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第三章
(19)また会いたい
しおりを挟む「……うーん、やっぱり何か物足りないなぁ……」
井戸に横にしゃがみ込み、長過ぎるため息をついた。
いつもの廃屋の敷地に忍び込んだ私は、今日もたっぷりと井戸に向けて叫んでいた。
でも、なぜかスッキリしない。これ以上セレイス様の悪口を思い付かなくなるくらいに悪様に罵りつづけたのに、心の奥にどんよりとしたものが残っている。
「……やっぱりお兄さんに会いたいなぁ……。あの怖くて冷たい目で『それはクズだな』と言ってもらいたい……」
ローナ様のお屋敷を訪問した日の予感は、これだったのか。
ああ、お兄さんに会いたい。
セレイス様の意味不明な粘着ぶりを訴えたい。容赦を知らないお兄さんなら、絶対に嫌悪感丸出しで酷評してくれる気がする。
よく考えれば名前も知らない、たった一回会っただけの人だけど、あの冷たい目と容赦のない物言いは癖になる。
金持ちそうだし、ぜひ最愛のお姉様と結婚してほしい。
でも、私がどんなにお兄さんに会いたいと思っても、再会はそう簡単なことではない気がする。
その証拠に、この廃屋にある不思議な井戸に通うようになって二週間くらいすぎたけど、あのあと一度も会っていない。
私は毎日でもここに通いたい。でもそれはつまり毎日屋敷を抜け出すということで、そんな事をしたらオクタヴィアお姉様に心配をかけてしまう。だから、大人としての自覚が生まれた私は、二、三日に一度しか抜け出していない。
これでも、精一杯我慢している大人なのだ。
それに、セレイス様が来なくてもいいのに毎日のようにやって来る。諸事情により、その間は私も同席もしなければいけない。
妹としての重要なお仕事だ。
たとえ私が毎日通えたとしても、一日中ここに張り付くわけにはいかない。当たり前だけど、私がいる時間とお兄さんが来る時間がぴったり合わなければ会うことは叶わない。
そんな偶然、どう考えても難しいよね。絶望的だ。
……いや、待てよ?
「そうだ、手紙を残せばいいんだ!」
何日の何時ごろにここに来ますから、会ってください。
そう残せば、お兄さんは来てくれるかもしれない。いや、意外にいい人だから、きっと会ってくれる! 根拠はないけど、なんとなくそう思う!
……いや、だめだ。この井戸を利用しているのは私だけではないんだった。私がここを見つけるきっかけとなった謎のフードの人も来ているはずだ。もしかしたら、意外に多いかもしれない。
目立つ場所に手紙を置いていくはだめだな。
かと言って、こっそり隠してしまうとお兄さんにも気付いてもらえないし……。
お兄さんにだけ見つけてもらえるような、置き手紙……。
「……あ、そうか。あのお兄さんは手紙じゃなくてもいいんだ!」
お兄さんは、強い残留思念が聞こえてしまうとか何とか言っていた。
叫んだ現場にいなかったのに、セレイス様のクズっぷりを知っていたのが何よりの証拠だ。
つまり、私が叫べばお兄さんに伝わる!
『お兄さんっ! お話したいことがありますっ! 一週間後の昼頃にここに来てくださいっ!』
井戸に向かって叫ぶ。
でもこれだけでは不安だから、ちょうど砂浴びをしている小鳥を振り返った。
小鳥さん。あの目の冷たいお兄さんに、ここに伝言を残してるよと伝えてくれると嬉しいです。……と頼みたいけど、鳥だからさすがに無理か。
どうか、お兄さんが伝言に気付いてくれますように!
私は祈ることにした。
井戸の横で祈った後、屋敷でも祈り続けて、一週間。
オクタヴィアお姉様のお美しさにうっとりしている間も、私はずっと緊張していた。そのせいで、あらゆることに上の空になっていたようだ。体調を崩したのではないかと心配したお姉様は、初めてセレイス様を追い返してくれた。
お姉様の優しさが身にしみる。最高です。
そして、約束の日。
私は井戸のある廃屋を訪れた。
ドキドキしながら井戸が見える場所まで来た。でも、今日は小鳥たちのさえずりが全く聞こえてこない。天気が良くて砂がよく乾いているというのに、砂浴びもしていなかった。
ああ、ダメだったのか。
がっかりと肩を落とした時、にゃー、と可愛らしい声がした。
猫だっ!
はやる気持ちを抑え、そろりと振り返る。すぐ後ろに真っ白な猫が座っていた。長毛種の猫で、後ろ足にくるりと沿わせている尾もふさふさだ。
なんてキレイな猫だろう。
うっとりと見惚れていると、白い猫はもう一度、にゃー、と鳴いてすたすたと歩き出した。少し歩いて、ぴたりと止まって私を振り返る。ぴんと立った尾が招くようにくいと動き、また歩いていく。
思わずその後を目で追っていくと、白い猫は少し離れた木陰へと向かっていた。
そしてそこに、黒い服を着た男の人が座っていた。
「お兄さん!」
思わず叫んでしまった。
慌てて口を押さえたけど、今日の猫は全く動じない。チラリと振り返っただけでそのまま歩いていき、お兄さんの近くでゴロンと横になる。
ころりころりと背中を地面に擦り付け、気が済んだのかお兄さんの足にぽすりと頭を乗せた。
か……かわいい……っ!
……いや、静かに、静かに。善良な猫様を驚かせてはいけないから、ちょっと落ち着こう。
私はゆっくりと深呼吸をした。お兄さんはそんな私を無表情にじっと観察しているようだ。
少し落ち着いたので、私は改めてお兄さんに向き直った。
木陰に座っているお兄さんは、今日も一見すると地味な服を着ていた。ここから見ると、服は黒いようだ。
でも、侮ってはいけない。木漏れ日が当たっているところも灰色に見えない見事な黒色だし、何より光沢が美しい。
……ふむ。それ、もしかして絹ですか?
ごくりと息を飲む私を見て、お兄さんは薄く笑った。
「お前に、絹の見分けがつくとは思わなかったな」
「おお、ではやはり絹なんですね! 相変わらず金回りがいいお兄さんだなぁっ! 私の姉は二十歳です。美人で優しくて、超おすすめですよ!」
「……たとえクズであろうと、正式な婚約者がいる女を、よく勧める気になるな」
お兄さん、顔だけを見ているととても不機嫌そうですね。
でも、凶悪な目つきを恐れる私ではない。だって今日のお兄さんは猫まみれだからっ!
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