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第二章:気まずさと距離感
36、偶然の再会(後半)
しおりを挟むパンの入った紙袋を両手で受け取りながら、私はもう一度、陽翔のほうを見た。
彼はまだ、ベンチに座ったまま、じっと手の中のパンを見ていた。
それは、まるで何か大事なものを確かめるみたいな、そんなまなざしだった。
「……帰るとこ?」
私がそう聞くと、陽翔は少しだけうなずいた。
「うん。ママがここのパン、好きだから。たまに買って帰るんだ。……早い時間なら、人も少ないし」
「そっか……」
私は、言葉を選びながら口を開く。
「ねえ……さっき言ってた、呼吸できる場所って……、他にもあるの?」
陽翔はちょっと驚いたように私を見た。
けれどすぐに目を伏せて、小さく、でもはっきりと答えた。
「まだ、ない。……でも、あればいいなって思ってる」
私はその言葉に、どう返せばいいか一瞬迷った。
でも、不思議と、そのまだないって言葉が、すごく素直に聞こえて――ちょっと、うれしかった。
「……うん、私も、そんな場所がほしいなって思ってた。最近、とくに」
陽翔が、ちらっとこっちを見た。
その目に浮かぶものが、やさしさか、少しの戸惑いか――よくわからなかったけど、心のどこかがふっと軽くなった気がした。
「朝見さんって……」
「ん?」
「……なんで話しかけてくれたの?」
「え?」
思わず聞き返してしまうと、陽翔はちょっとだけ肩をすくめた。
「……クラスの人って、たいてい、見て見ぬふりするから」
「そ、そんな……!」
私は、慌てて否定しようとして――でも、すぐにやめた。
だって、それはきっと陽翔にとってほんとうなんだ。
私は、うまく言葉を探して、それでも足りないと思いながら、こう答えた。
「うーん……なんとなく、声、かけたくなっただけ」
「なんとなく?」
「うん。ほんとに、それだけ。でも……なんか、話せてよかったって、今は思ってる」
陽翔は一瞬、ふっと目を細めて――それは、たぶん、笑ったのだと思う。
とても小さくて、けれど確かにあたたかい、そんな微笑みだった。
「……そっか。じゃあ、ありがとう」
「うん。……こちらこそ」
ドアの外では、少しずつ夕焼けのオレンジ色が濃くなっていく。
ビルの影が長く伸びて、街の音もゆっくりと静かになっていくようだった。
陽翔が立ち上がり、パンを両手で抱えたまま、ゆっくり歩き出す。
私もそれを見送るように、紙袋を胸に抱き直した。
その中にある、ふわふわのクリームパン。
ほんのりあったかくて、甘い匂いが、袋越しにも感じられる。
私は思った。
このパン屋みたいに、ほのかにあったかくて、誰に気をつかわなくても呼吸できる場所――
そんな場所が、どこかにあるんだって、信じたい。
もしかしたら、陽翔にとってのそれがこのこむぎ日和なら、
私にとっても、誰かとのちいさな時間が、それになるかもしれない。
湊との沈黙。
颯太とのすれ違い。
レナの笑顔の裏にあるもの。
全部が、きっと答えじゃなくて、途中にあるものなんだ。
パン屋のドアを開けて、もう一度外に出ると、冷たい空気が頬に触れた。
でも、さっきよりずっとやわらかく感じた。
私は歩き出す。
夕暮れの道を、ゆっくり、家に向かって。
胸の奥に、あったかいパンと、陽翔の言葉を抱えたまま。
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