悪感がきて……私、変ですよね」
先生はゆっくり首を横に振った。
「変じゃないわ。むしろ、とてもまっすぐよ。怒るって、大事な気持ちよ」
少し笑みを浮かべながら、先生は続けた。
「でもね、優しい子ほど、自分の怒りを許せなくなるの。こんなことで怒っちゃだめって、自分を責めてしまうのね」
私は黙って、その言葉を胸に染み込ませるように聞いていた。先生の声は、図書館の中の音みたいに静かで、優しくて、それなのに、心の一番奥にすうっと届いてくる。
「怒っていいんですよ」
先生はカップのお茶をひとくち飲んでから、やさしく言った。
「きっとね、ほのかちゃんは、自分が誰かを傷つけるのがこわいのよ。でも、怒るってことは、それだけその人との関係を大事に思ってる証拠なの。ほんとうにどうでもよかったら、怒りなんて湧いてこないでしょ?」
私はその言葉を聞いて、思わず顔を上げた。
「……そう、なんですか?」
「うん。怒るのは、好きだから。がっかりしたり、悲しくなったり、期待してたからこそ……心が動くんだと思う」
私の中で、ふわっと何かがほどけるような気がした。怒った自分を、許してもいいのかもしれない――そんな思いが、少しずつ形になっていく。
窓の外では、葉の影がゆらゆらと揺れている。風が吹いているのが見えるのに、保健室の中はとても静かだった。
そして、私は小さくつぶやいた。
「……ほんとは、謝りたくて。でも、怖くて、なんかうまくいかない気がして……」
「うん、うまくいかないこともある。だけど、ちゃんと気持ちを持ってること、それだけでえらいのよ」
川島先生のその言葉に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
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