恋や友情が、なくても

武内れい

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第二章:気まずさと距離感

38、仲直りのきっかけ(後半)

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 廊下に出ると、窓の向こうの空がすっかり茜色に染まっていた。
 校舎の白い壁が、夕陽に照らされてオレンジがかった色になっていて、どこか懐かしいような、さびしいような気持ちになった。

「……もう、こんな時間か」

 つぶやいた声が、がらんとした廊下に吸い込まれていく。
 夕方の学校って、どうしてこんなに静かなんだろう。昼間のあのにぎやかさは、ほんとうに現実だったのかなって思うくらい。
 私は階段を一段ずつ降りながら、背中のランドセルが少し重く感じた。でも、心の中は、なんとなく軽かった。

 玄関を出たとき、ふわっと冷たい風が顔に当たった。
 私はマフラーの端をぐいっと首元に引き寄せる。
 校門のところで見上げると、空はもうすっかり夕暮れ色で、少しだけ月が顔をのぞかせていた。

「……明日、どうやって返事しようかな」

 考えてみるけど、言葉がすぐには浮かばない。
 直接「ありがとう」って言えるほど、私はまだ器用じゃない気がするし、紙に書いて返すのも、なんだか照れくさい。

 でも、たとえば。
 颯太と目が合ったとき、ちょっとだけ笑ってみたら――
 それだけで、ちゃんと伝わるかもしれない。
 ううん、伝わってほしい。

 歩道の上に、赤く染まった落ち葉がいくつか転がっていた。
 私はひとつ拾って、くるくると指先で回してみた。
 軽くて、カサカサで、だけど、きれいな色。
 なんだか今日の気持ちに、少し似てる気がした。

 ほんの少し前まで、私は「怒ること」ってよくないことだと思ってた。
 友達に嫌われるかもしれないし、空気を悪くするかもしれない。
 できれば、いつもにこにこして、やさしくしていたほうがいいって。

 でも――違うんだね。
 怒ることも、悲しむことも、自分の中にあるちゃんとした感情。
 それを隠したり、押し殺したりしてたら、本当の自分なんて見えなくなっちゃう。
 それを、川島先生と、颯太が、教えてくれた。

「……ありがとう、ね」

 つぶやいた言葉は、誰にも届かないけど、空に向かってそっと飛んでいった。
 夕焼けの空が、まるでうなずいてくれたみたいに、やさしく広がっていた。

 角を曲がって、いつもの帰り道に入る。
 前を歩いている猫のしっぽがぴょこんと揺れていて、私はちょっと笑った。
 こんな小さなことでも、心がふわっとする。
 それってきっと、今日、だれかの気持ちに触れられたからなんだと思う。

 私の心は、少しずつ変わっていく。
 昨日と今日とで、全然ちがう。
 傷つくことも、ぶつかることもあるけれど、そうやって少しずつ誰かと向き合っていけたら、それってすごく大事なことだと思う。

 家の近くまで来たころには、空の色がすっかり夜に変わっていた。
 でも、私の心の中には、小さな灯りがぽっと灯っていた。
 それは、颯太の言葉がくれたあたたかさ。
 ちゃんとごめんって言ってくれたこと。
 それに、私がちゃんと受け取れたこと。

 玄関を開けて「ただいま」って言ったとき、お母さんが台所から「おかえり」って返してくれた。
 いつもの日常。でも、今日はその言葉が少しうれしく感じた。

 部屋に入ってランドセルをおろし、筆箱を開ける。
 そっと折りたたんだプリントが、そのまま入っているのを確認して、私はそれを机の引き出しにしまった。
 目立たない場所に、大切に、大切に。

 これからまた、すれちがったり、わからなくなったりすることもあると思う。
 でも、ちゃんと向き合えば、こうしてまたつながれる。
 そう信じられるだけで、世界がちょっとだけやさしくなる気がした。

 私は明日、きっと少し笑ってみる。
 それだけで、きっと何かが動き出すから。
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